友の敵も友

「御者さん、そこを右だ」


 客席側から身を乗り出したジョイスがそう言うと、御者は振り返り、俺達の格好を見て、怪訝そうな顔をした。


「道、合ってるかい? あちらは大富豪の豪邸しかねぇんだが」

「そっちでいいんだ。なに、お屋敷に入ろうってんじゃねぇさ」


 それ以上、御者も俺達の意図を確かめようともせず、手綱を引いた。馬車は右に曲がると、帝都の北東部に広がる超高級住宅街へと走りだしていった。


 ヒジリとジョイス達の対面の後、俺も一緒に公館を出て、運よく近くにいた流しの馬車を拾った。今は帝都で働いているというフェイの職場を目指している。実は彼は、半年以上前にこちらに来ていたらしい。ただ、彼の方では俺が既に帝都にいることを把握していなかった。以前にカークの街で話していたように、ひたすら割のいい仕事の機会を探し求めていたという。

 帝都にとっては好ましくない事件だったが、彼にとって幸運だったのは、夏に立国党の支持者の一部や移民が過激なデモや暴動などを起こしたことだった。あれで富裕層は、より自衛のためにコストを割く必要に迫られて、優秀な護衛や門番の候補となれる人材に採用の機会が広がった。本来なら、雇ってもらえるまで一年以上はかかると思われた、大きなお屋敷での用心棒の仕事。それがたったの二ヶ月でありつけたそうだ。


「あの建物か」

「ハンファン風だろ。まぁ、そういうことでな。要はカークの街の出身者が、代々仕事を貰ってるところってのがいくつかあるんだ。それに、ここの家の人間はハンファン系だから、やっぱり言葉が通じるっていうのも、大事なんだろうな」


 限りなく黒に近い藍色の、幅広の瓦屋根が、まるで通せんぼをしようとするかのように、目の前に聳え立っている。そちらに向かって馬車を走らせているのだが、こうしてみると、ちょっとした城門みたいだ。


「よーし、御者さん、近くで待っててくれ」

「おいおい、そういうのは困るな」

「あー、乗り逃げはしねぇよ。メニエ、ちょっとここ居残っててくれ」

「ああ」


 御者は首を振った。


「あんまり待たせねぇで欲しいな」

「わかってるって。すぐ戻る」


 それで、俺とジョイス、エオは、道路脇に止められた馬車から降り、門の手前に向かった。

 壁が目の前の道路に対して内側に四角く凹んでいて、その左側の辺が門になっていた。外から出入口をじろじろ見られたくなくて、こんな構造にしたのだろうか? 普通の家屋の門に比べれば格段に大きいのだが、この屋敷の主からすれば、いくつかある通用門の一つでしかないらしい。

 その門の下に、棒を手にしたハンファン人の男……フェイが立っていた。およそ三年ぶりの再会だが、そこに言葉はなかった。以前と変わらずジャガイモのような顔をしている。直立不動のまま、そこには何の表情も見て取れなかった。


「よぉ、フェイ!」


 ジョイスが声をかけても、彼はこちらを見ようともしない。


「ファルスを連れてきたぜ」

「お、おい、ジョイス」

「いいんだよ」


 小声で俺を止めてから、彼はまた大きな声で言った。


「前のところで食ってるからよ!」


 それだけで背を向けた。

 なるほど、と察する。お役目中だから、もうすぐ休憩時間だから。俺達に返事なんかしたら、クビになるリスクも考えられる。


「前もって伝えておかなかったのか」

「そりゃな。公館でどんな話になるかなんて、読めなかったんだし、しょうがねぇだろ」

「おいおい……話の内容次第では、暴れるつもりだったのか?」

「さすがにそんなこたぁしねぇよ。けど、無礼と言われようがなんだろうが、言うことは言わせてもらうつもりだったからな」


 要は話がこじれて、すんなり帰れない可能性も想定していた。だから、フェイには事前に予定を伝えておかなかったのだ。


「おら、すぐだったろ?」

「おう」

「んじゃ、今度は街の南の方に行ってくれ。競技場のちょい手前くらいな」

「あ、少しいいか」


 シャルトゥノーマが御者とジョイスのやり取りに割り込んだ。


「おっ、そういやお前、どうする?」


 エオが微妙に困っている。そして、そのことを彼女の方でもうっすらと察している。

 俺もジョイスも、カークの街に長期滞在した人間で、エオともフェイとも顔見知りだ。一方、シャルトゥノーマは、俺とジョイスの知り合いではあるが、エオとは面識がなかった。しかも、公館の周りをうろついているのをジョイスに発見されたという状況。要するに、彼からすれば、信用していい相手かどうかもわからない。そして彼女を除く四人は、カークの街の秘密、神通力のことを知っている。

