朗報、一粒
「せっかく協力してもらったというのに、こんな結果にしてしまい、申し訳ない」
俺の別宅の応接間にて。ソファに座ったまま、頭を下げているのはベルノストだった。
「そういうことで、結局、リー家との話はなしになってしまった。どちらにとっても不利益が出てきてしまったのでな」
「偉いところのおうちって、大変なのねぇ」
向かいに座ったタマリアが、しみじみそう呟く。
グラーブの選択は、事件を公にしないというものとなった。誰が告発したのかも不明なまま、うやむやにしてしまおうということだ。単に告発を取り下げさせる。その上で、人を通じて「事実無根でした」というコメントだけ残す。
仕方がなかったのだ。告発したジュガリエッタの事情を明らかにするのには、レノとのデートもやらせだったという事実がリスクとなるためだ。告発したのは別の女? では、グラーブは見境なくいろんな女に手を出す好色王子だ。それだけでなく、リー家としても、更なる追及をどうするかという悩みを抱えることになる。そこでまた事実を掘り起こしていくと、今度こそ帝都の世論はグラーブとリー家を非難するようになるだろう。
王位を継承できる男児の頭数を増やしたいから、子を産ませる道具としての女が欲しかった。今回の件を限りなく単純化していえば、それだけのことだ。しかし、それは帝都の理想とは正反対の考え方になる。一夫多妻は禁じられていないものの、このような女性のモノ扱いほど問題視されることもない。なにしろ、人は皆、自由で平等なのだから。安定した王位の継承が地域の平和に寄与するのだというような、実利面からの反論は、聞き入れてもらえない。そして、王位の維持継承のために帝都の理想に反するというのは、言ってみれば本末転倒の振る舞いなのだ。というのも六大国の王位は、皇帝の遺命に由来するから。
もとはと言えば「側妾に早く庶子を産ませる必要があるが、相手の家柄に気を配る必要があり、かつ側妾になることを強制できない」という面倒な状況がまずあった。だから三人の側妾候補にも、グラーブの側からの強要などなく、あくまで提案のレベルで話をしたのだし、またジュガリエッタの金銭の要求についても、あれこれ詮索することなく、あっさり応じたのだ。その、どちらかといえば穏当で公平な態度が、裏目に出る形となってしまった。
「今回は、あちら側にしてやられたということだ。まったく、面目ない」
「ま、それはそっちの問題だわな」
ベルノストからすれば、ここはファルスの仲間のいる場所で、だからみんなエスタ=フォレスティア王国に肩入れする側の人間だという認識なのだが、ニドにとっては、そんな党派性にはまったく意味がない。だからこの返答に一瞬、真顔になったのだが、すぐまた頬を緩めた。
「それもそうだ。お前達には責任など、どこにもない。それで、これが約束の報酬だ。おかげでナリヴァのことも明るみにできた。少し色をつけさせてもらった。だが、言うまでもないことだが」
「ボクらも口外するなってことだね?」
「察しが良くて助かる」
事件について口外できないのは、俺達だけではない。ジュガリエッタもナリヴァも、沈黙を守ることが見逃される条件となった。事実が明るみになれば、親族揃って反逆罪に連座、極刑不可避なのだ。但し、彼女らに下された処分は、それだけではなかった。
「とはいえ……大変でしたね。お金も結構使ったことでしょうし」
「ん? いや、なに。赤字ということはない。損失は補填されるだろうからな」
「お家が二つ、取り潰しですか」
二人の実家では、処分が言い渡されている頃だろう。事情を一通り説明の上で、表向きには別の理由をつけられて年金を大幅カット。最低限の生活費のみの支給となる。資産の大半は没収。無論、次世代への爵位の継承も許可されない。ただ、形ばかりの名誉は残しておく。
娘達の帰国も禁止されている。だが、特にナリヴァにとって打撃となるのが……
「今頃、連中も退寮のためにバタバタしていることだろうな」
