第16話 大人の義務
草を掻きわけて、後ろから来る恐怖に全力で逃げる。
「はっ、はっ、はっ―――!」
レイナを起こしてから、20メートル程走ったくらいで視界の先に光が見え始める。恐らく森から抜け、それなりに走りやすい、開けた場所になるのだろう。
(だけど、それからどうする。走りやすくなるのは良いけど、それはあいつらだって一緒だ。・・・クソッ、戦う術とか教わっておけば良かった!)
エルザの顔を思い浮かべる。
彼女はハンターだ、狼との戦いもしてきているだろう。実際に奴らを斬って、俺を救ってくれたの見ていたんだから、この1ヶ月で戦い方を教えて貰う事だって出来たはずだ。
だが、あれから1ヶ月程で、また狼に襲われる事になるとは思わなかった。
エルザたち曰く、この世界では、前の世界で言う所のドラゴンの様な大型のモンスターも存在しているらしく、モンスターの被害は日常茶飯事なのだそうだ。前の世界の考え方では、恐らく生きてはいけないのだろう。モンスターに立ち向かう為の力が必要だ。
「―――っ!」
少し開けた空間に入った所で、レイナがまたもや転んでしまう。レイナの方を見ると、噛まれてしまった右足を抑えている。月明かりで確認することが出来たが、大分血が出てしまっていた。
「レイナ、俺の背に乗って!」
「駄目だよ、それじゃ追いつかれちゃう。」
「じゃあどうするんだよ!」
「私を置いて逃げて。」
「―――っ!」
レイナの目を見る。泣きそうな、しかし、覚悟の持った目をしていた。
12歳ほどの少女が覚悟を決めた顔をしている。
(置いて行く? 本当にそれでいいのか? ここで逃げて、俺だけ生き延びて、俺はこの世界で生きて行けるのか?)
あり得ない。
(そんな事できる訳ねぇよな! 体は子供だが、心は30歳の大人なんだからよ!)
俺だけ逃げる訳にはいかない。
どの時代、どの人種、どの世界でも子供は宝なんだ。この村に来て、村の人たちに迎えられて改めて感じた。であれば、この子は俺が死んでも守る。一度、雷に打たれて死んだ身だ。前世での意味の無い生と死に比べれば、大分マシなんじゃないか。
「俺は、レイナを置いて行かない。」
「――っ! 駄目だよ、バティル君をこれ以上巻き込みたくない!」
「巻き込ませてくれ、だって俺達、友達だろ。」
レイナの手をギュッと握る。
しかし、俺の手も恐怖で震えているせいで、格好つけているのに全然締まらない。情けない感じなのだが、レイナはそれ以上、俺の事を止める事はしなかった。
森から追跡者が来る。
漆黒の体をまとった3匹のシャドウウルフが、赤い瞳でこちらを睨んでいる。
少し開けた場所でレイナを後ろに置き、狼たちに対してファイティングポーズをとる。奴らの目を見るとやはり体が震える。脳に植え付けられた恐怖、痛みは忘れる事は出来ない。
「バティルくん、ごめんなさい。私の所為で、こんな事に・・・。」
レイナは謝っていた。後ろにいるからはっきりは分からないが、涙声の様なので恐らく泣いてしまっているのだろう。
その声を聴いて覚悟が決まった。
体の震えはもう無い。
「レイナの所為じゃないし、誰の所為でも無いと思うぞ!―――」
握る拳に力が入る。
「―――大丈夫、お前は俺が守る。それが大人の義務ってもんだ!」
俺の大きな声で発した言葉に対し、狼たちは威嚇と捉えたのか、牙を剝き出しにして唾を飛ばしながら声を鳴らす。
「ワオォォォォン!!!!」
真ん中にいた狼が、森全体に響くような遠吠えをする。そして、それが合図だったようで、左右の狼が俺に向かって走り出す。
それに対し、俺も前に出る。もう後手に回るつもりはない。
右が少し早い。恐らく、そっちが先に俺に噛み付く。
(お前たちには1度やられた。だからこそ、2度は通じねぇぞ!)
