第18話 足音
あたりはすっかり暗くなっていた。
遭難した二人は落ち葉を一箇所に集めて山のようにし、その中に体を入れて横になっている。
陽が落ちて一気に気温が下がってきているが、落ち葉の布団は思ったより温かく、夜の冷えをしのぐのには問題なさそうだった。
「こんな状況じゃなかなか難しいだろうけど、無理してでも寝ておきなさいよ。明日はまた体力使わないといけないんだから」
「わかっていますわ。でも、お友達と一緒に寝るのなんて初めてだから緊張してしまいそうです」
昨日までなら「誰が友達よ」と言い返していたかもしれないが、今のミュウはその言葉を放つつもりはなかった。
よく考えれば、腹を割って話をしてこなかったのは自分も同じだ。金持ち貴族、最初からそういうレッテルを貼っていたのは、自分の方だったのかもしれないとさえ思ってしまう。
「……ねぇ、イザベラ」
「なんですの?」
「無事に街まで帰ったらさ、今度ゆっくりあなたの話を聞かせてよ」
「ええ。よろしくてよ」
ミュウはその時がちょっと楽しみになり、顔が自然にほころぶ。
(……そのためには、なんとしてでもイザベラと一緒に山を下りないと!)
ミュウがそう思いを新たにした時、静かな夜の闇の中、山の地面を伝わってかすかな足音が聞こえてくる。
「…………?」
最初はかすかだった音は、明らかに次第に大きくなってきた。
(なにこの音……動物の足音?)
「ミュウさん……」
イザベラも足音に気付いたのだろう。その声には不安の色が混じっている。
ミュウが最初に期待したのは、自分たちを探しにきてくれた誰かではないかということだった。しかし、すでに夜の帳が下りたこの状況で、捜索を続けているとは考えられない。二次遭難に繋がる可能性が非常に高いし、第一それなら灯りを持っているはずだ。それなのに、周囲に光はまったく見えない。
ミュウは救援の可能性を頭から消した。
「足音の大きさからして、小動物って感じじゃなさそうね。人を襲うような獰猛な動物はいないって聞いてたけど……」
何らかの理由で棲みかを終われた熊がほかの山や街の中に出てくるという話は、前の世界でもよく聞いた話だ。ここでも同じようなことが起こらないという保証はどこにもない。
「……ねぇ、イザベラ、こういう時って気付かれないように静かにしてるのと、向こうが驚いて逃げるように大声を出すのと、どっちがいいと思う?」
「…………」
期待したわけではないが、イザベラからの返答はない。
ミュウは、この状況で実質的に年下の女の子に頼ろうとしてしまった自分がちょっと恥ずかしくなる。
(私が決断しなきゃいけないんだ!)
ミュウは自分の頬を軽く叩いて気合を入れる。
(熊のような動物なら、きっと声を出したほうがいいよね。でも、山賊や、山の中に隠れている犯罪者という可能性だってある。もしもそっちの場合だったら、間違いなく静かにしている方がいいよね。……どっちに賭けるべきか)
ミュウが悩んでいるうちにも、足音はどんどん近づいてくる。
(相手が山賊の類でも、最悪まだ交渉の余地はある! 怖いのは言葉も通じない動物の方だ!)
決断したミュウは声の限り叫ぶ。
「うあああああああああああああぁぁぁァァァァァ!!」
あまりの声量に、隣で寝ていたイザベラの身体がぴくりと跳ねる。
だが、気にするのはそちらではない。
ミュウは足音の方へ注意を向けた。
(足音は止まってる! 私の声にびっくりして立ち止まった?)
