第8話 闘技会一回戦
剣闘士同士の戦いは、コンクリート製の円形闘技場の上で行なわれる。
美夕のいた世界で行なわれていた剣闘士の戦いとの大きな違いは、これが淑女の嗜みとして行なわれるという点だった。そのため、剣闘士の主である淑女も観客席で見てればよいというものではない。
剣闘士が戦うのは剣闘士自身の名誉のためではなく、自分が仕える淑女の名誉のためなのだ。淑女は第三者ではなく、まさに当事者なのである。
そのため、闘技場の東西には、闘技場の端から1mほど離れたところに、お立ち台と呼ばれる闘技場と同じ高さの台があり、自分の剣闘士が戦う際には、主たる淑女もまたそこに立ち、剣闘士たちの戦いを見守る必要があった。
ミュウもまた、今、生まれて初めて、そのお立ち台に上っている。
(なんだか晒し者みたいで落ち着かないわね。……私、目立つようなこと苦手なんだけどなぁ)
お立ち台の上でミュウは所在なさげにきょろきょろしてしまう。
「自分が戦うわけでもないのに、なにアタフタしてるんだよ」
ミュウと同様に闘技場に上がっているシャザークが、ミュウに声をかけてきた。
ミュウと違ってシャザークは落ち着いた様子だ。
「べ、別にアタフタなんてしてないわよ!」
「形だけでもちゃんと貴族の令嬢らしくしてくれよ」
皮肉めいた表情で、シャザークはミュウの方に向き、片膝をつく。そして、両手で木剣の握り手を持ち、顔の前に掲げた。
これは剣闘士が戦いを始める前に行う儀式のようなものだ。己の主たる淑女のために戦い、必ず勝利を捧げると誓いを立てることを意味している。
シャザークは待合室で事前に説明を受けていたので、決められたその姿勢をとった。
ミュウとしては、あくまで決められたことをポーズとしてやっているだけなのだと頭では理解している。
だが、頭で理解しているのと、実際にされるのとはやはり違っていた。
男が自分のために戦うのだと意識すればするほど顔が熱くなってくる。
こんなシチュエーション、前の人生でも経験したことがない。ポーズだけだとしても、気恥ずかしくて、いたたまれなくなるのに、でもちょっと嬉しい、そんな複雑な気持ちになってしまう。
「……怪我しない程度に適当にやってくれたらいいから」
剣闘士同士の戦いでは本物の剣が使われるようなことはない。殺傷することが目的ではないので、木剣が武器として用いられる。
だが、木剣でも大の男が力いっぱい振れば、十分な脅威となる。
寸止めではなく、実際に打ち合うため、怪我をすることも珍しくはない。
そのため、そういった場合に備えて、闘技場には特殊能力を有した治癒術士が控えている。
とはいえ、いくら治せるといっても、打撃を受ければ痛みを感じるし、負傷することもある。テレビゲームのように苦痛も受けずに済むわけではない。
シャザークをこの場に立たせることになったのは、ミュウが彼を選んだが故だ。シャザークが受ける痛みも、つきつめればミュウが原因と言える。
ミュウとしては、いやでも心配になるというものだった。
「別におまえのために戦う義理もないから、まぁ、適当にやるさ」
シャザークはミュウに背を向け、対戦相手に視線を向けた。
言葉とは裏腹に、木剣を握る手には力がこもり、口も引き締まる。そして、その青い目には熱い炎のような光が宿っていた。
対する対戦相手は剣闘士奴隷だった。
あつらえた綺麗な戦闘服を身に着けているが、首につけられた隷属の首輪が彼の立場を何よりも物語っている。
シャザークは、今は何もついていない自分の首に無意識で指をはわせていた。
(もしあの日出会ったのが、うちのおかしなお嬢じゃなかったら……)
それはふとしたときにシャザークが考えることだった。
あの時の出会いがなかったら、今頃自分はどこで何をしていただろうか。
もしかすれば、今目の前にいる男のかわりに、首輪をつけられたままの剣闘士奴隷として、ミュウの剣闘士と戦うために立っていたかもしれない。
(うちのお嬢から受けた分くらいは返しておかないとな)
1回戦のミュウの対戦相手は、ドロシー・フォーサイト。
彼女はイザベラのそばにいる取り巻きの一人だった。
フォーサイト家はそれほどの家柄ではなく、経済的にもそれほど裕福ではない。イザベラのランフォード家の庇護がなければ、今の暮らしを続けるのが厳しくなることがわかっているので、親の命令でドロシーは普段からイザベラにこびへつらっていた。
そして、彼女の剣闘士は、剣闘士奴隷商人から買い入れたサバージという男だった。
褐色の肌の色からして、もともとこの国の人間ではないことがうかがいしれる。年齢は30歳くらいだろうか。身体はシャザークよりも一回りは大きい。身長は190cm近く、戦闘服からは筋骨隆々たる腕がのぞいている。
二人の剣闘士を見比べ、ミュウは体格さに心配になってしまう。
(明らかにシャザークより強そうなんだけど……。大丈夫かな?)
