第3話 レヴィアンの秘密

 それからおれとレヴィアンの新婚生活(?)はしばらく続いた。いやしばらくというか、これから一生続くのだろう。……いや実感わかねぇ。

 正直レヴィアンは危なっかしい。だが苦手なところと得意なところがはっきりしている分、こちらとしても対応しやすい。


 ……まぁぶっちゃけた話、おれはレヴィアンに頼っているところも大きい。

 彼女の手料理はたいへん美味だ。ほっぺが落ちそうなほどにうまい。それは間違いなく認めるところだ。

 そして彼女は料理だけでなく、掃除も片付けもうまい。おれが任せると、部屋の掃除をぱっぱと済ませてしまい、おれがもう一度入っていくときにはもうピカピカだった。ほんとどこでこんなスキル身につけたんだろうか。


 家事全般をやってくれると言うことだったので、もちろん彼女が洗濯をする。だが考えて欲しい。おれの下着も彼女が洗うのだ。なんというか最初の頃はむずがゆいものがあった。多分レヴィアンもおれのパンツを洗濯機に入れるとき、似たような思いを味わったはずだ。

 とまぁこんな感じで、日々が続いた。おれがファミレスから帰ってくると、金髪碧眼のレヴィアンがエプロン姿で迎えてくれるのには、けっこうぐっとくるものはある。否定はしない。


 だがまだ同居の段階というべきだろう。新婚とは言っても、まだ婚姻届を出してはいない。のちのち出すことになるのだろうが。

 学校では彼氏彼女の関係性であることを公言しているが、べつにデートに行ったりとかはしてない。だから世の中の夫婦がたいてい経験してきたであろう恋愛行為は行っていない。


 それでもおれとしては彼女の存在がありがたかったし、彼女もおれに尽くしてくれる。

 これ以上何を望むというのだろうか。



 とある日の一幕――


「航輝君! メスシリンダーとメスフラスコの違いってなに……!?」

「航輝君! かかかけ算の筆算の仕方教えて!」

「航輝君! 虫眼鏡で太陽を見ちゃいけない理由ってなに!?」


 おれは頭を抱えたね。いやまぁ中間試験が近いからという理由で勉強会を開いたはいいが、まさかここまでレヴィアンの学力が低かったとは……。

 おれはどう教えたらいいかを考えに考え、一番わかりやすいと思われる方法で彼女に教えてやる。


「航輝君の貴重な時間奪っちゃって……その、ほんとに、ごめんなさい……!」

「いや、構わん。むしろおれはヒマなくらいだからな。案ずるな、お前にいい点取らせてやる」

「ほ、ほんとにっ! わ、私頑張っちゃう! えへへ、航輝君に励まされちゃった……!」


 レヴィアンがシャーペン片手に喜んでいる。その姿はまるで子どもである。……こいつ本当に同い年かよ。っていうかこいつおれの嫁なんだよな。まだ実感わかんな。


「できる範囲でやっていけ。焦りって言うのは一番ダメなことだからな。まずは解ける問題から解いていけるようになることだ」

「わ、私ってさ、自分でも気づいてるけどけっこう頭悪いよね……!?」

「あぁ悪いな」

「即答なんだ!?」

「まぁしかし、努力できる人間であることは間違いない」

「どっ、どりょく……ふわあああああ、ほ、褒められてもなにも出ないってー!」


 こいついちいち反応がデカいんだよな……。まぁ見てて可愛いところもあるが。

 中間試験の内容はすでに把握済みなので、あとはそこのレベルにどう近づけていくかが重要だ。

 ちなみにおれの方は、まぁ日ごろの勉強を欠かさずに行っているので大して問題はないだろう。



 さて、おれにはやるべきことがあった。

 ひとまず電話まで歩いて行く。なんて切り出すかは考えていない。それでもあいつに連絡する必要はあるだろう。あのクソ親父、いきなり結婚を押しつけておいて連絡の一つもよこさないとはどういうことだ。