……みなし市民権の喪失、だ。
帝都では、帝都生まれの人であっても、十五歳になって成人した時点で、条件を満たさない人は市民権を失う。海外から来た人は、本来なら全員が移民相当の身分だ。だが、この規定にある例外が、みなし市民権だ。具体的には、帝都生まれでかつ三十五歳までの女性であるとか、大学に通っていることなどが、仮の市民権を認める条件となる。
だから、帝立学園の生徒であれば、学生枠でのみなし市民権を付与される。しかし、裏を返せば、学生としての身分を喪失した場合、その資格も失われることを意味する。そして、俺を含む留学生というのは、通常の受験枠で学園に入学したのではない。王家なり有力者なりの推薦状があって、簡易的な試験を経て、ここにいるのだ。
今回の件を受けて、タンディラールは二人への推薦を取り消した。あと三ヶ月もしないうちに卒業できるはずの彼女らだったが、こうして正式な帝都の市民権を得る前に、移民相当の身分へと放り出されてしまったのだ。
今後とも帝都で暮らせばいい、と開き直っていたナリヴァだったが、あてが外れてしまった。もはや実家も死に体で、仕送りもできない。まともに就職しようにも市民権がないので、タマリア同様、商社街の割のいい仕事は得にくいだろう。いや、もっと悪い。外国の王に睨まれている女を積極的に雇いたい会社など、あるはずもない。
彼女ら、特にナリヴァが頼るだろう先は二つほど、考えられる。一つは、マリータ王女とその取り巻きだ。しかし、これはもう、彼女自身から方針を聞かされている。主人を裏切った人間を抱え込もうとするほど、彼女は愚かではない。そうなると、あとは市民団体に、ということになるのだが、これも期待はできないだろう。今までは外国の名家の娘だったから、お付き合いしてくれていただけだ。それにそもそも、ではどうしてその地位を喪失したのかという説明を求められると、これは親族処刑のリスクを避けては語ることができないし、口にしたところで、みんな不利益を恐れて背を向けるだろう。
彼女らは、なんだかんだいって貴族の家の娘だった。家事も自分ではろくにしてこなかったし、食べていけるほどの職業訓練も受けていない。温室育ちだったのだ。庶民の女性が一人、社会に投げ出されるのとはわけが違う。
よって、二人の元女学生のこの先の人生は、極めて過酷なものになることが予想される。
「さて、では私はそろそろお暇しよう。今回は世話になった」
そう言いながら、ベルノストは立ち上がった。
「そちらにとっては、ただの仕事でしかなかったのかもしれないが、こちらとしては、安心して仕事を頼める相手というのは貴重なんだ。ことに、どこの家にも属していない立場で、というのはな。また世話になるかもしれん。その時はよろしく頼む」
玄関まで見送ろうと俺は腰を浮かしかけたが、ベルノストは軽く手を振って遮った。
扉が閉じられ、足音が遠ざかっていく。それが聞こえなくなると、長い溜息が聞こえてきた。
「はーっ、いいわねー、黒髪の美青年って」
「お前、そんなに面食いだったのかよ」
「いいじゃない、あれは観賞用なんだから」
タマリアの言い分に、ニドは肩をすくめた。
「んなこと言ってると、今回のジュガリエッタとかいう馬鹿女と同じ落とし穴に落ちちまうぞ?」
「残念でした! 私にはお金なんかありませーん!」
「あるじゃねぇか、そこに。おら、まとまったカネが」
「そんなの、みんなにご馳走でもしたら、すぐなくなっちゃうよ」
「ちったぁ貯金しろ。気前、良すぎんだろ」
陽気な二人とは違って、ウィーは一人、難しい顔をしていた。彼女からすれば、今回の事件は他人事とは思われなかったのだろう。他の二人と違って、彼女は貴族の家の出だったから。
「でもさ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
「あ?」
「だって、何不自由ない貴族の家の娘でさ。このまま大人しく卒業すれば、それなりの家にも嫁がせてもらえて。なのに、なんだか自分から転がり落ちていくみたいじゃないか」
