第6話


「なあ、これからどうするんだよ」

 

街の入り口付近に着くとアルバートは口を開いた。

 

どうって、わからないよ……

リアは考えていることを声に出来なかった。





「ちょっとあんた、もう四時過ぎてるわよ。ったくトロいんだから。さっさと水寄こしなさいよ」

 

沈黙を乱暴に壊すように、後ろからふてぶてしい女の声が聞こえた。


常連の客だ。そうだ、いろいろあって忘れていたけれど、今日の午後分の水をまだ売っていなかった。


「あ……ごめんなさい。今準備してきます」

 

そう言って家に向かおうとした時、アルバートが強い力で私の肩を掴んで動きを止めた。



「あんた、まだ、やるつもりか?」

 


彼の瞳はらんらんと輝いている。生きている者の瞳だ。母の茶色く濁った眼が脳裏をかすめる。


「あんたはいいように使われている。この女に、病院の人間に、役人に、あの家に。もういい加減目を覚ませよ」

 

彼は私の目を見て私のためを想って言ってくれている。それだけでまた泣きそうになった。


「でも、私が水を売らないと、みんな困るわ……井戸が無いもの。冬の水は冷たいもの」


アルバートはあきれたように溜め息をつくと、こっちにこい、と言ってリアの手を引っ張った。


「いいか、お前が水を売らなくなっても真剣に困る人間は誰もいない。不便を感じるだけだ。もしくは下男の仕事が一つ増えるだけだ。だから金を稼ぐ目的が無くなった今、お前はこの街にいる意味はない」

 

アルバートはこちらを見ないでずんずんと進んでいく。彼の言葉がリアの心に重く突き刺さる。


「だけど君は刑部長官の娘だ。俺にとって意味がある存在であるし、君は使い方次第で自分の人生を切り開くことができる。だから……」

 

アルバートは枯れ井戸の前でピタッと止まり、井戸の口に手をかざした。



「だからリア、俺と一緒に来てくれないか。」


 


ドンッ!


 


ものすごい音が辺りに響いた。

 

信じられない。


なんと音とともにとっくの昔に枯れたはずの井戸から水が噴水のように噴き上げているのだ。


「あ、しまったやり過ぎた」


「え……あ……」

 

リアは声にならない声を振り絞った。


「大丈夫。10分もしたら水量も落ち着くから」


「そっ、そうじゃなくて……!」

 


噴き上げた水が綺麗な虹をつくり、彼を照らしている。


「俺、水を作り出したり操ったりできるんだよ。生まれつきね。俺はこの能力、本物の王族のものじゃないかと思ってる。知ってる? 『水の王国』っておとぎ話。あれね。だから直接国王に会って確かめる。本当ならこの俺が、孤児のクソガキが一国の長だぜ。」

 

アルバートはにかっと歯を見せて笑った。


「さて、井戸も無事に水が復活した。もうこれでこんな街に心残りは無いよな? リアはこれからどうしたい?」

 


正直今日はいろいろな事がありすぎてまだ何が何だか分かっていない。だが一つ、はっきりとしていることは、私は彼と一緒にいたいという気持ちだった。

 

リアは差し出された手を取り無言で頷く。


「よし決まり。じゃあ早速、と言いたいとこだけど一旦君の家に帰ろうぜ。荷造りをしないとだし、まだメシも残ってるしな。」


 

胸の高鳴りが抑えられない。母の死が判明したというのに、それよりもこの先の期待が勝ってしまう。

 

なんて親不孝者。私はきっと地獄行きね。

 

今は、それでもいい。それでもいいからこの少年の行く先の景色を、ついていって見たいと思ってしまうのだった。




 










リアが居なくなった。

 

井戸が水で満ちたあの奇跡の晩から早一週間、あの日を境に忽然と姿を消してしまった。

 

この私が直々に来てあげたっていうのに、あのボロ屋のドアを叩いても、物音ひとつ立てやがらない。


「どーすんのッ! あんた! あんなみそっかすでも今を時めく刑部長官の娘よ⁉ 居なくなったなんて言えるわけないじゃない!」


「お前がこの家から追い出したんだろぅ。この街から居なくなった時もちっとも気が付かなかったじゃねえか。ソフィアに言われたときだって無関心だったくせに。それに義兄さんのほうも、息子が順調に育っていると聞いたから、もうあいつはいいと思ってたんだよぅ」


「あたしだってそう思ってたさ。だけど気が変わったって、急に連絡が来たんだよッ! あの子を呼び戻すとね! まずいよほんとに。あの家にそっぽ向かれたら私達は本当に終わりだよ……」

 

お父さまとお母さまが一階の大広間でリアのことについて喧嘩をしている。私は頬ずえをついて、二階から二人を見下ろしている。




「五月蝿い。黙れ」

 

突然、鎧を纏った男が居間に現れた。

 

いくら開けっ放しにしていたからって、いきなり家にあがってうるさいとは、なんて失礼な人かしら。


「こ、これは騎士様……誠に申し訳ございません。ご連絡も無かったものですからお迎えの準備ができておりませぬ故……」

 

お父様はあわてて地に這いつくばって土下座をした。


「そんなものを見る為にここに来たのではない。娘はどこだ」

 

お父さまとお母さまは真っ青な顔で頭を更に深く下げた。


「も、申し訳ございません! 健やかに育ってはいたのですが、井戸水が満たされた奇跡の晩に姿をくらましてしまったのです! あれは神隠しではないかと……し、しかしどうにか見つけ出しますゆえ何卒ご容赦を……」

 

すると鎧の男はぴくっと眉を動かした。


「井戸水が、満たされた……だと?」


「は、はい。確かに枯れ井戸だったのですが突然……神の御業としか思えません。」

 

男は少し考えこんで、


「ここにいたのか……」


と、ぼそりと呟いた。


「もうよい。娘は私が見つける」

 

それだけ言い残すと出口へと向かった。

 

見つける……? あの人リアを探しに行くのね!


「ちょっとお待ちください!私も連れて行って!」

 

二階から大声で叫んだ。両親の青い顔がますます青くなったことがはっきり分かる。


「ソフィア! なんてことを!」

 

お母さまは高い声をぶるぶると震わせた。


騎士様の鋭い目は私の方に向いている。チャンスだ。


「私も、連れて行ってください。きっとお役に立ちますわ」

 

声が震える。騎士様は何も言わない。

 

けれど私は退かない。

 

リア、待ってなさい。わたしを置いていくなんて許さないんだから。

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