嘲笑と罵声の一日
とにかく優先すべきは事実確認だ。ケアーナと別れ、俺は速足で廊下を通り抜けていく。残念ながら、のんびり授業を受けている場合ではない。本来なら、この手の問題はグラーブやベルノストまでで解決されるべきものなのだが、今は彼ら自身が火だるまになってしまっている。本人らは当座の火消しに追われているので、身動きが取れない。そんな状況で、その下にいる人間がただ状況を傍観していました、というのは、許されないように思われる。
そして、俺にはそのために必要な行動をとるだけの能力があるのだ。
人気のない校庭に出る。朝にはベルノストを取り囲んでわいわい騒いでいたが、さすがに抗議の声をあげる側の女子学生が居残っていたりはしなかった。当事者でもない彼女らには、授業をすっぽかすことに正当性がないから。この点は、こちらのアドバンテージだ。
ただ、校門の前には相変わらず、プラカードを手にした女達が屯している。それを守衛が疲れた顔で見張り続けている。とりあえず『人払い』を自分にかけて、この場を通り抜けた。
可能性は、大きく分けて三つ。
一つ目。やはりレノがグラーブの背中を刺した。この場合、更に大きく二つのシナリオに分岐する。リー家ぐるみでグラーブを裏切ったのか、レノの独断なのか。
二つ目。側妾になることに同意したはずのジュガリエッタが背いた。この場合の動機は、まだわからない。ケアーナが把握している限りでは、彼女も登校はしていないとのことだった。
三つ目。それ以外。つまり……考えたくはないが、本当にグラーブが誰かを襲ったとか。或いは、根も葉もないところから、誰かがでっち上げたか。
可能性を一つずつ、確かめていく。ジュガリエッタの所在が不明である以上、まずはリー家から。
校舎を離れてしばらくしてから、俺は自分に『透明』、続いて『飛行』の魔術をかけた。
眼下に城塞のようなリー家の邸宅が見えてきた。前庭には、いつか見た記念碑がいくつも突き立っていて、秋の日差しに影を落としている。その向こう、下り坂の手前に門がある。そこは固く閉ざされていた。ここから中に入れてもらうのは無理だろう。なぜなら、門前には大勢の人が詰めかけていたからだ。
野次馬、新聞記者、それに市民団体の関係者も混じっている。グラーブ王子の性暴力疑惑ということで、できれば交際相手のレノにインタビューを申し込みたいのだろう。そもそも暴行事件の被害者本人かもしれないというのもあって、彼らはリー家からのコメントを欲している。だが、リー家の側は完全に取材拒否で通しているようだ。
俺はそのまま、前庭に音もなく降り立った。そして、邸宅の中に滑り込む。一通りの調査が片付くと、いつかに訪ねたコモの私室に落ち着いた。
「やぁ」
扉が開いた瞬間、俺はそう声をかけた。目を見開いたコモが棒立ちになる。直後、彼は見えない手に押されて前につんのめり、扉がひとりでに閉じた。
「勝手に立ち入って済まない。あくまで確認でしかないけど、言葉でもちゃんと聞いておきたくて」
「な、な、なんで」
「表の門は閉じられているから、そこから入ったら却って迷惑になると思って、こっそり立ち入った。それとも正式に訪問した方がよかったのかな」
彼は眼を泳がせていたが、すぐ思考を切り替えたらしい。
「それで」
「レノは殿下を告発はしていない。そういうことでいいのかな」
「当たり前だ。こんなことをして、うちに何の得があるんだ」
わかっていた。先にコモやレノの頭の中を確認させてもらっている。だからこれは、本当に確認でしかない。
「レノは今、どこに」
「奥の間に閉じ込めてある。だってそうだろう。どうしようもないぞ、うちは」
俺は頷いた。
レノはグラーブを告発した人物ではない。性被害にあったのでもない。だが、そのことを明言することもできない。なぜなら、レノでないとすれば、別の女性が告発したということになるからだ。となると、連日、ゴシップ記事を賑わせてきたレノとの秘密の恋愛とは別に、この王子様は他所でも女を誑かしていたと、そういう話になってしまう。だから沈黙は、リー家ができる最善の支援なのだ。
それはもう、この屋敷に到着して間もなくわかっていたことだが、俺は結果をベルノスト達に報告しなければいけない。だから、目に見える形で、リー家の人間から発言を引き出しておく必要があって、こうしてコモの声を聴くために待ち構えていたのだ。
