第2話

ふんわりといい匂いが漂ってきて、少年は魅かれるまま体を起こした。

 

ここはどこだろう。

 

あばら家と呼ぶに相応しいほど粗末な小屋の中であったが、壁にはささやかな絵が掛けられており、テーブルにはその辺の雑草だろう小さな白い花が趣味良くかざられている。


小さいベッドの反対側に視線をやるとキッチンがあり、そこに女の人が立っていた。


くすんだ白いシャツに濃い青のスカート、茶色のブーツを身に着けていて、黄色の細い布をカチューシャのように頭に巻いている。背中の後ろに広がるウエーブがかった見事な黒髪は見事な美しさだった。


「あの……」

 

そっと声をかけると女性はゆっくりと振り返り、


「ああ、良かった、目が覚めたのね。夜になっても目を覚まさないからとりあえずごはんの用意をしていたんです。あれね、きっとハチミツが効いたのね。まあいいわ、冷めないうちにご飯にしましょう」

 

そう言いながら手際よくテーブルに料理を並べていった。


「白いパンに具がたっぷりのオムレツにお肉入りのスープに葡萄酒。あなたのおかげで今日はごちそうだわ。あ、ごめんなさいお金は勝手に拝借しましたの。でもさっきそうしてっておっしゃっていたわよね」


よくしゃべる子だと思った。口を挟む暇がない。


「冷めないうちに食べましょう。あ、そういえばあなた名前はなんていうの? まだ聞いてなかったわよね」

 

彼女は口いっぱいに物を入れながら、しかし器用にも上品に喋った。


「あ、すみません申し遅れました。名前は、アルバートって言います……親切にしていただいてありがとうございます」


「アルバートさん。いい名前ね。私はリアっていうの、よろしくね」

 

リアはにっこりとほほ笑んだ。深緑色の瞳が柔らかく輝いている。


「ところでアルバートさん、どうしてあんな所にいたの? お金もあるし、身なりもいいのだから浮浪者じゃないでしょ」

 

スープのおかわりのためキッチンの方に歩きながら彼女は聞いてきた。

 


どうしようか。本当のことを言う必要もないし、親切にしてもらっておいてなんだがそもそも彼女のことを信用できない。


「よくある恥ずかしい話ですよ。俺の家はちょっとした町のちょっとした金持ちだったんだけど、親父とソリが合わなくて家出したんです。けれど行く当てもなく、世間知らずだったからあっという間に迷子になっちゃった、って感じで」

 

リアはじっとこちらを見てくる。まずい、何か勘付かれたのだろうか。


「そうだったのね。そんな感じかなって予想してたのよ。当たってなんだか嬉しいわ」

 

彼女はすっきりした表情でそう言った。どうやら納得してくれたらしい。

 

俺は運がよかった。親切で、騙しやすそうな雰囲気の子に助けてもらえるなんて。


アルバート本心を隠したまま、当たり障りのない会話をしながら食事をし、和やかに夜は更けていった。


 






「ったくあのクソ店主、デタラメな道教えやがって。おかげで危うく死ぬところだったじゃねーか」


リアは夜の森は危ないと言って家に泊めてくれた。毛布を一枚貸してもらったので、部屋の隅で膝を抱え込むようにして毛布にくるまった。

 

リアはすーっと穏やかな寝息を立てている。月明かりが彼女の額を照らす。

 

一五、六歳くらいの少女に見える。

 

後見人のいない結婚適齢期の女の一人暮らし。どう考えても尋常ではない。


しかも、素性の知れない男を泊めるなんて感覚も普通ではない。

 

盗難だけでなく、襲われる、なんてことを考えたことはないのだろうか。

 

大柄で日焼けだろうか色黒な彼女の容姿は一般的な女性像から離れているが、顔立ちはそれなりの美人であると思う。親切心を利用する悪人が世の中に多いことを、彼女はよく理解しなくてはならない。

 


とにかく面倒事はごめんだ。顔を合わさないよう明け方にさっさと出て行こうと思う。


 







雲雀もまだ鳴き始めない、夜と朝の混じった時間に、アルバートは音を立てないようにゆっくりと荷物をまとめた。

 

毛布を畳み、その上に少しの金とお礼の手紙を置いた。彼女が字を読めるか分からなかったが、金で察しがつくだろう。

 

ベストのポケットにはちゃんとお金が残っていて、シャツの裏に縫い付けたポケットの中のお金は全く減っていない。本当に食料分だけ抜いたらしい。

 

なんと誠実な子だろうか。誠実な彼女がどうかこの先幸せに暮らせることを願っておこう。



「どこに行くの」

 


突然、静寂の邪魔をしない温度の声が部屋に響いた。

 

振り返るとリアが体を起こしてこちらを見ていた。


「あ……ごめん起こしちゃったかな。もうそろそろ行こうと思って」

 

ぎこちない笑顔を作り、優しい声で返事をする。彼女は無表情のままだった。


「こんな時間に? まだ外は暗いわ。急がなくてもいいじゃない。」

 

そう言いながらリアは丁寧に髪のブラッシングを始める。


「あ、私は別にあなたのせいで起きたんじゃないのよ。気にしないでね。これから仕事なの。だから……」

 

彼女はにっこりと最上の笑顔を作った。


「ごはん美味しかったでしょ。手間賃をまだ貰ってないわ。仕事、手伝っていってよ。」


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