第12話 追走
自分の名を呼ぶミュウの声を聞いた瞬間、シャザークは反射的に走り出していた。
しかし、ミュウの姿が見えた時には、すでに彼女は二人の男に無理やり馬車の中に押し込められているところだった。その時点で、ミュウまでの距離はまだ100mは離れている。
シャザークは走る速度を上げたが、馬車はすぐに走り出してしまった。
ミュウが拉致された理由はわからない。
だが、今は自分がすぐそばにいる状況だった。
いや、それ以前に、さっきまですぐ隣にいたのだ。
それなのに、こうも簡単に拉致を許すなど、失態以外のなにものでもない。
「俺はあいつの護衛じゃない。……でも、あいつは俺のことを
馬車が走り出した後も、シャザークは足を止めず追い続けるが、相手は二頭立ての馬車だ。その差はみるみる広がっていく。
普通の人間が馬車に追いつけるはずがなかった。
そう、普通の人間ならば。
「
声を上げたシャザークの青い瞳が、一瞬にして血のような紅色に染まる。同時に、銀色の髪が、瞳と同じ紅色へと変貌した。
それはシャザークが人前では一度も見せたことの姿。
決して晒すまいと思っていた、悪魔憑きの本当の姿。
人から悪魔のようだと畏怖され、嫌悪されるその理由となる姿だった。
そして、変わったのはその姿だけではない。
身体能力が異常に強化され、走行速度が大幅に上昇していた。
シャザークは自身の走力のみで、馬車との距離を次第に詰めていく。
◆ ◆ ◆ ◆
ミュウを拉致した馬車は、街の中を走り抜け、すでに荒野へと出ていた。
誘拐犯たちは街から離れた森の中に隠れ家となる小屋を確保しており、今はそこへ向かっている。
彼らは目的の人物――実際には人違いであるが――の確保に成功し油断していた。
とはいえ、馬車よりも速く走る人間がいて、そいつが自分たちを追いかけてきているなどと、普通、想像できるだろうか。自分のすぐ横をそんな人間が併走していることに気付かなかったとしても、御者の男を責めるのは酷というものだ。
だが、責はなくとも、そのことに気付けなかった男は、その代償をその身をもって払うことになる。
ようやく馬車の真横に並ぶところまで追いついたシャザークは、信じられないことだが、そのまま御者台に飛び乗った。
二頭の馬の制御に集中していた御者は、一瞬何が起こったのかわからず、間の抜けた顔で飛び乗ってきた男――シャザークの顔を見ているだけだった。
「間抜けが」
自分にそんな言葉を吐きかけてきた男の姿が、離れながら回転していく。
男が離れていくのではなく、自分がその男に御者台から蹴り落されたのだと気付いたのは、御者が地面に打ち付けられ、激しい痛みを感じた後だった。
(まずは馬を止めないとな)
シャザークは手綱さばきに慣れているわけではなかったが、なんとか慎重に馬の速度を緩めていく。
(ミュウを馬車の中に連れ込んだのは二人。最低でも中に二人はいる。もともと中に乗っていたやつもいるかもしれないから、場合によっては三人以上いることも想定しておく必要があるな……)
シャザークは馬車を止めると、静かに御者台から降り、馬車の後ろの幌の出入口へと身を潜めながら向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
馬車が速度を落とし、やがて停車したことには、中の男たちも気付いていた。そして、目的地に着くにしてはまだ早すぎることも理解している。
「おい、どうした!? なぜ馬車を止めた!?」
中から呼びかけるが、御者から返事はない。
「ちょっと外を見てこい」
命令された男が頷いて立ち上がる。
その男がたいして警戒もしないまま、後ろの幌を上げた瞬間、呻き声を上げて膝から崩れ落ちた。
そして、その横を影が通り過ぎる。
残ったもう一人の男には、何が起こったのかわからなかっただろう。影だと思ったのは人間の男で、その男にあっという間にこめかみを拳で打ち抜かれ、脳震盪で気を失ってしまったのだから。
何が起こったのかわからなかったのはミュウも同じだった。
後ろの幌に向かった男が突然崩れ落ち、次の瞬間には隣にいた男も倒れ込んだのだ。
いきなりのことに状況理解が追いつかず、頭が混乱でぐちゃぐちゃになりそうだった。
けれども、影だと思ったものが人間で、目と髪の色こそ違えど、見知った顔であることに気付くと、ミュウの混乱は一瞬にして消え、心に安堵感が広がった。
(いつもクールでぶっきらぼうな顔してるのに、今はそんな必死な顔して……ちょっと可愛いところあるじゃない)
ミュウには、その男の目と髪が紅いことよりも、初めて見る表情をしていることのほうが気になっていた。
「大丈夫か!?」
その男――シャザークがミュウの猿轡をずらす。
「あ、ありがとう……来てくれると思わなかった」
ミュウはようやく自由になった口で、素直な言葉を口にする。
物語のヒロインなら、「来てくれると信じていました」とでも言うのだろうが、今の言葉はミュウの正直な気持ちだった。
だが、自分のためにシャザークが動いてくれると思わなかったというわけではない。単に、まさか走り続けている馬車においついて助けてくれる者がいるなどと想像さえしていなかっただけだ。
「……お前の
シャザークは少し気恥ずかしそうにそう言うと、倒れている男の腰から短剣を抜き、ミュウを拘束していた手と足の縄を切った。
「ふふ、
ようやく自由になった手をぷるぷる振りながら、ミュウが頭を下げる。
「……ところで、その目と髪はどうしたの?」
ミュウの言葉で、シャザークは自分が今まで隠していた姿を晒していたことを思い出す。
「……これが悪魔憑きとしての俺の本当の姿だ。この姿になれば、普通の人間とは比較にならないほど力も強く、足も早くなる……」
ミュウはシャザークの告白で、剣闘士奴隷を扱っている商人の言葉を思い出していた。
(魔物のような紅い目と紅い髪、そして人を超えた怪力……そっか中二病設定じゃなく、本当のことを言ってたんだ)
焦ったようなミュウの表情を見て、シャザークは心の中で溜息をつく。
(……やはり、俺のこの姿は怖いか。10歳の小娘では恐れるのも仕方ないが、おまえに恐れられるのは……なんだか嫌な気持ちになるな)
それはシャザークの正直な気持ちだった。恐れられることにも、嫌われることにも慣れているつもりだった。そして、それが気にならなくなるよう、心を殺してきたつもりだった。
しかし、なぜだかミュウにそういった目で見られることを考えると、心がささくれ立つようだった。
だが、ミュウの反応はシャザークが思っていたものと違っていた。
「なかなか格好いいじゃない」
「……は?」
ミュウのつぶやきに、シャザークは耳を疑う。
「中二病かと思ってたのに、リアル設定だとは思わなかったわ……。やるわね、あなた」
口だけではないことは、ミュウの表情とその目を見ればわかった。それは憧れにも近い眼差しだった。
「……怖くはないのか?」
「ん? ……なにが?」
二人は見つめ合う。
ミュウには本当に言っている意味がわからないのだと、その目を見て理解すると、シャザークは思わず噴き出した。
「ふはははははは! おまえは凄い女だな!」
「ちょっと! なんなんのよ、本当に!」
シャザークの態度にミュウはすねたような顔で抗議の視線を向ける。
だが、シャザークにはミュウのその視線すら心地よかった。
「なんでもねーよ」
ぶっきらぼうな口調だが、シャザークの目はいつになく優しかった。
しかし、シャザークは完全に油断していた。
最初に蹴落とした御者の男が、傷つきながらも馬車に接近してきていたことにまったく気づいていなかった。
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