「どういうことか、何が起きているかは、こちら側でも把握できていなくて。ただ、迷惑をかけたと思う。いずれ、ベルノスト様を通じて、リー家にも謝罪の言葉が届くと思う」
「ああ」
それからコモは、いかにも忌々しいと言わんばかりに、深い溜息をついた。
「じゃあ悪いけど、裏口に案内してほしい。勝手に忍び込んでおいて、本当に申し訳ないんだけど」
一時間後、俺はまた、校門前の通りを歩いていた。
結論からいうと、恐らく今回の件は、ジュガリエッタの告発だ。彼女の寮はヒメノと同じなので、場所はすぐわかった。名前も身分も明らかなので、あとは管理人の記憶を盗み見るだけで、彼女の個室まで特定できた。学園には登校していなかったが、自室で寝込んでいるのでもなかった。
室内に忍び込んでみたが、それはもう、ひどいものだった。女性の部屋とは思われないほど、散らかってしまっていた。それでも制服だけはきれいに壁にかけてあったのだが。ただ、下着も含む安物の衣類が、ろくに洗濯もされているのかいないのか、焦げ茶色の床板の上に転がっているのには閉口した。
今回のことは、割と衝動的に判断したのだろうか。管理人が最後に彼女を目撃したのは昨日の夕方、下校直後で、大荷物を背負っていたという。
しかし、動機がわからない。というより、ケアーナからの情報と照らし合わせると、矛盾が浮かび上がってくる。
ジュガリエッタが側妾というネガティブな選択肢を受け入れたのは、グラーブが彼女の条件を呑んだからだそうだ。なんでも、実家のためになりたいからと、資金援助を希望したらしい。なのに、こんな真似をしたのでは、お金どころか、実家がとり潰しになっても不思議はないのに。
すべての事実を解明するまでは、さすがに俺の責任とは言えない。それで、とりあえずわかったことだけでも持ち帰ろうと、今は普通に通学路に戻ってきたのだ。相変わらず、門前には市民団体の女達がうろついているが、さすがに昼近いとあって、気怠そうにしていた。だが、その視線は相変わらず、門の内側に向けられている。
そして、昼休み前の校庭の奥では、朝の争いの続きが演じられていた。ベルノストは自宅に逃げ帰ったりはせず、敢えて矢面に立っている。彼がいなくなったら、直接、グラーブに追及の手が伸びるから。半ばわざと人目につくところにいるのだ。そして、そんな彼を取り囲む女子学生の集団。ただ、どうも今朝とは毛色が違っているような気がした。
「あなたでは説明ができないというのなら、当事者に語ってもらえばいいのではないですか」
自らサンドバッグになって、当面の騒ぎが沈静化するのを待つ。そんな本音を見透かした女の、冷え切った声色。
「詳しいことはわからない、殿下がそんなことをなさるとは思えない、あくまで健全なお付き合いがあるらしいとしか聞いていない……そんなつまらない言葉で、誰が納得すると思っているのですか」
「私は、私にわかることを述べているだけだ」
「何もわかってないに等しいということですね。なら、さっさと本人に説明してもらえばいいはずです」
「殿下は、今朝から体調不良でお休みになられている」
女の失笑が、虚ろな校庭に響いたような気がした。その彼女が、背後からやってきた俺に気付く。
「あらあら……いつの間に援軍を呼んだのかしら。腰巾着がまた一人」
信じられない思いだった。余裕たっぷりの笑顔で、俺のことを腰巾着と嘲ったのは、マリータ王女だったのだから。
「それで? あなたは何かご存じですの?」
「何が」
「一国の王子ともあろうものが、あのような告発を受けるとは……言葉にするのも恥ずかしいですわ」
一瞬、言葉にしがたい不快感がせりあがってくるのを感じた。ほんの二週間ほど前には「私達の間に不和が忍び込みませんように」とか言っていた女が、一転してグラーブの状況が悪くなると、告発に便乗して言いたい放題。
とすると、この周囲にいる女子学生達は、帝都の市民とか団体と繋がりのある連中というよりは、シモール=フォレスティア王国出身の生徒達、と考えてよさそうだ。
「はっきり言っていただかないと、なんのことだかわかりかねますが」
「性暴力の末に、お相手の女性は妊娠までしてしまっているという噂まであるのですけれど」
妊娠?
