第3話

後ろを見ると、アルバートはむすっとした顔で荷台を押している。


不本意な労働をさせられているのだから無理もない。

しかし彼には悪いがしばらくの間は手伝ってもらわなくては。

せっかく得た貴重な労働力なのだから!

 


実はリアは昨日、ずっと起きていたのだ。

 

ベッドと壁の間に鉄のバールとナイフを仕込んでおき、耳を澄ませてアルバートの動向を探っていた。

 

彼は家探しをすることも、リアに金を出せと襲い掛かることもなく、ただ静かに眠っていた。

 

しかも彼には行く当てが無いと言うではないか。こんな好条件な労働力は逃すわけにはいかない。

 

こっそりと出て行こうとしていたみたいだけれど、なんとか引き止めなくては。

リアは改めて決意を固め、荷台の持ち手をぎゅっと握った。



「さ、着いたわ。はいこれ灯りとバケツ。水を汲んできて。まだ暗いから足元気を付けてね」


「えーっ、これいくつあるんだよ。それになんだこのバケツのデカさ……嘘だろ」

 

アルバートは昨日の紳士な態度と違って口が悪い。こちらが本当の彼なのだろう。


「噓じゃない。早くしましょう。最低でもあと一往復はしなくちゃいけないんだから」

 

アルバートはうんざりした顔でブツブツ文句を言いながらも池の方へと向かった。

 

そりゃこんな雑用したこと無いわよね。過ごしやすい初夏でも朝の冷水は拷問だ。お坊ちゃんに耐えられるのかな……




「なあ、もう終わったよ」

 

そう声が聞こえたので後ろを振り向くと、台車の角に肘をついたアルバートが余裕の笑みで荷台の中を指さしている。

 

近寄って台車を覗き込むと、なんと本当にアルバートに渡した六個のバケツが綺麗に並べられており、その全てが水で満たされているのだった。


「ええっ、どうして⁉ いくら何でも早すぎるわ、一体何をしたの?」


「大袈裟だなぁ、ただ本気を出しただけだよ。入っている水も正真正銘この池の水だよ。ひんやりして美味しいね」

 

アルバートは水を一杯手で掬って口に含んだ。

 

リアはただ呆気に取られるしかできなかった。

 

「しょうがないなあ。面倒くさいけど、そっちの半分手伝ってあげるから早く終わらせようぜ」

 

そう言ってバケツを取り、光の向こうに消えた数秒後、また終わりを知らせる声が聞こえてくるのだった。


 






一体どうなっているのだろう。

 

結局家に水を持ち帰ったのち、もう一回池に向かったのだが、ここでも彼がほとんどの水を汲んでくれたのだった。

 

その頃にはもう辺りも明るくなり始めていたので彼の後をつけカラクリを暴こうと思ったのだが、ふと視界から消えた瞬間にもう作業は終わっているのだった。

 

この少年は妖怪の一種なのだろうか。それとも、あまり考えられないが、これがあの男が言っていた男女の差なのか……


「なんだよ人の顔じっと見たりして。メシに集中しとかないと俺が全部食っちまうぞ」

 

アルバートはテーブルに並んだおかずにフォークを突き差しながら言った。


「……もうこの際あなたの正体が妖怪でも何でもいいわ。お願いだからずっとここにいて。こんなに体の軽いお昼は初めてなの。もちろんタダでなんて言わない、ちゃんとお給料も出すしごはんもあなたの好きなものにするから」

 

アルバートは皿と口の手の往復を止めず、少しの沈黙の後、


「ずっとは無理だよ。さっきのは助けてもらったお礼だもん。あそこまできたら乗り掛かった舟だしね。あと君の作るメシは美味いから最後の記念にと思って」

 

そう言って鼻歌を歌い始めた。


「でも行く当てがないんでしょ」


「いやあるよ。昨日は適当に嘘ついただけ。俺には行くべき所があるんだ」

 

アルバートの鼻歌は盛り上がり佳境に差し掛かっている。

 

そうか……目的がある旅だったのか。せっかくの貴重な人材なのに、ここで終わりなのか……



「ねえ君もこんな所でこんな事をしてないで都にでも行ってみたら? 都なら女の人にも仕事はあるし、こんな力仕事できるんだったらもっと割のいい、男のやる仕事もできるかもよ」

 

そう言われた瞬間、リアはカッと頭に血が昇ってしまった。


「そりゃあなたにとったらこんな事かもしれないけれど、でも、私にとっては大事なことなの……! 何も知らないのに勝手なこと言わないで!」

 



ドンドンドン!

 



突然けたたましい音が部屋中に鳴り響いた。

 

そうだ、今日はそうだった!

 

リアは急いで引き出しを開け、封筒を取り出し、アルバートにはベッドの陰に隠れるよう指示をしたあと玄関に急いで向かった。


「こんにちは。そんなに叩かなくても聞こえていますわ。それにこんなあばら家あなた様の力ならすぐ壊れてしまいます」

 

ドアの前には三人組の男達が立っている。臙脂色のベストを着用している彼らからは溢れんばかりの自尊心が感じられた。

 

すると、その三人の真ん中にいる、リーダー格の男が口を開いた。


「ふん。こんな小屋が壊れようが俺の知ったことではない。それか、よこせ」

 

男は目も合わせずリアの手から封筒をむしり取った。


「確かに」

 

そう言い残すと、三人はさっさと出て行ってしまった。


「なんなんだあいつら」

 

アルバートはベッドの後ろから訝しげな顔を覗かせている。


「あの人たちはチェハノフスキ家の使用人。今渡したのは医療費税。明日入院代も病院にもっていかなくちゃ……」

 

リアは大きな瞳いっぱいに涙を溜め、アルバートのいる方に振り返った。アルバートはそれを見てぎょっと目を見開いた。


「長くなるけど、聞いてくれる? 誰かに話したい気分なの。」

 

アルバートは少し考えてからゆっくりと頷いた。

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