第7話 こうきくん、たすけて

 んー、しっかし星がきれいだ。何度だって言ってやる。星がきれいだ(語彙力喪失!)

 藤沢では見られない光景だな。まぁべつに藤沢をディスってるわけじゃない。けどやっぱり大自然に囲まれた土地にはかなわないものがある。

 街中を歩きながらそんなことを思った。

 レヴィアンはおれの手を握って、ブンブン振り回している。まるで夏祭りの子どもが綿飴を振り回すかのごとく、おれの手を振り回している。レヴィアンよ、おれの手もげちゃうぜ……。


「そういえばさ、その、お土産買ってなかったよねっ! 売店でなにか買っておこうよっ!」 レヴィアンの提案。ちょっと待て!

「お前土産はもう充分買っただろ! まだ買うつもりなのかお前……!」

「えっ、そうだっけ!?」

「マグカップと石鹸買ったこと忘れたのか……!?」


 まぁレヴィアン忘れちゃったんだろうな。こいつならあり得る。しかし忘れすぎだ!


「そ、それでもっ、あっそうだ! お菓子とか買っていきたいなって!」

「ほん、なるほどなぁ」


 さすがはレヴィアンだ。やっぱり甘い物が食べたいのか。だがお前今言い訳思いついたよな!


「で、でしょっ!」


 そういえば売店にまんじゅうとか売ってたよな。レヴィアンはそのことを言っているのだろう。


「よし、買うか」


 ホテルに戻ってなにがいいかを選ぶ。こう言っちゃなんだけどよ、お土産で売ってるようなまんじゅうってどれも同じように見えてしまうのおれだけか? なんかだいたい似たようなもんに見えちまう。いや、悪い。あくまで一消費者の意見だ。


 だがまぁよくよく考えればカップ麺も似たようなモンかもな。海外の人から見たら、醤油も味噌も豚骨も見た目は変わらないのかも知れない。日本人はたとえばどこどこ製麺の奴はうまいとか、なんとなく経験則でわかってるだろうが、日本人じゃない人から見ればカップ麺はカップ麺なのだろう。

 すごいどうでもいいことを考えたな。


「これがいいなっ!」


 レヴィアンはとりあえず無難なまんじゅうをセレクト。よかったぜ、とか一瞬思っちまったが、たいていお土産コーナーに置かれてるのはどれを取っても外れがないようにできてるか。

 お会計を済ませて、部屋に戻る。現在十八時十五分。まぁこの時刻にはまだ問題の起こる気配は微塵も感じられなかったな。



部屋。おれたちは布団の中に潜って、一緒にゲーム実況を見ている。もちろん一つのスマホでイヤホンは片っぽずつ共有している。なんかちょっと恥ずかしいぜ。まぁでもこの恥ずかしさにも徐々に慣れていくのだろう。

 ときおりレヴィアンのクスクス笑う声がイヤホンのしていない方の耳から聞こえてくる。お前そんなに楽しいのか。


『わー!!』

『ぎゃー!!』

『どわー!!』


 ……………………。

 ゲーム実況ってこういうモンなのか。レヴィアンはすごく大爆笑している。


「あはははっ! ぎゃーってなに!? あははははっ! お、お腹痛いよう!」


 レヴィアンが楽しそうならまぁいいか。たしかに見ている限り面白いかも知れない。なんだろうな、こう言うのって最初は違和感あるが、慣れてくるとすごく面白く感じてくるよな。なぜだろうか。うーむ謎だ。


「お、お腹よじれちゃうよう! こ、航輝君なんでそんなに平気でいられるのっ!」

「い、いや……、さすがに笑いすぎじゃないか?」


 面白いがレヴィアンのはちょっと過剰反応な気がする。

 動画も見終わったことだし、なんとなく窓際まで寄っていくことにした。あの例のスペースな。体育会の部活で合宿をやったとしたら、絶対洗濯物であふれかえりそうなあのスペースだ。

 おれはソファに座る。

 レヴィアンもトコトコとおれのところに寄ってきて、対面の席に座った。


「やっぱりお前浴衣に合うな。金髪外国人と和服の組み合わせって言うのはなんかこう日本人にとってグッとくるものがあるぜ」

「そ、そうかな……! へへっ、えへんっ、そうでしょー? 航輝君見とれちゃったー?」


 お、おう……。お前もだいぶ強気に出るようになったよな……!

 窓の外にはかなり幻想的な光景が広がっている。月の光が水面に広がって、見ているだけで心が落ち着くようなそんな景色。

 街の灯りも美しい。おれはせっかくだからと、スマートフォンを取り出した。記念に撮影と行こうじゃないか。


「レヴィアンちょっとこっち向け。そうだ。ハイチーズ」

「え、ちょっと!」


 写真には準備不足で目を瞑ってしまっているレヴィアンが写っている。背後には森やら川やらが映り込んでいて、なかなか面白い写真になった。


「航輝くんっ!」

「あははっ! レヴィアンの顔面白いことになってんぞ!」


 おれは写真をレヴィアンに見せる。彼女は顔を赤くして、おれの肩を叩いてきた。


「と、撮り直してよっ!」

「それは断る。これはこれで面白いからな」

「な、なんでよ~!」


 おれはスマートフォンをしゃっとしまう。いやー、面白い。実に面白い写真だ。


「あとでお前にも送るよ」

「い、いらないからっ!」


 そうだな。この写真はあとでパソコンの待ち受けにでもしようか。けどなんかそれも悪い気もするな。まぁ、どこにも見せずにそっとフォルダにしまっておくか。

 天気もいいことだ。おれはレヴィアンに一つ提案をした。


「ちょっと外に出るか。そんなに寒くないだろうしな」


 近々夏だとは言え(とはいえもう暦の上では夏か?)、夜はやっぱり冷え込むものだ。しかし今日の天候を見る限り、そこまで寒くなることはないだろう。むしろ最適と言ったところだ。

 レヴィアンはちょっと待っててねっ、と服を着替え始めた。あっさりと下着姿になる。ものすごいきれいな肌がおれの目に飛び込んでくる。薄緑色の下着に包まれた胸はまだ小さいが、それでもおれにはちょっと刺激が強すぎる。いい加減慣れろよおれ!

