第21話 遭難後の登校
朝、ミュウは目を覚ましたが、覚醒という状態にはほど遠かった。頭の半分がぼーっとしていて、理性がまともに働かない。目の下にはクマもできている。
「今日からまた学園に行くっていうのに、朝方まで眠れなかった……。ああ! もう全部シャザークのせいなんだから!」
眠ろうと目を閉じるたびに、まぶたの裏に勝手に映像が浮かんできた。
シャザークの胸に抱かれた自分が、そのまま顔を上げると、すぐに近くにシャザークの顔。
無言で見つめ合ったあと、シャザークの顔が少しずつ近づいてくる。
もう唇と唇が触れそうなほどまで接近したところで――ミュウはかっと目を開いて、その妄想のような光景を断ち切る。
明け方近くまで、ミュウはベッドの中でそんなことを繰り返していたのだ。
(私とシャザークが、キ、キスとか、あり得ないんだから! 昨日の夜は、急に体が大きくなったせいで、色々と混乱して、ちょっとおかしな気持ちになっちゃっただけで、ほんの気の迷いなんだから!)
ミュウは重い体を起こしてベッドから出ると、半ば体を引きずりながら朝の支度を始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
ミュウが着替えを終えて食堂に行くと、両親もシャザークもすでに席についていた。
(お化粧道具もないし、目の下のクマはどうしようもなかった……。ああもう、こんな顔をシャザークに見せたくないよ!)
自分でも可愛くないと思える顔を少しでも見られないよう、ミュウはシャザークからなるだけ顔を背けてしまう。
この時、ミュウがもしシャザークの顔をしっかり見ていれば、彼の目の下にもクマができていることに気付いただろうが、まともに目を向けていない上に、睡眠不足で集中力を欠いている今のミュウは、残念ながらその事実に気付くことはかなった。
もしも気付いていれば、シャザークもミュウと似た理由で眠れぬ夜を過ごしていたことに気付けたかもしれないが、残念ながらミュウはそのチャンスを逃してしまうのだった。。
「ミュウ、顔色がよくないな。体調が優れないのならもう一日休むか?」
娘を慮るフランツの優しい声に、ミュウは心苦しさを覚えてしまう。
(恥ずかしい妄想で寝不足になったせいだとは口が裂けても言えない……。でも、この際だから、もう一日休んじゃおうかな……)
どうせ心苦しく思うのなら、そこにズル休みを加えてもいいのではないかと、悪魔の囁きがミュウには聞こえてくるようだった。
あと数時間だけでも寝られればどれほど心地よいか、そんな誘惑に負けそうになったところで、ミュウは目の端にシャザークの姿を捉えてしまう。
(ちょっと待って! このまま家にいたら、一日中シャザークと顔を合わせることになるんじゃないの? それに、体調よくないってシャザークに心配かけることになっちゃわない? ……それはなんかイヤだな)
「お父様、大丈夫です。昼間に眠りすぎたから、夜になかなか寝付けなかっただけですよ。体の具合はまったく問題ありませんから!」
「そうか、ミュウがそう言うのならよいが……」
「はい! 私は元気が取柄ですから!」
両親だけでなく、シャザークにも心配かけまいと、ミュウとつとめて明るく言ってみせる。
「……無理はするなよ」
それはシャザークの声だった。
できるだけシャザークのほうを見ないようにしていたミュウだが、つい声に反応してしまい、反射的に目を向ける。
しかし、ミュウが顔を向けると、なぜかシャザークは不自然に顔を背けた。
ミュウの方もその顔が改めて自分の方に向くのを恐れ、再び顔の向きを変える。
そんな可愛いすれ違いのせいで、ミュウとシャザークはお互いに、相手の照れた様子には気づいていない。
「大丈夫だって! シャザークの方こそ、問題なさそう?」
「ああ、問題ない」
顔をろくに合わせないまま、二人は言葉だけで互いに気遣い合う。
そんな二人を、母のカトリーナは何も言わずニコニコ見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