剣闘士には試合を放棄する権利はない。
しかし、その主たる淑女には、試合開始前に負けを認めて試合放棄する権限が認められている。
とはいえ、試合放棄は、剣闘士の試合においてもっとも不名誉なこととされており、実際に戦う剣闘士以上に、淑女の名誉を汚すことになる。そのため、余程の理由がない限り、試合放棄が行なわれることはない。
だが、現代人として価値観を持っているミュウにとっては、自分の名誉などそれほど重要なことではなかった。こんな野蛮なことをさせるくらいなら、試合放棄をしてとっとと終わらせてもいいとさえ考えていたくらいだ。
そのため、実のところ、ミュウは試合前にシャザークにそれを提案していたが、そんなことは絶対にするなとシャザークに怒るように言われてしまったので、今は試合放棄については考えていない。
ミュウに出来るのは、自分の剣闘士をただ見守ることだけだった。
(とにかく、ケガだけはしないでね! 負けたっていいんだからね!)
剣闘士の試合において勝負を決する方法はいくつかある。
まずは、頭部や体などに一撃を受けた場合。
その一撃が、本物の剣であれば致命的なものになったと審判に判断されれば、負けとなる。
逆に言えば、手足にならば攻撃を受けても負けとはならず、身体にかすった程度の打撃も同じく負けとはならない。
また、どちらかが降参した場合も負けとなる。たとえば、力量さがあるのに、あえて頭や身体を狙わず、相手を痛めつけるためだけに、手や足に一方的に攻撃を加えられるような状況になった場合は、自ら降参することで試合を終わらせることができた。
ただし、まともに戦う気さえ見せず、試合放棄のような形での降参については、審判がその降参を認めることはまずない。
また、気絶するなど、戦闘継続が不可能と審判が判断した場合も、負けとなる。
ほかにも、戦士の命ともいうべき武器を落とした場合や、闘技場から落ちた場合も負けとして扱われる。
そういったルールについては、事前に控室にて、しっかりと説明されているため、これが初めての闘技会であるシャザークもしっかりと把握していた。
シャザークとサバージ、二人の剣闘士は木剣を手に、闘技場の中央で相対する。
「はじめっ!」
審判による試合開始の合図の声が響く。
先に動いたのはシャザークだった。
一気に距離を詰めて、サバージの眼前まで迫る。
その動きに反応して、迎え撃つようにサバージが横なぎに剣を振るうが、シャザークは勢いを殺さずそのまま身をかがめて一撃を回避してみせた。
その流れるような動きは、サバージには、一瞬、目の前からシャザークが消えたようにさえ映る。
再びサバージがシャザークの姿を確認したときには、もう完全に手遅れだった。
シャザークはしゃがんだ姿勢から、全身をバネのように躍動させ、木剣の突きを繰り出し、サバージの胸に誰の目にも確実な一撃をヒットさせる。
「そこまで! 勝負あり!」
審判がミュウのいるお立ち台の側に手を上げ、シャザークの勝利を示す。
一瞬の攻防だった。
ミュウの目には、ほとんど何が起こったのが見えていなかった。
それでも、危なげなく圧倒的な強さでシャザークが勝ったことだけははっきりと理解できた。
「シャザークって強かったんだ……」
勝利したシャザークが、汗もなくミュウの方へと歩いて戻ってくる。
シャザークは闘技場の端までたどり着くと、お立ち台のミュウに向かって再び片膝をつき、剣を掲げた。
「この勝利を我が姫、ミュウに捧げます」
それは勝利者が必ず行うパフォーマンスであり、言葉もいわゆる定型文でしかない。
観客なしで行なわれる校内戦であっても、将来のための予行演習として、すべて公式試合と同じような流れで行なわれることになっている。
これがもし観客有りの公式試合なら、ここで大歓声が沸き起こり、勝利を捧げられたミュウには羨望の眼差しが向けられたことだろう。しかし、今回は残念ながらミュウを称賛する声も視線もない。
だがそれでも、ミュウの胸は熱くなっていた。
形だけだとしても、一人の男が自分のために戦い、その勝利を捧げると言ってくれたのだ。
前世を合わせたこれまでの人生の中だも、それは一度として経験したことないものだった。
「……おい、ねぎらいの言葉もないのか?」
通常、ここで淑女から剣闘士に対してねぎらいの言葉をかけるまでが一連の流れとなる。
シャザークは、事前のレクチャーで、その言葉をかけられるまでは、今の姿勢を解いてはいけないと言われていたため、剣を掲げた姿勢のまま待っていた。しかし、一向にその気配がないので、シャザークは呆れたような視線をミュウに向ける。
「……ごめん。でも、ありがとう。……怪我はないよね?」
このような場合は、もっと儀礼的な言葉をかけるのが一般的だった。
シャザークもそのように説明を聞いていた。
だから、まさかそんな飾らない言葉で、心配したような顔を向けられるとは思ってもみなかった。
それが心からの言葉だということがわかってしまうから、シャザークは柄にもなく照れてしまう。
「……ねーよ」
今の自分の顔を見られたくないシャザークは、顔を背けながら立ち上がると、さっさと闘技場から飛び降り、足早に控室へと向かい歩き出した。
「次の試合までゆっくり休んでてね」
背中にミュウの温かな声を受け、シャザークは振り向きもせず、その足を速めるのだった。
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