生きる意味
夜となり、人狼は再び兵士たちを殺戮した山道へと訪れた。
腹が減っていたからだ。
残された死体の中から、食すに値する肉を探し出す。
だがその時、血なまぐさい臭いに紛れて生きた人間の臭いがした。
臭いの元まで辿っていくと、そこには生贄を名乗るあの娘の姿があった。
娘は荷台の上で、所在無げに足をブラブラとさせている。
「おい! 俺はこの森から失せろと言ったはずだぞ! 何故まだここにいる?」
「私に行く宛てなどありませんから」
娘は相変わらず生気のない目で人狼を見上げた。恐れの感情すらない。
この場に異形の者がいることさえ気にかけていない様子だった。
「おい、貴様は俺のことが怖くないのか?」
「はい、怖くなどありません。私はあなたに喰われるために、ずっとここで待っていましたから」
娘は平然とした声で言う。
人狼はますます訝しんだ。
「貴様は王から、俺を王国まで連行するために、餌として遣わされたといっていたな? だがこの通り俺を王国へ連れて行くはずの兵士どもは全滅した。よって俺が王のまやかしの呪術の贄となることもない。それなのに、何故貴様は王の命令に固執する?」
顔を伏せ、娘は押し黙る。何かを思いあぐねているようだった。
人狼は不可解な娘の態度に、どこか苛立ちを覚える。
「貴様は王に忠誠でも誓っているのか?」
「いえ」
「なら貴様は王のことを愛しているのか?」
「いえ」
「......わからんな。なら貴様は何のために俺に喰われようとしている? 忠誠も愛もない男の命令に、どうして従おうとしている? こんな果たす意義など失った王命にだ。もしや貴様は、自分の命を断ちたいと望んでいるのか?」
「いえ、それも違います」
娘は人狼の問いかけを静かに否定する。
「ならば答えるがいい。貴様は何故俺に喰われたいと願う? 一体貴様の目的は何なのだ?」
「――私は」
娘は顔を上げ、人狼をじっと見据える。
「私は、王命を果たすことで、自分の生きる意味を見出したいのです」
一瞬、静寂が走った。血と肉の腐臭が立ち込める山の中、人狼はピタリと動きを止める。
そして、
「ふははは! ふははは!」
大いに人狼は笑ったのだった。
「『生きる意味』だと! 忠誠も愛もない男の命令に従うことで、貴様の『生きる意味』とやらが達成できるのか!? ふははは! ふははは! 貴様の言っていることは滅茶苦茶だ! 貴様が俺に喰われたとて、貴様の存在意義が証明されたことにはならんだろう!!」
人狼は腹を抱えて笑い飛ばした。これほど笑ったのは何百年ぶりだろう。
だがそんな人狼の愚弄を見ると、娘の目が鋭くなった。
「――だったら」
娘は静かに怒りを籠めて口を開く。
「だったらあなたは何百年もの間、何の意味があって生きてきたのですか?」
その言葉の途端、人狼は嘲笑を止めた。心臓に矢を射貫かれたような痛みが走る。
「あなたはずっと人を殺し続け、何百年という時を生き永らえた。ですがそれに何の意味があったのですか? 人であることを捨て、獣として生きることを余儀なくされたあなたに。あなたは私を嘲られるほどの生を、歩んできたと言えるのですか?」
人狼は娘の言葉に言い返すことができなかった。
そして己の過去を思い返す。
村を滅ぼした後、俺はどんな生き方をしてきた?
人間を喰らい、糞尿を垂らし、次の獲物を待つために眠りにつく。
それをただ繰り返して、それ以外のことは何もしなかった。
俺は何故生きている?
そんな問いなど、この何百年もの間考えたこともなかった。
いや違う。
俺はその疑問を持つことをずっと避け続けてきたのだ。
それを考えたら自我が壊れ、永遠に苦しみを味わうことになる。
化け物となった俺に、今更生きる意味など見つけられるはずもなかったから。
「......失せろ小娘。さもなくば喰らうぞ」
「答えから逃げるのですか?」
人狼の脅しに、毅然として娘は言い返す。
その瞳は真っすぐで、強い意志を秘めていた。
人狼はその眼差しに耐えきれず、思わず背を向けて立ち去ろうとする。
「待ってください!」
だが娘は大声で呼び止めた。
人狼はピタリと歩みを止める。
娘の顔を直視することができなかった。
「......私を連れて行ってください。あの伝承の村に」
娘は唐突に不可解な望みを口にする。
人狼は驚き、
娘の顔は真剣であり、何か決意を固めていた。
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