年上だけど年下の私の剣闘士

カティア

第1話 アラサー女子の転生

 彼女の視線は、一瞬にして檻の中の男に釘付けとなった。

 檻の中にいる剣闘士の青年の肌は、アルビノのように白く、まるで石膏像のようだ。髪も銀色で、最初、彫刻か何かだと思ってしまったくらいだ。

 だが、その白い肌や銀の髪よりも、一際彼女の目を引いたのはその瞳だった。

 青く綺麗な瞳だったが、その瞳からは誰も信じないという、寂しくなるような意志を感じてしまう。

 まるで捨て猫のようなその青年の雰囲気に、少女の胸はきゅんと切なくなった。


 見た目は少女でも、中身はアラサー女子。年下の男の子に母性本能を感じたのかもしれない。

 あるいは、外見は正真正銘10歳の女の子なのだ。憂いを帯びた年上の青年に、体の方が本能的に大人の魅力を感じてしまったのかもしれない。


 見た目は10歳、中身はアラサーの少々複雑な女の子と、悪魔憑きと呼ばれる青年との、これが最初の出会いだった。


 自分がなぜこんな姿で、彼とここでめぐり合うことになったのか、少女は思い返す――


◆ ◆ ◆ ◆


 (思えば色気のない人生だった……)


 たちばな美夕みゆは重力というものを実感しながら、自分の人生を思い返し後悔する。

 世間ではアラサーと言われる年齢になり、友達から結婚式の招待状をもらうたびに危機感を募らせる日々だった。

 女子校から女子大へと進んでしまったのが失敗だったかもしれないと刹那の瞬間に振り返る。気楽な学生時代であったが、友達とヲタ活ばかりしていて、男性との接点はまるでなかった。

 とはいえ、彼女も男性に興味がないわけではない。むしろ、普通の女子以上にあると美夕自身自覚しているくらいだった。


(ああ、贅沢は言わない。一夜のラブロマンスでいいから経験してみたかった……)


 実のところ、美夕はファーストキスさえ未経験だった。


(でも、よりによって、下水道のマンホールに落ちて死ぬなんて、考えられる中でも最低の死に方じゃないかな? 糞尿まみれの水死体とか、喪女の最期にしても、あまりもあんまりすぎる……)


 美夕は、大学卒業後、水道・下水道関連の事業所に就職していた。周りは年の離れた男性ばかりで、女は美夕一人。事務が彼女の仕事だったが、この日、たまたま人手がなかったため、男性従業員と一緒に現場に来たのが失敗だった。

 悪天候で、アスファルトの上には水たまりが湖のように広がっていた。滑りやすい状況だったとはいえ、こうもうまく足を滑らせ、蓋を開けたままにしてあった下水道マンホールの中に綺麗に落ちていく未来があるとは、さすがに想像すらしていなかった。


(本当に最悪だ。できることならもう一度やり直したい人生だった……)


 すべてを諦め、目を閉じる美夕。

 ふいにその閉じた目の中で虹色の光が広がり、目を開いてもいないのに色とりどりの花火のような光がまぶたの裏で瞬き続ける。


(こういう時は走馬灯ってのを見るもんだと思ってたけど、実際は違うのね……。それにしても、マンホールの下まで落ちるのってこんなに時間がかかるものだっけ? それとも、一瞬が長く感じるってやつなのかな?)


 落下感がいつの間にか浮遊感に変わっていたが、美夕はいまさら深く考えようとは思わなかった。

 どうせ自分の人生はこれで終わるのだ。

 そう諦めて身体の力を抜き、浮遊感に身を預けた。


(お父さん、お母さん、先立つ不孝をお許しください……)


 心の中で父と母に詫び、来たるべき落下の衝撃にそなえる。


(…………)


 だが、いつまでたってもその衝撃が襲ってこない。


(……長すぎない?)


 あまりに不自然に感じて、美夕は目を開ける。

 目を開いた先には、見知らぬ天井と自分を覗き込んでいる10歳くいらの女の子たちの顔がいくつもあった。


(……なに? この状況?)


「ミュウ、大丈夫? 急に倒れたけど?」


 言われて気づく。自分が仰向けに倒れていることに。

 手には床の感触。周りには白くて綺麗な壁と天井。

 少なくともここがマンホールの中でないことは間違いなかった。


「一体どうなって――!?」


 突然、頭の中に記憶の奔流が流れ込んできた。

 様々な光景、様々な知識が頭の中を駆け巡る。

 そのあまりの情報量に、脳が処理しきれないのか、目の前がブラックアウトしていく。


(もう! なんだって言うのよ……)


 そして美夕の意識は混濁の海へと沈んでいった。


◆ ◆ ◆ ◆


 彼女が再び目を覚ましたのは、ベッドの上だった。

 そして、彼女は今の自分が美夕ではないことを理解する。


(確かに若いころに戻って、もう一度やり直したいと思ってはいたけど……)


