金儲け? 解説編
「ワッハハハ!」
老人の笑い声がこだまする。周囲の席にも人がちらほらいるのだが、こんな大声で笑う人はいないので、少々浮いてしまっている。
ここはなんと、帝都でも珍しいワノノマ風飲食店だ。椅子に座るのではなく畳敷きの座席があって、そこに靴を脱いで上がりこむようになっている。隣の客席とは衝立で仕切られているだけだ。外から見ると石造りの建物なのだが、内装はすっかり木造住宅で、雰囲気もいい。天井の赤みを帯びた木材の、少し煤けた感じが、きれいすぎなくて好ましい。
出された料理も、醤油や味噌こそないものの、それっぽいものが主体なのが嬉しかった。今、ケクサディブの前に置かれているお椀の中には、カツ丼が据えられている。考えてみれば、中濃ソースは野菜や果実の搾り汁や煮出し汁に砂糖や塩、酢、香辛料などを混ぜれば作れてしまう。トンカツにしても、パン粉や卵など、この世界に既にある材料だけで足りるので、帝都であれば実現可能なレシピなのだ。
味噌汁が添えられていないのは残念だが、代わりに彼は、お猪口にお酒を注いで少しずつ飲んでいた。既に顔は真っ赤である。
「いやー、うまくいってよかった! 一日で金貨十枚以上の儲け。気分がいいのう!」
「あの教授……いや、クソジジィ」
「ん? なんじゃ、演技はもういいんじゃがの」
演技ではない。
「どこが金儲けのコツなんですか。博打に勝っただけじゃないですか」
「ファルス君」
彼は威儀を正して厳かに言った。
「人生など、所詮は博打に過ぎんのだよ」
「たったそれだけのことを言うために僕を連れまわしたんですか」
「理不尽じゃろ?」
「理不尽ですね」
もう一口、酒を飲んでから、彼は尋ねた。
「で、君は一連の出来事から、何を考えたのかね」
「はい?」
「気付いたことを列挙してみるといい。ああ、わしが思った以上にひどいクソジジィだった、というのはナシでな。そんなのはわかりきっとる」
彼は冗談めかしたが、これで急に頭がサッと冷えた。
そうだ。彼は事前に言っていた。これは学問だ、考えろ、と。半信半疑ではあるが、しかし……
「そうですね」
咳払い一つ、俺は今になってやっと頭を回転させ始めた。遅い。意味のないギャンブルだと即座に決めつける前に、ちゃんと考えなくてはいけなかったのに。
「でも、これがお金儲けの方法なんて、やっぱり納得できないですよ。あのレースが八百長だったとか、何か手がかりでも掴んでいたんですか?」
「いいや、まったく」
「じゃあ、本当に運次第だったんじゃないですか」
「そうだな」
なら、言っていること自体がおかしい。そこで終わりのはずの話だ。そんなことは、彼も百も承知。ではなぜ、これを金儲けの方法だと言い張るのか。
「ふむ、ではファルス君、一つずつ確かめていこう」
「はい」
「君は今、お金持ちだ。違うかね」
「いえ、その通りです」
お金を自由に使えるかどうかは別として、ティズがキトの税収を毎年納めてくれるし、ピュリスには俺の商会があるし、ティンティナブリアという広大な領地まで与えられている。その予算の大半は俺のためというより、俺の身内や部下、領民のために費やされるとしても、俺がお金持ちでないということはできない。
「なぜお金持ちになれたのかね」
「それはだって……僕の力のことはご存じでしょうに」
彼は大きく頷いた。
「バケモノだからだな。だが、普通の人間には、それを真似ることはできない」
「そうですね」
「では、君がティンティナブリアの普通の農民だとしたら。今からお金持ちになろうとしたら、どんな努力をするかね? ああ、ただ、君が今持っている能力はないものとする。その、あちら側の世界のいろんな知識とか、そういうのも封印。普通の農民が知っていることしか知らないとして」
そうなると、多くの選択肢が自動的に消滅する。辛うじて文字の読み書きはできるとしても……例えばチェギャラ村の人々も、その大半は読み書き計算ができた……商売のコツなんかを学ぶ機会はなかっただろう。俺が知っているのは畑の耕し方だけ。
「だったら、頑張って働きます」
「うむ、それで?」
「少しでもお金に余裕ができたら、それは貯金します」
「そうだな、それが正しい」
こういう平凡な方法しか思いつかない。
「そのお金で、犂を引く牛を買ったり、隣の農地を買い足したりして、財産を増やします」
「素晴らしいね。勤勉そのものだ」
「僕にそれだけの努力はできないと?」
「いやいや、そうとも限らない。それに、実際にできるかどうかは別として、そのやり方は多分、正解だよ」