 もう五月一日である。おかげさまですっかり生活に慣れちまったじゃねーか。


「よう、おれだ。悪いが社長を出してくれないか?」

「はい、少々お待ちくださいね……、社長お電話ですよー」


 嘘だろ? おれは正直拍子抜けした。まさかこんなに簡単に連絡が取れるとは思ってもみなかったからだ。前回の突っぱね方は尋常じゃなかったからな。


「おう、久しいな。元気してるか? もうヤったか?」

「ヤってねーよ、ぶっとばすぞ」

「あははっ! 電話越しにどうやってぶっ飛ばすって言うんだね? ほらやってみろよほら!」

「………………」


 マジで腹立つぜこの親父ィ!! おれはこんな親父の遺伝子を継いでんのかよ。マジかよショックだぜ。


「いきなり息子に知らない女と生活させておいて、そのままほったらかしってどういうことだよ。説明しろ説明」


 親父はどうやら耳かきをしているらしい。ふー、と息を吹きかける音がする。気持ち悪いな……。


「んだよ。んな怒ることはないだろう。だいたい連絡つけたいんならそっちからすりゃあよかったじゃねーか。なんで親から常に連絡がよこされると思ってんだよ」

「そりゃあ前回秘書ブロックされたからに決まってんだろうが」


 あぁ、ちくしょう。会話が噛み合わねーぜ。相手はおれの家族なんだぜ? それなのにどこか言葉が通じていない感じがある。

 親父は声を低くして聞いてきた。あまりにもいきなりだからビックリしたぜ。


「……楽しいか?」


 しばらく無言の間があった。その質問を親父がしてきた意味を深く考えていたからだ。

 レヴィアンとの生活は、楽しいだろうか。いや間違いなく楽しい。ご飯は作ってくれるし、ときどき、……あ、あーんもしてくれる。洗濯も掃除もしてくれる。

 今おれは、学校生活よりも家での生活の方を楽しみにしているんじゃないか?


「そうだな。まぁ、楽しいと言えば楽しいよ」

「そうか、そりゃあよかった」

「よかった、じゃねーよ。いきなりだったから困惑したじゃねーか。年頃の女子と同居するなんて、こっちからしたらビビりモンだぜ。しかもあいついきなり部屋で着替え始めるし……」

「あっははは! 面白い子だろう! お前はもしかしたらあの子と初対面だって思ってるかも知れないが、実は昔会ってんだぞ」

「なっ――――――は?」


 息が詰まった。言葉が思い浮かばない。っていうか意味がわからなかった。おれがあの子とあっているだと?

 んなまさか!


「……いつ、どこで?」

「お前に話す義理なんざねーよ。だいたいおれの口から話してどうすんだ! 嫁さん近くにいるんなら、きちんと自分から問いかけたらどうなんだ」


 ……ぐっ。ド正論である。返す言葉もない。


「……わかった。とりあえずレヴィアンに直接聞いてみよう。あとそれと聞きたいことがある」

「……ん、どした? なんだ恋の悩みか? それなら昔モテまくりだったおれが教えてやらんことも――」

「嫁(未来形)がいるのに恋の悩みするバカがどこにいんだよ。そうじゃなくて、ほら、その、体調とか崩してねーのかよ」

「だっはははははは!! 体調とか崩してねーのかよ、だとぉ! おい聞いたか丸山! うちの息子が親父の体のこと心配してやがんぞぉ! 絶対あいつ電話持ちながらぷるぷる震えて顔真っ赤にしてやがるぞぉ! だっははははは! おもしれー!」

「――ちっ!」


 おれは歯ぎしりしながら電話を切った。あぁそうだよ! おれは今顔真っ赤にしてぷるぷる震えてるよ! ちっ! ンだよあのクソ親父ぃ! 心配して損したじゃねーかよ!


「あ、あのぅ、だ、大丈夫……かな?」


 おれがふと見やると、レヴィアンがパジャマ姿でもじもじしながら立っていた。


「あぁ。まぁ親父と一悶着あっただけだ。心配には及ばねーよ」

「そ、そうなんだ……。お父さん元気にしてた?」

「そりゃもうピンピンしてるぜ! 腹立つくらいにな!」

「よ、よかったね! わ、私あの人に最初にあったとき、すごい怖い人だって思ってたんだけど、す、すっごくいい人だって知ってるから! いいお父さんだね!?」


 レヴィアンが夜とは思えないハイテンションっぷりで言ってくる。

 いい親父、かぁ。

 まぁ、これも正直建前上の関係性のような気がする。親父はビジネスマンとして優秀だ。だから建前をものすごくうまく使える。だからおれに対しても本音を見せない。本音かどうかすらもわからせない。