ほんのわずかな気配でも探ろうとミュウは耳を澄ませて、闇の中をうかがう。
「ミュウ! 近くにいるのか!?」
耳に届いたのは聞き覚えのある声だった。
まさかこんなところで聞けるとは思ってなかった、少し低くて年齢のわりに渋みのある声。
聞き間違いなんかじゃないとミュウは自信を持って言える。
「シャザーク、いるの!?」
ミュウは体を起こし、闇の中に向かって叫ぶように声をかけた。
「そこか!」
足音がさらに近づいてくる。
急に灯りがつき、その灯りによって浮かび上がったシャザークの姿が、ミュウにもはっきりと見えた。
シャザークの姿は、誘拐犯から助けてくれた時と同じ、紅い目に紅い髪をした、悪魔憑きとしての姿だった。けれども、ミュウにはその姿のシャザークこそが、誰よりも頼もしく見える。
「シャザーク!」
ミュウは立ち上がって駆け出すと、思い切り彼の胸に飛びついた。
シャザークは右手にランタンを掲げながらも、ミュウの体をしっかり受け止め、左腕で強く抱きしめる。
「ミュウ! よく無事で! ……もう一人の子も一緒なのか?」
「ええ! そこに!」
ミュウは振り返り、落ち葉をかぶっていたイザベラを指さす。
イザベラは上半身を起こし、こちらを見つめていた。
シャザークと出会えたことで浮かれていたミュウだったが、イザベラの目を見て、その浮かれ気分が吹き飛ぶ。
彼女の瞳には、さっきまでの遭難の不安とはまた違う種類の怯えの色が浮かんでいた。
(そうだ……忘れてた。イザベラはシャザークのこの姿を見るのは初めてなんだよね。普段の姿ならともかく、悪魔憑きと言われるこんな姿を見たら、平気じゃいられないよね。ずっとそう教えられてきたんだから。私が大丈夫だって言ってもすぐに信じられるようなものじゃないよね……)
それでもミュウは言うしかなかった。なにより、シャザークが友達からそういう目を向けられることが耐えられなかったから。
「違うの、イザベラ! 悪魔憑きだからって本当は私たちと何も変わらないの! シャザークはとっても優しくて、頼りになって――」
「ええ。……わかりますわ」
イザベラの反応に、ミュウは言葉を止め、キョトンとする。
ミュウ自身、そんな落ち着いた反応を返してもらえるとは、正直思っていなかった。
「だって、ミュウさんがそんなに信頼して、嬉しそうな顔をなさっているんですもの。そのかたは、頼れるかたなのでしょ?」
イザベラの瞳から怯えの色が完全に消えたわけではない。だが、それでも彼女はこれまで刷り込まれてきた偏見に流されることなく、微笑んでみせてくれていた。
しかもその理由が、自分を信用してくれているからだということに、ミュウの胸は勝手に熱くなってくる。
「……ありがとう、イザベラ。シャザークは本当に頼りになるんだから!」
ミュウはシャザークの背中に回していた手に、今一度思い切り力を込めた。
「とにかく、二人とも無事でよかった」
「……でも、シャザーク、どうしてその姿なの?」
「この姿なら身体能力も感覚能力も上がるし、夜目も利く。星明りがあれば、昼間とそれほど変わらないくらいには見えている」
「……すごいわね」
誘拐された時にも凄いと思ったが、ミュウは改めてシャザークのこの力に感心する。
そしてそれと同時に、シャザークがこんな闇の中、灯りも付けずに捜索することが理由を理解する。夜目が利くのなら、まず二次遭難を恐れる必要がなかった。おそらく灯りをつけてしまうと、逆に夜目が利きにくくなってしまうのだろう。シャザークが近くに来てから灯りをつけたのは、自分が見るためではなく、ミュウたちが見えるよう気遣ってのことだろうということもミュウは気が付く。
「二人とも、歩けるか?」
「私は大丈夫だけど、イザベラが足をくじいているの」
「……彼女さえよければ、俺が抱えていくが?」
ミュウは「彼女さえよければ」の意味をすぐに理解した。
この闇の中で山を進むのなら、シャザークの紅い目と紅い髪の力を頼るしかない。
だが、イザベラがいくら頭ではシャザークのことを信頼してくれたとしても、これまで刷り込まれたことを考えると、身体に触れられることに抵抗があっても不思議ではない。むしろ、あって当然だろう。
「すみませんが、お世話をおかけしますわ」
だが、イザベラは迷いすらしなかった。
自分が足を引っ張っている自責の念ゆえか、それとも抵抗感以上にシャザークのことを信頼してくれたゆえか、ミュウにはわからなかったが、その答えがミュウには何よりも嬉しかった。
また、その言葉でイザベラとは友達になれると確信しもした。
シャザークはミュウから離れると、イザベラへと近づいていく。
そして、イザベラの横に片膝をついてしゃがむと、彼女の脚と首に手を伸ばそうとする。
それを見て慌てたのはミュウだった。
(ちょっと、ちょっと! それってアレじゃない!? お姫様抱っこってやつじゃないの!?)
シャザークがイザベラをどう抱え上げようとしているのか、すぐに思い当たり、ミュウはたまらず声を上げる。
「ちょっと待って!」
シャザークとイザベラが同時にミュウの方に目を向ける。
「おんぶよ、おんぶ! シャザーク、イザベラをおんぶしてあげて!」
「――――? ミュウがそういうのなら……」
ミュウの指示の意図が理解できないようで、シャザークは不思議そうな顔をしながら、体の向きを変え、イザベラに背を向けた。
イザベラはシャザークの首に手を回し、シャザークはイザベラの脚に手をかけ、立ち上がる。
おんぶをすると、シャザークの顔とイザベラの顔の距離が近なってしまうが、ミュウとしてもそこは目を瞑るしかなかった。
自分もまだしてもらったことのないお姫様抱っこを、目の前で自分よりも先にシャザークが誰かにするなんてことだけは、ミュウとしては絶対に認めることはできない。
(イザベラには悪いけど、それだけはダメなんだから! 私より先にシャザークにお姫様だっこなんてされたら、私、イザベラと友達になる自信ないから!)
先ほど、友達になれると確信したばかりにもかかわらず、ミュウは心の中でそんなことを叫んでいた。
中身がアラサーであっても、やっぱり彼女は女の子なのだ。
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