第17話 ミュウとイザベラ

 すでに日は暮れかかっていた。

 山は黄昏の色に染められ、視界はひどく低下している。

 だが、山頂はもちろん、登山道もまだ見つかってはいない。山の上へ進もうと思っていても、木々が茂った中では、どちらが上でどちらが下なのかわからないような状況のときもある。その上、イザベラが捻挫をしているため、肩を貸した状態では歩く速度も普段の何分の一というレベルまで落ちている。

 思った以上に自分たちが進めていないことをミュウは自覚していた。


(まだ進むのか、このあたりで立ち止まるのか、そろそろ判断しないとね)


 周囲には落ち葉が多く積もっていた。

 夜はどのくらい気温が下がるのか、ミュウもわかってはいない。

 どこか適当な洞窟でもあればよいが、漫画じゃあるまいし、そんなものが都合よく見つかるわけもない。

 そのため、ミュウは夜に気温が低下した場合の対策として、寝転んだ自分たちを落ち葉で覆うことを考えていた。それを考えれば、この場所は悪くはない。


「イザベラ、じきに暗くなるわ。今夜はここで休みましょう」


 相手は貴族、しかも金持ち貴族の御令嬢だ。イザベラの普段の言動を考えても、絶対に文句を言うと思っていたし、どうやって宥めようかとも考えていた。


「……わかりました」


 意外にもイザベラは拍子抜けするほど素直にミュウの言葉に従い、近くの落ち葉の上に腰を下ろした。

 疲労のためや、自分の捻挫によるミュウに負担をかけているためといった理由も当然あった。しかしそれよりも、イザベラ自身のミュウに対する想いが、ここまでのことで大きく変わってきていることが大きかった。


「食事をとっておこうか。体力の維持は何より大事だからね」


 崖から落ちた時の衝撃で、イザベラの弁当は外に飛び出してぐちゃぐちゃになっていた。

 捻挫しているイザベラの邪魔になるため、今後役に立ちそうな荷物をミュウのリュックに移し、イザベラのリュックはあの場所に置いてきている。もし誰かが見つけてくれれば、そこにイザベラたちが落ちたという目印にもなると考えてのことだ。

 しかし、そういったこともあり、手元に残っている食料はミュウが持ってきた弁当だけだった。

 この遭難がいつまで続くかわからないため、ここまでその弁当には手を付けていない。

 ミュウはイザベラの隣に腰を下ろし、リュックから弁当箱を取り出した。

 ミュウが持ってきたのは、ジェームズが用意してくれた、パンに食材を挟んだだけの簡素なものだった。


「……あんたのとこの食事と比べて文句言っても受け付けないからね」


 ミュウは釘を刺してから、パンを半分、イザベラに差し出した。


「……言いませんわよ」


 イザベラは素直にそれを受け取り、口に運んだ。

 しばらく黙って口を動かし、ゆっくりと飲み込む。


「……おいしいですわ」

 

 崖から落ちてからずっと険しかったイザベラの表情が少し和らぐの見て、ミュウも張っていた自分の気が少し緩むのを感じた。


「でしょ? うちのジェームズはあれで結構料理が上手なんだよ。本当は私も料理くらいできればいいんだけどなぁ」


 レトルト食品やコンビニ弁当ばかり食べていた以前の自分を思い出し、ミュウは嘆息する。


「ご自分でお料理するんですの?」


 この世界では、貴族の令嬢が自ら料理をするようなことは基本的にはない。

 ミュウの言葉はイザベラにはとても新鮮に聞こえた。


「あー、いや、そういうことじゃなくて……」


 前の世界の情けない自分のことを思い出していたなどと説明できるはずもなく、ミュウは困り顔で言葉に詰まってしまう。


「……自分で料理するなんて考えてみたこともなかったですわ。……なんだか楽しそうですね!」


(あー、なにこれ。年相応のいろんなことに興味持ってる女の子の顔じゃん。普通に可愛いし……。よく見ればこの子、美少女なんだよね。おでこは広いけど……)


「でも、うちではきっとそんなことさせてもらえないですわね。貴族の娘が料理なんて、と言われて……」


「じゃあ、今度うちで作ってみる? 私もやったことないんだけど、ジェームズに頼めばきっと教えてくれると思うし……」


「本当ですか!?」


 身を乗り出すようにして、イザベラが花の咲いたような笑顔を向けてきた。


「私も一度挑戦したいと思ってたから、ついでよ、ついで!」


 あまりに素直な態度に、ミュウの方が照れくさくなって顔を逸らしてしまう。


「……ミュウさん」


「なによ」


「……今までごめんなさいね」


 思わぬ言葉にぎょっとして、ミュウは再びイザベラに顔を向ける。


「ウインザーレイク家はうちよりも歴史のある家系で、それは永遠に覆せないことなので、少し嫉妬していました」


 それはミュウも感じていたことだった。


「……それにミュウさん、頭がいいのに、ずっと試験では手を抜いていらしたでしょう? どこかバカにされているようで、それに腹を立てていましたの。私にもずっと気を遣って、壁を作っているようでしたし……」


(ちょっと! 完全にバレてたじゃない! 私の記憶が入る前のミュウ、やるならバレないようにやってよ!)


「でも、最近のあなたからはそういうのは全く感じなくて……。あまりにまっすぐな言葉に、私も感情的になることもありましたけど……でも、とても新鮮で、嬉しく思ってましたの」


「…………」


 ミュウは自分の顔が赤くなっているのを自覚する。あたりが夕闇に包まれているおかげで、それに気付かれることがなさそうなのはミュウにとって幸運だった。


「それに今日は、私のことずっと気遣ってくださって。……私のこと好きじゃないでしょうに」


 その言葉にはミュウもぎくりとする。


「いや、好きじゃないっていうか、そんなことは……。んー、なんて言うか、嫌いじゃないよ、嫌いじゃ……」


「いいんですよ。とにかく、ありがうございます」


(くー! なによ、この子のほうが大人じゃん! 10歳の子を相手に本気で言い返したりしてた今までの自分が恥ずかしい!)


「……私のほうこそ、ごめん」


「――――? 何に対して謝罪されているのですか?」


 本気でわからなそうな顔を向けられ、ミュウは余計に気まずくなる。


「なんでもいいのよ! それより、とっととお弁当食べるわよ!」


 ミュウは喋れない理由を作るかのように、口の中にパンを詰め込んでいく。

 頭が熱くなってるせいか、味はほとんどわからなかった。

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