さすがに尾ひれがつきすぎではないか。レノとのデートはつい先週だ。公園デートの前から、人目につかないところで逢引きなどしていたはずもない。ジュガリエッタにしても、承諾が得られてから一ヶ月も経っていない。仮に即座にグラーブが手を出していたとしても、妊娠が発覚するにはまだ時間がなさすぎる。
「噂ですよね」
「告発は事実です」
「告発そのものが事実だとしても、殿下が実際にそのような逸脱に身を置いたかどうかは、また別問題ではないですか」
「おや」
「いずれ事実が明らかにされるでしょうが、仮に誣告であったということになったら、マリータ様……あまり騒ぎ立てると、あなたの名誉も損なわれることにはなりませんか。既に告発があった以上、一切は帝都の司法に委ねられています。結論を待つのが賢明ではないかと思います」
この言葉に、彼女はすっと目を瞬かせ、手にしていた扇子で口元を覆った。彼女の周囲にいた女子学生が、代わって口々に言い返してきた。
「私達は本当のことを知りたいだけなんです」
「潔白なら潔白だと言い切ればいいじゃないですか。どうしてそうしないんですか?」
だが、マリータはすっと手を伸ばして、周囲の声を遮った。
「まぁ、いいでしょう。ことが明るみに出た以上、どう転んでも一切が知られないでは済まないでしょうし……それより皆さん、せっかくですから、今日は少し美味しいものでもいただいて、のんびりしましょうか」
最後にベルノストに無言の嘲笑を浴びせてから、取り巻きを連れて去っていった。
「ふぅ」
「済まん、助かった」
「リー家に行ってきました」
遮るもののない校庭の真ん中だから、逆に報告ができる。俺の言葉に、彼は眼を見開いた。
「どうだった」
「コモが言うには、レノは何もしていないそうです。今は邸宅の奥に引きこもっています」
「それでいい。それがいい。しかし、そうなると」
残る可能性としてはやはり、ジュガリエッタが有力になってくる。
「ジュガリエッタですが、昨日の夕方、寮を出たまま、帰っていないそうです」
「そうか……とすると」
「心当たりがあるんですか」
「いや、だが、この件は公館に帰ってから確かめた方がいい。側妾候補の選定は、最初は私とケアーナが担っていたんだが、最終的にはアナーニア様の一存で決まっている。だから、私にもわからないことが多いんだ」
「であれば」
「殿下はもう、早退なされた。ケアーナもそろそろ帰る頃だ。済まんが、公館まで来てくれ」
公館の前にも、若干の新聞記者と野次馬が集まっていた。路上にしゃがみ込んでいたのが、俺達を見るとのそりと起き上がるのだが、そこは公館の衛兵が出てきて威嚇してくれるので、取りつかれることもなく、中へと立ち入ることができた。
大変なのは、むしろ中に入ってからだった。青い顔をしたメイドに奥の間に通される。中庭に面したあの部屋、ガラスの壁の内側では、罵声が飛び交っていた。
「まったく、どうしてくれるんだ!」
「お兄様の人望がなかっただけでしょう」
「そういう問題ではない! お前が推挙したんだぞ!」
耳を塞ぎたくなる言い争い。激高したグラーブが、アナーニアを責め立てている。だが、アナーニアはというと、どこ吹く風だ。ふてくされて、責任なんか知ったことかという顔をしている。
室内には、もう一人の客がいた。ファイ、つまり側妾候補の一人だった女生徒だ。先日は町娘のようなラフな格好でリー家を訪問していた。髪形だけは今日もツインテールだが、服装はさすがに制服だった。彼女は、俺とベルノストの姿を目にして、やっと一息と、肩の力を抜いた。この恐ろしい言い争いの中で、ただ黙って見ているだけ、流れ弾が飛んでこないことを祈るばかりというのは、さぞ心細かったことだろう。
しかし、なるほど、するともう、俺とは入れ違いで、リー家に確認は取ったらしい。だから次の容疑者ということで、三人の側妾候補を呼び出した。ところが、駆けつけたのはファイ一人。
あと二人、昨晩から行方不明になっているジュガリエッタと、あのキツい目つきが印象に残っている、ショートカットの……ナリヴァというのが、ここに来ていない。少し奇妙に思われた。前者はともかく、なぜナリヴァまで、行方知れずになっている?