朝のそんなやりとりを経て、ミュウは遭難後初めての登校で教室にたどりつく。
久しぶりというほどには日数はあいていなかったが、ミュウには教室がどこか遠いもののように思えた。山での遭難、新月の夜の身体の変化、シャザークの力強い腕と熱い胸、その中身の濃い経験が、日数以上にミュウに心理的な変化をもたらしていたのかもしれない。
だがどこか慣れない教室の中で、一つ見慣れたものを見つけ、ミュウは安心感を覚える。
ミュウの視線の先にあったのは、自席の隣に座るイザベラの、その広いおでこだった。
以前とかわらず、シミ一つ、皺一つなく、つややかな輝きを見せている。そのおでこのつやをみるだけで、イザベラの体調の良好さがうかがい知れる。
「おはよう、イザベラ。元気そうでなにより」
ミュウが自分の席に近づきながら声をかけると、イザベラも視線を向けてくる。
以前のその視線には、どこかトゲのようなものが感じられたが、今の彼女にはそういったものがまるでなかった。
「おはようございます。そういうミュウさんこそ元気そう――には見えませんね。顔色がよくないようですが……」
「うっ……」
イザベラにまであっさり寝不足を見抜かれ、ミュウはうろたえる。
(10歳のイザベラがあんな経験してもしっかり休んで体調を戻しているのに、中身大人の私の方が、シャザークとのことがあったとはいえ、このていたらく……。なんか情けない……)
「昼間に寝すぎて夜眠れなかっただけで、体は問題ないよ」
恥ずかしさで少し不貞腐れながら、ミュウも席に着く。
「そうですか。それならよろしいのですが……」
(私の体調なんかどうでもいいのよ! そんなことより、イザベラには確認しておかないといけないことがあるんだった!)
家で休んでいる間も、ミュウには気になっていることがあった。
学園を休んでもう少し寝ていたい欲求を抑えて、学園に来たのも、シャザークと顔を合わせづらいという大きな理由だけでなく、もう一つ、イザベラと話をする必要があったからだった。
「それより、イザベラ。シャザークのことなんだけど……」
イザベラには、山でシャザークの悪魔憑きの姿を見られてしまっていた。彼女がシャザークのその姿を恐れることなく、普通に接してくれたことにはとても感謝している。
しかし、色々あったせいで、その口止めができていなかったのだ。
悪意をもってイザベラがシャザークのことを周りに吹聴するとは、今のミュウは考えていない。だが、イザベラはしっかりしているようでもまだ10歳の子供だ。親などに、悪意なく見たままの事実を伝えている可能性がある。そうでなくとも、今後、何かの拍子に不意にその事実を口にしてしまうかもしれない。
それを考えれば、教室でこんな話をすることにもリスクがあったが、わざわざ誰もいないところに連れて行って二人きりで話すのも仰々しいし、それを誰かに見られれば、何か勘繰られる恐れもある。
そのため、ミュウとしては、具体的なことを言わないまま、イザベラにうまく口止めをお願いしたいところだった。
「ミュウさん」
イザベラがまっすぐな目でミュウを見つめてくる。
「はい!?」
年下とは思えない迫力のこもったその眼差しに、ミュウは半ば気おされて上ずった声で返事をしながら目と目を合わせた。
「私が命の恩人の秘密を軽々しく喋るような人間だとお思いですか?」
強い物言いではなかった。責めるようでも、悲しむようでもない、ただただ透き通るほどに透明でまっすぐな言葉だった。大人になり社会に出てからは触れたことのない純粋な思い。それを向けられ、ミュウの胸が熱くなる。
もうそれ以上イザベラに何も言う必要はないと、ミュウは頭で理解する前に心で理解した。確認も口止めも必要ない。もうその言葉だけで、ミュウには十分だった。
「ごめん……いや、違うか。ありがとう、イザベラ」
「はい」
裏のない眩しい笑顔だった。相手が、同性なのに、イザベラなのに、思わずドキッとしてしまい、ミュウは無性に気恥しくなってしまうほどだった。
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