 着替えをすませたレヴィアンを連れて、おれはホテルをあとにした。



 賑やかだ。

 おれとレヴィアンは隣り合って歩く。べつに邪魔にはなってないだろう。レヴィアンの小ささを考えるとな……。

 と、突如レヴィアンがとんでもないことを言い出してきた。


「航輝君おんぶしてっ!」

「はあ!?」


 おれは驚いて声を上げてしまう。通行人がこっちを見てくるが、おれとしては内心パニック状態だ。お前一体何を言い出すんだ!?


「おんぶされたい」

「どんな欲求だ……」


 お前道のど真ん中で言うことじゃねーぞ。だがレヴィアンは本気らしい。しょうがないからおんぶしてやる。こいつ甘えたがりだな。しゃあねーな。


「お、重くない?」

「重いぞ」

「うそぉ!」


 本当だ。物理的に重い。まぁそりゃそうだろう。レヴィアンでも体重四十キロはあるだろうからな。

 だがおれの心は荒ぶっていた。なんだこの柔らかい感触は! 背中に押しつけられている物体は!? 正直な話おれは女の子を背負うなんて初めてだったので、ちょっとドギマギしてしまう。


「こうきくん……?」

「いやなんでもねーよ」


 なんでもなくはない。さっきおれはこいつのおっぱいは小さいと表現したが、前言撤回だ。やっぱり押しつけられると実感するが、おっぱいはおっぱいだ! なにを言ってるんだおれは!


「航輝君もしかして苦しいのかなっ! ご、ごめん、私気がつかなくって……。いやなら降りるよ!?」

「いや全然いやじゃない。っていうか、どうしていきなりおんぶして欲しいなんて言ったんだ?」

「へへ、航輝君に甘えたいからですっ! たまにはいいよねっ!」

「……ふぅ、しゃあねー。ちょっとだけだからな」


 ドキドキが止まらない。街の灯りがキラキラと眩しい中を、おれはレヴィアンを背負って歩いて行く。多分一生ものとは言わないまでも、すさまじい思い出にはなるだろう。


「あー、もしかして航輝君? ど、どきどきしてる?」

「し、してるが、だからなんだ」

「……ううんっ、ごめんやっぱり降りるっ!」

「んあ? なんでだよ。言っておくが降ろすの面倒なんだぞ」

「け、けどっ! なんか恥ずかしくなってきたっ! わ、私のおっぱいが当たってるしっ!」


 今気づいたらしい。っていうかあんまり大声を出すなっ。周りに聞こえちまうだろうが!

 おれはおそるおそる顔を上げた。アーやっぱり見られてる。やばいやばい。ここはひとまず違う場所に移動しなければ!

 おれはレヴィアンを背負い直して、一気にかけ出した。


「うわわっわっわわわああああああああっ!」


 レヴィアンの絶叫が流れていく。なんだかおれまで楽しくなってきて、そのまま全速力できらびやかな箱根の街を駆け抜けていった――



「もう航輝君のバカッ! 私久々に死ぬかと思ったじゃないっ! バカバカバカバカバカッ!」

「ははっわりぃわりぃ! けど走ってたらだんだん楽しくなってきちまってよ! お前も楽しかったんじゃないのか?」

「そ、それはまぁ、うんっ、めちゃくちゃ楽しかったよ!」

「だろ?」

「うぅ、悔しいよ……」


 とりあえず駅前まで走ってきた。レヴィアンはだいたい米袋四つ分くらいの体重なので、疲れたって言われればとても疲れたな。けど今言ったように楽しかったのも事実だ。またやりたい。だがそれを言ったらレヴィアンがとんでもなく怒りそうなのでやめておこう。


「ここまで来ちゃってなんだが、どうする? 駅でなんか買ってくか? デザートとか」

「うんっ、私プリンがいいなっ」

「お前は本当にプリン好きだな……」


 おれが言うと、レヴィアンは分かりやすくもじもじし出す。


「……わ、わたしがいちばんすきなのは……………………こうきくんだから」


 …………こいつ。可愛いな。

 おれは照れ隠しもかねて、レヴィアンの頭をポンポン叩いてやった。彼女はものすごい嬉しそうな顔で受け入れてくれる。


「ご、ごめん……わ、私、トイレ行きたいなっ!」

「そうか。そうだな。ホテルからずっと歩きっぱなしだもんな」


 おれたちはこうなった以上、二手に分かれるしかないよな。そう、男子トイレと女子トイレの二つにだ。

 トイレの前で、おれたちはまたね、と言い合った。べつにまたねとか言う必要もないだろうが、レヴィアンはいちいちそういうことしたがるからな。

 さてとおれもとっとと用を済ますことにしよう。


 うわー、意外と混んでやがる。


 これはまずいな、と思う。レヴィアンと長い間離ればなれになるのはマズい。だがさすがに並んでしまった以上、引き返すわけにもいかないだろう。

 幸いと言っちゃなんだが、男子トイレの小用便器ってのは回転率が早い。だからとっとと済ませたおじさんが後ろに一歩引いたと思ったら、流れる音がして、またべつのおじさんが入っていくという流れになる。だいたい三十秒でワンクール。

 おれが待っていたのはだいたい二分くらいだろう。

 二分だ。べつにふつうの女の子だったら心配になるような時間じゃないだろう。けれどそれがレヴィアンとなると話は変わってくる。


 ……厄介だな。だんだんいやな予感がしてきた。


 まぁもちろんその予感は的中することになるのだが。




 ――レヴィアン――


 うぅ。

 航輝君とは元気よく別れたけど、やっぱり公衆トイレって怖いんだよ~。色んな人が使うから、たまに肩ぶつかってきたりする人とかいて、けっこうトラウマになる。

 女子高生とかたむろしてると、わ、私がこの女子トイレに入っていい存在なのかどうか自信がなくなってくる。


「こうきくん……」


 航輝君はもちろん男子トイレの方にいる。だから私は一人で用を足さなくちゃならない。も、もうここで漏れちゃうかも知れない……!