 本当に腹割って話したら大げんかになるだろうな。


「レヴィアン、あいつのこと尊敬してんのか?」

「う、うんっ!」


 レヴィアンは首の骨折れるんじゃないかってくらい激しく首を振る。そんなに好きなのかよおれの親父……。まぁこの子は優しさに対して懐きやすいところはあるのかもな。


「あ、あのさっ……航輝君これから、どうする!?」

「どうするって、なにが?」

「い、いっつもさ、航輝君ソファで寝てるじゃん! で、でも、ほらその……、わ、私たち夫婦だしさ、い、いいいいいいいい一緒に寝ない!?」

「………………」

「だ、だめ?」


 おれはどうしたらいいかと考える振りをして、実は内心ではドギマギしまくってる。

 いや、べつに襲うつもりはない。いくら何でもそれは節操がなさ過ぎる。レヴィアンは美形だし、たしかに性的な魅力は高いが、それでもだ。


「お、おう……。まぁお前がいいならいいぞ」

「……い、いいの? ほんとに?」

「まぁただ一緒に寝るだけだろ。あと、お前に聞きたいこともあるからな。ちょっと長話したいってのもある」

「う、うん……もしかして、私のこと?」

「そうだな。お互い知り合ってから一ヶ月経つし、そろそろちゃんとした話をしないといけないからな」



 部屋に戻るとレヴィアンがベッドの上で何やらもじもじしていた。なんでパジャマの裾を引っ張って伸ばしたりしてるんだかわからない。


「待たせたな」


 おれは風呂上がりだった。ジャージの上下を着ている。髪はまだ生乾きだが、正直面倒だからこのままでいいかと放置している。


「こ、航輝君って髪下ろすとなんか全然違う人みたいになるよね……!? そ、そっちももちろんかっこいいよ!」

「そうか? まぁたしかに……ふだんオールバックにしてる奴って風呂上がりだとたいへんなことになるんだよな。前髪がすっごいうっとうしいんだよ……」

「じゃ、じゃあさっ、これつけるっ!? わ、私のヘアバンドなんだけど……よかったら使ってよ!」

「へー、ヘアバンドか」

「つ、つつつけてあげるねっ……!」

「ん、じゃあお願いしようかな」


 レヴィアンがおれの頭にヘアバンドを着けてくれる。っておい! この角度だと胸見えちゃってんじゃねーか! さすがに、あ、あの部分は見えないけど、隆起した肌色がおれの網膜にダイレクトアタックしてきてる!


「お、おいレヴィアン……」

「んっ、なぁに、航輝君?」

「い、いやなんでもない……」


 ここは我慢だろう。男はだいたい節操がないと言われるが、おれは違う。獣じゃない。進化した人間なのだ。だから心を落ち着かせる。


「……くっ、おいレヴィアンまだか」

「ご、ごめんね、痛い?」

「痛くはないが、お、お前の胸が見えてるんだが」

「~~~~~~~~~~~~っ!」


 レヴィアンはそそくさと後ろに下がる。ちょっと待て、ヘアバンドまだつけ終わってないじゃないか。


「こ、航輝君のエッチ!」

「ふ、不可抗力だと思うんだが……」

「あっ、そ、そうだよね……。無防備な服着てる私の方がいけないんだよね! ごめん……」


 レヴィアンはその蒼い瞳を潤ませて、下を向いてしまう。まぁだいたいこういうときにおれが取るべき行動ってのは決まってる。

 おれは彼女の頭を撫でた。


「こ、航輝君……! ぐすん! 私、不器用でごめんね……」

「いいってば。ほら、ヘアバンドつけてくれるんだろ?」

「う、うん、ちょっと待っててね!」


 やれやれだ。ヘアバンドつけるのにどんだけ苦労してるんだか。


「か、鏡持ってくるね!」


 おれは渡された手鏡をまじまじと見つめた。ほお、なかなかいいんじゃないのか?


「に、似合ってる……」


 レヴィアンはぼすんという効果音を立てて顔を熟れたリンゴみたいに赤くする。そ、そんなに似合ってるか? 