なら、金持ちになるコツについて、これ以上、論じるまでもないのでは? 真面目に働き、無駄遣いをせずに貯蓄して、それを有効なところに投資する。そうやって少しずつ資産を増やす。
「では、ここからが本題だ。君が帝都に移住したシュライ系移民だったら、どうするかね?」
「えっ」
「同じことをするかね?」
少し考える。例えば俺が、タマリアだったら? 但し、ファルスやニドはいないものとして。
彼女は勤勉で、肉体的にも決して虚弱ではない。だからラギ川のヘドロ除去作業にも参加できる。そうして金貨一枚を手にして。彼女はそれでご馳走を作って周囲に配ってしまったが、ここではそれはしないものとしよう。加えて、性別もいっそ男基準で考えれば、そこまで周囲に恩恵を与えなくても、暴力に晒されるリスクは小さくなる。
我慢、我慢、我慢だ。貯金はできる。少しずつ。相当な貧しさではあるが、不可能とは言うまい。だが、その先がイメージできない。
「行き詰まったようだね」
「貯金できたとしても、牛を買ったり農地を買ったりする余地がありません」
「その貯金だって、相当に難しいのだよ、帝都では。だってそうだ、君がラギ川の浚渫作業に参加して、めいいっぱい頑張って働いてもだ、貰えるお金は金貨一枚。あれだけの重労働なのに、たったそれだけ。しかも頑張ったからって稼ぎは増えない。初めから金額が決まっているから。ここでは君の努力に点数をつけるのは、君自身ではない」
「言われてみればそうでした」
そこが決定的に違っていた。農民なら、もちろん天候次第で不運に見舞われることもあるとはいえ、耕す土地の広さは自分の頑張り次第だ。しかし、こちらの移民は、肉体労働を頑張ったからと言って、それに比例した収入など得られない。仕事の報酬は、それを発注する側の都合で決まる。
「次に、投資……つまり、得た富を働かせる方法だが、これも簡単には見つからない。牛を買うと言ったね。こちらだと、まぁ商社街のお仕事に投資するということになるのだけれども。はっきり言ってしまうと、おいしい投資案件、儲かる商船のための出資とか、そういうのはもう、ほとんど北東部の富豪達の独占だよ」
「不公平ですね」
「自由で平等だから、そうなる。だって君が船主だったらどうかね。これから船を出して南方大陸に行きます、帝都でこれこれしかじかの品を積んでラージュドゥハーニーまで行って戻ってきます。こういう計画なので、金貨一万枚必要です。そうなったら、ノンビリと一般庶民とか、市民権のない移民が銀貨を投げてくれるのを待つのかね。それだったらもう、いっそ一人か二人の大富豪に話をして、受け入れてもらった方が早いし確実だ」
お金持ちだからこそ、儲かる話を持ち込んでもらえる。なぜなら、儲けさせることで儲ける側としても、その方が便利で簡単で確実だから。信用もできる。
「要するに、君がティンティナブリアでやろうとした金儲けは、帝都では通用しないのさ」
「そんな気がしてきました」
でも、その違いはなぜ生じるのだろうか。
「君の疑問が透けて見えるようだよ。その答えは簡単だ。ティンティナブリアのド田舎には何もかもがない。だから何を作っても売れる。必要とされる。だけど帝都は豊かで平和だから、ほぼなんでも売っている。この、ワノノマ産のおいしい白米だって、本場よりいいものが見つかるくらいだ」
そう言いながら、彼は残ったカツにフォークを突き刺して口に運んだ。
「そんなところで、頑張ったくらいで金儲けができると思うかね? まぁ、君みたいな怪物にとっては簡単なんだろうが、普通の生身の人間には、まず無理だろう」
「確かに、肉体的な限界を超えた努力がないと、効率が悪すぎるのかもしれません」
「そこだよ」
フォークを置いて、彼は俺を指差した。
「頑張るって方法自体が通用しないってことなんだ。じゃあ、どうすればいい? だけど君が何を持ち込んで売り捌こうとしたって、それは既にこの街にはありふれたものでしかない。南方大陸の茶葉も、東方大陸の磁器も、サハリア産の薬も、みんなあるんだからね」
「う、うーん、確かに難しい」
「そこで」
彼は小さく拳を突き上げた。
「いやいや、だからって賭け事は」
「もちろん、賭け事に勝てば儲かるなんてのは、金儲けの大事な部分が欠落している考え方だ。だってあれは、競技場がやり方を決めているんだからね。だけど、そこさえ自分なりに考えて決めてしまえば、あとは本当にあれと変わらないんだよ」