 けどレヴィアン頑張って、と私は自分で自分を励ます。ここで負けたら女が廃れちゃうもんっ!


「……だ、あっ! ご、ごごごごごめんなさいっ!」


 スマートフォンを耳に当てて何やら会話している女性とぶつかってしまう。彼女は私の一つ前に立っていた。

 こ、こっち見た……。私はすごい勢いで睨みつけられる。


「ちっ。調子のんながいじんがよ」


 ……………………。

 いきなりだった。

 ただなにも言われないのだったら、多分私も我慢できたと思う。けど、これはちょっと私の心に響いた。


「……うっ……………………ああっ、ご、ごめんなさい……」

「じゃま」


 ぐるんとその女の人は肩を一回転させて私を追い払った。べつに当たってはないけど、当たらないように下がったせいで私は列から離れてしまった。

 あっ。

 そのすきにスマートフォンをポスポス操作していた後ろの人が前に来てしまう。


「…………………………あ」


 私はとてつもなく心細くなった。航輝君がいないと何にもできないんだな、私って。

 自分が溜まらなく惨めに思えてきて、私は女子トイレから出た。男子トイレの方もけっこう混んでるみたいで、航輝君はきっとまだ出てこないだろうな。

 あぁ、うぅ、感情が渦を巻いてる。私、今のやり取りでどうすればよかったのかな。


 怖かった。あの人の目が私を睨みつけたとき、私は殺されるかと思った。大げさかと思われるかも知れないけどっ、……ホントにホントにこわかったっ!

 体からじとっと汗が噴き出てくる。なんだか足下がふらついて、まともに歩くこともできなくなってしまう。私ってなんてダメな人間なんだろう。

 私はゆっくりと、壁際に近付いていった。広告が貼り付けてあったから、私は邪魔にならないような位置に立つ。


「………………………………うううっ……………………………………ぐすっ」


 私なんで泣いてるんだろうね。怖かったから? それもある。けどやっぱり自分が惨めだから泣いてるんだと思う。

 欠陥品、トラブルメーカー、ぐず、のろま。私はどれにも当てはまる。

 ささいなことで悩んで、落ち込んで、それで航輝君に迷惑を掛けちゃう。

 た、たかがトイレなのに……。

 壁際に持たれてぼーっとしていると、


「大丈夫かい? 迷子? えーっと、ごめんね? 日本語わかる?」


 駅員さんが話しかけてきた。


「…………えっ、………………ああっ、そのっ……………………あ」


 うまく声が出せない。どうしてもっと器用にできないんだろ。ふつうに人を待ってますって言えばよかったのに、いざとなると言葉がうまく出てこない。

 自分が今なにをしてるのかもわからない。

 こんなにっ。

 こんなにちっちゃなことで、私はつまずいてしまうんだ。


「……困ったなぁ」


 駅員さんが頭を掻く。ごめんなさいごめんなさい。私は頭の中で何度も謝った。けど口からうまく言葉が出てこない。なんでよっ! あんなに日本語一杯一杯練習したのに、航輝君とかお友達以外に対してだと、まともに喋ることもできない。

 けっきょく最後に出てきてくれたのはこんな言葉だった。駅員さんに迷惑を掛けたくなかったから、私はいつものように逃げることを選択した。


「ま、迷子じゃないですっ!」


 私は頭を下げて走り出した。頭の中はぐちゃぐちゃで、パニックになっていた。



 自分がなにを考えてるのかわかんなかった。ただひたすらに走ってた。

 私ってどうしてこんなにダメな人間なんだろうね。そればっかりを考えて、走った。

 無我夢中って言ったらいいのかな。それとも、じ、じぼーじき? だったかな。とにかくそんな言葉で言い表せるような状態に私はあった。


「………………はぁ………………………………」


 体力のある方ではもちろんない。人混みの中を走りに走ってたどり着いた場所は、…………どこだろ。私には見当もつかない場所だった。

 ………………あっ、

 ああっ。

 またやっちゃった。

 私ってなんてドジなんだろう! 自分を責め立てた。


「こ…………うきくん? どこ?」


 弱々しく呟いてみても、雑踏の中に音は消えていっちゃう。私はこれからどうしたらいいのかどこに行けばいいのか全然わかんなくなってた。


「こうきくん……………………!」


 みじめだ。とにかく自分が恥ずかしくてしょうがない。

 航輝君がいなければなにもできない女の子。

 私はふらつきながら通りを歩いて行った。見覚え、あったっけ? 私は一度来た場所でもすぐに忘れちゃうという頭の悪さを持ち合わせていた。何度も行く場所だったらきちんと覚えられるんだけど……。

 だから、ここがどこなのか、わかんない。


「そうだ、………………川!」


 ホテルは川沿いにあったはずだ! だから川に沿って歩けばいずれ元いた場所に戻れるかも知れない。

 だんだんと希望が湧いてきた。よしっ、それなら何とかなるぞ!


「………………川、ないよぅ」


 道を歩けども歩けども、川は見つからなかった。それどころかさらに迷子になっている気すらしてきてしまう。

 どうしよう……。また航輝君に迷惑掛けてしまった。

 大粒の涙が私の頬を伝った。悔しかった。自分にできないことがあまりにも多すぎるのが、悔しかった……。傘を持って出かければ必ずどこかに忘れてきちゃうし、家の中でもスマートフォンをなくしちゃうし。

 もうほんとに、自分に嫌気が差してくる……。

 暗いよ……、航輝君どこにいるの?

