第7話 闘技会当日
一晩明け、いよいよ闘技会の当日が訪れた。
闘技会は、学園内ではなく小規模な闘技場を貸し切って行われる。
ミュウとシャザークの二人は、その闘技場に向かって並んで歩いていた。
ミュウは学園の制服姿だが、シャザークは、この日のためにあつらえた衣装を身につけている。黒いインナーの上に、意匠を凝らした青いチュニックを着て、腰には太めのベルトを巻いていた。下は細めの黒いズボンと、ブラウンのブーツで固めている。
財政事情の厳しいウインザーレイク家であったが、剣闘士奴隷商人への支払額が想定額以下であったため、シャザークの衣装を用意することにはそれほど支障はなかった。
だが、そのような衣装に身を包んでも、悪魔憑きであるシャザークには、街の人から無遠慮な視線が向けられている。
悪魔憑きと一緒に歩くミュウにも、同じような視線は向けられていたが、そのことについては彼女自身気にもしていなかった。ただ、そういった視線を受けるシャザークの気持ちについては、どうしても気にしてしまう。
シャザークが嫌な気持ちになっていないか気になって、ミュウは時折隣の歩くシャザークを見上げるが、シャザーク自身そういう視線には慣れているのか、特に気にした様子は見られず少し安堵する。
ただミュウにはもう一つ気にしていることがあった。
それは本物の武器を使うようなことはないにしろ、自らのせいで、闘技会という戦いの場にシャザークを上らせなければならないということだ。
「シャザーク、ごめんね。授業の単位を取るために、あなたを戦わせることになって……」
「気にするな。食ってる飯の分くらいのことはしてやる」
あの夜以降、シャザークはミュウの言葉に普通に応えてくれるようになっていた。
今まで見向きもしなかった拾い猫が、急にすり寄ってきてくれたみたいで、ミュウとしてはそれだけのことで、無性に嬉しく感じてしまう。
「そっか、ありがと。……あなたの勝敗が私の成績になっちゃうみたいだけど、そのへんは気にしなくていいからね。私自身でどうにかできる問題じゃないから、私も気にしてないし。とにかく、怪我がないようにしてくれれば十分だから」
それは素直なミュウの本心だった。
これまでの経験から人の悪意に敏感なシャザークには、そのくらいはわかっていた。
「……ちなみに、おまえの学校の成績はどうなんだ?」
その質問にミュウは一瞬答えに迷う。
正直に答えれば自慢しているように捉えられるかもしれないし、かと言って嘘をつくと、バレたときに気まずくなる。
「ん? あー、昨日、結果が張り出されてたけど、まぁ、総合順位だと学年で一番だったかな」
刹那の逡巡の末にミュウが選んだのは、素直に答えることだった。
そのミュウの言葉に思わずシャザークの足が止まる。
数歩歩いたところでミュウがそれに気づき、不思議そうな顔で振り返った。
「どうしたの?」
「……おまえって意外と頭がいいんだな」
「あなた、たまに失礼よね」
ミュウは少し口を尖らせて抗議の言葉を口にする。
だが、嫌味にとられなかったことにはほっとするし、ぽかんとしたシャザークの珍しい顔を見られたので、内心では少しも怒ってはいない。むしろ、どこか嬉しささえ感じていた。
「そうか。一番か……」
手を顎に当て、シャザークは何か考え込んでいるようだった。
(まぁ、アラサー女子が10歳の問題やっているんだから、本当は胸張れたもんじゃないんだけどね……。そのこと知られたらマジでバカにされそうだから、これだけはバレないようにしておかないとね)
「ちょっと、私の成績のことを不思議がるのはやめてよね。いいから、行くよ!」
この話は終わりだというように、ミュウは前を向いて再び歩き出した。
ぶつぶつ呟きながらシャザークはミュウのあとをついて行く。
(……となると、俺のせいでこいつの成績を下げるわけにはいかなくなったな)
シャザークが心の内でそんなことを考えてるとは、ミュウは思ってもいなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
闘技場の入り口の門をくぐったあと、二人は別れ、ミュウは生徒たちが集合する会場へ、シャザークは剣闘士用の控室へと向かった。
控室へとたどり着いたシャザークだが、そこは控室と言っても学校の教室ほどの大きさのあるしっかりとした部屋だった。
すでに何人もの男たちが席についている。
男たちは、隷属の首輪をつけられた剣闘士奴隷が大半を占めたが、中にはそうでない者もいる。
