18 過去③
あの三人組が去った後、ぽろぽろと泣く琴音を人気のないベンチまで移動させ、座らせる。奥まったこのスペースに顔を出す者はほとんどいない。穴場のようなスポットだ。
少し経って、琴音は落ち着きを取り戻したようだった。目の前でベンチに座った彼女の目元は赤く染まっていた。
座った琴音を俺は立って正面から見ている。だから、赤に染まっているような気がする琴音の耳は髪に隠れて見えない。
「ごめん……」
「謝るなって」
渡した紫色のハンカチで再度目の当たりをポンポンと叩いて、琴音はこちらを向く。恥じらいに似た表情を琴音は浮かべている。
「ありがとうって、言うべきなのかな」
はにかんだ笑顔を見せられて、俺はたじろぐ。
「ま、まぁ、元気になってくれて何よりだ」
琴音から目を逸らしつつ、俺はそう言う。
「ねぇ。陽斗くん。どうしてあんなことしたの?」
「あんなことって?」
「あの人たちに、刃向かったこと」
普段よりもワントーン落ちた声。真剣さが伝ってくる。
「琴音が嫌がらせを受けているのが、気に食わなかった」
「でも、私が我慢すればすぐ終わったのに……。覚えてろよって、言ってたし、陽斗に何かあったら……」
心配されている。その事実だけで、ほっこりしてしまいそうな俺は、ダメだな。
「琴音が我慢するなんてこと、あっちゃいけない。優等生が、そんなことで我慢させられるなんて、ふざけんなって感じだ」
「そんなに、優等生じゃないよ?」
「だとしてもだ。琴音が傷つくのは見たくない。俺にとって、大切な幼馴染なんだ」
そう言い切ると、琴音は頬を朱にぱっと染めた。ぷいっと、視線を逸らし自分の手を使って、パタパタと仰ぐ。
「大丈夫か?」
先ほどの三人組の三人を思い出してしまって、感情が昂っているのだとしたら、心配だ。
「陽斗のせいだからね」
「は?」
意味もわからず、思わず声を漏らした。
「バカ」
「えぇ?」
意味もわからず送られた罵倒に、陽斗はただ困惑することしかできなかった。
置いてきた本を買って、琴音用のお菓子を奢って、その日は帰路に着いた。色々とあったものの、楽しい放課後であった。とくに、あの三人のことさえなければ。
琴音の内面を覗いてしまったような日だった。
♢♢♢
だが、楽しかったのはその日だけだ。次の日からは、地獄が待っていた。
「あれ、スリッパない……」
朝、登校すると下駄箱に入っているはずのスリッパが見つからない。
(まぁ、そういうこと以外にないよな……)
わざわざ違うクラスだというのに律儀なことだ。俺のクラスと出席番号を調べて、これを実行したであろう、三人組の顔が浮かぶ。
(もうちょっと、自分たちがやったってわからないようにやれよ……)
スリッパは探すことを諦め、教室にあるであろう体育館シューズを使うことにし、靴を置いていった。
その後の一週間、嫌がらせが続いた。実害がないわけではないが、スリッパなどもゴミ箱に捨てられているなんてことは今のところない。だから、そこまで危惧するようなことではなかったのだが。一週間経って、事件が起きてしまった。
「ねぇ、陽斗。何かされているんでしょ?」
「えっ?」
咄嗟の質問に、陽斗はろくな返しもできない。
今日は俺の部活もないので、琴音と一緒に帰ることにしていた。大通りの歩道を二人で並んで歩いていると、琴音は突然に質問をしてきたのだ。
「スリッパ。小さくなっちゃって履けなくなったって言ってたけど、そんなわけないでしょ。それに、最近よくないウワサも耳にするし……」
「ウワサ?」
「女子トイレを盗撮したって」
「何というウワサ……。本当だったら、犯罪じゃないか」
怒りなんて通り越して、呆れるしかないウワサの内容に俺は苦笑を浮かべる。
「何よりも、私への嫌がらせが減ったんだよ? ということは、誰かにあの人たちの矛先が向いたってことになって。それでパッと思いつく人物は陽斗しかいないというか……」
後ろめたそうにする琴音に、俺はどうしていいのかもわからず、素直に嫌がらせを受けていると認めてしまった。
「やっぱり……」
大したことではなかったから、少なくとも琴音には黙って言おうと思っていたのだが。
「私のせいだ。ごめん」
きゅっと琴音は胸の前で右手を握った。
「琴音のせいじゃないよ。琴音が気にすることじゃない」
「私のせいじゃなくても、私が気にすることだよ」
きっと、いくら自分のせいじゃないと言っても、彼女はきっと自分を責め続けるだろう。自責をやめさせることができれば、よかったのだが……。
「あの人たち、絶対許せない」
ぽろっと漏れたその言葉には、琴音にしては珍しく怒りの感情が含まれていた。
♢♢♢
「兄さん。起きて」
遠くの方から響く声。だんだんと鮮明になってくる。
「兄さん。いい加減に起きて」
「うぃー」
覚醒まで程遠い脳は、適当な返事を返した。
「ちっ」
その舌打ちと同時に──
「うっぐぅっ」
腹部に強い衝撃を覚えた。
瞬間的に覚醒を余儀なくされて陽斗は、目に入った黒髪の少女を睨みつけた。
「こんな時間まで昼寝してる方が悪い」
時計を見ると、短針は六を指している。だいたい三時間ほど寝ていたらしい。貴重な土曜の時間を使ってしまった罪悪感を覚える。
昔の甘かった夢を見て、思わず笑みがこぼれる。
「これで、どうして俺は起こされたんだ?」
「ずっとソファを占領してたから。テレビ見たい」
「はいはい」
体を起こすと、隣にその少女は座る。
艶のある黒色のショートカットと左横に作られた三つ編みが特徴的な少女。三つ編みを止めるためのゴムには可愛らしいリボンが使われている。一ノ瀬あかり。正真正銘、血のつながった妹だ。
「何の夢見てたの? いい夢だったんでしょ。兄さんの機嫌がいいもん」
「昔の夢だよ」
「じゃあ、お姉ちゃんの夢だ」
あかりは琴音のことを「お姉ちゃん」と呼ぶ。小さい頃から変わらない呼び名だ。
「相変わらず勘が鋭い」
なぜか陽斗の周りには、勘の鋭い人が多い。
「兄さんがわかりやすいから」
「俺側に理由があったのかよ……」
衝撃的な事実に触れ、陽斗はガックリと肩を落とす。
「お腹すいた」
そんな陽斗の事情は無視してあかりは、自分の欲求を振り撒く。
「何食べたい?」
「唐揚げ」
「んじゃ、食べに行こ」
「金ない」
「えー……」
「買い物に付き合ってくれるんだったら、考えてやらんでもない」
遠い学校に通う二人は、実家から離れ、二人暮らしをしている。本当は、一人暮らしをするつもりだったのに、あかりが私立中学を受験してついてきたのだ。
「仕方ない。着いていくよ」
本気で嫌なのだろう。あかりは、大きなため息をついた。
「そんなに嫌なら、諦めればいいのに」
「唐揚げを天秤にかけたら、勝てなかったのだから仕方がない」
買い物にさえ行かなければ、唐揚げを作らなくてよかったのに。
「準備しているから、待ってて」
テレビを消してあかりは事実にドタバタと入っていった。
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