側妾候補達

 小さな揺れと、軽やかな車輪の音。こんな快適さは、前世の自動車での旅行以来ではないか。

 悪路で馬車に乗るくらいなら、いっそ歩く方がましなほどだが、よく整備された帝都の大通りを上等な馬車で駆け抜けるとなると、これがまったく別物になる。あのピュリスと王都を繋ぐ幹線道路も快適ではあるのだが、それより一段上だ。リズミカルな轡の音、控えめな車輪の振動は、まるで小川の流れのように心地よくさえある。


 贅沢とは何か。こうして送迎用の馬車に腰を落ち着けていると、そんなことを改めて考えてしまう。馬車といえば輸送手段なのだが、そこに更なる目的を付け加えることで価値が生まれる。一つには快適性だ。恐らくこの車体にはサスペンションに相当するものが実装されている。だが、製作者の意図するところは、それだけではない。

 この、内部の薄暗さ。小さな窓があるだけで、それもカーテンで塞いでしまえる。外から見ると、高級感のある焦げ茶色の車体だが、装飾も控えめで、パッと見た限りでは目立たない。乗客がリラックスして移動できるようにとの工夫だ。

 リー家には、利用目的別の馬車がいくつもあるのだろう。逆に見せびらかすための馬車というものも、状況によっては必要になる。


「どうした、ファルス」

「いえ」


 俺の向かいには、半目を閉じた状態で、ベルノストが背もたれに身を預けていた。


「お疲れのようですが」

「まぁな」

「てっきり殿下と同じ馬車で向かわれるのかと思っておりましたので」


 すると彼は鼻で笑った。


「殿下と私を除いたら、男はお前一人なのに、誰と相乗りさせればいい? 女ばかり六人もいるというのに」

「それもそうですね」


 だが、どうもそれだけではなさそうだ。微妙な不機嫌と、ただの疲れとも言えない倦怠感。どうしても勘繰ってしまう。


「さすがに察するか」

「なんとなくは」

「なに、具体的に私に落ち度があったとか、そういう話ではない。ただ、殿下も生身の人間だからな」


 週末の休みを利用して、俺達は今、リー家の邸宅に向かっている。俺は前もっての指示の通り、エスタ=フォレスティア王国の公館まで出かけていって、そこで馬車に乗った。この場に派遣されてきていたのは二台で、グラーブはさっさとアナーニアと一緒に乗り込んだ。他、女子寮の方にそれぞれ一台ずつ、馬車が送り込まれている。


「せっかく密談できる場所なのに、何も指示がなくて、お休みになられているので、様子がおかしいなとは」

「ははは」


 ベルノストは力なく笑った。

 一応、説明はつく。アナーニアは主賓だ。コモが夏の社交の返礼に同級生を自宅に招くという筋書きだから。そうなると、先頭の馬車に乗るのは王子と王女二人というのが適当ではある。ただ、それは建前だ。だいたい、寮で暮らしているリシュニアは別の馬車でケアーナと一緒に現場に直行するのだし、来賓が集合して一息つくタイミングは必ず設けられるだろう。いきなりリー家の皆様の前で馬車を降りて、なんてことにはならない。


「ただ、お前とアナーニア様を二人きりにするという選択もなさそうだが」


 それもそうではある。接しやすくなったケアーナとは違い、こちらのとげとげしい態度は相変わらずだから。面と向かって暴言を吐くことはないのだが、まず会話など成立しない。気詰まりすること間違いなしだ。


「そんなに遠くもないんですから、寮からここまでリシュニア様と一緒にケアーナ様を連れてきたらいいんですよ。殿下のお相手は、なんだかんだいって彼女にしか務まりませんから」