「あ、それ、あげるっ! 航輝君のものでいいよ!!」

「いいのか? お前が使ってたんじゃないの?」

「いいのいいの! 航輝君につけて欲しいな……」


 おれはそのレヴィアンの言葉にものすごいドキッときた。あれ、おかしいな。自分で自分の顔が赤くなっていることがはっきりとわかる。


「お、おう……、お前がそう言うんならありがたくいただくことにするよ」


 するとレヴィアンはおれの裾を掴んできた。握りしめた拳を胸の前で振るわせて、震える唇を開いた。


「い、家にいるときは、そっちの髪型にしてほしい……。だ、だめ?」

「……」


 くそ。くそくそくそ! おれはなに動揺してるんだ! なにこのシチュエーションにドギマギしてるんだよ! だけどおれにとってその発言は爆弾にも等しかった。これで動揺しない男がいるのなら、多分そいつは神かなにかだ。そしておれは神ではない。たかだか思春期の男子なのである。


「わ、わかったぞ。お前が言うんなら、家ではバンドつけることにするよ……」


 おれが言うとレヴィアンはヒマワリのような笑みを浮かべるのであった。



「んで、じゃあ本題に入ろうか」

「う、うん……よろしくお願いします?」


 そんな改まらなくてもいいのに。レヴィアンはおれの前で正座した。っていうか正座自体かなりぎこちないぞ。慣れてないのか。


「あんま慣れてないなら、ふつうに座ってていいんだぞ。べつにそこまで重たい話をするわけじゃないんだから」

「そ、そうだよね……、じゃあ足崩すね……!」


 レヴィアンの表情は硬い。どうやらかなり緊張しているらしい。


「き、聞きたいことってなにかな?」

「あぁ。さっき親父から聞いたんだが、おれとお前が昔知り合ってた、みたいな話だ。悪いがおれは全然記憶にない」

「……そ、っか。そうだよね、昔のことだもん。覚えてるわけないよね……」


 レヴィアンの顔が見る見るうちに暗くなっていく。おれはチリチリと罪悪感を抱き始めていた。

 もしかしたらこいつと会ってるのはすごい昔のことなのかも知れない。たとえば幼稚園児くらいの時とか。なら覚えているわけがない。


「いつだ?」

「航輝君が小学校の頃。多分四年生くらいじゃないかな」

「……。詳しく聞かせてもらっていいか?」

「う、うん」


 それからレヴィアンは記憶を掘り起こすように語り始めた。



 わ、私ね、昔両親に連れられてよくパーティーに参加してたの。そ、そこで航輝君と出会ったんだけど。そ、そっか、覚えてないかぁ。あ、ううん、覚えてもらってるって思ってる方が都合がいい話だよね。

 私ああいう場所が本当に苦手だったんだ。なんか人が多いと、頭がクラクラしちゃうって言うかさ。

 あるときのハワイでのパーティだったんだけど、こっそり抜け出して海に行くことにしたんだ。


 すっごくきれいな海だったよ! 夕暮れで、真っ赤な太陽が空の彼方に沈んでいくの。私は世界にこんなきれいなものがあるんだって、涙流しちゃったんだ。あはは、ちょっと変な子だよね……。

 パーティ用のドレスを着てたんだけど、藪の中を抜けてきたからすっごくぼろぼろになっちゃったんだ。膝もすりむいちゃって、血がとくとく溢れてきたりもした。

 だからそれを拭こうとして、は、ハンカチを取り出したんだけど、急に強い風が吹いて飛んでちゃったんだ。ま、まてー、って追いかけたんだけど、ずっと遠くに行っちゃって。


 そのとき、海岸のところに誰かが立ってるのに気づいたんだ。それが航輝君だった。すっごいかっこいい人だなって思った。夕日を眺めながら、ポケットに手を入れてただじっとしてるだけで絵になるんだもん。

 航輝君があのときぱっと顔を上げて、飛んでいったハンカチをキャッチしてくれたんだよ? それで航輝君はなにごともなかったようにそれを渡してくれたんだ。

 航輝君すっごい笑顔でハンカチ渡してくれて、私その笑顔に、み、みとれちゃったんだ。どうしたの、って航輝君聞いてきて、私すっごく動揺して、うまく答えられなかった。


 航輝君あのときポロシャツに短パン姿だった。……ご、ごめん、変だよね。あのときの容姿覚えてるって、気持ち悪いよね。

 でもその姿で、私にぽつりと言ってきてくれたんだよ。『きれいだね』って。もちろん夕日のことだってわかってた。私も、『うん』って答えた。

 そのあと、しばらく離した。『君はどこの国の人?』とか『親はなにしてる人?』とか、色々。

 ほ、ほほんとに楽しかった。航輝君と会話してると、なんか自分が自分じゃなくなるみたいで。こっ、航輝君話し上手だから、私も話しやすくて。どんどん航輝君に引き込まれていったんだよ!

