第4話 剣闘士奴隷シャザーク・ロックウッド

 店には何人もの男が、一人ずつ檻のような囲いの中に入れられていた。

 彼らは皆剣闘士奴隷だった。

 剣闘士奴隷達は手足を鎖で拘束されているようなことはないが、一様に黒い革のような首輪をつけられている。首輪といっても紐などが繋がっているわけではなく、首輪だけがチョーカーのようにつけられているだけだった。


「あの首輪はなんなのですか?」


「あれは隷属の首輪ですよ」


「隷属の首輪?」


 商人は隷属の首輪について、ミュウに丁寧に説明してくれた。

 商人の話によると、隷属の首輪とは特殊能力者の手によって作られた者で、この首輪を付けられた者は、付けた相手に危害を加えることができない制約を受ける。しかも、それだけではなく、付けた相手が念じれば首輪が締まり、付けられた者に苦痛を与えることができるという。

 ようするに、その苦痛を盾に、無理やり命令を聞かせられるということだった。


(人権もなにもない所業ね。でも、これがこの世界の常識ってことなのね……)


 なかなか受け入れがたい価値観であるが、それについて今ここで騒いでも意味がないことくらいはミュウにもわかる。

 ミュウは大人しく剣闘士奴隷たちを順番に見て回った。


(こういうのを見せられると、ちんちくりんの体で裕福ではないとはいえ、貴族の家に転生した私は運がよかったのね。逆に言えば、彼らと私の差なんて、運がよかったのかどうかしかないってことなんだよね、きっと……)


 男たちは皆若く体躯に優れていた。前の世界なら、みんなマッチョのカテゴリーに十分あてはまる。剣闘士奴隷として売られているだけあって、肉体的にそういう方面に向いた男たちが選ばれているのだろう。

 だが、ミュウには気になる点があった。


(身体は凄いんだけど……どうしてみんな死んだ魚みたいな目をしてるのよ)


 どの剣闘士奴隷からは、瞳の中に意志の光といったものが感じられなかった。

 剣闘士奴隷にされる者の多くは、犯罪者や奴隷の子供たちだ。その境遇を考えれば、そうなるのもしょうがないと言えた。


(剣闘士奴隷として、こんなところで鎖に繋がれて売られているんだもんね、そんなふうにもなっちゃうよね……。かといって、この人たちを全部解放してあげられるような財力がうちにあるわけもないし……)


 心が無性にいたたまれなくなり、剣闘士奴隷たちから目を逸らすようにミュウは部屋の端の方に目を向けた。

 部屋の端の人目につきにくい檻の中に、ほかの剣闘士奴隷とは一線を画する青年が不遜な態度で座っていた。

 その男の肌は、ほかの男たちとは違い、アルビノのように白く、まるで石膏像のようだった。髪も銀色で、実際、ミュウは最初、彫刻か何かだと思ってしまったくらいだ。

 だが、その白い肌や銀の髪よりも、一際ミュウの目を引いたのは、その瞳だった。

 青く綺麗な瞳だったが、むしろその瞳の中にある光にミュウは興味を持った。それは強い意志の光を宿した瞳だった。

 だが、その瞳の光が物語っているのは、「誰も信じない、信じるのは自分だけ」という強い意志であることがミュウにはわかった。


(昔捨てられてるところを拾った猫ちゃんがこんな目をしてたんだよねぇ。人から捨てられて何も信じないぞっていう寂しい目……ああ、私、こういう子は放っておけないのよ!)


「あの人も剣闘士なの?」


 ミュウはたまらず商人に問いかける。


「お嬢さん! そいつは悪魔憑きですよ!? ウインザーレイク家のお嬢様が剣闘士にするのはどうかと……。ほかにもよい剣闘士を色々とそろえておりますので」


 商人が慌てたような声を上げた。


(悪魔憑き……)


 それは美夕としての知識にはない単語だった。

 自分の中のミュウとしての知識の中から、悪魔憑きに関することを引っ張りだす。


 この世界では、特殊能力と呼ばれる特異な力を持つ者がいる。その特殊能力は、神から授かった力だと言われており、特殊能力を有した者は、たいていの者が国の要職に就いている。

 だが、かつてその特殊能力をうらやみ、悪魔と契約して、同様の特異な力を手にした者たちがいた。彼らは力の代償として、人として肌の色を失った。外見で見分けがついたため、彼らは『悪魔憑き』と呼ばれ、神に背いたものとして、忌み嫌われることになった。


 本当に悪魔なんてものがいるのかどうかはわからない。悪魔との契約方法などというものも不明だ。だが、時々真っ白い肌の子が生まれることがある。彼らは、悪魔憑きとしての祖先の血を濃く受け継ぎ、神から見捨てられた者として、現在でも忌み嫌われるている。そして、特異な力を使うときには、その姿を悪魔のように変えるとして恐れられてもいる。


 それが悪魔憑きについてミュウの知っていることだった。


(……初めて見た。本当に実在していたのね。でも、すごく綺麗……)


 改めてその男を見るが、年齢は20歳もいかないくらいだろう。

 質素なシャツとズボンを身に着けているが、そこからのぞいている腕や脚は筋肉質で引き締まっている。

 顔も整っており、筋の通った鼻に、細い顎と、見ていて羨ましくなるほどだ。

 キリッとした眉毛も凛々しさを際立たせている。

 ノビのある二重まぶたとその下の大きな瞳には、思わず見入ってしまいそうになるほどだ。


「悪魔憑きだから、何だっていうの? 話に聞くように、悪魔のような姿に変身して、襲ってくるとでもいうのかしら?」


「……はい、その通りです。魔物のような紅い目と紅い髪……人を超えた怪力で、一度暴れたら手が付けられず……」


 悲壮な顔で真剣にそんなことを語る商人に、ミュウは思わず吹き出しそうになる。


(なかなかの役者ぶりね、この商人は! でも、なにその設定。中二病なの!? 私も中学の頃、霊が見えるとか、未来が見えるとか言ってた恥ずかしい過去があるけど、いい年してそんな設定出してくるのは恥ずかしいって! 人間が変身なんてするわけないじゃない!)


