第2話 学園と剣闘士

 教室の扉を開けることなんて、当たり前すぎて学生時代はそのことに何の感慨も感じることはなかった。

 だが、学校を卒業し、何年も経ったあとに、こうして扉に手をかけると、言いようのない懐かしさのようなものがこみあげてきた。

 一瞬の間に、学生時代の様々な思い出が頭の中を駆け巡った。青も春もないような学生時代だったかもしれないが、決して長くはなかった前の人生の中で、最も自分が輝いてたときだったのだと、今なら思えた。


(……そっか。世界は違うけど、もう一回人生をやり直せるんだ)


 扉にかけた指に力を入れ、ミュウはその扉の重みさえ愛すべきものだと感じながら開いた。


「お騒がせしました」


 皆の視線がミュウに集まる。

 生徒は皆、同じ年の女の子ばかり。

 美夕の世界なら小学4年生にあたる年代だ。

 生徒たちは皆、同じ服装をしている。それはこの学園の制服だった。

 襟元や袖口にフリルを使用した、ドレス風の赤いブレザーに身を包んでいる。首元のピンクのリボンが年相応の可愛さを引き立てている。

 スカートは黒のプリーツスカート。シンプルだが、一目生地を見ただけで質の良さと高価さとが窺い知れる。

 この世界では、心に決めた男性以外に生足を見せるのはタブーとされているので、ソックスは膝上まである黒のオーバーニーソックスだ。

 さすがに靴までは制服として定められていないので、これについては様々だったが、上履きに履き替えるようなことはなく、土足のままだ。


(よく考えたら、私もこの子たちと同じ制服を着てるんだよね……。アラサーになってこの服は……って、今は私も10歳か。身体は変わっても、中身の思考は美夕のままなんだよねぇ)


 ミュウとしての自分にまだ違和感を感じながら、自分の席へと向かった。

 自分の席がどこかははっきり覚えている。一番後ろの窓側から4番目の席、そこがミュウの席だ。

 人格的には美夕のままだったとしても、ミュウとしての記憶や知識ははっきりと自分のものとして把握していた。

 ミュウは自席に着くと、鞄の中からノートとペンを取り出して机に並べる。


「朝から倒れるなんて、体調管理が出来ていないのではなくて?」


 授業に集中しようと思ったところで、左隣の席にいる女の子から、どこかトゲのある声が飛んできた。


(こういう場合、普通は体の心配をする言葉をかけるものじゃないの?)


 ミュウはその隣の子に目を向ける。

 パーマがかかったようなふわふわした長い金色の髪に、広いおでこと猫のように吊り上がった目が特徴のその子の名前は、イザベラ・ランフォード。


 ミュウのウインザーレイク家に歴史の長さでは劣るが、圧倒的な経済力で世間に名を轟かせている貴族の御令嬢だ。

 親が金持ちの上に、甘やかされて育ったのか、とにかく性格がよろしくない。

 ウインザーレイク家は、今でこそ落ちぶれているが、貴族としての歴史は非常に長い。昔は国の要職に就くような者を何人も輩出してきた家柄である。

 イザベラのランフォード家にいくら財力があったとしても、歴史の長さだけは、どうやっても覆せない。イザベラとしては、そのあたりが気に食わないのだろう。何かにつけて、ミュウにつっかかってくるのだ。


 ミュウの記憶では、今までは、ミュウ自身が争いを好まない温厚な性格だったため、何を言われても笑って返すような対応をしてきた。だが、中身が美夕となった今は、記憶の中のその過去さえ腹立たしく感じてしまう。


(なんで私がこんな我がままなお子様相手にへらへらしないといけないのよ! この子がお得意様の社長の娘とかならともかく!)

「ごめんね。いつも隣の席の子のおでこに太陽が反射してるせいで、熱中症になりやすいのかもしれないわ」


 大人げないとは思いつつ、これまでの過去の分の積み重ねを思い出してしまったため、ミュウもついつい嫌味を返してしまった。


「な、なんですって!?」


 予想以上の反応だった。イザベラは声を震わせて顔を真っ赤にしている。


(あっ……おでこが広いの気にしてたんだ。だったら前髪を下ろしておけばいいのに……)


 ミュウの考えるイザベラの欠点は大きく三つ。

 一つはその性格。

 二つ目は、広いおでこ。前髪を上げているせいで余計に目立っている。てっきり好きでおでこを出しているのかと思っていたが、反応を見るに、どうも彼女自身、おでこの広さを気にしているようである。

 ちなみに、三つ目は、イザベラという、悪役令嬢っぽいその名前だ。


「あ、あなただってそばかすまみれで、いつまでも子供っぽい顔をしてるじゃない! だいたい、貧乏貴族のくせに……」


 イザベラは、指摘された内容もそうだが、今まで反撃らしい反撃をしてこなかったミュウが、急に牙を剥いてきたものだから、まだ顔を赤くしながら興奮で体を震わせている。

 だが、中身がアラサーのミュウにとって、その程度は子供の可愛らしい悪口にしか聞こえない。


(なるほど、今の私はほかの子にはそういう風に見えてるわけね。ラノベみたいに美少女に転生ってわけにはいかないかぁ)


 ミュウとしては、今の自分の客観的容姿と欠点を教えてもらえたようで、むしろありがたかった。


(10歳の子供ならそばかすなんて可愛いものよ。年とってからのシミの怖さなんて、この子たちは知らないんだろうなぁ。……それにしても、やっぱりうちって貧乏なんだ。こうやって簡単に悪口として貧乏って言葉が出てくるんだから、相当なんだろうなぁ)


