3 楽しくなかった。
前回のあらすじ
先輩に頼まれて、擬似カップルをすることになった二人は水族館でデートすることになった。
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デート当日、土曜日の昼過ぎ。待ち合わせ場所に指定していた海の見えるベンチの近くに俺は立った。約束の時間の5分前。完璧な時間だな。いや、実際には20分も前に着いていたんだけど、その間にトイレで髪を整えたり、ウロウロしたりしていた。焦って早く来すぎた。
てか、先輩来れないってまじか……。
それは昨夜のことだった。突然、「明日、仕事が入って行けない! 本当にごめん!」という短いラインが先輩から届いた。申し訳なさが端的に伝わってきた。仕事なら仕方がない。
そもそも、このデートは先輩が企画したもの。デートの理由である先輩が来れないとなると、日を改めたほうが良い気もした。しかし、先輩曰く「後でどんなことをしたか教えてくれたらそれでいい」とのことだった。
俺としては、二人っきりでデートに行ける方が気持ち的に楽だ。
やっぱり、デートを人に見られるのは恥ずかしいからな。
好きという気持ちがなければ、デートの光景を見られることも気にしないだろう。しかし、その気持ちがあると、誰かに見られていると思うだけで顔から火が出そうになる。
「お待たせしました。待ちましたよね?」
背後から声をかけられて思わず肩が跳ねた。しかし、それがいつもの琴音の声だと気づくとほっとした。ただ、二人きりの時の声色とは違い、猫をかぶったような声だったことに違和感を覚えた。
心の準備もせずに彼女の方を向いてしまった。せめて心の準備の一つや二つでもしていれば、一言くらい何かを言うことができただろうに。
「っ!」
シンプルな白いブラウスと膝下までの淡いピンクのフレアスカート。小さなショルダーバッグを肩にかけるその姿は、可愛らしくまとまっている。ご自慢のブロンドヘアは軽くウェーブがかかっていて、普段とはいっそう違う雰囲気を纏っている。
その姿に見惚れ、声も出すことができない。
「ど、どうですか……?」
いつもの威勢などなく、緊張しているような言葉。俺からどんな感想が返ってくるのか心配なのか、上目遣いのその瞳は潤んでいた。
「に、似合ってるな」
直視できず、目を逸らしながら言葉を返す。ヘタレでごめん。それでも、琴音の表情は緩まった。安心してくれた、か。
「それで、先輩はどこにいるのですか……?」
「え?」
「はい?」
琴音は目をぱちくりさせて、首を傾げる。いや、ほんとかわいすぎるから。
「今日は来れないとかラインが」
「それは、また、どうしてなのですか?」
「仕事だってよ」
スマホの画面を開き、琴音に見せる。スマホを覗き込むようにして距離を詰めてきた琴音から、柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。気合いが入っていて、本当にお美しいことですね! もう、いっそのこと逃げ出したいよ! 心臓もたないって!
「ああ……なるほど……」
顎のあたりに右手を当てて、琴音は頭を悩ませ始めた。
「そうすると、日を改めた方がいいのではないですか? 豊田先輩が企画したことですし」
「俺もそう言ったんだが、後からどんなことをしたかを教えてくれれば、それで良いと」
琴音はうーんと悩む素振りを見せるが、しばらくすると納得したようにこくりと頷いた。
「だったら、猫かぶる必要もないですね」
「猫かぶりしてる自覚はあったんですね」
「当たり前ですね」
「女神様は
「そんな完璧な人いないと思いますけど。いたら怖いぐらい」
俺はあなたのかわり様が怖いですよ。
「まぁ、もうそろそろ行くか」
ずっと日に当たっていたから、ずいぶんと暑くなっていた。六月とはいえ、やっぱり暑い。
「そうですね。暑いですし、行きましょうか」
そう言うと琴音は右手を差し出してきた。まじですか。流石に、これが意味するところはわかる。そこまで鈍感じゃない。恐る恐る、高鳴る鼓動を抑えながら、彼女の手を握り返す。
「ちゃんとエスコート、してくださいね」
琴音が柔らかな微笑みを向けてくる。
「お、おう」
高鳴りすぎてうるさいほどの心臓の音が琴音に伝わらないように。今はそう願うだけで精一杯だった。
♢♢♢
水族館内に入って、俺たちはいろいろなところを見て回った。
「次はあそこに行こうか」
「そうしましょう」
そう言って、ベールガは見に行ったし、
♢♢♢
「私、イルカショーが見たいです」
「次の時間は、14時半から」
事前に調べておいたイルカショーも見に行った。
♢♢♢
「イルカショー。面白かったです」
「ならよかった」
「水をかけられそうになった時は驚きました」
「そうだな」
♢♢♢
それなりに楽しめるルート、計画のはずだった。しかし、何かが違う。何かがおかしい。どうしてだ。楽しくない。
夕陽が傾き始める頃、俺たちは水族館をほとんど回り切っていた。琴音がお手洗いで席を外している中、俺は近くのベンチで悠々と泳ぐウミガメを見ながら頭を抱えていた。
想像していたデートと、今日のデートは何かが違った。
別に琴音と会話が続かなかったわけではないし、琴音によって感情が動かされることがなかったわけでもない。しかし、決定的に楽しくなかった。
恋人関係より、友達の方が楽しかったってどういうことだよ……。好き、恋。そういう類だと思っていたこの感情はなんだったのだろうか。この感情はもはや偽物だったんじゃないかとすら思えてくる。
俺は、琴音のことを好きじゃなかった?
そんな仮説が立った。立ってしまった。
「お待たせしました」
聞き覚えのある声に陽斗ははっと顔を上げた。
「少し、顔色が悪いですか?」
「いや、気のせいだろう」
いつもよりも俺のことを気にしてくれているのか。顔には出してないはずの感情が、些細な変化が読み取られた。
「気のせいなら、いいのですけど」
「これからどうする?」
時刻は大体18時。ご飯を食べるには少し早い時間だった。
「そうですね。このまま解散でもいい気もしますね。ただ、もう一度、ペンギンさんを見ておきたいです」
「じゃあ、ペンギンを見に行ったら解散にしようか」
「はい」
心に引っかかった違和感を感じながらも、琴音の横に並んだ。ペンギンを見ている間の琴音の表情は心なしか、一回目に見た時よりも曇っているような気がした。
♢♢♢
「では、解散にしましょうか」
水族館の出口から出て、海の見える広場で俺たちは二人並んでいた。
「帰りは、別々でどうでしょう?一緒に帰るというのもなんだか」
「賛成だ」
今はとりあえず一人でいたい。きっと琴音も同じなのだろう。
「俺はしばらくここにいる」
「では、お言葉に甘えて先に帰らせていただきます」
お別れの挨拶だけをして、琴音はそそくさと帰路に着いてしまった。そんな琴音を見届けて、俺は何の感情も抱けなかった。普段だったら、行っちゃったとか、寂しいなとか思うんだろうに。
「俺、本当に
自分で発した言葉は寂しいようで、妙に納得できた。
夕日に照らされる観測船がやけに印象的だった。
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