理解が追い付かない俺に、彼は付け足した。
「そもそもあんな競走に、何の価値があるのかね」
「散々楽しんでおいて、言えることですか」
「そうとも、無価値なものに興奮していたね、わしは。だが、来週にはまた競技場に行くし、またそこでどれかの色に賭けるだろう。勝てる保証なんかないのに、夢中になってしまう。理屈では勝負に勝ちたいから、金を手に入れたいからだと思うわけだ。でも、実際には違う。あの場にくる連中の大半の頭の中身は」
お猪口に酒を注ぎ、一気に飲んだ。
「連中に聞いてみるといい。黄金の兜の御者がいかにイカしてるかとか、赤き太陽の連中の馬の血筋がどうかとか、そんな話を何時間もしてくれることだろう」
「想像がつきます」
「でも、あの場でやってることはなんだ? ただの競走、ただの博打だ。そこに文字通り、色を塗りたくっているだけ。かっこいい御者が優勝したから、なんだっていうんだ? 意味なんてない、価値なんてない。だけどそこに意味を見出して、応援して、お金を出してしまう」
そこで俺が連想したのは、前世の野球観戦だった。確かに、どこのどんな選手がヒットを打とうが、それ自体はお遊戯に過ぎない。なのにホームランボールには値打ちが生まれる。ボールはボールでしかないのに。ファンはグッズを買い込んで、割高なコーラとポテトを片手に夢中になって観戦する。そしてプロスポーツには、実際に巨額のお金が動く。
野球自体に生産性などない。武術と違って実用性もない。なのに勝手に観客はそこにドラマを見出して夢中になり、選手と同じ背番号のシャツを着て喜ぶ。
「あとはもう、競技場に来る連中のために、責任もって賭けの胴元を引き受けるだけさ。ちゃんと受け取り、ちゃんと支払う。元締めがきっちりとね。そうすると……空からお金が降ってくる」
要は大勢の応援があるから儲かるのだが、その応援は実利ではなく、ひたすらコンテキストに基づいている。そこに責任でレバレッジをかけることで、爆発的な利益に繋がる。これが、ケクサディブのいうところの「帝都における金儲けのコツ」なのだ。
「無意味なところに意味を生み出して、それに共感してもらう。すると応援してもらえる。そう、自分一人の頑張りではどうにもならない。むしろ、社会の中での一人の頑張りなんて、割を食うばかりさ。たくさんヘドロを掻き出したって、君の儲けは金貨一枚。だけど、社会の中の流れを自分に引き寄せれば、お金持ちになれる。君固有の意味を、文脈を受け入れてもらうことができれば、ね」
「それって、難しいことですよね」
「そうさ? 要はウケるかウケないかってことなんだから。どうしたって博打になる。成功したければ、自分の体重だけで秤に乗ってもダメだ。自分以上の体重で派手に倒れこんで、怪我せずに受け身を取る。この繰り返しができるかどうか。小さく賭けて、大勢を巻き込んで、そこに含まれる意味を共有する……言ってみれば、お金の本質を掌握しなくてはいけない」
「小さく賭ける、ですか」
彼は大きく頷いた。
「肝心なのはそこだ。いいかね、帝都で儲けようと思ったら、頑張ったらいけないんだ。頑張るんだが、頑張らないように頑張る必要がある。言葉にすると意味がわからなくなるのだが、つまり、なるべく小さな労力で意味を作り出すことだ。話をして、すぐ応援が集まるものがいい。今あるものをすぐ売る。売れるようにする。これが大事で、逆に一年かけて新しい農作物を育てて、さぁ試しに作ってみたけど売れるかな、というのは、本当はよくない。失敗した時、それまでにかけてきた労力が無になってしまうし、何より大事な試行回数が少なくなる。だがまぁ、そこはどうしても才能の部分があるからな。できないなら、時間がかかってもなんでも、とにかくできることで試行回数を増やすしかない」
それにしても「お金の本質」とは……どこかで聞いたような気がする。なんだかまるで宗教を広めているような感じだ。
「似たようなお話を聞いたことがあるような」
「アイドゥスだな?」
そうだった。彼の監獄での最後の講義。ここでまた、世界が繋がった。
「彼をご存じなんですか」
「当然だよ。帝都まで留学しにやってきていたんだから、学園の関係者としては、当然顔を合わせてもいる。彼がうまいことやったおかげで、わしも書庫に立ち入ることができた。ふふっ、聖職者のくせに、あいつは妙なところで変な知恵がまわるやつだった」
だが、彼の非業の最期を思い出すと、自然と気持ちが沈んでくる。
