数多なるアーウィン
二人が去った後、小雨が撥ねる音を耳にしながら、俺はそっと洞窟の中に足を踏み入れた。
入口はほとんど真っ暗だったが、すぐに淡い光に包まれた。あの、政庁の裏手にあった秘密の地下通路と同じだ。微妙に発光している青白い石が、細長く切り揃えられていて、それがびっしりと壁や床を埋めている。恐らくだが、本来の洞窟の入口は、この辺りにあったのだろう。だが、長い年月の間に山が崩れ、雨に流されて形を変えて、入口が土砂に埋もれそうになってしまったのだ。
今もイーグーが命懸けで時間稼ぎをしてくれている。だが、ここからは急がない方がいい。慌てて突っ込んだところで一撃を浴びたら、すべてが終わってしまう。
もし俺の想定通りなら、アーウィンと戦うのは一人がいい。理由はいくつもあるが……一つには、頭数を揃えて一気に迫ろうものなら、彼は無理をしてでも大規模な魔法を行使して、この通路を塞ぎ、時間稼ぎを狙うだろう。ただ、あちらとしてもファルスという敵は、ここで確実に葬っておきたいはずだ。大味な攻撃で撤退を選ばせるのは、決して得策とは言えない。
言うなれば、俺自身が餌だ。そこにこそ付け込むべき隙がある。
俺は一瞬、足を止めた。通路の終わりが見えたから。
あちらも俺に気付いていた。周囲の淡い光の中に、黒いロングコートのようなものを着た彼の姿が浮かび上がった。
敢えて走りだしたりはしなかった。アーウィンが魔法を使おうとする仕草を見せれば別だが、今は変に刺激しない方がいい。思えば地下水路で彼に追いつかれたのは、幸運だったのかもしれない。いつも身につけていた魔道具を、腐蝕魔術によって破壊できたから。今の彼には、絶大な魔力と技量はあっても、それを自在に操るための道具が不足しているのだ。ただ、触媒は持っているはずだから、油断はできないが。
俺が最後の一歩を踏み出し、半球形の部屋に立ち入るのを、アーウィンは静かに見守っていた。
彼の背後には壁龕があり、そこには黒々とした切り株のようなものが鎮座していた。また、そのすぐ下には半透明の筍みたいなものが三つほど、転がされていた。恐らくはあれが霊樹の苗なのだろう。
「一人で来たのかい?」
「お互い、その方が都合がいいんじゃないのか」
「どうだろうね」
まずは運試しだ。
スーディアでは気付けなかった、アーウィンの弱点。それを突く。
「そう、君の読み通りだ」
彼はあくまでリラックスしていた。後ろにある木の根を指し示して、実に気安く言い放った。
「これがクロル・アルジンの根。これさえ破壊すれば、あれは止まる。でも、一つ問題があってね」
「壊れないんだろう?」
「わかっててきたのか」
彼は腰からシロガネを抜き放った。それから、こともなげにそれをクロル・アルジンの根に突き刺した。
すぐ引き抜いたが、その損傷は見る見るうちに修復された。
「切ろうが焼こうが、どうにもならない。念のために、私が見張りを引き受けてはいるが」
俺の心を折ろうとでも言うつもりなのだろうか。皮肉なものだ。自分の弱点を知ればこそ、そこに注目してしまうのだ。
「壊せないなら、ほったらかしでいいんじゃないのか。他にやることだってあったはずだ」
「絶対に壊れないわけじゃない。ただ」
彼は、品定めでもするかのように、俺の顔を覗き見た。
「今の君には無理だろうけどね」
「なぜそう思う」
溜息一つ。それから余裕の笑みを浮かべて、皮肉たっぷりに言った。
「弱体化した今の君では、これは壊せないし、私にも敵わない」
やっぱりそうか。
俺の能力の秘密を、彼らはほとんど知り得ている。これも一人でここに来た理由の一つ。
「図星だね?」
俺は何も答えなかったが、彼は得意げだった。
「スーディアでの遭遇から、私達が何もしなかったと思ったのか? デクリオンは気付いていたよ。なぜか急に古代の言語を話せなくなったとね。それにサハリアであれだけ暴れておいて、まさかごまかせるとでも? ああ、今となってはの話だが、ハビは実に有用な情報を提供してくれた。犠牲になった同胞……四賢者達もだ。特に、リフとマーノンを仕留めたあのやり方は、少々大胆に過ぎたんじゃないのかな」
どちらもピアシング・ハンドで能力を奪ったことが、彼らの死因になっている。