するとニドは鼻で笑った。
「はん! まったくその通りだ。お前も気ぃつけろよ? いいか、女っつうのはな、ほっとくと目先のことで頭いっぱいになっちまうんだ。下手すると、恵まれれば恵まれるほどにな。そうなると、後も先もねぇ。よーく思い出してみろよ。自分のやってきたことで、心当たりくらいあるんじゃねぇのか?」
「……ある、かも」
ウィーが思考の淵に沈みだしたが、その辺を解決するのに時間をかけていたらキリがない。
「ともあれ、これで一段落だ。みんな、お疲れ様」
俺がそう言ってシメようとすると、みんなが座ったまま、怪訝そうな顔で俺を見た。
「な、なんだ」
「終わってなんかいないわよ」
「は? あ、いや、そこにベルノスト様が置いていった金貨があるだろう? これ、僕の分はないから、みんなで山分けすればおしまいだ」
「そうじゃなくって」
タマリアが、じろりと俺の顔を睨め回し、それから一度、ウィーの方に振り返ってから、また俺に言った。
「聞いたわよ。この前のお仕事で、ウィーちゃんを口説き落としたって」
「く、口説いてない! 口説いたんじゃないから!」
「言い訳無用! どういうつもり? ノーラというかわいいかわいい幼馴染が故郷にいながら、ワノノマの姫様にも手を出すし、どうしちゃったの? いつからそんなにスケベになったのよ」
「俺はいいと思うぜ」
ニドはニヤニヤしながら言った。
「お前も貴族様なんだし。モテる男の責務ってやつだ。あれだ、グラーブ様が子作りできない分、お前が頑張れよ」
「ニド、笑い事じゃない。いいか、僕はそんなつもりは」
「あーっ、いいの? そんなこと言って」
「えぐっ」
ウィーが、不安そうな顔をして俯いてしまっている。これでは、はいともいいえとも、なんとも言い出せない。
本当に、どうしてこんなことになってしまったんだろう。ニドみたいに割り切れるなら、どんなに楽か。
「……っと、あんまり帰りが遅くなると、文句を言われるから、僕はそろそろこの辺で」
「逃げるの? ファルス!」
「ご、ごめん、そ、それじゃあ」
「あーっ」
そう、逃げる。
背中からニドの笑い声とタマリアの抗議の声を浴びながら、俺は慌てて退散した。
同級生の……ランディとアルマのように、身の丈に合った相手と付き合って、平凡に働き、平凡に結婚して、平凡に暮らすのが一番幸せなのかもしれない。
一連の事件を思い返して、そんなようなことを考えつつ、夕暮れ時の帝都の街を、心身ともすり減らした状態で歩き通し、やっと旧公館に帰り着いた。もう、今日は静かに休みたい。そう思って北東の表玄関の扉を開けた。
「旦那様!」
待ち構えていたのは、ミアゴアだった。珍しく、喜色満面だった。
「こ、こちらへ!」
「えっ? な、なんだ」
「いいから早く!」
ドタドタと廊下を走り抜ける。庭で草木に水遣りをしていたウミが振り向いてこちらを見たが、俺が一緒になっているせいか、窘めようともせずにまた、のんびりと如雨露を花壇に向けた。
引っ張りこまれたのは、北西の棟だった。そこは、俺がこれまで種麹作りのために、蒸した大豆を並べて置いておいた場所だった。ミアゴアは扉を閉じるように仕草で示してから、そっとその上にかかっている布をめくってみせた。
大豆の表面には、うっすらと白い粉のようなものが纏わりついていた。そして、黄色い粒のようなものがちらほら見える。つまりこれは……胞子だ。
それら大豆の一粒一粒が、光輝いて見えた。
俺とミアゴアは無言で頷き合い、部屋から出た。それから、飛び上がって叫んだ。
「ばんざーい!」
「やったー!」
何がどうなって、急に醤油の素ができてくれたのか、それは確かにはわからない。わからないが、そんなことはどうでもよかった。
この時ばかりは、世の煩わしい一切を忘れて、俺はただただ喜んだ。
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