コーヒーブレイク
朝パン昼ごはん
コーヒー・魂・再会
「こうしてお姫様は王子様と再会して幸せに暮らしました、めでたしめでたし」
タブレットと俺の間に挟まるようにしながら娘の陽菜が画面を食い入るように見つめている。
タブレットというものは便利だ。こうやって動く画面で読み聞かせることが出来るし何より絵本を汚すことはない。
一つの物語を読み聞かせた俺はひどく満足していた。
「さ、陽菜。絵本読み終えたから寝る時間だな」
「やーーーーーっ!!!」
俺の中で娘が駄々をこねる。
本では幸せに終わったが、どうやら我が家のお姫様の物語はまだ終わらないらしい。
次はこれを読んでと画面のアイコンを触ろうとする。
俺はそうはさせまいと高々とタブレットを持ち上げて陽菜から遠ざけた。
眉間と口をへの字に曲げると陽菜は手をおおきく広げてカーペットに突っ伏す。
「もーだめだーもーーーだめだーーーアタシのじんせいはおわりだーーーーじどーぎゃくたいだーーーー!」
いったいどこで覚えてくるんだそんな言葉。
大の字になって癇癪を起こす幼児は無敵だと思う。そういえば泣く子と地頭には勝てぬと昔学校で習ったっけ。
さてどうしたものかと考えあぐねている自分に妻の結香が助け船を出してくれた。
「陽菜、もう寝ないとパパは絵本読んでくれないわよ」
「やーーーーっ!」
「今日寝て明日も明後日も絵本読んでもらえるのと、今日だけ本を読んでもらえるのと、お利口さんはどっちを選ぶのかしら?」
「やーーー……」
力ない拒絶。暫くして陽菜はむくりと起きあがった。
「……おねむする。パパ、あしたもよんでくれる?」
「もちろんだよ。じゃあ歯を磨こうか」
むくれた顔はそのままだが多少は機嫌を直してくれたようだ。
そのまま洗面所に行き、それから娘を寝かしつけると妻はコーヒーを飲んでくつろいでいた。
こちらをむいてねぎらいの言葉をかけてくる。
「おつかれさま」
そんな声に苦笑しながら俺は言葉を返した。
「自分にもコーヒー貰えるかな」
「あら、歯を磨いたんじゃないの?」
「ああ、陽菜と一緒にね。また磨くさ」
なにぶん寝かしつけるのにもあれから苦労したのだ。居間から離れてもう大分時間が経っている。
それなりの報酬は頂きたいものだ。
カップを手に取ると、お湯を注いでくれる。妻手ずからのインスタントコーヒー。
それを受けとって俺はまず薫りを味わった。
コーヒーの薫りというのは自分にとってこの上ないものだ。
そう、例えるなら魂に染み入るというか洗われるというか、とにかくこのひとときがこの上なく好きなのだ。
ましてやそれが妻と一緒なら尚更だ。
一つ口につけコーヒーの味を確かめる。苦味を舌で受け止めそれを喉奥へと放り込む。
温かい。美味い。おもわず深いため息が出る。
一旦カップを置いてスプーンを手に取った。それからクルクルとよくかき混ぜるとカップの中に渦が巻く。
それを見届けるとスプーンを置き、俺はミルクを足した。
かき混ぜはしない。
渦にまきこまれながらミルクが白い螺旋を描く。
カップという小さなキャンバスに描かれる白と黒のコントラスト。
それが混ざりきる前に再びカップを手に取り嚥下する。
先ほどとは違う舌触りが口内を楽しませる。苦味と甘さ、そして柔らかさ。
それらが手に取って喉元を刺激し、薫りが鼻へと抜けていく。
ああ、洗われる。
このまま混ざるのを任せ俺はカップを戻した。
ふと見れば、結香がこちらをニコニコと見つめていた。
「何かついているか?」
「別に。ただ、美味しそうに飲むなって」
そういって結香は自分のカップを口にする。
「美味しそうにじゃない。実際美味しいんだ」
「はいはい」
何気ない夫婦の会話。昨日のこと今日のこと。娘のしでかした事。それからこれからのこと。
それらはとりとめもなく結論を出すほどのことでもない。
だが俺はコーヒーの薫り包まれるこの時間が好きだった。
完全に溶け合い冷めたコーヒーを飲み終える頃には大体の話は終わる。
片付けようと器を手に取ると、妻が俺の袖を手に取った。
「まだ話は終わってないのよ、聞いてくれる?」
まだあるのか。
女というものは男に比べて話好きなものだ。
かといって袖にするほど俺はDV野郎ではない。
席に戻り直し、俺は話を聞くことにした。
「コーヒーってさ。昔は薬、滋養強壮薬として使われてたんだってさ」
「へえ」
眠気覚ましは知ってるが、そういうのは知らなかった。
聞き入っている俺に妻は、板チョコを半分に割って差し出してくる。
「チョコもね、滋養強壮として使われていたらしいよ」
「へえ」
勧められるままに俺はチョコを口にする。
コーヒーを飲んだおかげで甘さが引き立つような気がした。
口を動かす俺に、妻は意地悪く微笑んだ。
「……それからね、媚薬としても使われていたらしいわよ?」
目と目が合う。妻の目は何かを期待していた。
まいったな。
こうなることなら歯磨きしたからと断るべきだったか。
だが、妻の誘いを断るほど俺は朴念仁では無い。
そうなると熟睡している陽菜は孝行娘とも言えるだろう。
「じゃあ、コーヒーを貰おうか」
「あら、じゃあ私にも貰えるかしら」
差し出されたカップ二つに、俺はインスタントの粉と湯を注いだ。
またふたたび部屋が薫りに包まれる。
手と手が触れ、お互いの身体が更に近づく。
妻の吐息からコーヒーの薫りが零れている。
俺はコーヒーが好きだ。そして妻が好きだ。
とにかくこのひとときがこの上なく好きなのだ。
そしてそれを確かめるために、俺は更に身体を密着させ妻の唇に口を合わせたのだった。
コーヒーブレイク 朝パン昼ごはん @amber-seeker
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