「どこで力を増したのか知らないが、この短期間で火魔術も随分と上達したらしいね。もしかしてナルーから奪ったのか? それとも赤竜からか?」
剣を持たない手で、彼は俺を指差した。
「その若さで、異常な多芸。天才という言葉では言い表せない。だが、その正体は……そう」
俺が最も不快に思うだろう言葉を、彼は選んだ。
「ただの泥棒、でなければ三文役者だ。どこかの誰かのなりすましでしかなかった」
「ふん」
確かに、そこは否定できない。
俺はいったい何者なのか。他者から奪った能力がごちゃ混ぜになって、その中に埋もれながら生きている。
「それにしても、いくら相手が手強かったとしても、竜に化けたのは失敗だったよ。しかもクロル・アルジンを石に変えてしまうなんて……ハリジョン沖に何が沈んでいるか、知らないと思っているのかい? 君がどこを旅してきたか、何をしてきたかを調べれば、もう迷うまでもない。あれこそ答え合わせだった」
「言いたいことはそれだけか」
今度はこちらの番だ。
「借り物だらけなのは、俺だけじゃないはずだ。なぁ、アーウィン。いや」
俺は人差し指を向け……ついで中指も向けた。
「アーウィン達」
「なに?」
「大勢のアーウィン、たくさんいるアーウィン、みんなバラバラのアーウィン」
俺は掌を開いた。
「合計何人いるんだ? お前は」
彼の顔から笑みが消えていた。
「そんなこと、言われるのも嫌なんだろう? そう、お前が俺の正体に気付いたのも無理はない。お前が俺みたいなものだったんだから」
剣の切っ先で、彼の後ろにあるクロル・アルジンを指し示した。
「お前こそ、あのバケモノのできるところを俺に見られたのは、失敗だったな。あれを見て、クロル・アルジンが大勢の人間の塊だとわからないなんて、あり得ない。そしてお前は、いわばその出来損ない、試作品だったんだ」
アーウィンは冬の月のように冷たく光る眼差しを俺に向けた。
「だけど、お前とクロル・アルジンには違いがある。お前はあれと違って、イーヴォ・ルーの祝福を直接受けることができなかった。パッシャに残された不完全な知識を元に、強引にそれらしく組み立てただけ」
「だから、どうした」
「お前が仲間達に、自分のことを『唯一の』アーウィンと呼ばせるのは、そういうことなんだ。お前の中では、他の十六人のアーウィン達が眠っている。そいつらを起こされたくない。何かあって調子が悪くなると、押さえ込んでいるはずのそいつらが目覚めてしまうから。アーウィンが一人じゃないと気付かれたら、一つしかない体の取り合いになるからだ」
ピアシング・ハンドによれば、そいつらは全員、アーウィンという名前を持っていた。これが何を意味するのか? 彼らは、主人格を務めるアーウィンのパーツになるべく、初めからそう育てられたのだ。何かの一芸に秀でるよう徹底的に教育を受け、そのまま素材にされた。もしかすると、いいや、ほぼ確実に、彼の中のアーウィン達は、自分がどう扱われたのか、何に成り果てたのかを、知らないままだろう。
そして、これがあの時……スーディアで、ノーラ達五人が処刑されそうになった際に、アーウィン自身が戦わず、幹部達に一切を任せた理由だったのではないか。他の人格の意識が浮上しかけた状態では、能力を統合して扱うのに支障が出る。
こういう欠陥があるからこそ、パッシャはアーウィンを主戦力として運用することができなかった。エスタ=フォレスティア王国の内乱でも、フミール王子の側に彼をつければ勝利は確実だったろう。だが、アーウィンという兵器には、万が一の不完全性がある。しかも、パッシャの悲願であるクロル・アルジン復活に繋がる重要な資料としての価値もある。だから今でさえ、その能力は限られた場面でしか活かされていない。
そして、アーウィンとクロル・アルジンとの性能差は、これが理由でもある。
アーウィンは、予め剣術や魔術に通じた別のアーウィンを数人作成し、それを束ねることで機能させている。だから一人一人のアーウィンの能力が、彼の限界なのだ。
これに対してクロル・アルジンには、そうした事前準備がそこまで必要なかった。あの、農業とか木工とか、およそ戦闘に必要ない能力があれだけ高かったのは、つまりそういうことだ。
アーウィンと比較しても圧倒的に強力だった魔法の数々は、霊樹内部での儀式魔術によるものだ。
