第20話 新月の二人

 いつかのように、ミュウとシャザークは二人並んでまたバルコニーから夜の空を見上げた。

 新月のため夜空に月の明かりはないが、その分星たちの輝きはいつも以上にきらびやかで、どこか神秘的にさえ思える。

 バルコニーで横に並んでからは、シャザークの様子は普段通りだった。

 しかし、なぜか紅目紅髪の姿はいまだに解かれていない。


「……で、その身体は一体なにがあったんだ?」


「それが、私にもわかんないのよ! 眠れないなーって思ってたら、身体が急にむずむずしてきて……気が付いたらこうなってたの!」


 ミュウはシャザークがもっと驚くかと思っていたが、ミュウの方に顔を向けず、シャザークは空に目を向けたまま静かに何か考えているようだった。

 ミュウはシャザークを横から見ても、その紅い髪と紅い目につい視線を向けてしまう。世間では畏怖の対象でしかないその特徴だったが、ミュウはそんなふうに感じたことは一度もなかった。むしろ、シャザークの紅い瞳は、どこまで澄んでいるようで、ついつい見惚れてしまう。


「……何時くらいのことだった?」


 このまま永遠に見ていてもいいかなと、ミュウは自分の体の異変も忘れて呆けていたが、自分が聞かれているのだと理解して我に返る。


「えっ……そうね。たしか、丁度日付が変わるか変わらないかくらいの時だったと思う」


 その時にちょうど時計を見たわけではなかったが、その前の眠れずにいたときに確認した時刻から考えれば、大きく間違っていることはないと思えた。


「……俺の悪魔憑きの力は、新月の夜には制御できなくなって、こうやって勝手に出てきてしまうんだ。丁度夜の0時くらいに」


(……ああ、それでずっとその姿のままなのね)


 ミュウはシャザークが元の姿に戻らないことにようやく合点がいった。


「ミュウもなにか心当たりはないか?」


 シャザークの言葉でミュウは心当たりを考えて、一つのことに思い当たる。


(思いつくことといったら、美夕からミュウに転生したことだよね。でも、転生前と同じアラサーの身体になるのならまだわかるけど、今のこの身体はもっと若いんだよね)


 この年代の身体には何も思い当たることがない。

 ミュウは首を捻ってさらに考え込む。


(今の10歳の私とアラサーの私との真ん中くらいってわけでもないし……。ん、10歳の私とアラサーの私を足して半分に割ったら……もしかしてこのくらい?)


「……どうした? なにか思い当たることでもあるのか?」


「んー、あるようなないような……」


 ミュウはさすがに転生の話をして信じてもらえるとは思えないし、そもそも自分が考えている今の若さの理由も思いつき程度なので、さすがに今その説明をする気になれなかった。


「でも、どうしようこの身体。急にこんな大きくなったら、みんな驚くよね。……シャザークもびっくりした?」


「……そうだな」


 シャザークの顔が少し赤くなったが、ミュウはそのことに気付かない。


「だよねー。突然大きくなってたら普通驚くよね」


「……いや、大きくなってたことより……ミュウがすごく綺麗だったから……」


「――――!?」


 シャザークの口から出るとは思わなかった言葉に、ミュウは我が耳を疑う。


(綺麗って言った!? 今、綺麗って言った!?)


 頭の中でシャザークの言葉を反芻すると、ミュウの顔は自分でもわかるくらいにどんどん赤くなっていく。

 慣れていない感情に、両手で頬を押さえて、わたわたしながら思わずその場で足踏みしてしまう。


(ちょっと、ちょっと何なのよ! 年上が好みじゃなかったの!?)


 その場で地団太踏むように恥ずかしがっていたミュウだったが、大きくなった身体と頭の運動感覚がまだ一致していないのか、ふいにバランスを崩し、よろけてしまう。


「あっ……」


 よろけたミュウをすかさずシャザークの腕が抱き止め、そのまま引き寄せた。

 ミュウはそのままシャザークに寄りかかり、見た目以上に逞しい彼の胸に顔を預ける。

 背中に回されたシャザークの腕に力が入るのが伝わってきて、自分が今抱きしめられていることをミュウは自覚する。


(ちょっと、ちょっと!? なんなのよ、この状況!?)


 さっきから頭が沸騰したように熱くなって、何も考えられなくなる。

 そんな状況なのに、ミュウの手はつかまるように自然とシャザークの背中に回っていた。

 そしてそのままシャザークと同じように腕に力を込める。


(お月様が見ていないからって、シャザークも、私も、こんなことするなんて……)


 月のない夜に二人で抱き合っていた。

 客観的に見れば、今の二人はそう表現するしかない状態なんだと、ミュウの頭の中の冷静な自分が分析している。

 抱かれて身体に感じる男の腕の力は、ミュウが今まで経験したことのないものだった。

 前の人生でもこんなふうに男の人に抱き締められたことは一度もない。

 男性の力がこんなに強いものだと、自分の身体で初めて実感する。

 そして、痛いほどきつく抱き締められているのに、それがまったく苦痛ではなく、強い分だけ守られているような満たされた嬉しさがこみ上げてくるのだと知ってしまう。


(ずっとこのままでいいかも……)


 そんなふうに考えてしまいながら、ミュウはシャザークの厚い胸に頬をうずめる。

 頬にはシャザークの激しい鼓動が伝わってきた。

 自分の心臓も、これまで経験したことないほど暴れているが、シャザークも同じなんだと、ミュウはなんだか嬉しくなる。


(もし、このまま私が顔を上げたら……)


 想像してしまう。

 抱き合う二人。

 そのまま女の子が顔を上げて、目を閉じたら――。

 世界が違っても、その時、男がすることなんて一つ考え付かない。


(……ついに私、初めて……キスしちゃう!?)


