5 まずいことになった。

「ねぇ、ねぇ、付き合ったというのは本当?」


 部室に入るや否や、桃色髪の少女が駆け寄ってきた。陽斗に。ではなくて、琴音に。だが。


「まぁ、はい。間違ってはいないですけど……」

「ついに、ついにか〜……」


 いかにも感慨深いと言った表情で、その少女は笑う。


「桜愛。何か勘違いをしていないか?」

「勘違いも何も、付き合ったんでしよ? 本当に見てて、歯痒かったからよかった……」


 マイペースな話し方の少女の名は伊剣桜愛いつるぎさくら。同じ文芸部に所属している一年生で、陽斗にとっても、琴音にとっても仲の良い友人であった。


「俺たちは、付き合ってるけど、付き合っているわけじゃない」

「えっと、それは、どういうこと?」


 わけもわからず、桜愛は首を傾げた。

 陽斗が事情を桜愛に話すと、彼女はそのピンク色の両眼を大きく見開いた。


「付き合っているふりって、二人とも──。はぁ、先輩も大変だねぇ……」


 桜愛は呆れたような表情でボツボツと何かを呟く。


「そう言えば、先輩たちは?」


 文芸部には三人の二年生と、三人の一年生が所属している。三年生は、すでに引退してしまっている。

 この部室のどこを見ても、佳乃を含めた三人の姿はない。


「部長は来られないと言ってたけど、東雲先輩はわからない。副部長はまた生徒会で忙しいらしいし」

「そうか」


 この部室には中央に机が六つ。三対三で向かい合うように並べられている。陽斗の定位置は、部屋の入り口から見て、右の奥端。陽斗はその席についた。

 琴音の席は、陽斗の隣。さらにその隣が桜愛の席であった。

 佳乃を待つこと数分。彼女が来てから、陽斗と琴音は水族館デートの話をした。佳乃はそれを興味深そうに、メモをとりながら聴いていた。

 デートの内容を話す時、少なくとも陽斗に羞恥心などは芽生えなかった。


  ♢♢♢


「いや〜! やっと、終わったぁ!」


 先生が回収したテストを数え終えると、途端にクラス中が騒がしくなる。

 陽斗の前の席に座る蒼空も、両手を天高く伸ばして、天井を仰いでいた。

 大袈裟な行動は取らなくとも、陽斗も中間テストという重荷が消えたことで、ほっと一安心していた。

 テストまでの二週間に陽斗と琴音の間での会話は必要な業務連絡しか行われなかった。それも、片手で数えるだけの回数しかしていない。佳乃との連絡も一度しか行われなかった。

 テスト前で部活がなく、必然的に会話をする回数も少なくなったことが原因であるだろう。だが、一番大きな理由は、お互いに不必要な接触を図らなくなったからだろう。

 今日、久しぶりに佳乃から陽斗への連絡があった。

 今回の佳乃の希望は、テスト終わりの制服デートであるらしい。具体的に何をすれば良いのか、陽斗にはさっぱりである。


(どうしたもんかな)


 と、その時。見覚えのある桃色髪の少女が教室に飛び入ってきた。


「そーちゃん」


 桜愛は、陽斗やクラスメイトの目の前で、蒼空に流れるように抱きついた。

 だが、取り分けて騒ぐものはいない。せいぜい、その光景を見て嫉妬の眼差しを二人へ向ける男子生徒が数名いるだけだ。


「バカップルめ」


 陽斗は小さく悪態をつく。


「仕方がないだろ。サクはテストで疲れているんだ」

「いつも適当な理由をつけてイチャついているだけじゃないか」

「はて、なんのことやら。わかるか? サク」

「桜愛、わからない」

「だよなー」

「キッ!」


 舌打ちをして、陽斗は甘ったるい二人から視線を逸らした。


「あ……」


 逸らした先には、ブロンドヘアの少女が、ブラウンの瞳をこっそりこちらへ向けていた。


「すまん。待たせている人がいる」

「えっ!?」

「っ!?」


 二人は目を大きく見開き、口をぽかんと大きく開けている。よく似た表情を二人はしていた。


(本当に、バカップルだな。ちくしょう)


「陽斗。お前、彼女いたのかよ」

「私、教えてもらってないよ?」

「なぜ、女子限定」

「男なのか?」

「……いや」

「ほらな」


 いかにも信じられないと言った表情を続ける二人。陽斗はそんな二人に。というか、桜愛に呆れていた。


「そもそも、桜愛は知っているだろ?」

「え、私?」


 意味がわからないと言いたげに桜愛は、そのピンク色の瞳をぱちくりと。


「あぁ……。なるほど……」


 陽斗が説明する前に、桜愛はそれを思い出した。と、その時途端に嫌な予感がした。というのも、桜愛は見た目こそいいが、中身は無自覚ド天然残念系少女だ。


「陽斗と琴音が付き合ったっていう」

「っ、おい……」

「あっ……」


 口止めをしなかった陽斗も陽斗である。それを理解してか、陽斗はただ頭を抱えるしかなかった。

 桜愛の爆弾発言から数秒後。教室内がテストが終わった時以上に騒がしくなった。


「お、おい。陽斗。どういうことだよ……?」


 引き攣った表情をこちらに向けてくる蒼空。だが、それ以上に陽斗には、嫉妬と殺意の眼差しが向けられていた。

 それもそのはず。琴音は、学校の「女神様」なのだから。今まで男との関係を築いてこなかった琴音が急に付き合ったなんて、誰が信じられようか。

 それも、仲の良いどころか、悪いとさえ見えたあの二人が付き合ったなんて聞けば、驚かない人はいない。


「一ノ瀬! どういうことだよ!!」

「おーい、陽斗―!」

「女神様と付き合うがなんだってー?」


 外野の声がうるさくなってくる。主に男子が。女神様を狙っていたであろう人間や、面白そうだとからかってくる人間。彼らに様々な思惑はあれど、一律に彼らの誤解を解くことは不可能だろう。


「行くぞ、結城」


 陽斗は、さっさと荷物を肩にかけ、琴音の近くまで早足に移動し、そのまま帰宅の準備を整えた彼女の手を握った。


「えっ」


 そして、琴音の手を引いて陽斗は教室を後にしようとする。

 突然の陽斗の行動に、教室内は大盛り上がりを見せた。


「ど、どういうことなんだよっ! 陽斗」

「桜愛から説明してもらってくれ!」


 混乱する蒼空にそれだけを説明して、陽斗は廊下に出てしまった。


「まずいことになったな」

「そうですね。あんな大胆なことをしたら、余計に勘違いが進みます」

「それは、ほんとに、すまん」


 昇降口を目指し、二人は横並びに歩く。隣を歩く琴音は、陽斗に対し大きなため息をついた。

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