 ミュウとしての過去の記憶を思い返してみると、貴族という華やかなイメージとはかけ離れた生活の様子が浮かんでくる。この世界の一般的な貴族の生活というものを知らないため、もしかしたらそういうものかもしれないと考えもしていたが、先ほどのイザベラの言葉を聞く限り、やはり貧乏貴族というのは間違いなさそうだった。


(転生した場合、容姿とか家柄とか、何かチート能力持ってるんじゃないのかなぁ、普通は……。まぁ、でも、死んだと思った命、異世界とはいえ、もう一回やり直せるのなら、それだけで儲けものか)


「ちょっと、ミュウさん、聞いてらっしゃるの!?」


 ミュウが一人思案している間も、イザベラは敵意を向け続けていたようで、無視されていることに抗議の視線を向けてくる。


「……もう、授業に集中したいから静かにしてくれないかなぁ」


 ミュウはイザベラの方には目を向けず、ぶっきらぼうな口調で吐き捨てる。

 イザベラはますます怒りのボルテージを上げているようだったが、ミュウはもうイザベラを視界には入れず、教室の前に立つ先生の言葉に耳を傾けることにした。


 今の授業は、今度行われる学園内の闘技会についての説明だった。

 闘技会といっても、ミュウたち女生徒が戦うわけではない。


 貴族の娘というと、もっぱら政略結婚などに利用されるようなイメージがあるが、少なくとも、この世界の女性はしっかりと社会進出を果たしていた。

 もちろん、政治的な状況によっては、あるいは秀でた能力がなかったりすれば、政略結婚に使われることも当然ありうる。だが、優れた能力があったり、特殊能力という魔法ではないが特異な能力を有したりしていれば、女性が貴族の家を継ぐこともあるし、国の要職につくようなことも珍しくない。あるいは、女性だけが務められる聖女という特別な役割を担うようなこともある。

 このパールブルック女子学園も、そういった将来、国を動かしていくような貴族の令嬢を育成するための学びの場であった。


 とはいえ、女性が男性に比べて、肉体的な部分で劣るのはまぎれもない事実。どう頑張ったとしても、本気で殴り合いをして、女性が男性に勝てるはずもない。

 そこで、肉体的に不利な部分を補うため、この世界では、貴族の令嬢は、剣闘士と呼ばれる男性を一人、自分のそばに置くことを習わしとしていた。


 本来ならば、ナイトと呼ばれる貴族出身で剣技を学んだ男性を剣闘士とするべきなのだが、貴族の令嬢の数に比べて、そのような貴族の男性の数は少ない。貴族の男も、長男は家を継ぐし、能力のあるものは国の要職につき、剣を学んでいる余裕などない。ましてや、剣闘士になれば、自分の淑女のため、ほかの剣闘士と戦いを行なうことになるのだ。そのように危険なことを自ら望む貴族の男など、そうそういるはずがなかった。

 そのため、今では、剣闘士は貴族ではない自由民からも選ぶし、それどころから奴隷を剣闘士として買うよなうケースさえある。むしろ、近年ではその方が多数を占めるほどだった。


 この剣闘士だが、貴族の令嬢にとっては、一つのステータスともなっている。

 より身分の高い男性を剣闘士とするのが一つのステータスであるが、身分よりももっと重要な要素があった。

 それは、剣闘士の強さだ。

 弱い貴族の男を剣闘士にするよりも、奴隷であっても強い男を剣闘士としている方が、貴族令嬢としては格が上とされる。

 そのため、貴族令嬢は、社会に出て自分の存在を示していこうとするならば、自らの剣闘士を闘技会に出場させ、己の剣闘士が優れていることを示していかなければならなかった。

 そういったこともあり、この学園では、将来に備えて経験を積むため、学内での剣闘士による闘技会を開催しているのだ。


(ミュウとしての知識を掘り返して、剣闘士についてのことは理解した……。それに、来週、その学園内の闘技会が開催されることも理解した……)


 ミュウは心を落ち着かせようとするが、さっきから心臓がバクバクして、冷や汗も流れている。


(……でも、ミュウの記憶のどこ探しても、肝心の剣闘士についての記憶が全くないんですけど!)


 ミュウの記憶では、闘技会の日程についてはもっと以前から告知されている。その際には各自剣闘士が必要で、当日までに用意しておくように言われていたことも知っている。

 なのに、ミュウが剣闘士を用意した記憶がどこにも見つからないのだ。


(自分のことなのに、なに焦っているんだ、私! 落ち着いて、過去の自分のことをもう一度思い返してみよう……)


 次第に、剣闘士を用意するように言われた後の、ミュウとしての記憶が蘇ってくる。


(……あっ、だめだこの子。家が貧乏だから、親に剣闘士のこと言い出せず、しかも言うのがいやだから、そのことを記憶から消そうとしてやがった!)


 過去のミュウも自分自身なのだが、その情けない振る舞いに泣きそうになる。心優しいと言えば、聞こえはいいが、これでは単なる根性なしと変わらない。


(そりゃ、イザベラ相手に言われっぱなしにもなるわね)


 過去の情けない自分に色々と思うところはあったが、ミュウとしては、たちまち当面の問題をなんとかしないといけなかった。


(とにかく、私の剣闘士を早くなんとかしないと! こういうとき、小説とかだったら、昔の幼馴染が格好よくなって急に現れて剣闘士に名乗りをあげてくれたりするんだろうけど……)


 乙女の妄想をついついしてしまうが、現実ではそんな夢みたいなことは決して起こらないということを、ミュウは過去の経験ですでに何度も痛感させられている。

 彼女はもう夢など見る気はない。

 現実を変えるのは自分なのだと、拳を握り締めた。

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