 私は街の中を歩いた。本当は歩いちゃ行けないのかも知れないけど、私の足は進みたがってた。なんでだろう。けどじっとしていたら、絶対に航輝君に会えないと思っていたから。


 ――それが間違いだったんだよね。


「ああっ! 見ろよあれ! ほらあの子!」

「えぇ? なに見えないんだけど? どこのこと言ってんの?」

「ほらあそこだよあそこ! 金髪の女の子! 珍しくね?」

「あぁ、見えた見えた。なにあの子外国人? ギャルじゃないよねぇ」


 ビクッと肩が震えた。べつに何気ない会話だったと思う。あの人たちだってきっと悪気はないんだろう。ただ私の珍しさに反応しているだけだよね。


「ちょっと見に行ってみようぜ! もっと近くで見てみたいし!」

「そんな、やめときなって……!」

「ほら行こうぜ!」


 バタバタバタと足音が近付いてくる。

 やだ! なんで! 来ないで来ないで来ないで! 私は念じた。向こうが近付いてくるにつれて私の足が速まるのはもはや当たり前だった。

 怖い怖い怖い怖い! 学校とかで好奇の視線を受けることはいっぱいあったけど、今回のは違う。ほんものの恐怖が私の全身を支配していた! ッ誰か、誰かいないのかな……! けど大声を出す勇気は私にはなくて……!


「おいどこに行くんだよ! あれやっばぁもしかしておれらの会話聞かれてたっぽい? ンでもここまで来たら引き返せないよなぁ」

「ちょっとあんたホントにやめときなって~。調子のりすぎたら警察に訴えられるよ?」

「へーきへーき。へへ、なんかRPGで珍しい魔物見つけたみたいじゃね? ほら早く!」


 私を追いかけているのは男女グループみたいだった。私は必死になって逃げた。怖いからっ。やだ助けて――!!


「おっ、こっちの角曲がったぜぇ」

「ねぇマジで逃げられてるって。これうちら嫌がらせじゃん?」

「あぁでも、あの子めちゃくちゃ可愛かったぜ?」

「はぁ? あんたって奴はホントにサー」


 追いかけてくる足音。私はどんどん路地裏に追い詰められていることを悟った。


「……………………ぇ」


 ついに行き止まりに達した。真っ暗な空間だった。どこかのお店の裏手なのか、換気扇がグワングワン鳴っていた。街の光の差し込まないジメジメとした空間に、男女グループ――六人くらいが私の方に近付いてきた。

 心臓がバクバク言ってしょうがない。ここでなにをされるんだろ……! 怖くてしょうがない! こ、航輝君どこにいるの……!?


「ねぇ、やり過ぎちゃったんじゃない? ほら怯えてんじゃん? ごめんごめんっわたしたちに他意はないからさ……、ちょっと興味本位で追いかけちゃっただけって言うか」


 女の人のうち一人が前に出て私に言ってきた。本当に私に対して害を加える気はないみたいだった。

 ……けど、男の人のうち、ネックレスをつけた茶髪の人がその女の人の肩をぐいと押しのけて、私の方へと近付いてきた。

 怖い。なにをされるんだろう。


「へへっ、わりわりぃ! いやさー、きれいな髪の毛の色だなーって思ってさー。いやしっかし近くで見るとすっごい整った顔してるよねー、目もきれいだし。君いくつなの?」

「じゅ、じゅうろくです……」

「へー十六ねー。あーおれら大学生でみんな二十歳過ぎてんだけど、ッてことはどうでもいいかー。じゅうろくさいかー、そっかそっかー、意外とちっちゃいんだね」

「……」


 私は怖かったけど、この一瞬だけはむっとした。小柄なのは自覚しているが、さすがにこんなに軽々しく言われたくはなかった。


「おっぱいもちっちゃいしねー。なんか子どもみたいだねー。……あぁ悪い悪い! べつに悪口を言ったつもりじゃないからさー、傷つかなくてもいいからねー」


 ……すでに傷ついていた。そこまで言われると思ってなかったからだ。なんで初対面の人に、ここまで言われなくちゃいけないのかな……!

 風がひときわ強く吹いた。私はここからすぐにでも逃げ出したかった。

 けど、この男の人の目がギラリと鋭さを増した気がして、私はよけいに動けなくなってしまう。


「いやー、お願いがあるんだけどさー、ちょっとだけでいいんだっ、写真撮らせてくれないかな。何枚かでいいんだ」

「しゃ、しゃしん……?」


 いくら私でもスマホにカメラ機能がついてることは知ってる。

 けど私の、ほんのちっぽけな防衛本能は赤いランプを灯していた。

 この人たち、写真をどうするつもりなんだろ……。


「ど、どうしてですか?」

「どうしてもこうしてもないって。こんなに可愛い外国人の女の子がいましたって、みんなに伝えるだけだから」


 私の頬を冷たい風が撫でていった。み、みんなって誰だろう……!


「ん? あぁ難しかったかな? いやここ観光地だし、せっかく旅行に来たわけだからネットに上げようと思ってさー」

「……………………ッ!」


 私は首をふるふると振って後ろに下がった。一歩、もう一歩と下がっていく。

 なんでこの人たちはこんなことが出来るんだろう。

 写真。いやだいやだいやだ! 航輝君とか、私の友達に撮られるのなら全然いい! けど知らない人に撮られるのはいやだよ――!


