あの時の続きから
居心地が悪い。居場所がない。やることもなければ、逃げ出すこともできない。
暗い馬車の中の小さな窓から、切り取られたような青空を眺めては嘆息するばかり。まるで囚人として護送されているみたいだ。
王都とピュリスを結ぶ幹線道路は、相変わらず整備が行き届いている。馬車で移動しても揺れは小さく、尻の痛みに悩まされたりもしない。だから肉体的には快適といえる。運動できないフラストレーションがあるくらいだ。微風が心地よい季節でもある。外をアーシンヴァルに乗って移動した方が気持ちいいだろう。だが、すぐ後ろに山積みされた荷物がそれを許さない。数日分の着替え、謁見用の礼服、四年半前に授かった宝剣……
総督府は、俺の出頭命令に反応して馬車を用意した。だからこの馬車の御者は、リンガ商会の人間ではない。今回の旅に身内は一人もついてこない。
あちらに着いて何をするかは、まだはっきりしていない。わかっているのは、偉い方々と顔を合わせる機会がある、ということくらいだ。だから、そうした状況に備えて、必要な品々を所狭しと詰め込んで、そこに俺が乗り込んだ。荷物用と本人用の馬車が同じ。二頭立ての小さな馬車が一つきり。
雑な扱いと憤るべきだろうか? でも、こればかりは仕方ない。ムヴァクが意地悪しているのではなく、急なことでもあり、余裕がなかったせいだ。というのも、俺の前には十数台の馬車がある。特使であるヒジリのために最も立派な馬車を、副団長にもまた一台、供回りの者達、それと彼らの荷物や王への贈り物のためにも何台かが必要になった。
つまり、今の俺は、大勢のワノノマの使節団の後ろに一人だけチョコンと、それこそ金魚のフンのごとくにオマケでついていっている状況だ。ああ、なんと肩身の狭いことか。
間もなく初日の行程が終わる。エンバイオ家に仕えていた頃に何度か往復しているから、この道は知っている。宿舎を提供する集落が途中にいくつかあって、もうすぐそこに到着する。春だから日が長いのでまだ青空が見えるが、この次の宿舎はかなり遠いので、今からでは日中には辿り着けない。
思った通り、馬車は徐々に減速していった。窓から外を眺めると、先頭の馬車から右手に折れて、集落の広場へと乗り入れているのがわかった。
「ふう……」
最後に多少の揺れに悩まされてから、やっと馬車が止まる。そうして俺は外に出されると、まず思いっきり伸びをした。
多分、ここでこのまま待っていればいい。まず、いい部屋からヒジリ達に割り当てられる。最後に俺に狭い個室が与えられることになるだろう。道中の食事も軽食を一人で済ませたのだし、宿舎での夕食もそんな感じになりそうだ。その方が気楽でいい。
そうしてぼんやりと、気を抜いた状態で、案内される人々を見送っていた。つまり、俺は油断していた。
背後の馬車の陰から、小さな物音を耳にした時、反射的に警戒心が蘇った。
「フッ!」
振り向きざま、蹴りを放っていた。
不意討ちを浴びせようとは、何者……
そいつはきれいに鳩尾を蹴り抜かれ、広場の地面をゴロゴロ転がっていく。
あれ? 思ったより小柄、というか髪の毛長い、女? ゲホゲホいってる……
「あっ、お、おい! 大丈ブッ」
言いかけて、また俺は硬直した。
ピアシング・ハンドで、そいつが誰かを確認してしまったからだ。
「ぐ、おお、王子様ァ、ゲフッ」
「嘘だろ!?」
なんでこいつがこんなところに。貴公子マニアのド変態、ホアはワノノマのヌニュメ島で死ぬまで強制労働、じゃなかったのか。
どうしよう、逃げ出したい。なんというか、直接的な暴力より、こういうのが対処に困る。どうしたらいいんだ。
「あらあら、旦那様」
背後から静かな足音が近づいてくる。
「こんなところで何をなさっておいでなのでしょうか」
ヒジリだ。声色でわかる。こいつはうっすらと笑みを浮かべているのだろう。振り返ると、果たしてその通りだった。
身に着けているのは涼しげな水色の打掛と裳だったが、歩きやすいように長さは控えめにされている。
……こうしてみると、なんか違和感がある。どことなく似合ってない。服装に対して髪の毛が短すぎるせいだろうか?