「知っておるよ。先に逝かれてしまったが、なぁに、ちょっと順番が早くなっただけじゃて。わしもこの歳だしのう」
「はい……」
「そんなつまらん顔をしても、あやつは生き返らん。それより、競技場で賭けることが本当の意味では金儲けにならない理由というのも、これでわかるじゃろ」
意識を無理やり引き戻して、答えた。
「意味を作り出しているのは御者達だから、ですね。他人の意味と取り決めで勝負をしている限り、本当には儲からない」
「その通り! 君が自分で意味を生み出す源になれば、君自身の頭上にお金が降ってくるわけさ」
一息入れてから、彼は続けた。
「本当の金儲けをやっているのは、競技場の運営側で、儲けたくて集まるバカどもは、うまく踊らされているだけだ。とまぁ、理屈はいくらでも説明できるが、じゃあわしにできるかといったら、これがまた難しいんだがね、はっはっは」
「理屈がわかっても儲からなきゃ意味ないですよ」
「まぁ、それができないなら、あの質屋どもを真似するのも手かもな。夢を見せる奴らが本当の金儲けをする。それにつられて一攫千金を夢見た連中が集まってくる。その金の流れに乗るのがあいつらということさ。どうしても賭け事が嫌いなら、あれかあれの下請けくらいしか、やれることはないんだよ」
とりあえず、彼が言わんとするところはわかった。だから俺はあちらの世界で金持ちになれなかったのだ。
自分で手を動かして丁寧に料理をお出しする、というのは、儲かるというのとはまったく縁がない。一方、素晴らしいレシピを考案して、それを大勢の人に作らせて儲ける、というならアリだ。つまり、借金して事業を起こして、文字通り責任を支点にして自分の数倍の体重で勝負をかける。
料理人をやめた後は、尚更よくなかった。派遣社員だ。これは自分が手を動かす側という以上に、他人に儲けさせてやっている身分でしかないところがまずい。俺が汗水たらして働いている間、最初にちょっと顔を出しただけの仲介業者は、メール一本、書類仕事をちょっとこなすだけで、儲けの中抜きで甘い汁をすすっていた。
だが……
「お話はわかりました」
「うむ、どうかね」
「でも、なんというか、しっくりこないというか、いえ、なんと言ったらいいのか……」
彼は鼻で笑った。
「そうそうすぐには繋がらんよ。君はまだ、部分を感じ取ったに過ぎない」
「部分?」
「そうさ。金儲けという小窓を通して、あちら側を垣間見ただけなんだ。多分、想像でしかないが」
深い息をつきながら、彼は背筋を伸ばして言った。
「君の……かの英雄の生まれた世界というのは、本当に帝都にそっくりらしい。だとするなら、なるほど、魔王に付け込まれるような理由など、いくらでもあるということだよ」
わかったような、わからないような。
だが、彼はもう、これ以上料理が冷めるのに我慢ならないらしく、カツ丼にスプーンを突っ込んで、豪快に食べ始めてしまった。その合間に愚痴を漏らす。
「まったく、フシャーナの奴め、あの怠け者がもうちょっとしっかりしておったら」
「はい? でも、歌姫を追いかけたり、競技場で遊んだり、怠けてるのはあなたの方では」
「なんじゃと! とんでもないわい。だいたい、誰が学園長としての業務全般を引き受けてやっていると思っておるんじゃ」
「えぇ? じゃあ、副学園長が」
「全部、何から何まで、わしが代行してやっとるのに、何をぬかしておるんだか。あやつは暇さえあれば自分の好きな研究をするか、さもなければ居眠りばっかりしておるわい。最近、やっと帝都の監視とか、仕事らしいことはやるようになったが、まだまだ怠けてばっかりでな……それであんまり暇なら、ほれ、お前さんが入学するというから、代理機関の使命を果たす意味でも監視にいけと、そう言ってやったんじゃ」
納得できそうではあるが、それはそれとして、ケクサディブも相当に問題がありそうな気はする。どっちもどっちというのが真相に近いのではなかろうか。
彼はニヤニヤしながら言った。
「まぁ、なんにせよ、わしもこれからは君を監視せねばなるまいな」
「監視ですか」
「老い先短い世捨て人の気晴らしに付き合ってもらうという言い方もできる」
「全部遊びに変換するんですか。帝都にまともな守護者はいないんですか」
「はっはっは」
ひとしきり笑ってから、彼は言った。
「ともあれ、青春を謳歌したまえ。きっとそれが君にとって、何よりの薬になるだろうからね」
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