第10話 決着

 響く審判の声。

 シャザークがその声に慌てて審判に目をやると、勝者を示すその手は、ミュウの方を指していた。

 だが、レイモンドはまだ降参の言葉を発していない。

 不思議に思ってシャザークがレイモンドの腕に目を向ければ、痛みによりその手は開き、木剣がシャザークの胸の上に落ちていた。

 いくら痛みに耐えるだけの気概があっても、ここまで腕を極められてしまっては、木剣を握り続けることはできなかったのだ。剣を落とした場合に負けとなるのは、はっきりとルールに決められていることだ。

 シャザークはレイモンドの腕から手を放す。彼はなによりこの男の腕を折らずに済んだことに安堵した。

 右腕をさすりながら立ち上がるレイモンドに、シャザークは目を向ける。


「大丈夫か?」


「……幸か不幸か、折られる前に負けてしまったので、たいしたことはありませんよ」


 シャザークはレイモンドに卑怯者と罵られることを覚悟していた。ルールに抵触しないとはいえ、シャザーク自身も、正々堂々と戦った上での勝利ではないと認識している。

 とはいえ、何よりも勝つことを優先したことに後悔はない。

 ただ、目の前の男の誇りを傷付けたのなら、その叱責は甘んじて受けるつもりでいた。


「……そのような手があるとは思っていませんでした。お見事です」


 レイモンドから罵りの言葉が発せられることはなかった。

 それどころか、称賛の言葉を受けてしまい、シャザークは戸惑ってしまう。

 そして、それと同時に、この男には二度とあのような戦法は通用しないと感じた。

 相手を罵り、本当なら自分が勝っていたと思うような男ならそれほど恐れることはない。しかし、どのような形であれ、負けを負けとして受け入れそれを糧にする男は成長を続ける。

 レイモンドは、戦いにおいてあのようなとっぴな攻めをされることを今回のことで頭に入れた。同じ攻撃はもちろん、同様の不意を突くような攻撃すら、今後のレイモンドにはほとんど通用しないだろう。

 シャザークに向けたレイモンドの称賛は、このような経験を自分に積ませてくれた相手に対する感謝の意味も込められていた。

 シャザークは、レイモンドという男の強さと怖さを今更ながらに思い知る。


「……あなたの姫がお待ちですよ」


 自分が勝ったことを実感していなかったシャザークは、レイモンドの言葉で慌てて立ち上がる。

 審判が勝者を定めたとはいえ、まだ終わっていない。彼にはまだすべきことがあった。

 シャザークはゆっくりと、ミュウの立つお立ち台に向かって歩みを進める。


(……なんで泣きそうな顔してやがるんだ)


 ミュウの顔を見て、張りつめていたシャザークの緊張がようやく緩む。

 自分が打たれていたわけでもないのに、ミュウは真っ赤にした顔を歪めていた。


(勝ったんだから、笑ってればいいものを……)


 闘技場の端までたどり着いたシャザークは、主が自分の勝利をもろ手を挙げて喜んでいないことに不満を感じながら、片膝をつく。


「怪我は大丈夫? 痛くない? ……ごめんね」


 シャザークが勝利を捧げる宣誓をする前に、つぶやくようなミュウの声が耳に入ってきた。

 第一声が心配する声というのがいかにもミュウらしくて、不満に思っていた気持ちがシャザークの心からたちまち消えて行く。

 彼はミュウにあんな顔をさせていたのは自分のせいだと察した。

 よく見ればレイモンドの剣戟を受けた自分の服はところどころ破れ、むき出しの腕には痣ができている。こんな姿になるような戦いを見せていたせいで、ミュウを心配させてしまっていたのだと、シャザークは少し反省した。

 けれども、シャザークには今ミュウにしてほしい顔がある。


「心配ねーよ。怪我は治癒術士が治してくれることになってる。それより、俺が勝ったんだから、少しは喜んだらどうだ。……おまえのために勝ったかいがねーだろ」


 シャザークの言葉に、ミュウが一瞬キョトンとした顔を浮かべる。そして、すぐに一瞬にして耳まで顔を赤くし、照れたような笑顔を浮かべた。

 その顔を見て、シャザークは余計なことを言ってしまったかと思う。だが、不思議と後悔はなかった。今のこのミュウの花が咲いたような笑顔を見られたこと、それが余計な気持ちをすべて吹き飛ばしてくれた。