「どうしてホアがこんなところに」
「ああ、それはですね」
ゆっくり大きく頷いてみせて、彼女は事情を説明した。
「せっかくですから、旦那様への贈り物ということにしようかと」
「お、贈り物というのは」
「だってそうでしょう? ホアは旦那様の下でしか働きたくないって言い張るんですから。誰しも立派な主人にお仕えしたいものでしょうから、それならということで、ここまで連れてくることにしたのです」
梅干を一度にいくつも口の中に放り込まれたような気分になった。
「そういうことだぜ、王子様」
そう言いながら、起き上がったホアは、遠慮なく俺の背中にしがみつき、羽交い絞めにしてきた。
「オレ達の愛は終わってなんかなかった! これで続きができるぜ!」
「うわっ! ちょっと待て! やめろ! 放せ!」
「やっと邪魔がなくなったなァ!」
「馬鹿! 何を言っている! 仮にも婚約者の前だろうが!」
「あらあら」
口元に手をやり、ヒジリは一見、穏やかな笑みを浮かべている。
「仲がよろしくて結構なことですね」
「お願いします、やめさせてください」
「おやおや、旦那様、私もオオキミの娘ですから、そこは心得ておりますよ。些細なことではしたない振る舞いなど致しませんから」
「そういうことだぜ」
自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。俺に見張りをつけるのはわかっていた。だけど、それにしたってやり方というものがあるだろう?
ホアには、自分がファルスの監視要員であるという自覚などない。だが、重要なのは、こいつがいつでも俺に密着しようとするところにある。千里眼の神通力では、直接俺を指定して観察することができないから、俺の周囲にいる誰かをターゲットにするしかない。だが、だからといってその監視対象をノーラやフィラックにした場合、彼らが俺の意図を汲んで、むしろ観察者の目をくらますような挙動に出ないとも限らない。
なので、ホアを俺に譲るというのは合理的ではある。こいつは何も考えていないから。とにかく「ブチ抜かれる」こと以外には、何も。
「では、私は先に休ませていただきますので」
軽く会釈すると、なんということもないとばかり、ヒジリはさっさと歩き去ってしまった。呆然とそれを見送る俺の首筋に、ホアは甘噛みしたり、舌でベロベロ舐めてきたりした。我に返った俺は、魔術まで用いて強引に彼女を振り払うと、全力で走って距離を取り、自分の部屋に閉じこもって、人払いの魔法をかけた。それでも安心できなかったので、力魔術で扉と窓をロックした。
出発してから四日目、王都の近郊に至ったとき、風景が以前と変わってきているのに気付いた。色濃い緑が多い。思わず身を起こして、窓の外に目を凝らした。
四年半前も、この辺りに家屋が散在していたのは覚えている。だが、今はその家々の間に水路が走っていた。そして、一面の麦畑が広がっていたのだ。形ばかりは立派な麦の穂、だがまだ熟するには至っておらず、色濃い緑が一帯を覆っていた。
レーシア湖からの水路建設事業。タンディラールはこれを成し遂げつつあるのだ。王都周辺の農地開発を進め、食料供給をより安定させる。それと同時に、王都周辺のスラムを解体する。低賃金で都内の雇用に縋る人々に、新たな仕事を与える。俺が旅に出ていた四年もの間、彼は地道に働き続けていた。
流民街の城壁は、以前のままだった。補強されるでもなく、解体されるでもなく、ただそのままにされていた。ただ、門の周辺にあった家屋の多くは解体されており、広い空き地になっていた。
市民の城壁を抜けると、なんとなく見覚えのある華やかな王都の街並みが目に飛び込んできた。ただ、よく見ると以前とは少しだけ風景が違っている。冒険者ギルドのあった方向、南東側には丈の高い建物が林立していて、そこがスラムになっていた。四年半前の内乱の際、王都から脱出し損ねた子爵家が転がり込んだ場所でもある。それがきれいさっぱり、なくなっていた。そもそも違法建築だったのかもしれない。継ぎ足しばかりで強度も怪しいビルだった。
そういえば、ダングの店は今、どうなっているだろう。俺にチョコレートケーキの焼き方を指導したコプローファ爺さんは、存命だろうか?