「お金を惜しんで恥をかくなんて、お兄様こそ情けないと思わないんですか」
「惜しんだわけじゃない。額面が大きいから、確認を取って後日とは言ったがな」
「それがけち臭いということなんじゃないの」
「何の話ですか」
わけがわからないので、割って入った。
一瞬、グラーブは怒気を膨らませたが、かろうじて冷静さを保った。
「ああ、ファルスか」
「はい。ただいま調べられる限りのことを確認してきました。リー家は何もしていません。ジュガリエッタは昨晩から行方が知れないようです」
「手間をかけたな」
「それで、今の話は」
グラーブは呼吸を整えてから、やっと説明した。
「その、ジュガリエッタの件だ」
「はい」
「どこまで聞いている? いや、いい……」
頭をガリガリとかきむしりながら、彼は続けた。
「側妾になることに同意するという話だったから、条件を確認した。本人の要望で、実家の経済状況を支えたいから、帝都のとある商会と契約を結びたい、稼業のために金貨五千枚を用立てて欲しいと言われた」
「それを拒否なさったのですか?」
「いや、それは了解して、当座の資金で支払った。だが、後になって、もう二千枚たりないと言われて」
「それはちょっと……額面はともかく、小出しにされるのは」
「そうだ。だから、いったいどんな規模の、どういう稼業に手を出しているのか、全貌を知らせるように要求した。すると、返事がなくなって、気が付いたらこれだ」
たった金貨二千枚っぽっちのために……いや、これだって大金ではある。ピュリスでつましく暮らせば、これだけで十年は働かなくていいのだから。とはいえ、貴族の令嬢が王家を裏切るほどの理由になるだろうか?
「意味不明ですね」
「そうだ。わけがわからない。だから今」
グラーブは抑えていた怒りを、再び不出来な妹に振り向けた。
「どうしてあの女が、こういう行動に出たのか、理由を説明させようとしている」
「わかるわけないじゃない」
「それで済む話か! どれだけ微妙で厄介な問題かは説明したはずだ。それなのに、お前は横からこの件に首を突っ込んでおいて、いざとなったらだんまりか! こんなことなら、やっぱりリシュニアに任せておくべきだったな」
最後の一言で、アナーニアの顔色が変わった。
「なんですって」
「あれなら、お前みたいに雑な仕事はしない。どう転んでもましだった」
アナーニアがリシュニアより能力がないのは、さすがにグラーブも承知している。それでも彼女にこの件を任せたのは、後々の憂いを小さくしたかったから。歳は下でも血筋からの序列では、アナーニアのが上だから。側妾が太子の母になる可能性を考えれば、それは嫡流の王女の紹介であることが望ましかったから。だが、その配慮があだになった。
「王家の片割れとするのも恥ずかしいような混じりものなんかのが、私よりましですって?」
「本当のことだろう」
「その辺で」
アナーニアから不穏な暴言が飛び出し始めたのを見て、ベルノストが割って入った。そして、俺に目配せする。俺も、この機を逃さず言った。
「では、引き続き、何かわかり次第報告しますので」
こんな気分の悪い場所にいても、何の生産性もない。そして、ファイもこれに便乗して、黙って一礼すると、俺に続いて外に出た。
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