第17話 目に焼き付くもの

 ビリビリと、森中にボス狼の遠吠えが響く。


 「レイナ、マジでヤバいから逃げろ!」


 だが、彼女は俺から離れようとしない。ボス狼に睨まれ、蛇に睨まれたカエルの様に固まってしまっている。


 レイナのブルブルと震える体と強張った顔を見て、俺が何とかしなければ行けないのだと再び覚悟を決める。


 狼は遠吠えをしてからこちらを睨んでいる。


 (とにかくレイナだけでも逃がさないと、でもどうする、どうすればここから逃げ出せる。)


 レイナは恐怖で固まり、俺は足と首をやられている。まともに逃げ回れるほど俺の体は万全じゃ無い。


 であれば、やはり戦うしかない。


 レイナと同じく俺だって怖い。しかし、震えていても生き残れない。立ち向かわなければ、あの時の様に一方的にやられるだけだ。


 狼を見る。


 見たことの無いサイズの狼がこちらを見ている。あんなデカい牙で噛まれたら、噛まれた箇所はそのまま噛みちぎられるのではないだろうか。


 瞬きを一瞬する。


 すると狼はその一瞬で距離を縮めて来ていた。既に手の届きそうな距離まで接近して、目の前で口を大きく開けていた。


 「――――うおぁ!」


 反射的にレイナを左に突き飛ばす。一瞬の判断だったが、どうやらレイナを狙っていたように見えたからだ。


 その予想は正しかった様で、狼の頭が俺の左を通過する。


 近くで見るとやはりデカい。俺の体なんて丸飲みで飲み込んでそうだ。


 そしてそのデカい頭は、レイナを突き飛ばした俺の左腕を噛んでいた。肉は簡単に裂け、俺の骨と奴の牙が接触しているのが分かる。


 ―――速すぎる。


 子分たちの速さの倍はあろうかというスピードで突っ込んで来た。辛うじて反応する事が出来たが、こんなのは俺がやり合える相手では無いと即座に悟る。余りにも力量が違い過ぎる。


 「クソォ!」


 痛みを無視して、目の前の狼に右ストレートをぶつける。


 「ガウッ!」


 幸いダメージはあったようで、狼は苦悶の表情をし、俺の左腕から口を離して、俺たちから距離を取る。その一連の行動もスムーズだった。そこからも俺とのレベル差を感じる。


 左腕を見る。


 肉は裂け、傷口から白い骨が見えている。1回の噛み付きで左腕がズタズタにされてしまった。ただでさえ首元が痛いのにもかかわらず、左腕はその倍以上の痛みの信号を流してくる。痛覚の濁流の所為で頭が痛い。


 「ハア、ハア、ハア。」

 

 出血のせいか視界がぼやける。足先や手の先が冷たくなり、体に力が入らない。しかし、そんな俺の状態など気にも留めず狼は襲い掛かる。


 気付いた時には距離を縮め、すでに口を開いている。


 速い、本当に速すぎる。


 痛みで集中力が欠けてしまっている今の俺が、こんなスピードに反応できる訳も無く――まだ無事だった――俺の生命線である右足を噛まれる。


 (速すぎだろ! こんなの―――――ッ!)


 噛まれた右足を咥えて、俺の体を易々と持ち上げ、狼は首を左右にブンブンと振り、締めに俺の体をそのまま高くに持ち上げ、地面に思いっ切り叩きつけた。


 「がはっ―――!」


 ボス狼からしたら、軽く振り回しただけの行動なのかもしれない。


 しかし、やられた側はとんでもないダメージだった。振り回された事で脳震盪になり、頭はズキズキと痛い。噛まれている足は、骨からミシミシと嫌な振動が伝わってくる。


 ボス狼は、動かなくなった俺をゴミを捨てるかのように放り捨てる。


 ―――ゴンッ!


 近くにあった木の幹に、受け身を取る余裕なんか無い俺は、鈍い音を森に響かせて思いっきりぶつかる。


 ボス狼の攻撃でも無いその行動ですら、俺にとっては大ダメージになる。ぶつかった所は骨が軋む感覚がして、ヤバいと信号を送ってくる。


 まるで歯が立たない。


 元々ダメージがあったとはいえ、万全な状態だったとしても勝てるイメージが全く出来ない。


 狼はレイナの方を見て喉を鳴らす。


 「ヒッ・・・!」


 レイナの短い悲鳴が聞こえる。


 視界が揺れ、自分が立っているのか倒れているのか分からない中、声を張り上げる。


 「待てえぇぇ! 俺はまだ死んでねぇぞ!!!」


 ―――俺はもう助からない。


 この体では持って数分だろう。


 だが、レイナは違う。


 森の中だから、救助が間に合うかは分からない。もしかしたら、以前の俺の様に森を彷徨う事になるかもしれない。しかし、生きて帰れる可能性は俺なんかより全然ある。


 「走れレイナ!」


 「ッ―――でも!」


 「いいから行け! 生きろ!」


 長話をしている時間は無い。


 レイナの返答を待たず走り出す。


 右足はズタズタにされ、様々な筋繊維が切れている。普通なら踏み込む力なんて出せるとは思えないが、気合で走り出す。


 死に掛けているにも関わらず、それでも突っ込んでくる俺に驚いたのか、狼は俺の突進を避けずに受け止める。


 (とにかく時間を稼ぐ!)