 小さく細い手足、男の子と見まがってしまうほどぺったんこの胸、ちんちくりんの背丈。

 改めて自分の姿を見て、彼女は溜息をつく。


(こんな子供になりたいとは言ってないんだけど……。しかも、よりによって異世界の子供だなんて……)


 目を開いた時にはまだ頭が混乱していたものの、落ち着いてみれば色々と思い出せた。

 マンホールに落ちるまでの美夕としての記憶はしっかりしている。だが、それだけでなく、この身体の持ち主の記憶も、自分の記憶としてはっきりと思い出せた。


 ここは美夕のいた世界とは違う異世界。別の国とか、別の時代とかではない。世界そのものが違っている。

 現代人の美夕の感覚からすれば、中世ヨーロッパに近い世界だろうか。もっとも、美夕自身、中世にもヨーロッパにも詳しいわけではないので、実際の中世ヨーロッパとの差異については、わかっていないが。

 少なくとも、スマホ一つでなんでもできるような便利な世界でないことは確かだった。


 そして、この身体の持ち主――つまり、今の彼女の名前は、ミュウ・ウインザーレイク。

 年齢は10歳で、ウインザーレイク家の一人娘だ。

 ウインザーレイク家はかつて名門貴族に数えられていたが、残念ながら今では情けないほどの貧乏貴族に落ちぶれてしまっている。


 今の彼女は、美夕とミュウ、二人分の記憶を自分の記憶として、はっきりと思い返すことができた。どちらの記憶もあまりに鮮明に思い出せて、元々自分の持っていた記憶がどっちなのかも判然としなくなりそうなくらいだ。

 美夕の感覚としては、マンホールに落ちて、異世界の貴族に転生したと捉えている。

 とは言え、美夕はあそこで死んでしまい、ミュウとして生まれ変わったあと、こうして前世の記憶を思い出しただけだと言われれば、そうなのかと思ってしまう。

 しかし、少なくとも、美夕とミュウ、二人分の記憶を持った女の子がここにいるということだけは確かだった。


 そして、落ち着いて考えれば、今自分がいるのが、パールブルック女子学園の救護室だということもミュウには理解できた。

 大雨の中、下水道マンホールに落ちた美夕としての記憶も、朝この学園に登校して廊下で転んだミュウとしての記憶も、どちらもつい先ほどの記憶として思い出せる。

 いまだ戸惑いはあるが、この世界で生きてきた10年間の記憶――赤ん坊の頃の記憶はともかくとして――はしっかりとある。その間に学んだ知識や経験も自分のものとして身についている。異世界転生だとしても、この世界で生きていくことに支障はなさそうだった。


「あら、目が覚めたの? 気分はどう?」


 声をかけてきてくれたのは、保健医の女性だ。

 転生前の美夕はと同じくらいの年齢に見える。整った顔に柔和な笑みの彼女を見て、ミュウはきっとこういう人なら上場企業の受付とかに配属されるんだろうなと、ついつい羨んでしまう。


「はい、もう大丈夫です。お騒がせしました」


 気を失ったのは転んだことが原因ではない。その後に、記憶が一気に流れ込んできたせいだ。頭を打ったわけでもないので、体に問題がないことは美夕自身が一番わかっていた。

 一時的にキャパシティオーバーしていた頭も今は落ち着いていて、特に違和感もない。


「授業は受けられそう?」


「はい。今から教室に戻りますね」


 ベッドの脇には誰かが置いておいてくれたのだろう。ミュウの履いてきた小さくて可愛らしい赤色のパンプスが綺麗に並んでいた。

 ミュウはベットから降りて、その靴に足を入れる。

 さっきまで美夕が履いていたおしゃれの欠片もないローファーとは明らかに大きさが違う。

 近くの壁に鏡がかかっていたので、ミュウはその鏡の中に人物に目を向けた。

 決して美人とは言えないが、子供らしい可愛らしさを秘めた女の子だ。元気いっぱいの大きな瞳は純真さを放っているかのようだ。転生前と同じ黒い髪は軽やかに波打ち、肩まで伸びているが自然なまとまりを持っている。顔にそばかすがあるのがもったいなく思うが、この年頃のそばかすなら成長すれば消えるだろう。それにむしろ子供らしいがあって今のこの女の子にはマイナス要素ではないかもしれない。


(この女の子が今の私、ミュウ・ウインザーレイクなんだ)


 ミュウは自分の姿を見て、アラサーだったはずの自分が、本当に今こうして10歳の子供になってしまっていることを改めて実感する。


(……これが夢っていうオチだけはやめてもらいたいとこね)


 そんなことを考えながら、ミュウは救護室を出て、自分の教室へと向かった。

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