本来の剣闘士がそうであったように、腕の立つ貴族や、その腕を買われて剣闘士となった自由民もこの中にいるのだ。地位や金のある貴族ならば、どこの馬の骨とも知れぬ剣闘士奴隷よりも、確かな腕の保証のあるそういう者と契約することの方が多い。
そのため、控室はそういった高貴な剣闘士にも対応できるよう、椅子やテーブルもそれなりのものが備えつけられていた。
だが、シャザークは椅子には向かわず、入り口近くの壁に、腕を組んでもたれかかる。
剣闘士達にはいろいろな身分の者がいるため、明らかに奴隷とわかるような男が入ってきても、逆に貴族然とした男が入ってきても、普通ならさして気に留めることはない。
だが、シャザークが入って来た時はそうではなかった。控室の空気が一瞬で変わり、貴族の剣闘士も、奴隷の剣闘士も、一斉に奇妙なものを見るような目を向けてくる。
(またこの目か……)
いつものこととはいえ、シャザークもいい加減うんざりする。
この闘技場に来るまでも、いやそれ以前から、散々この奇異と畏怖の混じったような視線を浴びせられ続けてきた。
――たった一人の女の子を除いては。
(あいつだけは俺をこんな目で見たことはなかったな……)
ミュウが初めて自分を見たときのことをシャザークは思い出す。
あの目が一体どういう目だったのか、時々シャザークは考える。だが、いまだ答えは見つけられていない。美しいものを見た女の子の憧れや羨望の眼差し、シャザークにとってそれは生まれてから一度も経験したことないものだったのだから、わからないのも仕方ないことだと言えた。
「そんなところに立っていないで、あなたも座ったらどうですか?」
シャザークはそれが自分にかけられたものだとは最初は気づかなかった。
誰も何も答えず時間が過ぎ、不思議に思って周囲を見渡し、立っているのは自分だけで、ほかの剣闘士はみんな座っていることを認識し、ようやくシャザークは自分に向けられた言葉だと理解する。
声の主を見ると、一際立派な戦闘服を来た剣闘士だった。その身なりや佇まい、そして纏う雰囲気から、剣闘士奴隷や自由民でなく、貴族であろうことが、ミュウたち以外の貴族と付き合ったことのないシャザークでもわかった。
シャザークの様子を見て、貴族の男は自分の言葉が無視されたわけではなく、単に自分に向けられた言葉だと気づかなかったのだと察すると、気を悪くすることもなく、柔らかな笑顔のまま、自分の隣の開いている椅子を指さした。
「……俺なら立ったままで大丈夫だ」
そこに座るよう勧められているのはシャザークにもわかったが、ぶっきらぼうにその誘いを断った。
その男から感じられる戦士としての気配は、ほかの剣闘士たちとは明らかに異なっていた。近づくものすべてに切りかかるような暴力的な気配があるわけではない。だが、男がその気になれば、こっちは一歩も動けないまま一刀両断にされてしまうような研ぎ澄まされた空気が、男の体からは漂っていた。
男の隣に誰も座らなかったのは、その気配に気おされて、無意識に近寄ることを避けていたからかもしれない。
だが、シャザークがそこに座るのを断ったのは、その気配を感じて畏れたからではない。単純に、人に気を遣われることに慣れておらず、しかも、声をかけられたことに気付くのに遅れ、照れくさかったからだった。
「そうですか。……あなたからはほかのかたとは違う雰囲気を感じます。できればぜひお手合わせしていただきたいものです」
シャザークにつっけんどんな態度を取られたにもかかわらず、男は懲りもせずにまた言葉をかけてきた。
シャザークは、悪魔憑きである自分を侮蔑する意図があるのかとも考えたが、男の言葉からはそういう嫌なものは一切感じられない。
いつものシャザークならそのまま無視を続けたかもしれない。しかし、ミュウと接するうちに、悪魔憑きに対して偏見を持たない相手については、シャザークも一定の敬意を表するようになってきていた。
「……俺としては好んで争いごとはしたくないのだが、今回はうちのお嬢様の成績がかかっている。当たったときは本気でやらせてもらう」
シャザークから返答があるとは思っていなかったのか、男は楽しげな表情を浮かべた。
「なるほど、あなたも主を定めた騎士でしたか。申し遅れましたが、私の名は、レイモンド・フォーブス。イザベラ・ランフォード様の
「……俺はシャザーク・ロックウッド。ミュウ・ウンザークの
二人は透明な炎のように、静かだが熱い視線を交わす。
互いに、本能的に相手のことを強敵であると認識していた。ミュウとイザベラの関係のことなど、二人とも知らないにもかかわらず。
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