魔術は一人で使うより、大勢で使用した方が威力が高まる。だから四賢者も、大勢の手下と一緒に戦った。
クロル・アルジンの場合、内部に取り込まれた人間の一部が魔術の知識と経験を持っていれば済んだのだろう。吸収された人々は自我を失い精神を支配されて、効率的に働くようになる。というのも、同じ霊樹の中にいる人間同士だから、多分会話のようなものすら必要なく、瞬間的に知識や経験を共有できたのではないか。
あとは魔術の発動に適した霊樹それ自体を魔道具として、これまた効率的に内部でのシミュレーションを繰り返し……もはや心を失った大勢の人々は、ただ魔術を行使するための道具と成り果てる。
アーウィンというプロトタイプを足場に復元した究極兵器。
それがクロル・アルジンだったのだ。
「いい気付きだ……でも、残念だったね。今は安定している。その程度の揺さぶりくらい、なんてことない」
これで、彼の中ではもう、判断が定まった。ファルスはここで倒さなければいけない。自分の秘密を知られた以上、生かして帰してしまったのでは、いつか誰かに弱点を狙われる危険が残る。
俺にしても同じことだ。アーウィンは逃がさない。デクリオンともども、ここで始末させてもらう。俺の秘密を知っていることもそうだが、クロル・アルジン製造の知識を得てしまった彼らを、そのままにはしておけない。
「お互い、ここで決着をつけるしかないらしい」
シロガネを斜めに構えて、彼は静かに歩み出た。
「お別れだ」
その一言と同時に、彼は一気に踏み込んできた。と思った頃にはもう、白刃が目前に迫っていた。
短い鍔迫り合いの後、アーウィンは後ろに跳んで左手を広げて何かをこちらに投げつけた。俺は身を投げ出すようにして床に転がった。と同時に聞こえたのは爆発音。魔道具はなくとも、触媒ならある。この狭い空間でも、威力を抑えた魔術なら有効だ。
「動きが鈍いな」
自分でもわかっている。いくら魔術で補助しようが、丸一日動きっぱなしの上、睡眠不足でもある。疲れがたまったこの体で、アーウィンに太刀打ちできるはずもない。それに相手には神通力もあれば、その他の魔術もある。
覚悟を決めるしかない。勝利を確実にするには、何としても一太刀浴びせなくてはならないのだから。
「残念だ。君は確かに強い。でも、未完成だ」
一撃を受ける。
違う、そうじゃない。俺だって少しは武術を学んだ。戦いにおいてすべきことはなんだ?
主導権を握ること、だ。
「条件に恵まれさえすれば、勝っていたのは君だったのかもな。だが……」
肩から余計な力を抜く。いつか習った動きをなぞる。
鍔迫り合いになっているところを跳ね上げようとしながら、刃をすっと逸らし、小刻みに手首を狙う。
アーウィンが、一歩下がった。
その瞬間を見定めて、俺は遮二無二前に出た。相手の右肩めがけて、全力の一撃を見舞う。それも受け切られた。
まだだ。
その時、俺の足先に砂漠の竜巻が宿った。
あの秘剣『首狩り』の逆。首を狙って、返す刃で脇腹を狙う。
既に体捌きのために右足に重心をおいていたアーウィンは、間に合わないと判断して、手先だけで剣を振り下ろした。
同時だった。
俺の一撃が彼の脇腹をかすめたのと、彼の剣が同じく左の脇腹を引き裂いたのと。
だが、それでもダメージの軽重は明らかだった。
「くっ!」
アーウィンは、まるで痛みを感じないかのように、すぐさま立ち直って、よろめく俺を蹴飛ばした。壁まで吹っ飛ばされて、俺は口の中に血の味を感じながら、尻餅をついた。
ここまでしても、なお彼は俺の上をいく。やはり、実力では敵わないのだ。
「今のは驚かされた。大した技だ。でも、その傷では……治される前にトドメを刺すことにするよ」
そう宣言して彼は、油断なく剣を構えたまま、こちらに歩み寄ってきた。
この瞬間、この状況だけを、俺はずっと狙っていた。
懐に隠し持っていた、オリハルコンの鏃。それを手早く掴むと、前へと抛った。
「ふん!」
何かを投げつけられたと気付いた彼は、当然のようにそれをシロガネで叩き落とした。
「悪あがきだな」
そして、俺の前に立った。
「これで終わりだ」
彼は、俺の頭上に剣をかざした。
その時……
急に、言葉にならない悲鳴をあげて、剣を取り落とした。そのままその場に膝をつき、体を丸めて突っ伏した。
「やっぱりそうだったんだな」
