第二章 

第7話

ああ万歳水の王国 

民は幸せ極楽浄土

水をあやつる王のおかげ

だが白き悪魔が国を乗っ取り

封印されし我が一族

能の無き王

国は崩壊

我らの魂決して滅びぬ




「なにこれ。私の知ってるおとぎ話と全然違うわ。」

 

リアはこちらに向かって大声で叫んでいる。


図太いやつ。さっき実の母親の葬儀を自分の手で終わらせたってのに元気じゃねえか。まあ延々泣かれるよりはいいけど。


「そりゃあな。本物のおとぎ話の原本に隠されてた文だから。」


「へぇ。元のお話って確か、普通の家の男の子が水の妖怪と戦って王になる話よね。道中に出てくる人魚とか海藻が私好きだったなぁ。全然違うじゃない、よく分かったわね。」

 

リアはアルバートの渡した紙をじっと見ながら、あの家から持ってきた大きい黄土色のリュックサックの中を探り、取り出したパンをちぎって食べ始めた。


「まあな。ある人に教えてもらったんだ。これを見つけた瞬間、彼らの訴えが確かに聞こえたんだ。お前が王になれ、私達の国を取り戻してくれ、ってね。」

 

リアはふーん、と生返事をした。


「じゃあ目的地はこの人達が眠っている場所ってことでいいの?」


「ああ。でもはっきりとした場所がわからないから、とりあえず首都のヴィシュアに行こう。で、王様に会って話をする。」

 

アルバートは木の上から適当な方向を指差した。


「そんな簡単に王に会えるのかしら……何か考えはあるの?」


「まー任せとけって。」

 

そう言うとアルバートは得意の鼻歌を歌った。

 


ここからどうやって首都に向かおうか。あまり目立ちたくないし、このまま森の中を突っ切って進んで行こうか……いや、リアもいるし森の中は危険だ、南東に進んで草原地帯に一旦出よう。

 

アルバートは大きい木の上でアルバートは器用に体を寝かしながら地図を開き、そんなことを考えていた。

 



昨晩病院に忍び込み、見晴らしの良い高台まで母親をおぶって行き、そこで母親を埋葬した後、森の中を進んできた。

 

昨日の掃除婦から聞いた話では、あの病院はほとんど破綻しているらしい。公営なため一応存続してはいるが、夜になると医者も看護師も帰宅し患者はほったらかしにされる。

 

ここは要らない人間のゴミ箱だ、と彼女らは言っていた。精神患者だけでなく、身分の高い者が気に入らない人間をあそこに送ったりもするらしい。

 

全く腐りきっている。こんな世の中は変えないとだめだ。

 

昔の、極楽浄土だったというこの国だったら、こんな地獄のような空間は無かっただろう。

 

まあそのおかげで夜に難なく母親を連れ出せた訳だが。

 



雨の匂いがする。そろそろ降り出すのだろう。

 

アルバートは木の上から飛び降り、小川のそばにある、大きな平たい石に腰かけているリアのもとに駆け寄った。


「雨が降りそうだからもう少し進もう。川の傍は危ない……ってお前くさっ。」

 

リアとは距離があるはずなのにはっきりと異臭が漂ってくる。アルバートは反射的に鼻を覆った。


「あ、いや、ごめん。傷つけるつもりはないんだ。でもさ、お前死臭が染みついてるぞ。自分で気にならないの?」

 

リアは虚ろな目で遠くを見ている。


「え、そう? ごめん気づかなかった。うーん、何だかごはんも味がしないのよねぇ。どうしよう、明日までに調子良くなるかな……」

 

そう言いながら極限まで小さくちぎったパンを必要以上の咀嚼で食べている。

 

そりゃ味はしないだろ。

 

無理もないか。しかし辛いのなら表に出せばいいのに。声ばっかり明るくしやがって、余計に心配になるじゃないか。



「……あれでよかったのよね。誰にも許可を取らず勝手に連れ出しちゃったけど、お母さんはそれを望んでいたはずよね。……あんな寂しい部屋で医者にも看護師にもほったらかしにされて、死んでもほったらかしにされて、どれほど辛かっただろう……」

 

リアは虚ろな目のままパンを食べ続けている。アルバートはリアの後ろにある少し小さい石に座った。

 



昨晩、この地を出る前に母の供養をしたいとリアから言われたときに、いいのかと少し迷った。


供養するということは母の死という事実を正面から直視するということだ。死の温度や触感を感じるほどに彼女の心の傷は深くなるだろう。




そしてもう一つの懸念が、ほったらかしにされてはいたが一応病院の患者だ。勝手に連れ出すのは犯罪である。


もう俺は今更どうでもいいが、この子は今まで誠実に生きてきただろうに良かったのだろうか。


もちろん万が一捕まったりしたらリアの父親の権力を使ってもらうつもりだが、彼女の心の中の罪の意識が母親にだけでなく世間にも向くのではないだろうか。


真面目な彼女の心の重りが余計に増えたのではないだろうか。

 