 レイナに追い付かれては意味が無い。ならば、今の俺のように行動力を奪えば良い。


 突っ込んだ先は、狼の前足。


 今日、絶好調だった右ストレートを叩き込む。子分の狼の頭を粉砕した絶好調の右。


 ゴンッ!と生き物を殴った音とは思えない音がする。渾身の右を奴の足に叩き込んだ。俺の拳も痛い。


 ―――しかし、狼の足は折れる事なく衝撃を受け止めていた。


 「―――ギャウッ!」


 だが、ダメージを全く効かなかった訳では無いようで、バックステップで俺から距離を取った。


 その間にレイナは走り出し、森に入って行こうとしている。


 それを見て狼がレイナの方を見るが、俺は空かさず走り出し、今度は先程と同じ足に抱き付く形になる。


 少しでも時間に稼ぐ、折る事が出来ないのであれば、俺が重りになって走り出せないようにする。


 「行かせねぇぞぉぉ!!」


 自身の恐怖を振り払うように、腹の底から声を出す。


 前世での意味の無い人生を思い出す。


 それに比べたら、今の俺は最高に意味のある行動をしている。


 命を燃やす。


――――――――――――――


 ーレイナ視点ー


 「はあはあはあ・・・!」


 狼に噛まれた足の痛みを無視して、全速力で森を駆ける。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・!」


 大粒の涙を流しながら、少女は少年の顔を思い出し呟く。


 シャドウウルフのボスに睨まれた時、私の体は全く動く事ができなかった。


 気づいた時にはバティル君に突き飛ばされ、目の前にはシャドウウルフの頭とバティル君の左腕があった。


 左腕から流れる血と、骨が砕けてしまうのではと思ってしまう様な、ゴリゴリという低く鈍い音が未だに耳から離れない。


 もし、あそこでバティル君に突き飛ばされていなかったら、そうなっていたのは私だったのだ。


 彼は左腕だったが、私がそのまま立っていたら、恐らく頭付近だったたろう。


 あの鋭利な牙が、自分の頭や首に突き刺さっていたかも知れなかったと思うと、冷や汗が止まらない。


 「きゃあ!」


 木の根に、足を取られ転んでしまう。


 全力で走っていた事もあり、転んだ時の衝撃は大きく、色々な箇所に痛みが走る。ゴロゴロと茂みの中を転がり、体は色々な場所とぶつかって血が流れる。


 そんな痛みに泣きそうになる。

 

 しかし、そんな痛みなど比べ物にならない位の怪我をしていた彼は、それでも必死に私を守ってくれた。


 そんな彼に対して、私は何も出来なかった。


 今もこうして逃げる事しか出来ない。恐怖で体が震え、逃げ出し、涙を流す事しか出来ない。


 情けない。


 何が村長の孫だ。何がハンターの孫だ。


 好きな人に守って貰って、好きな人を犠牲にして生き延びようとしている。


 何にも出来ない自分が情けない。


 「うわああああぁぁぁああああぁぁぁ・・・・!!!」


 誰もいない静かな森で、人の目を気にする事もなく大声で泣く。


 行き場の無い自身への怒りと失望を、腹の底から出すかのように。


 ――――ガサッ!


 誰もいないと思っていた森に、何者かが顔を出す。


 「――――ッ!」


――――――――――――――


 ーバティル視点ー


 どれくらい時間が経ったのだろう。


 とにかく俺に注意を引こうと狼に密着し、その都度、噛み付かれてはぶん投げられたり、蹴り飛ばされたりと揉みくしゃにされながら戦っていたが、吹っ飛ばされた時に着地をミスったらしく、両足を折ってしまった。元々ボロボロだった足が、見ていられないくらい酷い状態だ。


 目の前には、憎たらしい者を見るかのように狼達がこちらを睨んでいる。


 あの後すぐに子分の狼たちも集合し、多勢に無勢の中で攻防が続いた。


 子分たちが突っ込んできて、その後ボスが致命傷を与えてやろうと突っ込んで来る。何とか致命傷だけは避けてボス狼にしがみ付き、噛み付いたり殴ったりとじわじわダメージを与えて来た。


 ・・・が、それでもボス狼は現時点でピンピンしている。


 勝てない事は分かっていたが、ここまでやったのだから、少しくらい足を引きずるとかのダメージを与えてやったという姿を見せて欲しいものだ。


 辺りには子分たちの死骸が転がっている。


 もう作戦なんて物は無く、ただ反射的に目の前の生物と思われるものに対して、拳や足を振り下ろしたり、噛み付いて肉を引きちぎるという行動をしていた結果、無数の狼の死骸が転がっていた。


 しかし、そんな時間稼ぎも虚しく、終わりを迎える。


 「グルルル・・・・。」


 喉を鳴らし、無数の赤い瞳がこちらを睨んでいる。


 (ちくしょう・・・また勝てなかった。)