兵士の壁を抜け、スロープを駆けあがると、整然とした住宅街が続いていた。
富裕層の住宅のある地区だが、零細貴族の本宅もここに置かれる。この前の内乱で多くの家々が焼き払われたはずだが、こうしてみると、その傷跡はまるで残っていない。クレーヴェとウィーの家も最後は焼け落ちた。今、あそこはどうなったのか、誰のものになったのか。
だが、馬車はさらに先を目指した。貴族の城壁を越えると、空間を圧する静けさのようなものが感じ取れた。重厚な石造りの家々が身を寄せ合っているが、その境界線も定かではない。独立した家屋というより、連続した建造物なのだ。そして、ヒジリらワノノマの特使一行が宿舎を与えられるのも、ここをおいてなかった。貴族の壁の門が開くのは、王宮の城壁の門が開くより遅い時間だから。
一連の馬車が止まった。
ここで下車かと身を起こしかけたが、御者席から人がやってきて、手をかざした。俺だけはここではないらしい。何かやり取りがあって、また御者が戻っていくのが見えた。
「あぁっ、王子様ァ!?」
離れたところから声が聞こえたが、他の止まったままの馬車を置き去りにして、俺を乗せた馬車は更に奥へと向かった。
しばらくの間、比較的細い路地を抜けるように走っていたが、とりわけ人気のない一角で、馬車が止まった。
「到着しました」
言われて降りてみた。左右には圧迫感のある丈の高い建物が建っている。四階建てで、一階部分は半地下になっていた。特徴的なのは、道路に面した側に多くの扉が同一の間隔で並んでいることだ。それで察した。ここはいわゆるワンルームマンションだ。クレーヴェみたいな零細貴族、普段は貴族の壁の外側で暮らしている人が、週一度の朝議のために詰めるための場所なのだ。
今はまだ昼下がり。こんな早い時間から、狭苦しい部屋に篭りにくる貴族なんかいないだろう。明日は早速、ワノノマの特使との謁見があるから、外にいる貴族達もこちらにやってくるはずだが、多分、それも夜になって夕食を済ませてからになる。人気がないわけだ。
「先程、宮廷のご担当者の方にご説明いただいた限りでは、こちら、百二号室がファルス様に割り当てられているとのことです。鍵はこの通り、お預かりしてきました。では、お荷物を運びますね」
「あ、ではその辺に置いておいていただければ」
「お部屋まで運びませんと」
「大した量でもないですし、お気遣いいただかなくて結構ですよ。ありがとうございます」
そう言われて、さしたる問題もないと判断した彼は、すぐに飲み込んだ。
「では、明後日の昼頃、退室なさるかと思いますが、その際に宮廷の方から担当者が参ります。帰りの馬車も王家から手配されるとのことですので、その際にこちらの鍵はご返却ください」
御者が去っていった後、俺は梱包された三つの箱と背負い袋一つを手に、ぼんやりと突っ立っていた。
路上に荷物を置きっぱなしにした所で、さすがにこんなところで泥棒なんか出たりはしないだろう。俺は短い階段を下りて、すぐ目の前にある金属の扉に鍵を挿し込んだ。
扉を開くと、中から篭った空気の匂いがした。床を見る限りでは、ごく最近に清掃されたのがわかる。埃一つない。だが、これはそういうことではない。長期間、誰にも使われていなかった空間だが、前には誰かが住んでいた。
狭い玄関を左に曲がって室内に入ると、古びたテーブルが目に入った。左手には煮炊きに使う道具が一揃い。どれも使い込まれていて、古びている。右手には、なんと本棚だ。それが三つくらい、L字型に配置されていて、所狭しと本が詰め込まれている。その本棚と壁の狭間を抜けると、より薄暗い別室に出られるが、そこはほとんど日の差さない、狭い寝室だった。寝台自体は古びているが、ここも掃除されていて、用意されている布団やシーツは真新しかった。また、その隣にはトイレ兼浴室があり、身を清めるための水が貯められていた。
およそ来客をもてなすような部屋ではない。タンディラールは俺を冷遇したいのか? いや、そうではあるまい。さっきのテーブルの上には、今日の夜食と明日の朝食があり、それぞれ覆いがかけられている。そして椅子のすぐ前に、封筒が置かれていた。
手早く魔術で室内に灯りを点してから、俺は封筒に手を伸ばした。
『友へ
現実の世界へようこそ!
夢の世界の旅はいかがだったろうか?
君を迎えるのに、ここ以上の部屋はあるまい。
あの日以来、長らく封鎖されたままだったのだが、君の帰国を知って急遽片付けさせた。
とはいえ、置かれていたものは可能な限り、当時のままとした。
今は亡き彼と、存分に語り合うがいい。
今夜は君が自由人でいられる最後の一夜だ。
存分に羽を伸ばすといいだろう。
明日からは、逃れようもない責務が降りかかってくる。
朝早くに宮廷人が顔を出す。
準備ができ次第、早めに王宮内に顔を出すように。
今回は君なしでは始められないのだから。
日中の茶番劇だけでも一仕事だが、日が落ちたらもう一度、王宮の門を潜ってもらう必要がある。
いつかそうしたように、玉座の間で待っている。
今となっては、君に道を踏み外してもらっては困るのだ。
できる限りの忠告を君の心に刻みたい。
追伸――
いつかの宿題の答えにも、期待している。
友より』
俺は溜息をついた。
ということは、ここは……
「ウェルモルドの部屋、か」
どうやらタンディラールの中では、もう処分は決まっているらしい。
肩をすくめて彼の気遣いに感謝しながら、俺は荷物を運ぶため、また外に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます