第15話 バルコニーの夜

 その日の夜、ミュウは妙に寝付けず、なんとはなしに部屋を出た。

 風にでもあたろうかと薄い寝間着のまま2階のバルコニーに出る。

 夜風の気持ちよさを肌に感じるが、それよりもミュウの心を奪うものがあった。


(すごい星の数……。星座とかには詳しくないけど、あれが天の川だってことくらいはわかる。本当に夜空に白い筋が見えるんだ……)


 世界は違っていても、この星も銀河系に属しているようで、夜空には天の川が白い帯のように伸びている。


(前の世界ではこんな天の川を見ることなんてできなかったのに……)


 この世界に来てからは色々あって、今までこうしてゆっくり夜空を見る機会さえなかった。

 改めて星空を見ることで、世界は違っても空は同じなのだと少し安心する。

 ただ、前世では街の明るさのせいでまともに見ることができなかった満天の星に、やはりここは自分の知っている世界ではないということも同時に実感してしまう。


 空に心を奪われる少女。そこに近づく影が一つ。


 それは、たまたま同じタイミングで眠れずに部屋を出ていたシャザークだった。

 誘拐事件前のシャザークなら、間違いなくミュウを無視して部屋に戻っていたことだろう。

 だが、今夜のシャザークは、あえてミュウのいるバルコニーへ出た。


「こんなとこで何をしているんだ?」


 ふいにかけられた声にミュウが振り向く。

 星の光に照らされたミュウの姿は、自分よりもはるかに幼い10歳の少女のはずなのに、一瞬、自分よりずっと年上の女性のように感じられ、シャザークは思わず息を呑む。

 確認するようにシャザークは何度か瞬きを繰り返す。見返したその姿は、いつものミュウの姿でしかなかった。


「珍しいね、シャザークから声をかけてくれるなんて」


 屋敷の中でシャザークの方から声をかけたのは、実際これが初めてだった。

 ミュウの言葉でシャザーク自身もそのことを認識し、本当になんの抵抗もなくミュウに声をかけていたことにシャザーク自身驚く。


(どうして俺はこいつに声をかけたんだ?)


 自分自身がミュウに対して相当心を開いていることに、シャザーク自身はまだ気付いていない。


「なんとなく眠れなくて、星を見てたんだ」


 シャザークの方へ顔を向けていたミュウは、再び空に目を向けた。


「星なんて珍しいもんじゃないだろ?」


「そんなことないよ。……遠い将来には、こんな空いっぱいの星なんて、きっと見られなくなっちゃうんだから、今のうちに心ゆくまで見ておかないとダメだよ」


 自分の知っている街の空を思い出し、シャザークにはきっとわからないだろうとは思いつつ、それでもミュウはそんなことを言わずにはいられなかった。

 それほどにこの世界の星空は心を打つものがあった。


「まぁ、確かに新月が近いから、月明りがない分、星は綺麗に見えているだろうな」


 シャザークはミュウの横に並んで、一緒に夜空を見上げた。

 二人は何かを語るではなく、黙って星を見続ける。


 その空間が照れくさくなったのか、先に口を開いたのはシャザークの方だった。


「……学園の方はどうだった?」


 闘技会優勝の影響を気にしてなのか、それとも誘拐事件の影響の方を気にしてなのか、そこまではわからなかったが、シャザークが自分のことを気にして聞いてきてれくれたことに、ミュウは少し心が躍るような気がした。


「イザベラって子がいるんだけど……あ、レイモンド卿のあるじね」


 ミュウの言葉で、シャザークもレイモンドの後ろのお立ち台に立っていた女の子のことを思い出す。柔らかな金色の髪と広いおでこが印象的だったことをシャザークは記憶していた。


「……俺も少しなら覚えている」


「その子がいつも嫌味なことばっかり言ってくるんだけど、どういう風の吹き回しか、今日は、私が誘拐されたのは自分のせいとか言っちゃって、妙にしおらしかったんだよ。……いつもあんな感じなら、あの子も可愛げがあるんだけどねー」


 ミュウの表情がどこか楽しげなのが、シャザークにはなぜか嬉しかった。

 改めて自分はミュウのことを何も知らないのだとシャザークは感じる。ミュウの友達の名前なんて今まで一人も知らなかった。だが、ようやく今、一人目の友達の名前を聞き、ミュウのことが少し知れたような気持ちになり、シャザークの胸の中が少し温かくなる。


「ミュウの友達なら、俺も名前くらい覚えておかないとな」


 シャザークとしては、ミュウに歩み寄るつもりで言った言葉だった。

 だからこそ、その言葉を聞いたミュウの反応に、シャザークは面食らってしまう。


「友達じゃないから! 何言ってるのよ、シャザークは! あー、もう全然わかってないんだから! イザベラに今まで私がどれだけ嫌味言われてきたと思ってるのよ! しかも、しかも! 明日はそのイザベラとペアで、アルガサ山でフィールドワークしなくちゃいけないのよ! なんでよりによってイザベラと一緒じゃなきゃいけないのよ! まぁ、だったら誰が一緒なら良かったかって言われたら、それはそれで答えに困るんだけどね。なにげに、親友って呼べる子がいるかって言われると、なかなか思い当たる子がいないのは確かなんだけど、でも、みんなと仲が悪いってわけじゃないのよ! イザベラは別として、人から嫌われてるってことは全然ないし! あーでも、友達かー、んー、一番仲のいい子って言われたら……んー、なかなか難しい話になるよね……」


 一人しゃべり続けるミュウの横で、シャザークは一体何を間違えてしまったのかと自問自答を繰り返す。そして、女の子という存在は、とても難しい存在なんだということを頭に刻み込んだ。

 この夜、ミュウはここから30分ほど、自分語りにシャザークを付き合わせることになった。


 そして、シャザークが自分のことを初めて、「おまえ」ではなく、「ミュウ」と呼んだことに、シャザークと別れ、ベッドで横になってから、ようやく気付いた。

 気付いたミュウはそのことに興奮し、さらに30分はベッドの中で眠れぬ夜を過ごすことになってしまったのだった。

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