 一方、彼女の側も、微妙にやりづらさを感じているのだ。いくらポロルカ王国が亜人、獣人の国を属国として承認したといっても、自分の正体をそのまま明かして街を堂々と歩けるなどとは思っていない。つまり、俺と込み入った話をしようと思ったら、エオやフェイは邪魔になる。


 目元を抑え、溜息をついたシャルトゥノーマは、ジョイスに言った。


「いい。まずはここを離れよう。落ち着いて話をできる場所でもない」

「おう」


 競技場の付近まで行くと、街の景色はガラッと変わる。時の箱庭の高台を挟んで南北に仕切られていて、そこから別の世界になる。ケクサディブが通っていたような古ぼけた喫茶店もあったりするのだが、要はあまり裕福でない、帝都の市民権こそなんとか得たものの、暮らし向きのよくない人々が集まって生活している。その中でも、特にサハリア系の人々とハンファン系の集団は、それぞれ街区の一部に纏まっていることが多い。そして、数が多いのは圧倒的に後者だ。

 とある十字路を左に曲がると、一気に街の景色が変わった。匂いも変わる。何かの脂を含んだ汚水を捨てた匂いと、香辛料の香りが、路地に染みついている気がする。古びた木のハンファン語の看板。大きく開け放たれた一階部分、軒先には七輪が置かれていて、そこで小ぶりの鶏が火にかけられていた。薄暗い中に椅子とテーブルが並んでいる。


「おっちゃん、この辺で降ろしてくれ」


 馬車から降りると、ジョイスは先に立って歩き始めた。少し先に、ちょっとだけこぎれいな店があった。南方大陸の北東部で見かけるような、あの赤い提灯がいくつも軒先に吊り下げられている。そして微細な彫刻を施された木の扉があり、そこに真っ赤な紙が貼りつけられていた。もちろん、そこには黒いインクで謎の記号、聖三文字なるものが描きこまれている。既に年初から一ヶ月以上も経っているのだが、まだそのままらしい。


「俺達は、ここで食ってるからよ」


 そのまま、ジョイスは前方を指差した。


「まっすぐ行けば、小さな公園がある。多分、誰もいねぇぜ」

「わかった」


 俺とシャルトゥノーマは、小さく頷き合うと、その場を離れた。


 公園に到着してみると、なんとも寂しい雰囲気だった。脇を流れる運河、その向こうはガランとしている。見えるのは何かの工場らしい、丈が低く幅の広い建物ばかり。そんなのがポツポツ建っているだけなので、いかにも寒々しかった。公園は狭く、色の濃い常緑樹が狭い間隔で植えられていて、それが一層、この場を陰鬱なものにしている。公園の隅にはトイレとみられる小さな建物がひっそりと佇むのみで、あとは何もない。当然、子供も老人もいなかった。


「ここなら邪魔は入らないな」


 シャルトゥノーマがそう言った。


「怖い表現だな」

「何がだ?」

「ケフルの滝の向こうの、あの時みたいに襲いかかってこないで欲しい」


 言われて、何の話かを思い出した彼女は、苦笑した。


「そんなこと、するわけないだろう」

「だとは思うけど」

「空を見ろ。まだ真昼間だぞ」


 もうすぐ昼飯時。確かに、こんな時間に、派手に魔法を使って戦闘を繰り広げたら、いくら人気のないこの公園でも、そのうち人目につく……じゃなくて。


「夜だったら、襲うのか」

「そうしたい気持ちは少しだけある」

「ディエドラじゃあるまいし」


 彼女の名前を出すと、シャルトゥノーマは真顔になった。


「無事なんだろうな」

「ん? ディエドラとマルトゥラターレのことか? もちろん。ペルジャラナンも元気だった。少なくともあちらで顔を合わせた時には」


 旅の最中には、ペットとか家畜のような身分とするしかなかった。だが、今は俺の領地の中で暮らしている。堂々と人としての身分を得て生活しているはずだ。

 だが、俺の回答に彼女は不満そうだった。


「だったら、なぜここに伴っていない」

「えっ?」

「まぁいい。順を追って話そう」


 彼女はじっと俺の顔を見つめ、表情から小さな怒りのようなものを追い出して、一息ついてから言った。


「まずは、例の苗の件。無事、カダル村まで届け、長老達に預けることができた。お前のおかげだ。今を生きるルーの種族の総意として、ファルス、お前に感謝を伝えたい」

「ああ、そこが一番、気になっていた。何も連絡がなかったから、問題が起きたりはしてないとは思っていたけど」

「トスゴニ様は、泣いて喜んでいたよ。間に合ってよかった」

「えっ」


 不吉なものを感じたが、思った通りだった。


「ご高齢だったからな。私がカダル村についた頃には、病床に臥せっておいでだった。それでも、苗を見た時には大変な喜びようだった。皆のものに、この苗を巡って争わないようにと、重ね重ね言い含めてから、眠るようにして亡くなられた」


