第4話

私の母はジプシーと呼ばれる集団にいたの。知ってる? 大陸のもっと南西側からやってきた、家を持たずに各地を移動しながら生きる人達の呼び名よ。


物心ついた時から家族はいなくて、仲間と各地を転々としていたんだって。主に盗みを働いて生活していたけれど、たまに踊りや歌を披露してお金を稼いでいたそうよ。


母はとても美人だった上、歌と踊りが上手だったからある劇場で大変気に入られてそこの看板娘になったの。といっても田舎の小劇場だけれどね。


けれど、偶然にもそこに都のお役人さまが視察に来ていて、母を気に入ったのですって。そうしてできた子が私。



最初のうちはよかったわ。お母さんはまだ赤ん坊の私を抱きかかえて、何とかお父さまの家を見つけて尋ねた。


お父さまのお家には妻がいたけれど子供が生まれなかったの。だから女児でも一応と私たちを家に迎えてくれたの。


けれどその三年後、私が五歳くらいの時に正妻に子供ができて、しかもその子が男の子だったものだから、生まれた瞬間に私達は正妻に追い出されてしまった。


とりあえず劇場に戻ってみたけどとっくの昔に潰れていて、お役人さまを探しそこで暮らすことを勧めてくれた仲間たちもいつの間にかみんないなくなり、私たち親子は二人だけで生きていくしかなかったの。


大変だったけれど、私は幸せだった。母は私のために見様見真似で覚えたマナーや言葉遣いなんかも教えてくれてね、私をいいところに嫁がせようとしていたのね。でも私はずっと二人で暮らしていたかった。



でも幸せな日は長く続かなかった。


ある日突然、あの男は現れたの。ドミニク・チェハノフスキと名乗った男はお父さまの親戚で、お父さまに頼まれお前たち母子の面倒を見ると言ったわ。


お父さまはずっと、正妻に追い出された私達を心配していてくれたのよ。とても優しいお父さま。けれどその優しさ故か子供ができにくい身体なんですって。


正妻の息子は体が弱く、妾も誰も孕まないそう。だから私はまだ手放したくなかった、だから私は無事でいられた。




けれど母は違う。あのケダモノ、嗜虐趣味の変態にいいようにされ、最後に会ったのは一年前の冬、空気も風景もなにもかも冷たい精神病院の中で静かに狂う彼女を一目見ただけだった。


私は生きる喜びを全て取り去ったあの寂しい場所から母を取り戻したい。


だけど手段が無い。入院の手筈はあの家が整えたし、そもそも完治させないと母は死んでしまう。


そんな時、あの男の妻が、母と男の関係に怒り狂って私を家から追い出すと言ったの。


私はこの時、むしろチャンスだと思った。あの男の支配から私達が抜け出すため、入院代は私が払うと啖呵を切った。


あの男は馬鹿にしたわ。女の私に何ができるのかと。


でも私には力があった。男の人にも持てないような重いものを持ち上げることができたの。きっと神様からの贈り物ね。だから元手のかからない水売りの仕事を始めた。


安全な水が手に入る川が遠く、街の隅にある井戸が十年前に枯れたこの町では意外と稼げるのよ。


入院代に税金に、徹底的にあいつらに搾り取られているけれど、いつか、いつかはまた健やかな母と二人暮らしができるはずだと信じてる……











語り終わった彼女はうつむいたままずっと黙っている。彼女のスープはすっかり冷めている。いらないなら食べようか、と言える雰囲気でもない。


ったく、だから朝のうちにさっさと逃げていれば良かったんだ。面倒くさい。


今日日、何の苦労もせず生きていける子供はほんの一握りだろう。大なり小なりみんな苦労をしているのだ。彼女は間違いなく大の苦労だろうが。しかし彼女だけが特別というわけでもない。


だけどチェハノフスキ家か……


少し調べてみる価値はあるかもな。


「リア、君は数奇な運命に翻弄され、大きな苦しみを背負って生きてきたんだね。よく今まで一人で耐えたと思う。偉かったよ」

 

アルバートはごほんと咳をし、喉を整えキザな声色で語った。リアはわっと声を出して泣き出した。アルバートは彼女の肩を抱いてやった。


「だけど君の話で引っかかるところがある。その病院は本当に信用できるのか? その男の息がかかっているのだろう? お母さんはひどい扱いを受けているかもしれない。転院させるか、自宅療養させた方がいいんじゃないのか」

 

その瞬間リアはパッと顔を上げ、


「でも、お医者さまが言ったのよ。今の状態の母はここでしか生きられない、と。どこの病院も受け入れられないくらい症状は悪化しているし、もちろん自宅に戻り治療をやめたら死ぬって。この世でお役人さま、聖職者さまと騎士さまの次に偉いお医者さまが、わたしに」

 

と、子供のような瞳で言ってきた。

 

やはり彼女はこの世を一人で生きるにはあまりにも心が純粋すぎるのだ。


「とにかく、その病院に行って状態をみてこよう。そこから判断をしたらいい」


「でもあの日を最後に一度も母と合わせてくれたことは無いわ。症状が悪化するって」

 

するとアルバートは不敵な笑みを浮かべた。


「大丈夫、俺に任せとけって」

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