 心臓がさらに早鐘を打つ。

 ミュウはシャザークの胸から顔を少し離した。

 シャザークの顔を見上げる勇気はない。


(見てから目を閉じるなんて無理! でも、目を閉じたまま顔を上げるのなら……)


 ミュウはそのまま目を閉じた。

 あとはこのまま上を向くだけ――


(ついに、私……ファーストキスを……)


 口の中はもうカラカラだ。

 極度の緊張の中、ミュウがその顔を上げようとした時――


 少し前にベッドの中で感じた全身がムズムズする感覚が再びミュウを襲ってくる。


「ちょ……こんなときになに!?」


 言う間に、シャザークの顔が、胸が、だんだんと遠ざかっていく。

 ミュウはすぐに自分の身長が縮んでいるのだということに気付く。


(うそでしょ!? せめてもう少し待ってよ!!)


 無情にもミュウの身体は、すぐにいつもの大きさに戻ってしまった。

 見上げれば、シャザークの目と髪もいつもの色に戻っている。


「俺の場合、新月の影響を受けるのは、その力が一番強い0時から30分くらいの間だけなんだが……ミュウも同じようだな」


「……そういうことは、もっと早く言って欲しかったわ」


 元に戻れたことは嬉しい――が、今はそれ以上に残念な気持ちの方が上回ってしまっている気がした。


「まぁ、良かったじゃないか。俺と同じで新月の夜の一時的な変化みたいで」


「……そうね」


 少々不満は残るが、不安要素が解消したことには安堵する。

 それに、先ほどまでミュウの方にほとんど視線を向けていなかったシャザークが、今はいつものような態度で、視線もちゃんと向けてくれていた。

 普段通りのシャザークに戻ってくれたことにミュウをなんだか安心する。

 同時に、もしかしてシャザークは、さっきまでの成長した自分の姿に、まともに見られないほど照れてくれていたのかと、ついうぬぼれてしまいそうになる。


「……それにしても、シャザーク、さっきまで私の方を見ないようにしてたでしょ?」


 月が見ていないせいか、こんな夜には、女の子はちょっと意地悪したくなってしまう。

 年上の女性としての余裕から、「もしかして、意識していた?」と続けて、シャザークが困るところを見ようとしたミュウだったが、言葉を溜めている間に、先にシャザークが口を開く。


「いや……言おうかどうか迷ってたんだが、さっきまでのミュウは、身体だけ大きくなったせいで、脚がほとんど出てたし、胸だって……」


 その姿を思い出してしまったのか、シャザークが赤くなった顔をそむけてしまう。


「なっ……」


 想定外の言葉にミュウは言葉を失う。


(……意識していたんじゃなくて……私の恥ずかしい格好を前にして、単に目のやり場に困ってだけってこと!?)


 さっきまでの自分の姿も、勝手にうぬぼれていた自分も、全部恥ずかしくなる。

 転生前の感覚では、生足を見せるくらいどうということはないが、この世界では、生足は将来を約束した相手にしか見せてはいけないものとされている。

 いくら転生前の価値観を持っているとはいえ、ミュウはこの世界での知識もしっかりと有しているのだ。平気なはずがない。

 それに、女性の方から男性に自分の足を見せるというのは、相手に好意があると伝えるのと同義である。そのことを意識すると、ますます頭が沸騰してきてしまう。


「で、でも、こんな暗い夜に、そんなはっきりは見えて――」


 そこまで言って、ミュウはさっきまでのシャザークが、夜目も利く姿だということを思い出す。


(あの状態のシャザークは、昼間と同じくらいに見えるって言ってたっけ……。それって、さっきまでの露出度の高い私の姿をはっきり見られてたってことで……)

「シャ、シャザークのばかぁぁぁぁぁぁ!!」


 もう羞恥心が限界突破してしまったミュウは、目に涙を浮かべながら、一方的に吐き捨てて、自分の部屋に飛んで帰るしかなかった。


 そんなミュウの姿をシャザークは優しい目で見送り、彼女の部屋の扉が閉まった音を耳にすると、夜空に目を向けた。

 だが、彼の目には満天の星さえ映っていない。


「……あんな魅力的になるなんて……反則だろ」


 不覚にも心を奪われかけたミュウの姿を脳裏に思い出しながら呟いたシャザークの言葉は、夜風にかき消された。

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