「あら? どうしちゃったのー? そんなに怖いことじゃないって。それよりか、君の容姿を絶賛してくれる人が世界中にできるんだよ? いいじゃん、もしあれだったら一枚だけでいいからさ……」

「――いやですっ!」


 気づいたら私は叫んでいた。思えば珍しいことだったかも知れない。私がこうやって自分の意志をちゃんと相手に示すことができたのは。

 私はゆっくりと顔を上げた。

 そこには恐ろしいものが待っていた。


「いやぁ、べつにおれだって頼み方に気を付けてんだからさぁ、一枚くらいいいじゃねーかよ? な?」


 全然聞く耳を持っていなかった。それどころか言葉の鋭さは激しく増していた。


「いやですっ! 私、迷子でここに来ちゃっただけなんですっ! だ、だから、写真撮ってる余裕なんて……その、な、なななないですからっ!」


 言葉を発しながら涙が溢れてきた。私は一人こんなところでなにをやっているんだろ。


「なぁお嬢ちゃんさぁ。日本の常識って知ってるかな?」

「な、なんですか?」

「常識って奴さ。いいかな? この日本って言う国ではね? 目上の人になにか頼まれごとをされたときは、なるべくうなずいておくもんなんだよ」

「……そう、なんですか?」


 私は知らなかったことを聞かされた。この男の人は相当に怒っている。だから――この件の責任は私にあるんじゃないか、と思い始めた。

 私が知らない常識。そんなこといっぱいあるはずだ。私はついこの間までアメリカに住んでいて、それで日本に来た。一応日本のことについて学んでは来たけれど、それもパンフレットとか雑誌の中での話だ。

 悪いのは、もしかして私なの――!?

 ふつうの人だったら、誰かに頼まれたとき写真を撮られるのが当たり前なんじゃないの!? わかんない! わかんないよっ!! 航輝君がここにいてくれれば聞くことだってできたのに!


「笑顔でこっち向いてくれるだけでいいんだって。それだけで絵になるから、ね? 君はとっても可愛い女の子だから、みんな褒めてくれるよ?」


 ここまでして、写真を撮りたい理由がわからなかった。なんで私の為にこの人は写真を撮ろうとしてるんだろう。


「と、撮るだけでいいんですか?」

「当たり前さ。君に危害を与えるような真似はしないからね。約束するよ」

「わ、わかりました……」


 私は言われたとおりのポーズを取ることにした。そして男の人がスマホをタップして、一瞬のフラッシュのあと満足そうにその写真を確認する。


「へっへ、ありがとさんっ! いやー、なかなかない機会だったからさー、ほんっとにありがとねっ! あぁもしよかったら、君のライン教えてくれない? そうしたら今撮った奴送ってあげるよ?」

「い、いいです……」


 私は疲れ切った顔で断った。私は今それどころじゃないんだ。航輝君を探しに行かなくちゃいけない。会ってごめんなさいと謝らなくちゃいけない。自分勝手な行動を起こして、私なんて迷惑なことしちゃったんだって――!

 私は頭でそればっかりを考えてたんだ。

 だからこの男の人が、なにを企んでいるのか、今ごろに気づいたんだ。

 遅いよね? 私っていつもそうだ。何から何まで頭が回らない。だから人の考えていることがわからないまま、私はただ言われたとおりにうなずくことしかできなかった――! 本当に恥ずかしいし、みじめだ。

 男の人は、こう言ったのだ。


「これでいいねが稼げるぜ!」


 私の頭をその言葉が通り過ぎていった。

 ………………………………そっか。

 目がじんわりと熱くなっていった。そっか、そうなんだ……!

 私は勘違いしていたんだ。この人たちは私のために写真をネットにあげるんじゃない。

 自分たちのためにネットにあげるんだ。

 私の肌がブツブツと粟立っていく。どんなに寒い冬でもこんなになることはなかった。じりじりと、私の背筋を冷たいものが駆け抜けていく。

 今度感じたのは、目に見える怖さじゃなかった。バクゼンとした底の知れない恐怖だった。


「やめ……………………て!」


 私の声は届いていなかったらしかった。男女グループはみんなで固まって何やら話している。


「なぁなぁ、おれにも送ってくれよー。あの子超可愛いしー」

「ダメに決まってんだろ? これはおれが撮った写真なんだからおれが上げるんだ。そのあとでな」

「えーいーじゃん。早く私にも頂戴よ!」

「バカ言え、写真には撮った奴に権利が行くんだぞ。じゃないと誰が撮った写真だかわかんなくなる」


 私はどん底に叩き落とされた気分だった。ネットに上げられる。べつにそんなの構わないと思ってた。

 けどっ! けどっ!! 

 私はぎりっと奥歯をかんだ。悔しくて悔しくてしょうがなかった! 私はただ利用されていただけなんだ。あの人は、自分の欲を満たすためだけに私の写真を撮ったんだ――!!


「やだ……………………だめ……………………あ、あげないで!」


 私は叫んでいた。これには男の人たちも気づいたようで、ぎろっとその瞳という瞳がこちらに向けられた。

 まるでサメの群れに見つかった哀れな小魚のように、私はどうすることもできなかった。ただ口をパクパクさせてその人たちを見つめることしかできない。


「あ?」


 男の人が近付いてくる。私の写真を撮った人だ。ずんずん近付いてきて、私の三十センチほど手前で足を止めた。

 私の足はブルブル震えていた。怖い。こわいよ……。男の人の息が私の顔に掛かってくる。


「てめぇなめてんじゃねーぞ」


 私は腕を掴まれた。なんで? なんでなんでなんで!? 私はなにか悪いことをしちゃったんだろうか! ……そっか。日本では目上の人に従うのは絶対だって、さっきこの人が言ってたんだっけ。

 それ……でもっ!

 やだ。


「は、はなして……はなしてよおっ!」


 私の顔を涙が伝っていく。まるで子どもみたいに叫んだ。子ども……! そう、私って本当に子どもなんだ――! くやしいよ……! 

