第3話 剣闘士奴隷商人

 学園での授業を終えたミュウは、家に戻ると、さっそく両親に闘技会のこと、そして剣闘士が必要なことを話した。

 ミュウとしての記憶にある両親は、絵にかいたような人の良い夫婦だった。金を貸した相手が、その金を返す前にまた金を借りにきても、ニコニコしながら貸してしまうような、悪意というものから縁遠い二人だった。

 ミュウは二人が年をとってからの子供だったこともあり、多くの愛情を受けてここまで育ててもらっていた。そんなミュウだから、二人に性格が似ていたのも必然だったかもしれない。

 少なくとも、昨日までのミュウは。


「そうか。学園に必要なんだね。じゃあ、明日にでもわしが剣闘士奴隷商人のところにでも行って、ミュウに合いそうな剣闘士を探してくるよ」


 父のフランツ・ウインザーレイクは、娘の説明を聞き、剣闘士奴隷を買うことをあっさり了承してくれた。今の貧しさはフランツも当然理解しているが、そのことで娘に負担をかけさせるつもりはないようだった。表情にも困った様子は少しも見せなかった。


(ああ、剣闘士を用意するのにお金が必要だと困った顔をされるのがいやだったんじゃないんだ。こうやって、その想いを表に出さず、自分に苦労かけさせまいとする親の姿を見るのが辛かったんだね……)


 フランツの顔を見て、なぜ過去の自分が剣闘士のことを両親に話せないでいたのか、ミュウは悟った。


(みんな優しすぎるって……)


 過去の自分も含めて、この家の人はみんな本当にいい人なんだと実感する。

 だが、そんな優しいフランツだからこそ、彼に任せておくと、たいしたことない剣闘士奴隷を、馬鹿みたいな金額に買わされて帰ってくる姿が、ミュウには容易に想像できてしまう。


(お父様もお母様も大好きだけど、二人に任せていたら、どんどん貧乏がひどくなっちゃう! ここは私がなんとかしないと!)


「お父様、大丈夫です! 私の剣闘士ですもの、自分で選んできます!」


 見かけは10歳の子供でも、中身はアラサー女子だ。ミュウは買い物で商売人相手に引けをとるつもりはなかった。


「ミュウ一人でなんてまだ無理だよ。せめて、わしかカトリーヌが一緒に行くよ」


 カトリーヌとは母の名だ。だが、父と母、どちらがついてきても、商人にうまく丸め込まれる未来しかミュウには見えない。それに、父や母が一緒にいれば、商人はミュウを無視して親と交渉するに決まっている。そうなっては、ミュウがいくら頑張ったところで、親と商人との間で商談がまとまってしまう。ミュウとしては、それは避けなければならなかった。


「大丈夫ですよ、お父様! それに、これも社会勉強です!」


 現代日本ならともかく、さすがにこの世界で、10歳の貴族令嬢に一人で買い物をさせるようなことはない。だが、こういう言い方をすれば、この両親なら娘の自立心を無下にしないであろうことをミュウはわかっていた。


「社会勉強か……。しかし、ミュウ一人では……。せめてジェームズについて行ってもらうというのはどうだろうか?」


 ジェームズはウインザーレイク家に住み込みで仕えている初老の執事だ。洗濯や掃除などのために、必要に応じてほかのお手伝いさんに来てもらうことはあるが、ウインザーレイク家には、専属の執事はジェームズ一人しかいない。名家の貴族としてはあり得ない人数だが、ウインザーレイク家の経済状況を考えれば、それも仕方がないことであった。


「ジェームズには家のお仕事があるのに、私のことに付き合わせちゃダメだよ。それに実際にお金を持っていくわけじゃないし」


 貴族が現金を持って買い物を行なうことは基本的にはありえない。買い物はツケで行ない、月末に商人が貴族の家まで集金に来るのが普通であった。


「しかしだなぁ……」


「大丈夫、大丈夫! 無理だと思ったらすぐに帰ってくるから、試しに任せてみてよ!」


 こういう言い方で押し切れば、両親が反対しないことを、ミュウは自分の過去の知識から知っている。

 結果、思った通り、フランツは渋々であったが、ミュウ一人で行くことを了承してくれた。


(ひとまず、これでオッケーっと。でも、問題はうちの経済状況だよね。今までミュウが言い出せないでいたのも、剣闘士奴隷を買う金銭的余裕がないのを気にしてたせいだから。まずは、どのくらいのお金を使えるのか考えないと……)

