本能のままに
時を同じくして、織本が生成した異空間では四宮への尋問が行われていた。『死を対価として』四宮が情報提供に応じたのだ。
「──ってことなんだよね。まぁ、本当のところは本人たちに直接聞いた方が早いんだけど……」
「つまり、突然変異体のメカニズム解明はあくまで手段に過ぎないってことか……?」
大体を語り終えた後で、黙って聞いていた明智が口を開く。
「うーん、まぁそういうことだね。あくまで冷泉院は魔術師と一般人を異なる生き物として位置付けているからね。人間が虫を踏み潰すのに躊躇ないのと同じで、一般人を巻き込むことに一切躊躇いがないのさ」
四宮はぺらぺらとしゃべる。
「だから、動機としてはこんなところだけど──」
「いまいち要領を得ねぇな。突然変異体の解明が最終目標じゃなかったとしたら、何が目的なんだよ。魔術師と一般人は確かに区別されてしかるべきだとは思うが、それが一般人を巻き込んでいい理由にはならねぇだろうが」
「何を言ってるんだか……君らが普段からよく言ってる言葉があるよね。『魔術師と一般人は違う生き物だ』って。じゃあ、別に一般人を守る必要なんてないよね。それどころか、殺すも生かすも僕たちの自由だよね──違う?」
その時、明智の心に雷が落ちた。今までの固定観念を真っ二つに打ち壊すような、新たな世界を垣間見るような、そんな雷が走った。自分の論理は破綻していたのだ。どこか自分たちを魔術師としてくくり、一般人と異なる立ち位置にして置くことで、その立場に酔いしれていた自分がいたことに気が付く。
「あともう一つ眉唾な話だけど、科学者と結託して、突然変異体のメカニズムが解明できたら──一般人から魔力を発現させることも可能になるってわけだ。というか、もう可能ではあるんだけど──」
「四宮。
「人に説明するときって何かしら主観が混じるものだと思うけれど、まぁそれを言うのは何かと面倒なことになりそうだから頷いておくね」
「ぜひとも黙ってくれ。一見すると正しいようなことも精査が必要。歴史が証明している」
「……そうだね。じゃあ、」
四宮はニタっとした笑顔を浮かべると、口を開く。やはり織本大河は愚かだ。強者特有の、他人を甘く見ているが故の、過ちを犯す。そして、自分でそれに気づかない。
「慢心が悲劇を呼ぶことも、歴史が証明しているね」
刹那。先ほどまで体を起こすのがやっとだった四宮が元気よく立ち上がると、身長に比べてやたらと長い右腕を横に突き出した。それに少し遅れて、時間停止空間が異空間に広がる。圧によって明智は後ろに吹き飛ばされ、織本もその場に立っているのがやっとだった。空間の中に空間が広がる。魔力同士のぶつかり合い。織本によって生かさず殺さずの魔力量、体調を保たれていたはずの四宮が、魔術を完全に解放したのだ。
「大河さん、いったいどうして──」
しかし時を止められたかと言えばそうではなく、二人の行動はまったく制限されていない。異空間の対象の魔術を制限する効果と、時間停止空間内の魔術を含むすべての物体の動きを停止する効果の矛盾で、お互いの魔術が混乱しているのだ。
「何故、異空間の中に時間停止空間が広がっている?」
「あぁ、わかりやすいから今まで時間停止って言ってたんだけど、実は空間内の物体の動きを止めるっていうのが正しい表現だね♪ こんなことになっちゃってるのも、君が僕を殺さないことを意識しすぎて、魔力を注ぎすぎたのが原因だからね、自分の慢心を嚙みしめてほしいね♪」
四宮は上機嫌である。自分の魔力と織本の含有量にそこまで圧倒的な差はないため、やり合える。無論、しっかりと織本が管理していれば勝機は微塵もなかったが──織本は殺さないことを意識するあまり、魔力を自分に注ぎすぎていた。大人数の動きに干渉できる魔術の使い手が、簡単に負けると思うなよ。
「そのまま放っておけば僕は死んでいたのにね。ハハハハハ! ねぇ、織本! 君に一つ言いたいことがあるね! 若宮牡丹を覚えているかな? 彼女にはあって、君にはないものがある──判断力だ! 相手を的確に評価し、必要な対策を講ずる能力──その点において、君は彼女と比べるまでもなく劣っているね! 彼女は自分の魔術を理解しているけど、君は何も理解していない! 能力自体は強くても、それを生かせる脳がないなら何の意味もないんだよね……!」
明智は大切な人が罵倒されているのを見てもなお、動くことができなかった。たしかに異空間の魔術作用によって自身の魔術が制限されているのもそうだが、単純に──四宮の言葉が心の中に残っていたからだ。
「魔術師と一般人は違う生き物だ」──じゃあ、別に守る必要なんてないよね。それどころか、殺すも生かすも僕たちの自由だよね。──何度も四宮の言葉が繰り返される。心が記憶して、それを引っ込めようとしない。隙間に入ってしまったからだろうか。しかも、ぴったりだ。
「ハハハハハ! 異空間が崩れていくね! 僕の逆転はここから始まるってわけだ!」
四宮が高笑いをする中、織本は表情を変えずに頷くと、手のひらの上に紫の球体を浮かべた。魔力の庇護も、制限もすべてが失われた無の空間の中で、四宮に攻撃を加えようとしたのだ。
「おっと」
自身に迫る攻撃を感知したのか、一つ目の球を華麗に避けると、四宮は魔力でできた剣を振り下ろし、そのまま二つ目の紫の球体を真っ二つに斬った。
「時を止めるだけが能だと思ったか?」
四宮は不敵な笑みを浮かべると、エメラルドの髪を揺らしながら、そのまま織本のもとに迫っていく。織本もまた頷くと、黒い剣を召喚し、四宮の攻撃に応戦した。
「……とんでもねぇ」
明智は激烈な戦いを目の当たりにし、そう小さくつぶやいた。自分の魔術などちっぽけなものだ。お互いに魔力を大量に消費している最中で、なおも多くの魔力を放ち続けている。空間同士がいまだ相殺し合う中、二人の剣戟が空間までも切り裂くようだった。
しばらく剣をぶつけあっていた両者だったが、四宮が一瞬体制を崩すと、その隙を見逃さなかった織本が四宮の胴を斬りつけた。
「……!」
本能でその場を離れようとする四宮に無言で詰めると、さらに追撃を加えた。四宮は血を吐くと、敢えて織本の懐に侵入。そのまま心臓を貫こうとしたが、織本に思い切り顔面を殴られ、さらに奥に吹き飛んでいった。
「さすが、大河さんは強い──」
「明智くん‼」
小さく息をつくのもつかの間、吹っ飛ばされたばかりの四宮が鼻から血を流しながら、大声で明智の名前を呼んだ。
「僕と共犯になってみる気はないかい! 君の魔術は実に魅力的だ! 物分かりもいいし、僕が無害なことにも気づいてきた頃合いだろう! 確かに僕は冷泉院の血を引いている! しかし、あくまで僕は斎加喜晴殺害の仕事を果たそうとしただけで、若宮を殺そうとしたのもその目的完遂のために過ぎないね! 現に僕は斎加喜晴の隣にいた女の子には手を出さなかった! それがすべてだ! いいかい、僕はいずれ冷泉院を倒す! 君と目的は同じだね! 僕はプライドが高い! 中途半端な奴とは組みたくないけれど、それでも君とは組んでいいと思えた! どうだ! 僕と組ま……」
四宮が半ば叫ぶように明智を勧誘していたのもつかの間、再び空間がゆがみ始めた。一瞬真っ暗になったかと思えば、織本が作った異空間も、四宮の作った時間停止空間も消滅し、ただ、よく見慣れた世界の、駅の改札口前に戻った。あっという間だった。つい先ほどまで空間同士が仰々しいエフェクトを放ちながら相殺し合っていたことが幻であったかのように、目の前には小一時間前、と言っても随分懐かしくも感じられる光景が広がっていたのだ。
「……」
捜査関係者がいなくなり、その代わりに構内のところどころに火災が発生していたが。
「おや、せっかくいいところだったのにね。まぁ、明智君は後日改めて勧誘するとしよう──」
「……あっ」
四宮は背後から不意に声を掛けられ、少しばかり気分を毒されて不機嫌になりながらも、後ろを振り返った。
「西城かい? ったく、どいつもこいつも僕の邪魔を……」
「生きてたんやな」
四宮は聞き覚えのある関西弁と同時にその姿を確認した途端、腰が抜けそうな思いであった。それは西城ではなく、若宮牡丹だった。自分を限界まで追い詰めた、というか一度は殺した女。しかも、ただの若宮牡丹じゃない。
返り血を浴びて、自分の身体でさえも燃やして、傷だらけ、血だらけになりながらも、確かにその茶色い目は自分を捉えていた。そして、左手には、自分の仕事仲間──西城凛音の首を引っ提げている。殺人鬼と化した、若宮牡丹がこちらを見下ろしていたのだ。
「……や、やぁ。今、ちょうど明智くんを説得していたところだったんだ。魔術師が一般人と違う生き物であるとするならば、生かすも殺すも自由。彼もこれには共感して……」
刹那。若宮は西城の首を乱暴に投げ捨てると、そのまま四宮に向かって火球を放射した。四宮はとっさに斬り捨てようとしたが、あまりの速さに慌てて避けることしかできない。
「ええと──」
「死ね」
四宮が何か弁明する前に、若宮は猛然と四宮に距離を詰めると、炎をまとった拳を四宮に振り下ろす。剣で応戦しようとしたが、想像以上のスピードに全く対応できず、もろにその拳を腹に食らう。
「がはッ……!」
若宮は止まらなかった。そうだ、時間を止めないと。しかし、右腕を伸ばす猶予さえ与えてくれない。若宮は決して攻撃の手を緩めない。誰かの手助けすら許さない。四宮が体勢を立て直す前に、腹、胸、胸、胸、胸、胸、胸、胸、胸、胸、胸、胸、顔面に拳をぶち込む。四宮は声を上げることすら許されないまま、地面に沈んだ。胴体は貫通し、体中が焦げ、殴打の衝撃で右腕が取れかかっている。無論、よくしゃべる口は原型すらとどめておらず、声はしない。息もしない。
それでも若宮は止まらず、魔方陣を召喚すると、動かなくなった四宮のもとへ両手をかざした。魔方陣から放たれる御札は対象の身体にまとわりつこうとしたが、やがて対象が死んでいると分かるや否や、空中分解し、自然消滅した。『魔力封印』は死体の魔力を没収することはできない。それを見て、若宮はようやく四宮が死んだのだと気づく。
「牡丹、来てたのか」
「京介──」
若宮は視界の端に明智の姿を見つけるや否や、ふと我に返り、咄嗟に自分の両手を眺めた。血だらけで、自分のものか返り血なのかすらわからない。少し見渡してみれば、血の海に転がった四宮と、西城の首とがある。先ほどまで異空間の断面があった改札口前には、少し明智と離れた場所から心配そうにこちらを見つめる織本がいる。白くてきれいだったはずの床や壁は大方が炎で焦げており、ところどころに血痕がある。
こうして現実に引き戻されたはいいものの、あの嫌でも自分の脳内に言葉を植え付けてくる四宮が何を言っていたのかさえ思い出せない。もしかすれば、何も言っていないのかもしれなかった。
「……」
若宮は押し黙った。何をするでもなく、ただ明智の顔を茫然と見つめることしかできなかった。──一ノ瀬を失ったことがつらい。復讐を果たし、彼女の命を奪った魔術師を抹殺し、腹いせにその仲間も殺してもなお、何も残っていなかった。何もない。あなたがいない──そんな世界に希望なんて、持てるわけがなくて。
「牡丹──そうだよな」
強張った表情を続ける若宮に対して明智はふっと笑うと、彼女のもとへと歩み寄った。若宮は意味が分からず、茫然と立ち尽くすほかなかった。仲間との約束を破ってまで復讐を敢行した化け物みたいな今の自分に、平然と近づける意味が分からなかった。
「魔術師と人間は違う生き物──殺すも生かすも自由。だったら、何を守ったっていいはずじゃねえか。そんなの、最初から自由だった──俺はバカだ。なんで、こんな単純なことに気づけなかったんだ」
炎による熱気に包まれる中を生ぬるい風が吹き抜けていく駅舎で、明智は若宮に手を伸ばしたら届くところまで歩みを進め、そして、立ち止まった。糾弾するような真似なんてまさか、するはずもない。明智は復讐を果たし、今もなお背伸びを続けている仲間の嘘を許したのだ。
「いいよ、牡丹。もう十分だろ」
「……!」
その声がした瞬間、若宮は全身からふっと力が抜けていく気がした。一ノ瀬を失って、今の自分には何も残っていない──なんて、愚かな言葉だというほかない。
「京介…………っ!」
若宮は思い切り抱き着くと、思ったよりずっと大きな彼の背中に手を回して、泣きじゃくった。自分には、仲間がいた。自ら言い出した約束を破ったバカを、それでも受け止めてくれる仲間がいる。自分がなぜ泣いているのかもわからない。けれど、たしかなことがある。自分には仲間がいる。自分は一人であることが多かったけれど、決して独りではなかった。振り返ればいつも、手を差し伸べてくれる人がいた。もしくは、自分の差し出した手を取ってくれる人がいた。体を預けてもいいと思える、仲間がいた。
「京介……ごめん……うち……!」
小さく笑みを浮かべている彼の胸に顔をうずくめて、ひたすらに涙を流している自分がいた。
──うん、うちは独りじゃない。何も残っていないなんて、そんなのはただの欺瞞だ。まだ、何もかもある。目の前の仲間と、絶望の最中にあっても拳に灯っていた、炎とがその答えだ。自分の火が消えるまで、うちはやり続ける。戦うことを、やめない。
生きていくことを、やめないから。
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