 けど、彼は止まることを知らなかった。さっきまでの態度が嘘のようだった。


「…………ぁ」

「あぁ!? てめぇいいかげんんいしろよ! 外人だからって調子乗りやがってよ。それともあれか? 自分が可愛いからってチヤホヤされたいだけか? 言っとっけどな、おれてめぇみたいなガキに興味ねーんだよ!」

「………………ぅ」

「ははっ。感謝しろよ! よかったなぁ、おれがガキに興味なくて。それとこの場に他に女がいてよぉ。じゃなきゃお前今ごろなにされても文句は言えねーんだぞ?」


 私は動けない。どうあがいても、私の腕を放してくれる気配がなかった。どうやったら解放されるんだろう。私は必死に考えて――ようやく気づいた。私はなにもしないことが正解なんだ。ここで逃げようとするよりも、私は彼に従った方がいいんだって。


「ご、ごめんなさい……」

「ごめんなさいじゃねーんだよ。ちっ、あー腹立つぜ。なんだってこんな目に遭わされなくちゃいけねーの?」

「ちょっとやめときなって、マジで誰も見てないからって調子乗りすぎだよ大悟!」

「るっせーな、てめぇは黙ってろ!」


 ばちん、と、男の人の掌が女の人の頬を打った。


「………………!」


 女の人が顔を赤くしてその場に倒れ込んでいる。


「ちょっとなにすんのよっ!」

「あぁ? てめぇまでおれをイラつかせんのかよ。いいぜ、相手になってやるよ」

「……っ」


 私の腕から男の人の手が離れる。しかし――私は次の展開をまったく予測できていなかった。


「ちっ、ほんとあんたのせいだから! ざけんじゃないわよ!」


 私の方を見て、女の人が言った。


「……んで?」


 私はぐったりとその場にへたり込んだ。

 男女グループはその場から去って行こうとする。私はその背中を見て、どうしてこんなことになっちゃったんだろうとおもいをはせた。

 あぁ、ダメだ。


「………………あっ………………………………あああああああああっ!!」


 涙が、止まんないよ――っ! 私は惨めでおくびょうで、ささいなことがきっかけで迷子になって、見知らぬ土地に迷い込んで、あげく写真まで撮られて。


「………………こ、うきくん」


 私は彼の顔を思い浮かべた。ほんとにほんとに、私航輝君がいないとダメだ。彼に頼り切って、一人になった途端このザマじゃんか……!

 ははっ。

 なんのために日本に来たんだろ。私は涙をぬぐいながら考える。自分はどうしてこんな目に遭わなくちゃ行けなかったんだろ。やっぱり答えは出なくて。出てくるのはいっつもいっつも涙ばっかりで。

 勉強もできない。スポーツもできない。私は航輝君がいないとまともに道すら歩けない。


「………………あああああああああああああっ!!」


 私は肩をふるわせて大泣きした。これじゃ……赤ちゃんみたいだ。けど、私は赤ちゃんとなにも変わんないんだよね。いつまで経っても成長できずに子どものまま。

 大学生たちの背中が遠ざかっていく。私の目は、もう涙で濡れてそのほとんどを認識できていなかった。

 私は。

 私は一体なんなんだろう。

 感情に答えが出せなくて、自分の意識とはべつのところから、言葉がぼそっとこぼれ出た。それは私なりのSOSだったのかも知れない。言い訳だったのかも知れない。でも言葉にしないと、きっと心が壊れちゃうから。だから溢れてきちゃったんだよ。


「――――ばかみたい」


 あぁ。なんか今自分は言ったんだ。けど言葉は風に溶けて消えていく。きっと誰にも届くことはない、誰の胸にも届くことはない。無力で弱々しいただの一人の子どもの言い訳。

 だから――言葉が返ってくるとは思ってなかったんだ。

 


「――んなことねーよッ!!」

 


 ……誰? 私の耳に響いたその声は、私には誰のものだかわかんなかった。

 そう、それも最初のうちは。


「………………こうきくん?」


 私は顔を上げた。驚いたように大学生たちは航輝君を見つめていた。路地裏に入ってきた彼の呼吸はかなり荒かったけど、それでもその瞳には強いものが感じられた。

 嘘。うそうそうそ! 私の言葉……届いてたの?


「てめぇだれだ? なんでおれたち睨みつけるような真似してくれてんだァ? アァ? おい聞こえてんのかよ! ちっ、ガキがよ」


 航輝君は光る汗を飛ばして、ガッと大学生の胸ぐらを掴んだ。


「テメーら、いい加減にしろよ」


 航輝君が言う。私はただ黙ってことの成り行きを見守っているだけしかできなかった。視界がすごい勢いで滲んでるけど、それでも航輝君を見続けていたかった。


「んだよ、あ? やろうってのか? とんだなめ腐ったガキだぜ! なぁお前ら!」

「ねぇ、この人ガチで怒ってるよ、ヤバくないの?」

「怯んでどうすんだよ。売られたケンカだぜぇ? やろうってふっかけてきたのはそっちだぜ?」

「けどさっ、も、もしかしてその子の関係者なんじゃないの!? ほ、ほら! 迷子になったって言ってたし!」


 瞬間、男の人の目がギラリと光った。


「ほお? そうなのか? だったら悪いことをしたなぁ。けどおれたちなんも悪いことはしてないからな。ただ写真撮らせてもらっただけだ。もちろん合意の上でな。なぁんも悪いことはしてない」


 航輝君はじっとその人のことを見つめていた。男の人は怯んだ様子もなく、ペラペラと言い立てた。


「珍しいだろォ? 外国人の可愛い女の子なんて滅多にお目にかかれるもんじゃない。だから頼んで写真撮らせてもらった。それだけのことだぜ。べつに暴行を加えたりとかはしてない」

「お前らその写真をどうするつもりなんだ?」

「あ? さぁな。どうしようかはこれから決めようと思ってんだ」


 男の人はあからさまに嘘をついていた。航輝君に対して本当のことを言ったら、きっと自分たちが怒られると思ったからだろう。


「嘘をつくな」


 航輝君の声が一段階上がった。私はこんな航輝君の姿を始めた見た。


「嘘じゃねーって、なぁ? ほらお前らからもなんとか言えよ!」

「そうだぜ。おれたちはただ撮らせてもらっただけだ。他意はない」

「ホントなのか、レヴィアン?」


 航輝くんの瞳が私をとらえた。その瞳には優しさがこもっていた。私は、本当のことを言うべきなのかな。

 男の人もギロりとこちらを睨みつけていた。その瞳には、嘘をつけ、と書かれてあった。

 私はぎゅっと唇を噛みしめる。こわいよ……! 嘘をついたら、この人たちに絶対怒鳴られる! それにあの人たちは……私の写真をすでに持っているんだ! べつに弱みって言うわけじゃないけど、もしかしたらあることないこと書かれるかも知れない――!


