第5話

遠くに白い建物が見える。ボロボロの壁は今にも崩れそうだ。四方を成長しすぎた木々と雑草に囲まれている。

 

あれが精神病院か、こんな山奥に建物があるなんてとアルバートは驚いた。

 

リアは器用にごつごつとした地面を進んでいく。


「あれが正面玄関。あそこから入るの」

 

建付けの悪いドアをなんとか押し開け中に入ると、ボロボロの受付に太った初老の女が一人、やる気なさそうに本を読んでいた。


「こんにちは。一日早いですが母の治療費をお持ちしました」

 

リアがその女に封筒を渡す。


「ご苦労様。そこに置いたら速やかにお帰りください」

 

太った女はぶすっとした顔で言う。


「お待ちください。今日は特別に面会をする日です。私はチェハノフスキ家の代理人で彼女を連れてきました。これを」

 

そう言ってアルバートは銀貨を一枚封筒の下に忍ばせた。

 

女はそれをちらっと見やると、


「そう。部屋は五階の一番端。お大事に」

 

とだけ言い放った。

 

思った通り、こんな辺鄙な所で働いている奴らはやる気など一ミリもない。上からの指示通りに一応作業はするが、少し金を渡すと簡単にこちら側についてくれる。


「さ、お医者様とやらに見つからないうちに早く行っといで。俺は下で待ってるから」

 

リアは頷き、階段へと走った。

 

さてと、誰から聞き出そうか。出来れば年配の女の二人組で、噂好きそうなのがいい。

 

病院の外に出て裏に回ってみると、やった当たりだ、二人組の掃除婦らしき女がゴミ捨て場の前で退屈そうにたむろっていた。


「ねえそこの美人さん達。暇してるなら俺の相手をしてよ。見舞い人の付き添いで暇なんだ」



 







異様な匂いと呻き声に溢れた病院の廊下で、明らかに他と違う空気をまとった部屋があった。

 

突き刺すような静寂を押し返しながらドアを開ける。窓の光が冷たく揺れ、真実を覆い隠そうとする。

 

部屋。いや小さな空間。窓の光だけが生気を帯びている。その手前の茶色いベッドに物体が寝かされている。


異様な臭いが、廊下とは比べ物にならないにおいがわたしの鼻を歪める。


 

私はばかだ。

 

母はとっくに死んでいたのだ。













「おーいどうだった母ちゃんは」

 

アルバートが病院の裏の森の陰から手を振っている。


「おい、凄いことが分かったぞ。ドミニク・チェハノフスキの義理の父の息子、アンジェイ・ドラーシク、つまりお前の親父は息子が生まれてから異例の速さで出世して刑部長官にまで登り詰めたらしいぞ。刑部長官って言ったら司法を務める、国王に一番近い場所で仕える役人だろ。これは凄いことが分かっちまった」

 

アルバートの声が届かない。遠くでぼわんと響くばかりだ。


「おい、どうしたんだよ」

 

アルバートはリアの顔を覗き込んだ。その瞬間目から涙が溢れて出てしまった。


「アルバート……私は大馬鹿者だわ……母との明るい未来だけを愚直に信じて周りをちゃんと見てなかった……私はいいカモ、いや私のあぶく銭なんてあの人たちにとってはどうでもいい、カモですらなく退屈しのぎの道化だったのよ。真実を見ようとせず妄想だけ働かせて、母が死んだのは私のせいだ……!」

 

リアはアルバートの胸に顔を埋め、声を上げ泣いた。


アルバートは一瞬戸惑ったが、何も言わず背中を撫でてくれた。リアより数センチ背の低い彼の胸は少し遠かった。しかし背中の彼の手は熱く大きかった。

 



一通り泣いた後、二人は何も言わず来た道を戻っていった。

 

リアは、このなんとなく繋いだ手のぬくもりを一生忘れないだろう、なんてことをぼんやり考えていた。


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