 

 けど、けどね。私が一番嬉しかったのは『君はどうしてここにいるの』って聞いてこなかったことなんだ。


 私そのときすっごく寂しくて、現実から逃げ出したくてしょうがなかったんだ。わ、私ってこんなにもポンコツだし、出版社の娘のくせに読むのも書くのも苦手だから。自分で自分がいやでいやでしょうがなくって。

 だから、っていうのかな。不思議とこう思えたんだ。


 ここにいることに理由はいらないって。


 おかしな話だよね。けど私にはそれがすごく安心できて、心地よかった。

 同時に、この人はもしかして私と似たようなものを感じているんじゃないかって。シンパシーって言うか、ご、ごめんこれ勝手な推測だから! けど辛いものを抱えてて、それを必死に自分の中でこらえてる、そんな感じがしたんだ。


 あのときの航輝君の瞳に、私吸い寄せられそうだった。目だけで人を判断するのってあんまよくないかも知れないけど、それでも私は航輝君の目に惹かれちゃったんだ。どうしようもなく、理屈じゃなくて、心の奥底から……ひ、惹かれてた。

 こ、こここんなに長話しちゃってごめんね! 航輝君私のこと覚えてないんだもんね! ほんと、自分語りしちゃってごめん。け、けど本心で思ったことだから、ちゃんと伝えなくちゃって思って……。



「……」

 おれはレヴィアンの話を聞き終えたあと黙っていた。

 記憶にあるかないかで言えば、ある。

 海辺でハンカチを一人の少女に渡したこと、その程度の記憶でしかなかった。正直ハワイで金髪の女の子と出会っても何ら不思議ではなかったし、珍しいことだとは思わなかったから。会話も多分覚えてないってことは英語でかわしたんだろう。

 おれは前にも言ったと思うが、実家は乾麺会社である。それなりに社会的地位を築いているし、国際パーティーにも何百回と行った。行かされたって言った方が正しいか。


 おれの記憶の中では、はっきり言ってたいしたことではなかった。だけどレヴィアンはその思い出を今まで大事にしてきた。


「悪い。一人の少女にハンカチを渡したことはちゃんと覚えてる。けどお前だってことはわからなかった。……そうか、お前だったのか」

「……覚えてて、くれたの?」

「いやまぁ。お前だってことは今初めて気づいた」

「あはは、そりゃそうだよね……!」

「けどな、お前がその思い出を大事にしてくれたことは、なんつーかすごく嬉しく思う。……きっとお前が感じたことは真実だ。あんときはおれも色々な病んでたからな。……ま、けど、お前が思っているほど、おれは強い人間ではないが」

「……そうかな。わ、私から見たら航輝君すごい人だと思うんだけどな!」

「そうか?」

「そうだよ!! 航輝君誰とでも話できるでしょ? 私ソレできない。勉強もスポーツも得意でしょ? 私にはそれ、できないことだから……!」

「……」


 おれは照れからか、うまく言葉を返せなかった。自然とレヴィアンからも目を逸らしてしまう。

 たしかにおれは成績学年一位だし、スポーツテストだって一位だ。傍から見たら完璧な人間だろう。自分で言うのもなんだが、容姿だってすぐれている。ラブレターだって何通ももらった。


 けどおれの親父から見たら全然違う。おれは出来損ないとまではいかないが、まぁ言うことを聞かないボンクラ息子ってとこだろう。能力的に見ても、ビジネスマンとして中の中くらいに見られている。

 親父たちが求めるレベルは、もっと高い。だって世界を視野に入れているからな。どんどん市場規模を拡大しているのだ。おれがそれにふさわしい人材かというと、べつにそうでもないだろう。