「上に立つものとして、いいことではない」


 ベルノストは、暗い声でそう呟いた。


「一言で片づけるなら、余裕がないせいだ。だから限られた相手にしかものを言えなくなっていく」

「そうでしょうね」

「誰かの声だけが届いていると思われると、ますます周囲と距離が開いていく。こうしてその余裕がますます削られる。だが、それが王族の宿命だ」


 首を振って、彼は続けた。


「殿下には、捌け口がない。愛人の一人もいないくらいだ」

「そうなんですか、てっきり」

「庶子というものにいい印象がないせいだな。今回の陛下からの密命についても、ご不満ということだ……当然だろう?」


 うっかりデキちゃいました、が大問題になり得る一方で、今回のように万が一に備えて早く作っておけ、という正反対の要求もとんでくる。もちろん、相手を厳選しなければならない。

 しかしそうなると、ベルノスト達の立場は難しい。陛下と殿下の板挟みだ。


「血縁者が必要なのに、その血縁者が最大の敵になる。あのお三方の複雑な関係も、その辺にあってな」

「それはだって、リシュニア様が公館を出ちゃうくらいですから」


 グラーブにとってのリシュニアとは、毒にも薬にもならない存在だ。妾腹の妹でしかなく、玉座から距離のある立場だから、先々脅威になる可能性も低い。一方、アナーニアはというと、直接の王位継承権こそないものの、ノーマークでいられる相手ではない。グラーブは王家唯一の男子であり、その意味では替えが利かないのだが、しかし、彼が不慮の死を遂げた場合には、やはり次代の王はアナーニア以外にあり得ない。そういう諸々の思いもあってか、お茶会などの催事などでも、難しい役目はいつもリシュニアに割り振ってきた。単に姉の方ができがいいからでもあるのだろうが。

 一方、アナーニアにとっては、リシュニアほど不愉快な存在はいなかっただろうと思われる。同じ王女という身分もあって、ことあるごとに比較されてきたはずだ。それに加えて彼女の眼には、リシュニアは父にとってのフミールと同様、嫌悪すべきものと映ったのかもしれない。正妃から生まれた自分とグラーブだけが正しい王家の一員で、この異母姉は赦されざる混ざりもの。そんな認識だったとしても、驚きはない。

 本当のところは、それぞれに重い口を開いてもらうのでもなければわからない。ただ、現にリシュニアはアナーニアの入学と同時に公館を出ていった。そこまでしなければならないほどに、険悪な関係だったということだ。


「大きな問題が起きたというのでもない。あまりに気が塞いでいるようだったから、余計なことを言ってしまったのだ。せっかくなのですから、殿下も気軽に楽しむつもりでお付き合いなさっては、と」

「悪気がある言葉には思えないんですが」

「それでも、苛立って仕方なかったんだろう。筋道通らない怒りであることは、殿下もよくご存じだ。それで、それとなく今朝も私を避けていた。だが」


 彼は背筋を伸ばして座り直し、さっきよりはっきりした口調で言った。


「仮にもあちらで、こんな態度はおくびにも出すなよ?」

「無論です」


 俺の返事に、彼は自嘲した。


「これではあべこべだ。私が殿下のお気持ちを察して相談に乗るべきところ、どうしてお前に話を聞いてもらって自分の気を軽くしているのだ」

「そんなものですよ、人というのは」


 前世のカウンセラーの話を思い出した。人の話を聞くプロである彼らだが、さすがに重い話ばかりを聞かされるので、そのストレスを解消するために、カウンセラーの話を聞くためのカウンセラーがいるのだとか。それが本当の話かどうかは確認していないが。


「今回は、殿下のお相手候補が勢揃いだ。これまで接点もなかっただろうし、無駄骨かもしれないが、顔と名前くらいは覚えておいてくれ」

「ざっと話はケアーナ様から聞いたんですが、選んだのはベルノスト様だとか」

「いや」


 あれ? 少し話が違うような……


「一応、私とケアーナが責任者ではあるが、基本的には本国の指示ありきだ。最大の問題は実家だからな。ほとんど選択肢自体がなかった。だが、誰を選んだらいいかなんて、正直、私にもわからん」