 もうこの時点で、私たちは追い詰められてるんだ。

 私はどうしたらいいんだろうか、ひたすら悩みに悩んだあと、ふと航輝君の方を見た。本当になんとなくだった。けど彼は、私に語りかけるように、安心させるように、その瞳を私に向けていた――


「――わ」


 私は口を開く。ここで嘘をついたら、きっと航輝君も裏切ることになっちゃうから。そんなのいやだから。航輝君を信じたいからっ!


「わ、私の写真を、ネットに上げるって――」

「ちっ――」


 舌打ちが聞こえた。私は終わったと思った。

 そのときだった。


「消せよ」

「あん?」

「いいから消せっつってんだよ」


 航輝君の凍て付いた声。その声が場を支配した瞬間だった。


「おい、おいおいおい! あいつの言うこと信用するって言うのかよっ! おれらはただ自分たちで旅の思い出にするためだけに写真撮らせてもらっただけなんだぜ?」

「嘘をついてんのはお前らの方だろうが!! いい加減にしやがれ!! お前がしようとしてることは、レヴィアンを傷付けることなんだぞ!? てめぇらにはなんでそれが分かんねーんだよッ!」

「わかってるって。おれらは本当に――ッ!」

「本当に? なんだよ。お前らは本当に自分たちがよければそれでいいとでも思ってんのか? あめーんだよ、その考え方自体が」


 航輝君はゴクリと唾を飲み込んだ。私が見たことのない表情で、航輝君は言った。


「――――じゃあなんであいつはあんなに泣いてんだよッ!! あんなに辛そうな表情してんだよッ!! 合意の上だと? 戯れ言も対外にしろよ!? あいつが喜んで写真撮ってもらったとでも思ってんのかよッ!! あれがそんな奴の表情に見えるのかよッ!!」


 それはきっと、私の心にも響いたんだ。航輝君は誰よりも私のことを信頼してくれてるんだって、そう実感できたから。

 だから私の瞳から、またたくさんの思いがあふれ出てきたんだ。


「…………ぁ」


 航輝君は前のめりになって、大学生の男の人に詰め寄った。男の人は後ろにのけぞって、完全に航輝君の勢いに押されている。


「何様のつもりだ? 旅行に来て頭がおかしくなったのか? いや違うな。てめぇらみたいな青二才はどこに行ったって頭おかしいだろうな。人を傷付けていることにも気づかずに、ただ自分の承認欲求を満たすためだけに動いてやがんだろ? 違うかよッ!!」

「……いや、それは」

「消せ」

「……ぇ?」

「お前らの撮った写真すべて消せ!! あいつが嫌々撮った写真なら、とっとと消せっつってんだよ!! てめぇら日本語もわかんねぇのか?」


 完全に航輝君が押していた。他の誰も、なにも、答えることができなくなっている。

 航輝君……私のために怒ってくれてるんだよね。私の言ったことを、信じてくれてるんだよね? 


「何枚撮ったんだ?」

「い、一枚です……」

「ならその一枚、おれの目の前で消せ」

「………………………………………………はい」


 男の人がスマホを操作して、写真を消していく。消し終わったことを確認するために、男の人は画面を航輝君に見せる。

 航輝君の表情が、ひゅっと緩んだ気がした。


「行ってくれるか?」


 大学生たちは、足取りも速くその場を立ち去っていく。リーダー格の男の人は逃げるような感じだったけど、女の人は逆にこっちに恨みを込めた視線を送っていた。

 けど私はそんなこと気にならなかった。航輝君が私の前にいたから、心の底から安心できた。


「――こうきくんっ!」

「……ぬおっ」


 私は航輝君に抱きついた。そのままほっぺたを彼のお腹にこすり付ける。はしたないとかみっともないとか思わなかった。航輝君の温もりに浸っていたかった。


「……こわかったろ?」

「うんっ…………………………うんっ! こわかったよっ……! 私一人でこんなとこに来て、迷子になっちゃって! それで追いかけられちゃって!」

「そうか。そりゃあおれも悪いことしたな。……油断したおれの責任だな」

「そんなこと……ないっ! 私ドジだからッ! なにをやってもうまくいかない子だからっ! 航輝君に迷惑掛けちゃったの、全部私のせいだからッ!」


 顔中グズグズになってると思う。涙があふれ出てきて、今はとにかく航輝君と一緒にいたかった。

 航輝君の腕の中は本当にぬくぬくしていた。ぽんぽんと、彼は私の背中を叩いてくれた。


「お前はお前が思ってるほど、迷惑掛けてなんかないぞ」

「違うっ! 違う違う違うっ! 私がいっつもなんかしでかして、航輝君引っかき回して――!」

「違うぞ、レヴィアン。何度も言わせんな。お前は出来損ないなんかじゃない」

「……ぇ」


 私は意味がわかんなかった。航輝君の足を引っ張っているのは、常に私なんだ。それなのに航輝君はどうしてこんなにも優しい笑みを浮かべてくれるんだろう。

 やがて彼のおっきなてのひらが、私の頭の上に乗った。

 そしてその表情が――とびきり意地の悪い笑みに変わった。


「んま、たしかにお前は至らないところもあるな」

「…………んなっ!」

「でもな。お前はおれができないことをできるんだよ」

「できないこと……?」

「あぁ。たとえばお前の料理は、おれの中で一番うまい」

「……! そんなことないっ!」


「いや、マジであるんだよ。お前がそう思ってないだけで、お前はとんでもないスキルの持ち主なんだぞ? どんなホテルの料理よりも、どんな料亭の料理よりも、お前の料理にはかなわない。知ってるか? おれ意外と舌が肥えてるんだぜ?」