 だいたいおれには上には姉と、兄がいる。双子のな。会社を継がせるのであればまずそいつらだろう。おれよか遥かに優秀だからな。

 気づいたら、おれの手にレヴィアンの手が重なっていた。小さな手だ。彼女は上目遣いに、おれを心配そうに見つめている。


「大丈夫?」

「……あぁ。まぁたいしたことじゃない。それと、ありがとな。お前の話を聞かせてくれて」

「う、うん……! 航輝君にはちゃんと話さなきゃいけないことだし」

「はは。お前それ遠回しに愛の告白だって気づいてるのか?」

「ええっ! そ、そんなっ! わたしそんなつもりじゃ! う、うん、ごめんそのつもりかも……!」


 おれはあたふたするレヴィアンを見て、ふっと頬を緩めた。親同士が決定した婚約だが、正直こいつが嫁でよかったなと思える。これだけおれのことを思ってくれているのだから。


「よしっ、寝るかー。明日も学校だしな」

「こ、航輝君、あのさっ!」

「うん?」

「私もっとお話ししたいな!!」

「なんだ。お前から話したいなんて、ちょっと意外だな」

「わ、私のこと、知って欲しいな、って。も、もし航輝君がよければ、だけどっ!」

「いいぜ。お前が話したいだけ話してくれれば」

「ほっ、ほんとに!?」


 おれがうなずくとレヴィアンはまた華やかな笑みを咲かせた。



 心臓の音がよく聞こえる。耳の裏で、とくとくとくとくうるさい。隣にはレヴィアンの温もりがあった。

 お、落ち着かねー。

 それでもおれたちは会話をした。まだ出会ってから一ヶ月しか経っていない。だからお互いがお互いのことをあまり詳しく知らない。


「でな、おれの上にはあと二人いるんだ。姉と、兄がな。あいつらは双子で、いっつも会うたびに口げんかしててな。弟のおれからすると迷惑極まりないっつうの。で会社のあとをどっちが継ぐかでもめてんだ」

「へー、こ、航輝君は参戦しないの? そのケンカに……!」

「むりだろ、さすがにな。スペックがあいつらの方が遥かに上だってよく知ってるからな。おれなんかじゃ言い負かされるし、実務面でも向こうの方が上だ。まぁだからっていっちゃなんだが、気は楽かもな」

「こ、航輝君よりもすごいんだ……! どんな人なんだろ?」

「まぁ会わない方がいいと思うぞ」

「そ、そうなのかなぁ……?」

「それよりレヴィアンの方はどうなんだ? きょうだいいたりしないのか?」

「い、いるよ! 私も航輝君と同じで、上に三人いるんだ! お姉ちゃんが三人。すっごく優秀で、私と全然違うんだ……!」

「ほお」

「お姉ちゃんたちはすっごく頭もよくてね、私いっつも見下されてたんだ……。し、シンデレラって物語知ってる? わ、私自分で言うのもなんだけど、あんな感じで……。ほんとどうしてできないんだろうって、くやしかった」

「そうなのか? まぁたしかに至らない部分もたくさんあるが、家のことはちゃんとやってくれるだろ?」

「……うん。ずっと家にいたから、することなくって。でもやってるうちにだんだん慣れてきて、メイドさんから色んなこと教わったんだよっ!!」


 そうだったのか……。

 おれはレヴィアンの頭を撫でてやる。べつに彼女が嫌がる様子はなかった。


「お前は偉いと思うぞ」

「……へ、へへ。そうかな? けどお姉ちゃんたちができないことをできるようになるって、すっごく楽しかった。自分の価値って言うのが、自分の中でしっかり把握できるようになってったから――!」


 レヴィアンの瞳はつややかだった。家で動くと言うことはそれだけ彼女にとって重要なことなのだろう。

 おれはちらっと時計を見た。もう日付が変わってから二時間も経ってやがる。


「寝るか?」

「う、うん。明日も早起きしなくちゃね」


 おれが眠りに着こうとすると、レヴィアンがそっと手を重ねてきた。少しはドキッとしたが、まぁよくよく考えればこいつはおれの嫁になる女の子なのだ。べつにおかしなことなんてなにもないだろう。

 ゆっくりと落ちるように眠りに入った。


 

 数日後のことだ。


「やややややったよ航輝君! 私赤点回避できたよ! 航輝君のおかげだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「おお、落ち着けって! ここ学校じゃねーか! ほら、色んな奴がこっち見てるぞ!」