「えぇ……」

「いつもの社交を思い出してくれ。だいたい男女別で固まっているだろう? 私も辛うじて顔と名前がわかるだけ。ケアーナもまだこちらに来て半年ちょっと。それもアナーニア様の世話につきっきりだ。上級生の品定めまでしっかりこなせというのは酷な話ではないか。側妾の件が舞い込んできたのも、休み明け直前だったのだし、準備なんかできていない」


 なんだか急に不安になってきてしまった。


「じゃ、どういう基準で絞り込んだんですか」

「それがな」


 ベルノストは深い溜息をついた。


「そうなると、極秘の話でもあるし、相談できるのはリシュニア様くらいになるんだが」

「そうでしょうね。話が外部に漏れない範囲で、しかも女性の側で社交に携わっているとなると、在学期間の長さを考えても、他に選択肢がありません」

「ここでさっきの話になってしまうんだ」


 目元を抑えながら、彼は低い声で呻いた。


「と言いますと?」

「リシュニア様に選考をお願いすると言ったら、横槍が入ってな」

「じゃあ、アナーニア様が?」


 ベルノストは黙って頷いた。


「一年生なのはケアーナ様と変わらないのに、どうしてまたそんな」

「殿下の立場で考えれば、不自然でもなんでもない。現時点では側妾でも、下手をすれば将来は国母だぞ? 正式な王妃は別の誰かだとしても、太子の母ともなれば、その影響力は小さくない。そんな立場に、自分にとって不都合な女が居座る可能性を見過ごせるか?」

「あっ……」


 つまり、純粋に良質な人材を配置すればいいというものではない。仮にリシュニアがよかれと思って身持ち確かな娘を選び出したとしても、それがアナーニアにとって好ましくない相手だった場合、彼女にとっては将来の政敵になってしまう。

 いや、そもそもリシュニアが純粋に良質な人材を選んでくれる、というのも確かとは言えない。彼女だって自分の立場の弱さは理解している。未来の国母と良好な関係を築けるなら、宮廷内での安全度もまるで違ってくる。

 忘れるわけにはいかないのだが、エスタ=フォレスティア王国の宮殿の奥深くには、毒殺の伝統がある。ここで相手のフリーハンドを許すのは、直接に死の確率を高めるのと同義だ。


「でも、それにしても普通、こういうのは素行の調査とか、先にやっておいてから相手を選んだりはしないんですか」

「もちろん、既に別途、着手している。さすがに全部自分で動くわけにはいかないから、どうしても他人任せにはなってしまうが」


 ようやく理解が追いついてきた。ただ王子様のためにかわいい娘を選んで恋愛ゴッコをさせればおしまい、という話ではない。骨肉の争いの狭間で、重箱の隅をつつき合う姉妹の話をいちいち聞いて調整する重労働なのだ。

 これではグラーブはもとより、ベルノストもストレスでいっぱいになるわけだ。


「お前に頼みたいのは、お忍びの際の護衛くらいなものだが、一応、計画を知る一人だからな。とにかく、よろしく頼む」


 馬車を降りてみると、既に時刻は昼近く。日差しは眩しいくらいで、思わず手で庇を作った。それでも吹き抜けていく風は少し前と違って、爽やかだった。

 目が明るさに慣れてから、周囲を見回してみると、ちょっとした高台の上にいるとわかった。西の方を見下ろすと、旧帝都の官公庁の、あの四角い建造物の数々が建ち並んでいた。南はというと、少し離れたところにこんもりとした緑の山が見える。あれが時の箱庭だ。北西方向には街道が伸びていて、その道路沿いに低階層の家が密集していた。その敷地は都心に近いほど狭いが、きっとあの道路のずっと北側まで行けば、クレイン教授の別邸のような余裕のある邸宅が見られるようになるのだろう。