「ジェームズ、ちょっとうちの収支の帳簿見せてもらえないかな」


 ウインザーレイク家の財政は基本的にジェームズが担当している。

 実のところ、ミュウも自分の家の財政状況を具体的に把握しているわけではなかった。

 このままでは、どのくらいなら経済的な負担を家にかけなくて済むのかもわからない。

 それを知るためには、ジェームズに頼るしかなかった。


「ミュウ、おまえがそんなことまで気にしなくとも……」


 フランツは家主として、ミュウにそんなことまで心配させるのが心苦しいようだった。


「お父様、これも勉強です!」


「……そうなのか?」


 納得はしていないようだが、娘に対してそれほど強く出られない性格のフランツは、ミュウの行動を止めるまではしなかった。


 その日、ミュウはジェームズから家の帳簿を借りると、夜遅くまでそれに目を通した。

 そして、自分の想像していた以上に経済的に厳しいことを痛感する。


(……貴族の金銭感覚を舐めていたかも。これはもっと節約しないと、私の代までもたないんじゃないの?)


 将来のことを考えると、帳簿を持つ手が震えそうになる。


(とにかく、少なくとも明日は出来る限り節約して剣闘士奴隷をなんとかしない! この際、戦ってくれさえすれば授業はクリアできるんだから、一番安く済むような人を探さないといけないかもね)


◆ ◆ ◆ ◆


 翌日、学園が休みなのを利用して、ミュウは街に出ていた。

 目的はもちろん自分の剣闘士奴隷を見つけるためだ。


 この世界において、剣闘士奴隷の店を訪れること自体はおかしなことではない。決して、裏社会の商売というわけではない。

 現代日本でなら、ペットショップに行くようなものだろうか。ぶらっと立ち寄るようなところではないが、目的を持った者が入ることをいぶかるような人はいない。


 とは言え、さすがにミュウも剣闘士奴隷の店に入るのは、これが初めてだった。

 初めての店は誰でも緊張する。


(はじめてのおつかいが剣闘士だなんて、そんな女の子、きっと私くらいだよね)


 緊張する心をほぐすため、心の中で軽口を叩きながらミュウは店の中に入った。


「いらっしゃいませ。……お嬢様お一人ですか? おうちかたか、お付きのかたは?」


 ミュウを出迎えたのは、40歳くらいの小太りの男だった。奴隷商人と聞くと、イメージは悪く、下卑た笑みを浮かべた金の亡者のような商人を思い浮かべそうだが、その男は人のよさそうな普通の商人に見えた。

 剣闘士奴隷は、一般的な奴隷とは趣が異なる。

 剣闘士はこの国の文化に深く根付いた存在であり、それを扱う商人は、単なる奴隷を扱う商人よりも格上とされているのだ。それだけに、剣闘士奴隷商人は、そのへんの商人よりも、プライドや矜持というものを持っていた。


「今日は私一人です。ウインザーレイク家の次期後継者たる私が、一人で買い物に来ることに何か問題でもありますか?」


 ミュウはウインザーレイク家の家紋を見せて、自分の身分を証明してみせる。


(買い物は最初の印象が大事なのよね! 舐められたら足もとを見られるし、横柄だと印象を悪くしちゃうし。商人も人の子だからね。不快な人間相手に親切にしようとは思わないはず。舐められず商売相手としてしっかり認識された上で、好印象を与えることがまず第一よね)


「……確かに、これはウインザーレイク家の家紋ですね」


「ここのお店は、この国の中でも優れた剣闘士を揃えていると聞いて、今日は参りました。見せていただいてもよろしいでしょうか?」


 むろん、そんな話を聞いてやってきたわけではない。ただの社交辞令だ。

 だが、剣闘士奴隷商人としての矜持を持ち合わせている男にとって、自分の店を褒められることは、自分の心をくすぐられることであるのも事実。加えて、子供とは言え、女性に褒められて悪い気はしない。おまけに、将来的に自分の乗客になる可能性もあるのだ。


「はい、もちろんですよ! ご案内いたしますね!」


 男の顔が商売人の顔になる。少なくとも、ミュウのことをちゃんとした客として認識したことは間違いなかった。


「よろしくお願いしますね、おじさま」


 おじさまと呼ばれたことが嬉しかったのか、商人の営業スマイルの奥の本来の顔まで笑顔になるのがミュウにもわかった。

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