3 好きじゃなかった。
デート当日、土曜日。陽斗は五分前に待ち合わせ場所の駅前に着いた。
(先輩来れないってまじか……)
それは昨日のメールでのこと。
唐突に、『明日、仕事が入って行けないっ! ごめん。本当にごめん!』とだけの短いメール。端的に言いたいことと、申し訳なさが伝わって来たし、陽斗としても佳乃にどうこう言うつもりはなかった。
そもそも、このデートは佳乃が企画したもの。デートする理由である彼女が来れないとなると日を改めたほうが良い気もした。だが、佳乃曰く『後でどんなことをしたか教えてくれたらそれでいい』とのことらしいので、実行することにした。
陽斗としては、二人ってきりでデートに行ける方が気持ち的にも楽であったのだが。
(やっぱり、デートを人に見られるのは、恥ずかしいもんな)
好きと言う気持ちのカケラもなければ、人にデートの光景を見られるのも気にしないだろう。だが、その気持ちがあるとなると別だ。
誰かに見られていると思うと、顔から火が出そうになるくらいは恥ずかしい。
「お待たせしました。待ちましたよね?」
いつもの彼女の声。だが、猫を被った声であった。
心の準備もせず、彼女の方を向く──向いてしまった。せめて心の準備の一つや二つぐらいしていれば、一言ぐらいは何かを言うことができただろう。
心の準備をしていなかった陽斗からしてみれば、幼馴染の私服姿は毒以外の何者でもない。
「っ!」
彼女の私服は、ベージュを主に使ったロングスカートワンピースで、七分丈の袖は白色。腰は絞られ、スタイルのいい琴音の魅力を増幅させていた。彼女のブロンド髪とマッチした色合いというのもあって、そのワンピースは琴音のために作られたと思えるほどよく似合っていた。
「ど、どうですか……?」
いつもの威勢などはなく、緊張しているような言葉。陽斗からどんな感想が返ってくるのかという心配のためか、その瞳は潤んでいた。
「に、似合ってるな」
直視できず、目を逸らしながら陽斗は言葉を返す。たったこれだけしか返事ができなかったことを悔やみつつ、胸の高鳴りをと落ち着かせようと一度深呼吸をした。
「それで、先輩はどこにいるのですか……?」
「え?」
「はい?」
「今日は、来れないとメールが」
「それは、また、どうしてなのですか?」
「仕事だってよ」
「ああ……なるほど……」
顎のあたりに右手を当てて、琴音は頭を悩ませ始めた。
「そうすると、日を改めた方がいいのではないですか? 東雲先輩が企画したことですし」
「俺もそう言ったんだが、後からどんなことをしたかを教えてくれれば、それで良いと」
納得したかのように琴音は大きくこっくりと頷いた。
「だったら、猫被る必要もないですね」
「猫かぶってるって自覚してたのかよ」
「当たり前でしょう?」
「女神様は
「そんな完璧な人、いないですよ」
陽斗は天を仰いだ。
「でも、あれじゃないか?」
「あれ?」
琴音から懐疑的な目線が送られてくる。
「先輩は、女神モードの琴音の性格を求めて、お願いをしたんだとしたら、猫を被らないと、ダメなんじゃないか?」
「まぁ、言われてみれば確かにそうかもですね」
「俺としては、どっちでもいいのだけれど」
正直な話、陽斗からしてみれば、女神様モードじゃない琴音の方が好きだった。確かに、女神様モードの琴音の方が、可愛げがある。それでも、普段見せてくれない自分を見せてくれる。という意味で、女神様モードじゃない琴音の方が好きであった。ただ、当たりが弱ければ、もっとよかったのだが。
(昔はこんなに強くなかったんだけどな)
「なら、東雲先輩の希望通りにならないとですね」
琴音の猫被りした声に戻って、語気がおとなしくなった。
「はいはい。とりあえず、行くぞ。琴音」
「はい。ちゃんと、エスコート。してくださいね」
「──言われなくとも」
不意に琴音のその笑顔にドキリとしてしまった。
♢♢♢
水族館内に入って、二人はいろいろなところを回っていた。
「次は、あそこに行こうか」
「そうしましょう」
(何か違う)
♢♢♢
「私、イルカショーが見たいです」
「次の時間は、十三時からだね」
「かなり、時間が空いていますね」
「先にご飯でも食べておこうか」
(何か違う)
♢♢♢
「イルカショー。面白かったです」
「ならよかった」
「水をかけられそうになった時は驚きました」
「そうだな」
(何か違う)
♢♢♢
(何かが違う。何かがおかしい。どうしてだ。
夕陽が傾き始める頃。陽斗と琴音は、水族館をほとんど回り切っていた。琴音が、お手洗いで席を外している最中、陽斗は待合の椅子で、頭を抱えていた。
想像していたデートと、今日のデートは何かが違った。
琴音と会話が続かなかったわけではない。琴音によって、感情が動かされることがなかったわけではない。
だが、決定的に楽しくなかったのだ。友だちとしてやっていた普段の生活のほうが断然楽しかった。あえて恋人となって、デートした今日という日は、過去一番につまらない一日だった。
(どうしてだよ……)
好きだと思っていた、この感情は何なのだろうか。異性として彼女のことを好いていたからこそ、抱けていた彼女への想いというのは、偽物だったのか。
(俺は、琴音のことを好きじゃなかった?)
そんな仮説が、立った。立ってしまった。
「お待たせしました」
聞き覚えのある声に陽斗は、顔を上げた。
「少し、顔色が悪いですか?」
「いや、気のせいだろう」
いつもよりも、陽斗ことを気にしてくれているのか、琴音は陽斗の小さな違いを読み取った。
「気のせいなら、いいのですけど」
「これから、どうする? もう、時間も遅いけど」
「そうですね。このまま、解散。でも、いい気もしますね。ただ、もう一度、ペンギンさんを見ておきたいです」
「じゃあ、ペンギンを見に行ったら解散にしようか」
「はい」
心に引っかかった違和感を感じながらも、琴音の横に立って、ペンギン水槽までの道のりを歩き始めた。
ペンギンを見ている間の、琴音の表情は心なしか、ペンギンを一回目に見た時よりも曇っているような気がした。
♢♢♢
「では、解散にしましょう」
琴音は猫を捨て去り、声から可愛げがなくなった。
水族館の出口から出て、大きな広場で二人は立って話していた。
「帰りは、別々でどうでしょう? 一緒に帰るというのもなんだか」
「賛成だ。お前と初めて、意見が一致したような気がする」
今までも意見が一致したことはないわけではないが、今はこれが初めてのように感じた。それだけ、深く同意できたのだ。
「俺は、しばらくここにいる」
「では、お言葉に甘えて先に帰らせていただきます」
お別れの挨拶だけをして、琴音はそそくさと帰路に着いてしまった。
そんな琴音を見届けて、陽斗はなんの感情も抱かない。普段であれば、多少の寂しさが残るだろう。だが、今の陽斗はそんな感情を持ち合わせていない。
「俺、本当に
自分で発した言葉は、寂しいようで、妙に納得できた。真理をついているかのように感じた。
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