 霞む意識の中、木を背にして、悔しさを胸に狼たちを見る。


 エルザはハンターだと言っていた。恐らくこういった動物を狩っているのだろう。村長は大型モンスターに1人で立ち向かい、そして討伐したと言っていた。


 この世界では目の前の狼なんかよりでかく、凶暴なモンスターが沢山いる。


 折角、異世界転生したのにもう終わりなのか。


 今回はもう助からないだろうが、もしかしたらもう一回転生する事が出来るかもしれない。


 (もしそうなったら、どんな世界だろうと強くなろう。強くなれば、こんな早期リタイアする事態にはならないだろうからな・・・。)


 子分たちが走り出す。


 指一本動かす事が出来ない状態の俺は、死神の刃が向かって来るのをただ見ている事しか出来ない。


 狼は大きく口を開け、爛々と光る牙を見せて突っ込んで来る。


 死への恐怖はある。


 だが、前回と違うのは達成感がある事だろう。レイナを、子供を庇って死ぬ事が出来る。それだけで前回のように、恐怖で震えながら泣く様な事はない。


 ・

 ・・

 ・・・

 ・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・・


 ・・・ーーーー―――フォンッ!


 手の届きそうな距離まで狼が接近して来た所で、風を切る音とキンッという高い音と共に、視界の前に誰かが立っていた。


 赤色の髪が風に揺れ、突っ込んで来た狼達は首から赤い花を咲かせているかの様に血を噴き出している。


 見覚えのある光景。


 前回の様に、そこにはエルザが立っていた。


 「ッ――――ソフィア!」


 「分かってる!」


 そして、いつの間にか俺の隣にいたソフィアが、俺の体に手を向け、そこから緑色の発光がする。


 痛覚が正常に動作していないのか、チクチクとした痛みが首からする。


 「ワオォォォォォォォォォォン!」


 ボス狼が、ビリビリと空気を振動させる遠吠えを始める。そしてそれに呼応し、子分たちがエルザに走り出す。


 数が多い。


 1人でやるにはヤバいんじゃないかと思える様な数に対し、エルザはどっしりと剣を正面に構える。


 狼とエルザの距離が縮まり、狼はそれぞれ違う箇所を同時に攻撃しようとする。俺だったらパニックになるような攻撃。


 しかし、エルザに噛み付く前に、狼達は赤い花を咲かせる。


 (すげぇ・・・。)


 剣を振っているのだろうという事は分かる。


 しかし、剣を振っている剣筋が見えない。月明かりに照らされ、剣を振った軌道が1本の線の様になっているのだが、いつ剣を動かしているのかが全く分からなかった。


 いつの間にかエルザの構えが変わり、そして狼達の頭が取れている。


 俺があれだけ苦戦させられていた狼達に、エルザは一方的に攻撃していた。俺はエルザの背中しか見れないが、その佇まいから冷静に対処しているのが伝わる。


 無数の狼達がエルザに突っ込んで行き、一定の範囲に入れば首が飛んでいる。


 まるで、そういうゲームをしているかの様な光景。圧倒的な力量差に、ただ茫然と見ている事しか出来ない。


 そんな光景を見て、俺は美しいと思ってしまった。


 戦いとは言えない、殺戮に近い圧倒的な戦いだ。


 しかし、剣を極めた人間の一太刀は、残酷さよりも美しさがあった。


 月明かりが、スポットライトの様にエルザを照らしている。


 スポットライトの中心には、赤い花を次々と作り出し、死体の山で舞っている演者がいる。


 「グルルルル・・・ガウッ!」


 子分達がエルザを仕留め切れない事に痺れを切らしたのか、ボス狼自身が行動を起こし、走り出す。


 辛うじて見えるその走り出し。


 黒い弾丸が向かって来る様な速さで、エルザの命を刈り取ろうと口を開き、牙を見せる。


 ーーーー――――キンッ!


 しかし、その牙がエルザの肌に届く事は無かった。


 エルザの攻撃範囲内に入った直後、生物を斬ったとは思えないような音がして、眉間に皺を寄せたまま、ボス狼の頭はズルリと重力に沿って滑り落ちる。


 エルザは冷静に剣に付いた血を振り払い、鞘に納める。


 (かっけぇ・・・。)


 狼達の死体の山に、月明かりに照らされた赤い髪が揺れている。その光景から目が離せなかった。


 あれはもう芸術だ。


 そう思えるほどの剣技。


 死ぬ寸前に思った、強くなりたいという目標のゴールが、そこにはあった。


 (俺も、あんな風に、なりた―――――)


 まだ見ていたいという感情に対し、体が付いてこない。


 俺の目標を目に焼き付けていたい。しかし、体が言う事を聞いてくれない。


 瞼が落ち、視界は夜の森より暗くなる。


 「―――――!――――――!」


 すぐ近くにいるはずのソフィアの言葉に、俺の聴覚は正確に聞き取ってくれない。俺の聴覚は、もう言葉ですらない、気持ち悪い不協和音を捉える事しかしてくれなくなる。


 遠のいて行く意識の中、エルザの剣撃だけは頭から離れなかった。

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