前回起きた事を思い出す。奴らはどこを狙ったか。まずは―――
右にいた狼が俺の目の前まで来る。奴は一直線に俺の左足に噛み付いた。鋭利な牙が俺の皮膚を貫通し、真っ赤な血液が吹き出して、痛覚を脳に伝える。
だが、この行動で確信する。こいつらの狩りは規則性がある。
(足はやるよ。だから――――)
正面を見る。左側にいた狼は視界に映らない。どこに行ったのか、1度経験した俺にはわかる。
視線をを左に移動する。
そこにはやはり狼がこちらに向かっていた。本来は視界外からの攻撃だったものが、行動を読む事でそうではなくなった。奴の次の行動も読めている、恐らく首を狙ってくるだろう。
そして読み通り、奴はジャンプして俺の頭部付近に向かって口を開き、唾液で濡れた牙を突き立てる。
それに対して、俺は右拳を振りかぶる。
(――――まずは1体貰うぞ!)
予想通りに展開。完全に無傷では終われない事は分かっていた。だから致命傷だけは避けて、勝利する。
まずは首で狙ってくるであろう方を倒し、その後、足に噛み付いている方を倒せばいい。前回は元々体力が無い状態だったという事と、首を噛まれてしまった事で出血をしてしまい、力が出なかったという状況だったから死に掛けた。しかし、今回は違う。
タイミングはドンピシャ。
運動などまともにしてきていないにも拘らず、これだけ完璧なタイミングを持っている事に、自分でさえ驚くくらいだ。
右拳を狼にぶつけようとする中、腹部に痛みが走る。
「・・・は?」
視線を腹部に向けると、狼が噛み付いていた。
司令塔の様な狼は、距離を取ってこちらを確認している。という事は、腹部に噛み付いているこいつは、さっきの遠吠えで駆け付けたのか。
よく考えれば、3匹でおしまいという事は無いのだ。
狼は群れで行動する。何匹出て来たっておかしくない。
(―――っ! やべっ!)
注意を腹部に向けてしまっていたが、ギリギリ、首を狙ってきた狼の攻撃を左腕に噛ませる事で致命傷を防ぐ。
現状、左足、腹部、左手首を噛まれた状態になった。
だが、右腕は残っている。
であれば標的は変わらない。痛みを耐えて、右拳を握る。
「――ぅらああああああ!!」
俺にのしかかりながら左腕を噛んでいる狼に向け、全力の右フックを胴にぶつける。硬い感触から、ポキンと何かが折れる感触がして、柔らかい感触に変わる。
殴られた狼は、そのまま吹っ飛んで起き上がらない。
次は、腹部に噛み付いている狼の毛をがっしりと掴む。
その狼の背骨に向かって拳を振り下ろす。先ほどと同じ感触がして、同じく狼は動かなくなる。
今まで喧嘩などをした事は無い。
ましてや、生きている生物を全力で殴ったり、ひっぱたいたりした事なんて人生で1度もない。だから、初めて全力で生物を殴った率直な感想は、気持ち悪いという感想だった。
決して気分の良い感触では無かった。
しかし、そうでもしないと自分たちが死ぬ。この手で殺した狼に対して、可哀そうなんて感情は、今のこの森には持って来てはいけない。
「ガウッ!」
左足に噛み付いていた狼は俺から距離をとった。仲間の死を見て怯んだのだろうか。
「来いよ。」
怪我によるアドレナリンの所為だろうか。
痛みはそれ程なく、感情が高ぶっている。神経が集中していて、今ならどんな攻撃も避けられそうな気がする。全身が軽い。