「ち、違うからっ! ホテルの料理の方がおいしいもんっ!」

「おいそんな卑下するなよ……。いいか、お前がどう思うかじゃなくてだな、お前の料理を食べてるおれが言うんだ。間違いねーんだよ」


 私は鼻水をすすった。航輝君は気まずそうに目を逸らす。


「……あー、だから、その、なんだ? と、とにかくよ。お前の料理は世界で一番うまい。それで、お前の料理をこれから一番食べるのはおれだろ?」


 …………あ。そっか。

 考えてみればそうだった。航輝君は私の料理をこれからも毎日食べ続けることになるんだ。


「そのおれがうまいっつってんだ。そして食いたいとも思ってる。一日五食は食いたいと言っても過言じゃないぜ」

「け、けどっ! それでも、私、航輝君にこれからどんな迷惑掛けるかわかんないよっ!?」

「ははっ! そうだなっ! だけど迷惑掛けられるのも嫌いじゃないぜ。第一迷惑掛けるのは、おれだってそうだろ? 恥ずかしい話、食事中に食べ物ぽろっとフォークからこぼしちまうことだってあるし、なにかの拍子で勢い余ってふすま破いちまうことだってある」


 航輝君はそれから私の目をじっと見つめてきた。きれいな目だな。


「お互い様だろ、んなもん。それにおれにとってお前はもったいないくらいの嫁さんだから。大事にしたいんだよ。親同士が決めた婚約っつっても、おれらがそれでいいと思えば、なにも問題ねーだろ? 違うか?」


 ………………うっ。


「おい泣くなよ。悪い悪い! 言葉が悪かったか?」

「ちっ、違うよぅ! 航輝君の言葉が、わ、わたしぃ、嬉しすぎて……ッ!」

「そ、そうか? ならよかった」

「航輝君の傍にずっといてもいいの?」


 私は聞いた。航輝君は清々しいほどの笑顔で、言ってくれた。


「そんなこと言うまでもないな。おれだってお前と一緒にいて楽しいんだ。お前と離れるなんて今さら考えられん」

「こ、こうきくん~~~~っ!」

「うおい! お前顔ぐちゃぐちゃじゃねーか! ほらティッシュ! 顔拭け顔!」

「…………うんっ! 航輝君ありがと……!」

「ったくしょうがねー奴だな」


 私は顔をティッシュでぬぐう。航輝君はその間ずっと待っててくれる。


「終わったか?」

「ご、ごめんねっ! ちょっと待ってて……」


 あぁ、ダメじゃん。私頑張っても頑張っても、涙が出てきて、一向に止まる気配がなくなっている。


「そんなに嬉しかったのか……」


 航輝君は腕組みしながらこちらを見てくる。う、嬉しかったもん……。


「なぁ、レヴィアンさ。また明日帰ったら、ご飯作ってくれるか?」


 しゅうう、と風が吹いていった。航輝君はずっと壁の方を見ていた。その顔がちょっとだけ赤くなってたのを私は見逃さない。


「ねぇ、航輝君?」

「ん、なんだ?」


 私はさっき航輝君が浮かべた意地の悪い笑みを真似して、言った。初めてここまで積極的になれたかもな。

 航輝君が私に自信を持たせてくれたから――

 

「へへ、………………いいよっ!」




――羽田航輝――


 帰り道。


「おい暑苦しいぞ」

「…………」


 おれの腕にべっとりとレヴィアンの腕が絡みついてくる。胸まで押しつけられている。おいおいおい! マジで暑苦しいんだって!


「こ、恋人同士ってこうするんでしょっ!」


 どこで仕入れた知識なんだよ!? ようわからん……!

 あぁきっとあれか、レヴィアンの友達に教わったのかもしれんな。

 ただ――とおれはレヴィアンの方をチラ見した。顔を真っ赤にして、おれとは反対の方を向いている。お店の人が客呼びのため声を荒らげるたびに、レヴィアンはビクッと震える。


「(――恋人、なのか?)」


 正直答えは出せねーな。恋愛がきっかけの婚約じゃない。それはもう何度だって書いたことだ。

 許嫁。

 おれとこいつの距離って言うのは、どう定義されるべきなんだろうな。

 ……いや、

 そんなことばっかり考えているからいけないのか。

 おれは自分の気持ちに正直になった方がいいんじゃないか? そんなくだらないことをうだうだ考えているより、おれがレヴィアンに対してどう思っているか、それが重要なんじゃないのか?


 許嫁とはなにか。婚約とはなにか。こんなことはいちいち考えたってしょうがないのではないのか?

 おれは――レヴィアンと今後どうしていきたいのか、なんて、また後で考えればいい話じゃないか?

 今は。今なりの答えを出しておこう。


「レヴィアン、ちょっと離れてくれるか?」

「え? な、なんで……?」

「いいから離れてくれ」


 レヴィアンはゆっくりとおれから離れていく。そしておれはその彼女の手を取った。ふつうの繋ぎ方じゃなく、指の間におれの指を挟み込む形で握る。


「こ、うきくん? なにこれ?」

「ん? いや気にすんな。お前に抱きつかれるのも嫌いじゃないが、おれはこっちの方が好きだな」

「……そう、なの? うんわかった! 今度からこうやって繋ぐねっ!」


 街の灯りはまだ消えない。

 おれたちは自分たちのペースで歩いて行く――

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