決着はついた。
俺は、よろめきながらも、静かに立ち上がった。
「お前は最強だよ、アーウィン」
足を引きずりながら、回り込みつつ、クロル・アルジンの本体、その切り株に向かって歩き出す。
「でも、その強さがお前を滅ぼす」
「ま、待て」
「脇腹に刺さったそいつを引っこ抜けばいいじゃないか」
さっき弾き落としたはずの鏃。それが彼の服の破れ目、傷口のところにしっかりと突き刺さっている。
「な、なんで、これはっ、まさかっ」
「抜けないだろう?」
アーウィンはさっきから、それを引っこ抜こうとして右手を添えて、必死になっている。だが、抜くに抜けない。それどころか、どんどん体の奥深くへと食い込んでいく。
「いい方法を教えてやる。魔法を使うのをやめるんだ。そうすれば、自然と抜けるはずだ」
だが、それはできない。アーウィンは、生きて存在する限り、一秒たりとも魔法の行使を中断することができない。そういうものなのだ。
なぜなら、他の十六人のアーウィンを抑え込み、支配するために、いつも強烈な『暗示』をかけ続けなくてはいけないから。かつ、剣術その他の能力を借用しているところから判断して『憑依』の魔法も常用しているはずだ。もし、これを解除してしまったら……
あまりに強烈な魔力を発散し続ける存在。それがアーウィンであり、クロル・アルジンなのだ。そうであればこそ、オリハルコンの鏃はより深く突き刺さる。そして、深く刺されば刺さるほど、より多くの魔力を吸い取っていく。
この鏃を取り除くには、魔法を解除するしかない。だが、解除すれば、複数の人格への支配は崩壊する。だからといって、魔法を解除しなくても、オリハルコンの鏃は容赦なく彼の魔力を食い潰し、魔法を破綻させていく。
そしてこれが、優れた戦闘能力を持つはずのアーウィンに、わざわざ黒竜のコートを着せていた理由なのだ。コートだけではない。帽子や手袋まで身につけていた。あの蒸し暑いスーディアでも、この弱点を突かれる可能性を小さくするためには、あの格好でいるしかなかった。
俺がアーウィンの脇腹に一撃を入れなくてはいけなかった理由も、それだ。黒竜のコートではないにせよ、なんらか魔力を遮断するような材質の衣服を身につけていた可能性が高かったから、どうしてもそこに隙間を作る必要があったのだ。
「こ、の……」
「おっと、逃げるのは駄目だ」
俺が手をかざすと、アーウィンの顔に絶望の色が浮かぶ。
「今、瞬間移動しようとしただろう? 自分で抜けないなら、デクリオンに抜いてもらおうと。でも、お前の神通力は今、遮断した」
「や、やめろ」
もうアーウィンは動けない。
俺は背を向け、足を引きずりながら黒い切り株に近づき、そこにもう一つの鏃をそっと落とした。鏃は深々と突き刺さり、黒い切り株の奥へと潜り込んでいく。
「そんな、ああ、あああ」
理性のタガが外れたような声を漏らして、アーウィンは手を伸ばしたまま、床に転がった。
「うう、ああ」
言葉にならない呻き声が漏れる。
一方、オリハルコンの鏃を受けて、クロル・アルジンの切り株は、だんだんと色味を失っていった。それからすぐに、いくつかの部分に割れ始めた。それらは、ぬめぬめした生臭い、細長いカブみたいな形の球根みたいなものだった。それがズルリと滑り落ちていく。と同時に、切り株から、ピアシング・ハンドの表示が消えた。
「こ、ここ、どこ……?」
後ろから独り言が聞こえる。
「君は? 君は誰……どうして? どうして手が勝手に……怖い、怖いよ、助けて、助けて」
支離滅裂な言葉が吐き出される。
これは、このままでいい。この肉体を破壊したら、もしかするとアーウィンが蘇ってしまうかもしれない。だが、彼の精神はこの活動する肉体の側にある。なら、ここで魔術を妨害し続ければ、永久に封印しておけるのだ。
逆にクロル・アルジンの精神操作魔術による素体への支配は、この切り株の側で行われていたのだろう。空を飛び、魔法を放つあちらの側がオリハルコンの鏃で壊れるくらいなら、むしろ簡単に攻略されていたはずだから。
ともあれ、これで……
「君、誰? 行かないで、ねぇ、行かないで」
……パッシャとの戦いに、決着がついたのだ。
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