狼は俺の言葉を理解したかのように、突っ込んでくる。
そして手の届きそうな距離になってから、狼はジャンプをして俺に飛び掛かろうとする。この行動は恐らく首を狙った攻撃だろう。
見えている。絶好調だ。
その攻撃のタイミングに合わせ、待ってましたと言わんばかりの、全力の右フックを持ってくる。
タイミングはドンピシャ。
今度こそ横槍は無く、右拳は狼の顔面へと吸い込まれていく。
体毛のふわっとした感触から、肉の柔らかい感触に変わり、骨の硬い感触に変わる。
狼の顔面は歪み、ミチミチッと肉が千切れる音と、ゴキゴキッという骨がズレる音がして――――狼の頭部だけが左方向に吹っ飛んでいった。
頭が無くなった胴は、力無く地面に落ちる。
「ハアハアハア・・・。」
―――勝った。
前回の一方的な殺戮に対し、抗う事が出来た。泣きべそかいていたあの時とは違う。
森に静寂が流れる。
風に揺れる草木のザワザワという音が流れ、司令塔の様に佇んでいた最後の狼が、こちらを睨んで牙を見せる。
(・・・いける。)
傷口から血が流れている。だが、アドレナリンが仕事をしてくれているのか、痛みはさほど無い。血が出てしまっている事で体は弱っていくはずだと思うのだが、不思議とそんな事もなく、むしろ体は絶好調と言って良い。
狼の頭だけが吹っ飛んだのはさすがに驚いたが、この全身から力が溢れ出る感じが疑問を無くしてくれる。
今なら、木の幹も素手で折る事が出来るのではないだろうか。そう思わせる位の絶好調な状態だった。
「ワオォォォォン!!!」
この戦いが始まる時にやったように、再び遠吠えをした。
―――狼が駆ける。
赤い目の残像が線の様になってこちらに向かってくる。
狼の攻撃は基本的に足などをまず攻撃していた。恐らく行動力をなくす為だろう。今の俺は足を噛まれ、そして狼に正面きって構えているので、足を攻撃するのはあまり無いだろう。
確実に殺しにくるなら恐らく首元だろう。腹や腕なども噛まれる事があったが、前回の事も踏まえると、可能性が高いのは上半身、主に首付近だ。
(さっきと同じだ。奴がジャンプしたタイミングに、右を合わせる。)
先程の攻撃も、読みが完璧にハマっていた。その成功体験により、今回もそうなると確信していた。
――――しかし、
(ジャンプしな――――ぐっ!)
さっきの狼がジャンプした距離で、コイツはジャンプしなかった。
むしろ加速し、懐まで距離を縮めて、俺の腹に向かって全力で頭突きを叩き込んで来やがった。
こんな攻撃は初めてだった。
数少ない狼に襲われた経験だが、基本的に牙を使った噛み付きが攻撃だった。なので今回もそうだと思ったが、全然予想と違う動きをされた。
何もかもが予想と違う攻撃をされた事で、一瞬だが完全に固まってしまった。
吹っ飛ばされて起き上がろうとした時、腹部に痛みが走る。
「~~~~~~ッ!」
ズキーンという、長く、芯に刺さる様な痛み。
まるで傷口を引っ叩かれた時に感じる時の様な、悶絶するタイプの痛みが全身に響き、苦痛で顔が歪む。
そういう痛みの時、なぜ人は体を丸める様な行動をするのだろうか。
そのせいで、一瞬だが狼から目を離してしまう。
直ぐに顔を上げるが、そこにはもう狼は存在しなかった。
(どこだ――――いやっ!)