 東側は、がらんとしていた。庭なのか、それとも自然のままに放置されているのか。富豪達の邸宅、いや宮殿が点在しているのだが、建物の間の土地が広すぎて、どこが誰の敷地なのかも区別がつかない。そして、豪邸のそのまた向こう側がどうなっているかというと、ここからではあまりよく見えない。ただ、多分、一般人の家屋などはないはずだ。

 やけに見晴らしがいいが、どうやらここは駐車場らしい。リー家だけの敷地なのか、他との共用なのかはわからない。


 既に他の馬車も到着していた。

 最高級の女子寮にいるリシュニアとケアーナはもちろんのこと、他の三人……宮廷貴族の中でも下っ端の家の娘達も、所在なさげに立ち尽くしていた。実家の経済力が微妙過ぎるせいもあって、彼女らは別の寮に身を置いている。ヒメノでさえ、やや不便な場所を下宿先にしているくらいなのだから、当然にそうなる。

 実は、俺は彼女らとはほとんど面識がない。一応、グラーブが主催するパーティーには同席しているのだが、だいたい女性用の席と男性用とではスペースが区切られているので、言葉を交わしたこともないし、いちいち顔を覚えてもいなかった。全員三年生で、どうせ来年いなくなることも確定しているので、関わる理由もなかった。


 距離があるうちに、俺はそっと彼女らの様子を窺った。


 一人目、ファイという名の男爵家の令嬢は、すっかり帝都の文化に染まっていそうに見えた。

 今回選ばれた三人ともがそうなのだが、もう十八歳で、年末には卒業、帰国してすぐ結婚するはずの年齢だ。なのに、そのファッションからはおよそ成熟というものを感じられない。

 天然パーマのその髪をツインテールに纏めている。明るい緑色のスカートは、膝が見えそうな短さだった。身分を思えば、普段の服装としても品位というものを問われそうなものだが、これから訪ねるのは帝都を代表する大富豪の邸宅だ。アナーニアの友人枠、実質お供ということでついていくのに、こんな町娘みたいな恰好はないだろう。


 二人目、ナリヴァは、一見するとしっかりしてそうに見えた。ショートカットの髪に、いわゆるワイシャツと小さな紐ネクタイ。スカートではなくパンツルックだが、本国でならともかく、帝都という土地柄を考慮に入れれば、そこまでおかしな服装ではない。主人であるアナーニアより華やかではまずいので、控えめにしましたということであれば、さほどの違和感もない。

 しかし、うまく言葉にできないのだが、どうにも近づきがたいものを感じた。視線が火のようでも氷のようでもある。俺なら口説こうとは思えない。最初から拒絶されているように感じるのだ。


 最後の一人、ジュガリエッタは女性にしては背が高めで、明るい亜麻色の髪がセミロングに纏められている。野の花をモチーフにしたふわふわしたワンピースを身につけていた。目鼻立ちもそこそこ整っているので、容姿の面でいえばグラーブに恥をかかせることはなさそうだ。三人の中で、最も無難そうに見える。

 ただ……


「ベルノスト」


 俺は小声で彼を呼んだ。


「どうした」

「本当に彼女らが?」

「そうだ。ここであんまり言葉にするな」


 それでも微妙な違和感がある。気になるのは身につけている服だ。ちゃんと洗濯されているし、不潔感があるのでもないのだが、真新しさのようなものがない。メイクも含めて、微妙な安っぽさが引っかかった。この特徴、まるで……


「こんなのしかいないのか」


 具体的な根拠は何もないのだが、この三人全員、側妾候補として問題ありのように感じる。美醜がどう、という話ではない。これはよくないことになる。そう直感した。


「……本命はこの先にいる」


 ベルノストは短くそう言って、話を切り上げた。

 というのも、目の前に聳える白亜の城砦のような大邸宅から、出迎えの人々が下りてきているのが見えたからだ。

 俺も意識を切り替えて、急ぎグラーブの後ろに駆けつけて、表情を繕った。

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