生贄の少女

 数分後、その怪物は自らが殺戮した血まみれの山道へと戻っていた。

怪物は腹が減っている。

またどこかに、自分が食せるものがないものかと死体の群れを物色していた。


(女がいい。若くて腐敗物が身体に溜まっていない女だ)


 怪物は辺りを見渡す。すると戦闘を行った場所から少し離れた場所に、荷台をつけられた馬車があった。

怪物は大きな黒い二本の両足で、のそりのそりと歩きながら馬車へと近づく。


 すると荷台には2つの檻が乗せられていた。一つは人間の2倍ほどの高さがある巨大な檻であり、中は空だった。どうやら先ほどの人間どもは、俺を生け捕りにするつもりだったらしい、と怪物は推察する。

そしてもう一つは――


(人間の女だ!)


 隣にある小さな檻の中には、少女が閉じ込められていた。14ばかりの、肌艶の良い、程よく肉のついた上等な娘だった。


 怪物は歓喜した。久しぶりに美味い食事にありつける。

檻をこじ開け、その娘を中から引きずり出す。

右手に娘の華奢な体を握りしめ、そのまま怪物は獰猛な口を開こうとした。


 だがその時、ふいに怪物は不審を感じ取る。

その娘は今まさに己が喰われようとしているというのに、まるで恐怖を感じていない様子だったのだ。


「おい!」


 顔を引っこめて、怪物は乱暴に呼びかける。

だが娘の表情はピクリとも動かなかった。


「おい貴様! 何故俺を恐れぬ? 貴様は眼が見えていないのか?」


「いえ、見えています。あなたが先ほど美味しそうに兵士たちを喰らっていた所も」


 娘は平坦な声で答える。その瞳には、まるで生気が宿っていなかった。


「それがわかってなお、貴様はなぜ平然とした面構えをしていられる? 貴様は死ぬことが怖くないのか?」


「はい、私は所詮生贄の身ですから」


 握りしめられたまま娘は答える。これだけ力を加えているというのに、まるで痛がる素振りも見せない。


「生贄だと?」


「はい、私はあなたへの捧げ物として王国より遣わされました。王国へあなたを連行する道中、あなたが飢えて死なないために。私は最初から死ぬつもりでこのキャラバンに加わることを王に命ぜられました」


 涼しげに話す娘に、怪物は不気味さを感じた。


「その王とやらは、何故そんな命令を貴様に下した? 俺を捕らえてどうするつもりなのだ?」


「はい、老王は今重い病に侵されており、その寿命が尽きようとしています。だから魂喰たまくらいの儀式をすることで、その命を生き永らえさせようとしているのです」


 魂喰らいの儀式。その言葉には怪物にも聞き覚えがあった。何でも生命力の強い生き物の生き血を啜ることで、人間の寿命を伸ばすことができると言われる呪術らしい。


「......くだらんな。そんな迷信に縋っても、人間の寿命など変わるはずがない。貴様の死に損ないの王とは、とんだ愚か者の爺だな」


 怪物は失笑する。人間の欲深い業とは、例え王になろうとも鎮まることがないようだ。

だがそんなせせら笑う怪物に、娘は真剣な声で否定する。


「いえ、私は迷信だとは思えません。現にあなたは、かつて人でありながら何百年もの時を生きてきた人狼なのですから」


 怪物はハタと笑い声を止める。思わず娘を握っていた右手の力を緩めた。


「何故俺が元は人間だと知っている?」」


「王国の伝承を聞きました。遥か遠くにある辺境の森の中で、かつて小さな村があったのだと。ですがその村人の一人が突然人狼となり、一人残らず喰い殺した。その後彼は道を行き交う人々を襲っては喰らい続け、悠久の時を生き永らえたのだと」


 娘は怪物の眼をじっと見上げた。


「あなたなのでしょう? 『百万喰らいの永遠の狼よろずぐらいのとわのおおかみ』とは。あなたはこの森の中でずっと彷徨い続け、大勢の人を喰い殺してきた。あなたはどうして、化け物になってまで生き続けてきたのですか?」


 怪物は押し黙る。娘の問いに答えようとしない。

だがやがて握りしめていた右手の力を抜いた。

ドサリ、と娘は地面に尻もちをつく。


「......失せよ。欲深き人間の愚行に付き合って、貴様を喰らったとて詮無きことだ。さっさとこの森から消えるがいい」


 怪物は背を向けると、四つん這いになって駆け出した。血と肉の塊を蹴飛ばしながら姿を消していく。


 娘はただ、そんな伝説の怪物の後ろ姿をじっと見つめていた。

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