これは知っている、さっきと同じだ。そう思い、これまでの経験から反射的に左を見る。
―――しかし、居ない。
首から痛みが走る。
経験から来る有利で、最善の選択をしたと思ったが間違っていた。生死を掛けた2択で負けてしまった事で、相当な代償を払う事になる。
「―――くそっ!」
致命傷だけは避けて戦おうと思っていたのに、結局避けられなかった。
狼と戦うと決めた時から、無傷で済むとは思っていなかった。だから、最低でも首付近は守ろうと思っていたが、戦闘経験が無い俺には難しいミッションだった。
ここから先は、生きて村に帰れる可能性が極端に低くなる。
痛みを我慢して狼の体毛を握る。攻撃は至ってシンプル。
「うぐ、うぐ、うらぁ!」
思いっきり拳を振るう。ドスッドスッドスッ!と狼の腹部を右手で殴り続ける。衰弱していたあの時とは違い、1発1発に力が乗っている。
狼はダメージに耐えられなくなり、離れようとするが、今はピンチでありチャンスだ。素早い狼が再び距離を取って、またさっきの様に2択をする位だったら、このまま首を噛まれたままでも密着していた方がマシだ。
絶対に体毛を掴んで逃がさない。
お互いに血を流しながら乱闘になり、振り下ろした拳に、狼の頭部がグシャリと潰れる。
血が飛び散り、先ほどまで血走っていた赤い目は虚空を見つめていた。体もピタリと止まり、まだ温かい血液を手に感じる。
「はあ、はあ、はあ・・・。」
拳に生暖かい血が滴る。
「バティル君!」
「・・・あ、ああ、レイナ。」
「止血しないと!」
レイナが俺に駆け寄り、首の傷を見てギョッとした顔になる。
「どうしよう、どうしよう・・・。」
困惑している顔を見ている。
もしかして結構やばいのだろうか。脳内麻薬の所為であまりヤバいという痛みではないのだが、確かによく見たら下に流れていく血の量が多い気がする。
(こりゃあ、痛み分けになるかもな・・・・。)
ひどい状況なのに、頭は賢者モードの様に落ち着いている。
おそらく俺は助からない。こんな暗い森の中だ、救助も来ないと考えた方が良いだろう。12歳の子に、この森の生活は大変だろうが、生き延びるコツとかを教えておいた方が良いだろう。
「レイナ、俺はもう無理だ。だから森での生活――――」
「無理じゃない、無理じゃないよ! 何言ってるの、バティル君は生きるの! 生きて村に帰るの!」
俺の言葉を無視し、レイナは大粒の涙を流しながら傷口を上着の布で塞いでいる。
「嫌だ、嫌だよ・・・。こんな終わり方、嫌だよぉ・・・。」
「・・・。」
こんな時に感じる感情ではないのだろうが、泣いているレイナを見て、俺は嬉しさを感じていた。
この世界に来て1ヶ月程しか経っていないが、俺のためにこんなに泣いてくれる人がいるんだな。そう思うと嬉しさが込み上げてくる。
(前世では、誰も泣いてくれなかっただろうからなぁ・・・。)
誰も俺を見てはくれていなかった。見てくれていると思っていた人も、中学の時に俺を置いて出て行った。
そんな経験をしているからだろう。
今にも死にそうな状態なのに、非常識だろうが何か報われた気持ちになっている。
「ありがとう。そう言ってもら――――」
感謝の言葉を言い終わる前に、茂みの方から物音がした。
救助が来たのかと思い、視線を音のした方向に向けると、大きな黒い影と赤い球が見えた。
黒い影はゆっくりと茂みから出て、その姿を月光の元へ晒す。
―――狼だ。
しかし、今までの狼とは明らかに違っていた。
今までの狼とはサイズが違いすぎる。
これまで出会っていた狼達は、大型犬くらいのサイズだったのに対し、目の前にいる狼は俺が見上げる形になっている。
1m、いやそれ以上は在ろうかというサイズをしている。地面に付いた足から肩までで、すでに俺の身長を超えている。全長で考えたらどうなってしまうんだ。
何かの間違いだと現実逃避をしたくなる。
そんな俺の気持ちを理解する訳も無く、群れのボスであろう狼は、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでくる。
「ワオォォォォォォォォォォン!!」
死に掛けの状態で、第2ラウンドが始まる。
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