「航輝君……! わたじやったよおおおおおおおお! 嬉しいよおおおおおっ!」

「落ち着け……、いいか深呼吸だ。深く吸ってぇ、深く吐く。どうだ、落ち着いたか?」

「う、うん、ちょっと落ち着いたよ……! へ、へへ、ごめんね航輝君。私取り乱しちゃって……」

「はぁ。まぁお前もそれくらい嬉しかったってことだろ? なら胸張れよ。お前の努力が報われたんだ」

「へ、へへへ! 航輝君すき」


 おれは、あ、やばいなと思った。これはかなりの精神的ダメージを食らう奴だ。ダメージって言うか、なんか恥ずかしくなっちゃう奴だ。


「きゃあああああああああああああ! イケメン君と金髪ちゃんが抱きしめ合ってるよおおおおおおおおおおおおおお! 尊い! 尊すぎるよおおおおおお!」

「写真撮っちゃいましょう! そしてSNSに上げちゃいましょう!」

「あの二人いっつも仲いいなー。いいなー、羨ましい」

「リア充爆発しろこんにゃろおおおおおおおぅぅ!」


 あっちこっちから声が上がっている。ってマズい。おれたちはべつに仲がいいことを見せびらかしたいわけじゃない。

 幸いにも今は放課後だ。


「よしレヴィアン、とっとと帰るか」

「え? あぁうんそうだね! またいつもみたいに帰りにスーパー寄りたいなぁ……!」

「そうか。じゃあとにかく急ぐぞ。またいつもみたいな展開になってきているからな」


 おれはレヴィアンの手を取って颯爽と学校から抜け出した。

 しばらく街の中を歩く。いつも通り手を繋いでいる。

 レヴィアンはまだ顔を赤らめている。それどころか頬に手を当ててもじもじしている。そんなに嬉しかったのかよお前……。


「よかったな」

「うんうんっ! 赤点回避嬉しいよっ! こりゃもうお月様に報告しなくちゃいけないレベルだよっ!」


 ようわからん……。お前の中で基準があるのか? っていうかよくよく考えればただ赤点回避できただけじゃないか……。そんなに誇れることでもないような気がするのだが、まぁ当人からすれば進歩なのだろう。ここは褒めてやる。


「その……頑張ったご褒美とかいるか?」

「……えっ!」


 レヴィアンが瞳をらんらんと輝かせてこっちを見ている。す、すげぇ圧だ。眼力だけで世の男の子イチコロじゃないのか……。こいつやっぱ近くで見るとすげぇ可愛いな。


「お、おう。お前が好きなもの何でも買ってやるぞ」

「ほんとにっ! で、でも、私航輝君が欲しいなっ!!」

「ぶはっ!」


 おれは盛大に吐きだした。なにを言ってるんだこいつは。独占願望をあらわにしてきたぞ。


「ちちちち違うのっ! そういう意味じゃなくて! その、航輝君と過ごす時間を大事にしたいって言うか……い、一緒にいてもらえることが、私にとって一番の宝物って言うか……うぅ」

「お、おう。そうなのか……」


 おれもだんだんレヴィアンに心を開きかけている。いやもうすっかり開いたな。ちょっとおねだりされただけでなんでも与えちゃいそうな気がするので怖いぜ。


「お、お願い一つ聞いてもらっていいかな!? その、私プール行きたいんだっ!!」

「プール?」


 いきなりなお願いだな。プールと来たか。


「まぁべつに構わないが。どうしてまた?」

「あぁうん。今度夏になったら、水泳の授業開かれるよね? それで、その、私泳げなくって……、れ、練習に付き合ってくれないかな、って! で、できたらでいいんだけどっ、航輝君に泳ぎを教わりたいな、って……!」


 なるほどな。たしかにレヴィアンは運動神経が悪い。とことん悪い。聞いた話によると五十メートル走十六秒だそうだ。そこら辺の小学生に負けているレベルである。

 そんな子だから水泳も苦手なことだろう。


「よっしゃ。じゃあ今度室内の温水プールに行くか! おれがとことんみっちり教えてやる」


 おれが言うとレヴィアンは『ふわああああああああああっ!』という効果音が鳴りそうなくらい嬉しそうに笑む。なんだ、そんなに嬉しいのか。まぁいくらでも付き合ってやるよ。お安いご用だ。


「た、楽しみっ! えへへ、やったぁ! 航輝君とプールー!」

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