 話に尾ひれがつくなんていうのはよくあることだ。人は外見が違うだけで、勝手に偏見を持って、勝手に恐れてしまうのだということをミュウは、転生前に歴史から学んでいる。

 だから、商人の話を本気にする気はなかった。


「はいはい、わかりましたよ。そう言うことを言って、値段を上げたいわけね。……で、おいくらなの?」


「……本気ですか?」


 商人は本気で驚いたよなう顔をミュウに向けてくる。


(汗まで浮かべてなかなかの演技派ね。でも、演技もしつこ過ぎると嫌われるわよ!)

「ええ、本気よ! で、いくらなの!」


 一体いくらふっかけてくるのかと、さすがにミュウも内心では恐々とする。


(なにしろこっちは名前だけの貧乏貴族! これがイザベラなら商人の言い値で買うんだろうけど、うちではそうもいかない。昨日帳簿を見て、出せる限界値は調べてあるけど、ここは元アラサー女子の経験を活かして値切り倒すしかない!)


 一人身構えるミュウだったが、商人が口にした金額はミュウの想像を遥かに下回る金額だった。ほかの剣闘士の一般的な金額よりもずっと安い提示額に、ミュウは自分の耳を疑ったほどだ。


(さっきまでの中二設定はなんだったのよ! 中二設定てんこもりで金額吊り上げるつもりじゃなかったの!?)


 疑問はあったが、商人の出してきた金額なら、家への経済的負担もそれほどではない。前日に帳簿とにらめっこして算出していた、購入限度額を余裕で下回る金額だ。

 当然、今後の食糧費も一人分増えるわけだが、それを含めても十分に許容範囲内だった。

 本当にいいのかと何度も念押してくる商人に、辟易しながらもミュウは商談をまとめた。

 お金の支払いは、後日商人が屋敷まで集金に来るので、この場でのやりとりはない。だが、剣闘士奴隷の引き渡しの手続きは今この場で行なう必要があった。

 現在、隷属の首輪には、主人として、剣闘士奴隷に首輪を嵌めた商人が記録されている。それを、ミュウに移す必要があった。

 首輪を外せるのは、主人として記録されている者のみなので、商人が外して、ミュウが嵌め直すという方法でも主人の交代は可能だが、その際に剣闘士奴隷に抵抗されて逃げられる危険性があるため、基本的には行なわれない。

 では、実際にどうするのかといえば、商人とミュウ、二人が剣闘士奴隷の首輪に指を当て、「この者の主人をミュウ・ウンザーレイクとします」と商人が宣言する、ただそれだけだった。

 それだけで、ミュウがこの剣闘士奴隷の主人となり、商人からは主人の権限が失われた。


 こうして、ミュウはついに自分の剣闘士奴隷を手に入れた。


「私はミュウ・ウインザーレイクよ。よろしくね! ……えーっと」


 檻から出された剣闘士奴隷の男に、ミュウは右手を差し出し、名前を名乗ってくれるのを待つ。


「…………」


 だが、男はミュウの方には目も向けず、明後日の方を向いたまま無視の姿勢を貫いていた。

 手持無沙汰のミュウは出した右手の指をうにうにと動かしてみるが、まるで反応はない。


「そいつの名前はシャザークです。シャザーク・ロックウッド。口数の少ない奴でして……」


 見かねた商人が、剣闘士を返すと言われては困るとでも思ったのか、慌てて口を挟んできた。


「そう、シャザークって言うのね、いい名前ね。これからよろしく」


 ミュウは強引にシャザークの右手を掴んで握手を交わすが、ミュウがその手に力を込めても、シャザークの方から握り返しくれるような反応はなかった。


(中身の私からしてみれば、年下の男の子だもん。このくらいは可愛いものよ)


 シャザークの見た目は18歳くらいだろうか。ずいぶん年下の男の子だと思えば、そんな愛想のない対応も、子供の反応として、腹立たしく感じるようなこともなかった。

 むしろ、拾い主を主人とも思わない猫のように思えてきて、ちょっと生意気な可愛ささえ感じてしまいそうになる。


「それじゃあ、私の家に案内するわね!」


 シャザークの冷たい態度に気を悪くすることもなく、ミュウはシャザークの手を引っ張り、軽い足取りで帰路についた。シャザークという新しい住人とともに。


 屋敷への帰り道。

 ミュウが前を歩き、シャザークがその斜め後ろに下がって歩く。

 悪魔憑きを連れているため、ミュウたちには、無遠慮な奇異の視線が向けられていた。

 もっとも、ミュウは男の子と一緒に歩くという、転生前にほとんど経験してこなかった体験にいっぱいいっぱいで、他人の視線を気にしている余裕などまるでなかったのだが。

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