アルバートは少し考えて、ゆっくりと言葉を整理しながら話し始めた。


「俺は君でも、君のお母さんでもないから、今の君の傷ついた心の痛さは分からないし、君のお母さんのことも分からないけど、はっきりとあの行動は間違ってなかったと思えるよ。お母さんの好きな見晴らしの良い風景と白い花に囲まれることができて、今は穏やかな気持ちで眠っているはずだ。」

 


病院から出て十分ほど歩いたところに海の見える、見晴らしの良い場所があった。

 

リアは毎月病院へ通う帰り道、あの場所に行っていたらしい。いつか母親と二人でこの景色を眺められると信じて。


 


しばらくの間、沈黙の時間が続いた。気まずくなって後ろを振り返ると、リアはシャツのボタンを外していた。


「ちょ、ちょっと何してんだよ。」


「何って、川で服と身体を洗おうかなって。雨が降るのなら急がなきゃ。」

 

開かれた彼女のシャツが肩をすべる。ウエーブの豊かな黒髪をかき分けうなじが覗く。そこにひとすじの黒髪がぺったりと張り付いている。


「いや、それならどっか行くから脱ぐ前に言ってよ。まったく、一昨日も思ったけど君は警戒心が無さすぎるんじゃないか。危ないよ、そういうの。」

 

するとリアはぴたっと手を止め、顔だけを動かし後ろに振り返った。


「大柄大足の色黒女でも?」

 

髪が彼女の顔を隠していて表情が分からない。


こんな冷たい声を聞いたのは初めてで、どう言っていいのか分からずうつむくと、腰にぶら下がっている巾着に気が付いた。


「あっそうだ。いいものがあったんだ。とりあえずリア、服を着たらこっちに来て。」

 

そう言ってアルバートは川から少し離れたところにある、大きな樹の下で幹に寄りかかりながらベルトループに結んでいる巾着を外し、膨らみの下側から中身を押し出した。


「これは何?」

 

アルバートに追いついたリアは彼の手の中を覗き込んだ。それはアルバートの両手に丁度収まる大きさで、色は白い半透明、形は丸っこい楕円形でぷにぷにとした感触だった。


「いいだろ。俺の相棒。ちょっとその辺に立ってて。俺の方を向いてね。」

 

リアは言われた通り、彼から少し離れた場所に向き直って立った。

 


するとアルバートの手の中の丸い物体はみるみると大きくなり、あっという間に人間と同じくらいの大きさにまで膨れあがった。縦長に成長した丸い物体はふわりと近づいてくると、大きなぽっかりと空いた穴を作り、そこからリアを丸ごと飲み込んだ。



「‼」

 


リアは驚き、一瞬そこから出ようともがいたが、不思議な居心地の良さに体が支配されすっと目を閉じた。

 


暖かく、柔らかく、心地が良い。ずっとこれに包まれていたかった。なんとなく、胎児ってこういうところにいるんだろうな、なんていうことを考えていた。

 


三秒ほど経つと飲み込まれたのとは反対側から穴が開いていき、リアは一歩も動くことなく丸い物体の外に出た。


「な、何だったの今の……あっ、凄い、服が綺麗になってる!」

 

リアはスカートを広げまじまじと見る。新品同様に、とまではいかないが、土や砂埃の汚れがすっかりと綺麗にとれた。


「便利でしょこいつ。服を着たまま入ると服も身体も洗ってくれて匂いもとれるんだよ。他にも傘になってくれたり、枕になってくれたりね。普段は腰の巾着の中に収納できるし。」

 

すっかり元の手のひらサイズに戻った丸い物体は、ふよふよと漂いアルバートの肩に着地した。


「かわいい……! あはは、ぷにぷにしてる。こんなに可愛いのにいろいろできてすごいねぇ。」

 

リアは丸い物体をなでて笑っている。元の彼女に戻ってきたようでアルバートは少しほっとした。辛そうにしている女を見るのは苦手なのだ。


「あ、ねえこの子名前はなんていうの? ごはんは何を食べるの? 食べるときだけさっきみたいに口が開くとか?」


「こいつ? 別に名前はないかな。何も言わなくても俺の考えを読み取って変形してくれるし。何かを食べたり喋ったりしたこともないな。」

 

するとさっきまで笑顔だったリアが眉間に皺を寄せ、


「そんな、相棒なんでしょ。名前が無いなんてひどいわ。うーんそうね、見た目がクラゲに似てるからクララなんてどう?」


と笑顔で言った。


うーむ名前か。考えたこともなかったな。


「いいんじゃない? いい響きだし。じゃークララ、改めて今日からよろしくな。」

 

そう言うとクララは微かに左右に揺れた。


「あっ絶対今笑ったよね⁉ ほらここの皺が細めた目みたいになってる。」

 

言われてみると表面のたわみがにっこりと笑った目のように見える。

 

ふーん、こいつに感情なんてあったのか。今まで気づかなくて悪いことしたのかもな。

 



ぽつ、と鼻先に雫が落ちる。

 

いつの間にか空は灰色に染まっており、てっぺんの葉は既に雨で洗われ始めていた。

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水の王国 三澄マチ @machi-mishumi7712

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