 本当に、ペルィとは一期一会なのだと再確認する。ラハシア村のクヴノックとも、きっと二度と会うことはないだろう。だが、そこはどうにもならないことだ。


「苗の一つは、早速、アイル村の生き残りのために使われることになった。といっても、村を新たに建設するのだから、すぐとはいかない。しばらくは大森林の中で最適な土地を求めて、同胞達が探索することになるだろう」

「うん」


 そこで彼女は溜息をついた。


「関門城の方に、ストゥルンがいた。そこまで出ていって、私はやっと事情を知ったのだが、私達はポロルカ王の臣民になったそうだな」

「形だけのことだ。そういう立場になっておいたほうが……わかるだろう」

「ああ、それも、まぁ、悪いことではないな。今後も裏ではルーの種族を捕まえて売り飛ばそうというのは出てくるだろうが……ポロルカ王国も赤の血盟もそれを許さないとなれば、滅多なことはできないはずだと、ストゥルンはそう言っていた」


 そちらも順調らしい。ストゥルンも、奥地の同胞と外界との架け橋になってくれている。


「それで、私の次の役目は、マルトゥラターレを連れて行くことなのだが」

「問題はそこだな」


 確かに、簡単な仕事ではない。


「その後の見通しがついているなら、ピュリスからキトにでも船に乗せて連れ出すことはできる。でも、ごく若いうちに視力を失っているから、あの森の道を抜けられるかとなると」

「そこまで無理して急ぐことはない。方法はじっくり考えればいい。数年かかっても構わないと言われている。それより」


 彼女は、俺を焼き尽くさんとするかのように、燃え盛る双眸を向けてきた。思わず身を縮めた。


「やっぱり……その、あれかな? ワノノマのお姫様と婚約したというのが」

「大問題に決まっているだろう。どういうつもりだ」


 どう説明しようか。いや、ピアシング・ハンドのことをうまく避けて、正直に話すしかない。


「目を付けられたから、こうなった」

「なに」

「お前もわかってるだろう。僕が普通の人間ではないらしいことは」


 彼女はしばらく黙り込んだ。


「知っているはずだ。僕の旅の目的は、不老不死の発見だった」

「そうだったな」

「そのために、ワノノマまで行った。そこで龍神モゥハにも会った」

「なんだと!?」


 俺は首を振った。


「不老不死はないと、与えられないと言われた。それで宿舎に引き下がって、翌朝起きたら……ワノノマの側から、姫様を押し付けられた」

「断れなかったのか」

「どうやって? 相手は王様、しかも龍神が背後にいる」


 しばらくそのまま棒立ちになっていた彼女だが、やがて目元を抑えて深い溜息をついた。


「どうしようもないな」

「ああ、どうしようもない」

「まったく、どうなっているんだ」


 本当に、どうなっているんだろう。


「だが、今はそれなりに仲良くやっている。だいたいそれを言ったら、お前だって僕をいきなり殺そうとしたんじゃないか」

「あれは仕方がなかった」

「よくよく考えると、不思議なんだが、お前だけじゃないんだ」

「なに?」


 周囲には、そういう立場の対立がよくある。


「例えば……あんまり大っぴらには言えないんだが」

「なんだ」

「僕の仲間には、ピュリスの元総督を殺しかけたのがいる。といってもピンとこないだろうが」

「いや、大変なことじゃないのか、それは」


 振り返ってみると、俺の人間関係は相当にややこしい。


「でも、元総督の娘と僕は親しくしている」

「どうしてそうなる」

「だけど、以前、その娘を誘拐した男がいて」

「まさか」

「その男は今、僕に拾われて、領地で仕事をしている」


 シャルトゥノーマは、この説明に絶句した。


「お前は……よくその年まで長生きできたな」

「自分でもそう思う」

「もういい、わかった」


 彼女は首を振って話にけりをつけた。


「私もしばらく帝都で過ごすことになると思う。また連絡する」

「ああ」

「ジョイスにはよろしく伝えておいてくれ」


 それだけ言うと、彼女は背を向けて去っていった。


 店に戻って扉を開けてみると、一気に熱気と騒々しさが迫ってきた。冬の終わりという時期でもあり、窓はほとんど閉じられている。店内は灯りに照らされていた。昼時というのもあって、大勢の人が既に席を占めていた。