 シャザークはすがすがしい気持ちのまま、ミュウに向かって木剣を掲げる。


「この勝利を、我が姫、ミュウ・ウインザーレイクに捧げます!」


 闘技場にシャザークの勇ましい声が響き渡る。


「シャザーク・ロックウッド、あなたこそ私の誠の剣闘士ナイトです!」


 ミュウも負けない声でシャザークに応えた。

 それは、聞いている者には、まるで「これが私の剣闘士ナイトよ! どう羨ましいでしょ!」と誇らしげに言っているように聞こえた。


◆ ◆ ◆ ◆


 戦いの後、表彰式が行なわれた。

 闘技場での勝者への表彰は、実際に戦った剣闘士だけでなく、その主たる淑女に対しても行なわれる。剣闘士の勝利は、主の勝利でもあるので、それはこの世界では当然のことだった。


 今回の大会は公式戦ではなくただの学内戦ではあるが、勝者のために立派なトロフィーとメダルとが用意されていた。

 トロフィーは本体部分が4本の金属の柱からなり、その上部には剣を模した装飾がついている。全体が金色に輝いているが純金というわけではなく、ブロンズの本体に金メッキが施されている。

 このトロフィーは剣闘士に与えられるものであり、シャザークがしっかりと受け取った。


 一方、ミュウにはメダルが与えられた。

 メダルもトロフィー同様ブロンズの本体に金メッキが施されている。

 メダルには首掛けリボンも取り付けられており、オリンピックの金メダルのように、ミュウは首にかけられた。


 イザベラは、いつも以上に悔しそうな顔でミュウのことを睨むように見ていた。

 残念ながら2位や3位に与えられるものは何もない。

 闘技大会で称えられるのは、一度も負けなかった者ただ一人だけなのだ。

 最初に負けた者も、最後に負けた者も、負けたという点で同じであり、この世界で称賛を得ることはない。


 もっとも、イザベラならば、銀メダルを与えられたとしても、ミュウに負けた以上、それを喜ぶことはないであろうし、そもそも受け取りさえしないかもしれない。

 ただ、ミュウにとって意外だったのは、イザベラが何も文句を言ってこなかったことだ。

 彼女から「おめでとう! いい戦いだったわね」などと言う言葉をかけられるとは露ほども思わなかったが、てっきり「卑怯な勝ち方をして嬉しいのかしら?」などと嫌味を言ってくるものだと思っていた。

 だが、イザベラは悔しさを滲ませているものの、そう言った負け惜しみのようなことはまったく口にしなかった。

 ミュウはそのことを不思議に思っていたが、イザベラとレイモンドの二人の様子を見て、なんとなくその理由を察した。


(イザベラもレイモンドのことを誇りに思っているのね)


 決して褒められた性格ではないイザベラだが、レイモンドのことは剣闘士として信頼し、尊敬もしていることがうかがいしれた。そのため、負けたレイモンドを責めるようなこともしていない。むしろ、立派に戦ったレイモンドに対してねぎらいの言葉をかけている。

 シャザークとレイモンドの戦いの決着をレイモンドが認めて受け入れている以上、もしイザベラがここでミュウに対して何か罵るような言葉を吐けば、それはレイモンドの戦いや名誉を汚すことになってしまう。

 それがわかっているからこそ、イザベラは何も言わないのだ。


 ミュウにはイザベラのその気持ちが理解できた。もし、試合結果がまったく逆で、シャザークが負けていたとしたら、今のイザベラと同じ気持ちになっていたと、ミュウには自分でもわかっていたから。


(仲良くしたいとまでは思わないけど、イザベラ、今日はあなたのこと少しだけ見直したわ)


 ミュウは、多分初めて、イザベラに少し温かい目を向けた。

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