 周囲を見回すと、奥の方のテーブルにジョイスとエオがいるのが、すぐ見つかった。


「おう、お帰り」

「フェイはまだか」

「あと一時間はかかるんじゃねぇかな」


 と言いながらも、ジョイスには待つつもりなど毛頭なかったようで、既にテーブルの上には料理が運ばれてきていた。とはいっても、まだ二品だけだが。


「ハンファン風の料理店ってよぉ」

「どうした」

「なんでこう、チグハグっつうかさ。ほれ、見ろよ」


 そこにあるのは、卵入りスープと、ハムと生野菜のサラダだけだった。


「飯もまだ持ってきてくれねぇんだぜ」

「忙しいんだろう。混んでるしな」

「ここ、味はいいんだけどさ、下手すっと注文したのが何十分も後になって出てきたりするんだ。ま、フェイを待つんだし、それでいいからここにしたんだけどなぁ」


 エオが皿をとって俺の前に置いてくれた。


「ああ、ありがとう」

「ま、食えよ」


 それで俺は箸を手に取り、一口食べてみた。


「うん、なかなか」

「単純だけど、悪くねぇよな」

「いいと思う」

「ここ、千年祭の料理大会に出るらしいぜ」


 またか。とはいえ、千年祭だ。千年に一度しか祝えない。次回があるとしたら、もう千年後だろうか? せっかくのイベントだし、参加したいのもわからなくはない。


「いろんな大会があるらしいな」

「俺も出るつもりなんだ」


 俺が怪訝そうな顔をすると、ジョイスは肩をすくめた。


「別におかしなことじゃねぇだろ? これも修行さ。ワン師匠から、神通力なしでやってみろって言われて」

「けど、まだ春の初めなのに……半年くらい後じゃないか」

「ま、エオを送るついでなのと、あとは帝都で暮らしてみるっつうのも、まぁ経験だと思ってる」

「いいんじゃないか。確かに、腕っぷしだけ強くても、本当に強いことにはならない」


 形ばかり武術に優れていても、それを常に十全な状態で活用できるとは限らない。現実の戦闘は、総合的なものだ。いざ本気で戦うとなれば、土地鑑のようなものだって駆け引きの道具になる。不覚をとりたくなければ、順応ということが大切になってくる。


「ファルス、お前は出るのか」

「料理の方なら、出てみたい」


 武闘大会には興味がない。


「ふぅん」

「じゃあ、千年祭が終わったら、どうする? また南方大陸に戻るのか」

「それもいいけど、さすがに……一度、ピュリスに戻るつもりでいる。だってよ、やっぱサディスのことを考えるとな。前はマオ師匠が亡くなったのもあって、どうしたって旅に出るしかなかったんだが、そろそろ俺も、できることがあんなら、何かやんねぇとよ」

「ああ、それだったら今、サディスはティンティナブラム城にいる」


 主としてエディマが面倒を見てくれている。というか、彼女抜きにはサディスの生活が成り立たない。情緒面の問題が大きく、今後の進路をどうしてあげるのがいいのか、俺の中では答えが見つかっていない。


「順調にいけばだが、夏にはイーセイ港……ああ、つまり、領地に繋がる直行便の船が用意できるかもしれない」

「おっ? マジか」

「ノーラ達もそれでこっちに来る予定になっている。それに乗せてもらえば、楽に帰れる」


 そこまで話した時、給仕が乱暴に、白米を三人分、テーブルに置いた。挨拶も声がけも何もなく、すぐまた忙しそうに立ち去っていく。


「サディスだが……どうするのがいいかは、正直、わからない」

「そうか。いや、お前が悩むことでもねぇさ。本当は一番の責任は、兄貴の俺にあるんだし。けど、俺だって、どうしたらいいかわかんねぇで、出てきちまったんだ。そもそも面倒見てもらってるんだから」

「役に立てることがあれば、言ってくれ」


 それからしばらく、俺とジョイスとエオは三人で食事をしながら、フェイを待った。彼が来てからもしばらく雑談を続けたが、ほどほどのところで俺は公館に引き返した。

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