百族百家閨門交媾図

「私、役に立つネ」


 今日も馬車に乗ってお出かけだ。ワングがついてきてくれるので、御者との面倒なやり取りは最低限に抑えられている。

 俺達が宿を取っていたのは都の南西部だったが、ラージュドゥハーニーの歴史地区は北東部にあるらしい。王宮を迂回して北に回り、今は東に向かっている。


「これからも役に立つネ。リンガ商会とも仲良くしたいネ」

「背中から刺さないなら、余計な心配はいりませんよ」


 一応、俺とワングの関係は、脅す側と脅される側というものだ。ただ、そこは彼の巧妙さと言おうか、どこかコミカルな魅力もあって、険悪な感じになっていない。俺が甘いだけとも言えるかもしれないが。

 すっかりツアーガイドになりきったワングは、俺達の観光案内を進んで引き受けてくれている。なお、この場にはキースはもちろん、ビルムラールもいない。今頃、青の王衣のビルー家に、頼みごとをしにいっているはずだ。


「あ、あちらネ。左手に見えますのが、第三軍団の詰所になっている城塞ネ。五千人が詰めてる大きなお城が、都の周りに四つもあるネ。普段は都の警察のお仕事もしてるネ」


 兵士階級の家の男達が若年期に身を置くのが、これらの城塞だ。彼らは日々を訓練と市内の警備に費やす。しかし、ポロルカ王国はずっと平和が続いており、兵士の質も高くないという。家柄とコネで採用が決まる警察兼軍隊なので、それも当然だろう。


「軍団にはそれぞれカッコイイ呼び名があるネ。金獅子、銀鷲、緑玉蛇、紅玉蠍……それと、海を守る第五軍団が青玉鮫ネ」

「五番目の軍団には城塞はないんですか」

「軍港があるネ」


 今回の観光には、ノーラとシャルトゥノーマ、ディエドラ、ペルジャラナンが同行している。宿の方にはフィラックやイーグーが居残っている。クーやラピも、今日は自室で過ごすつもりらしい。恐らく、教わったばかりの魔術の練習に費やすのだろう。ジョイスも、基礎練習をやり直す時間をとりたいと言っていた。六人なので、大きめの馬車一台で足りた。


「見えてきたネ」


 ナディー川を見下ろす、ちょっとした丘の上。そこには他と違って家々が密集しておらず、ガランとしていた。王家が所有する公園だからだ。緑の芝生はしっかり管理されており、視界を遮るようなものはほとんどなかった。木々もあまり植えられておらず、敷地の隅の方に、それこそ屏風のように置かれているに過ぎなかった。


「あれが偉大なる者達の石碑ネ」


 以前にタウルが言っていた、ポロルカ王国の偉人の名が刻まれるという巨大な石碑だ。高さ六メートルほど、幅もそれくらいだ。ほぼ真っ黒だが、石碑を保護するために木造の屋根が覆いになっていた。また、近くには武装した兵士が直立している。悪戯で傷でも入れられたら大変だからだ。

 近づいてみると、闇夜に輝く星のような細粒が混じっているのがわかる。俺の頭のある場所から一メートルほど上のところまで、一センチほどの大きさで文字が刻まれていた。行の間の隙間もあるので、縦三百行、横は五百五十文字程度だろうか? 刻まれているのは人名だけでなく、その功績の簡略な説明も含まれる。

 半分くらい埋まっているようだ。ただ、ここからだと角度がありすぎて、石碑の文字がよく見えない。


「ワングさん」

「なにネ」

「あの石碑の上の方を見たいんだけど、梯子は」

「とんでもないネ」


 彼は首を振った。


「うっかり傷でもつけたらコレネ」


 そう言って、親指で首元をなぞった。


「読む方法はないんですか」

「近くに複写したものを見せてもらえる資料館があるネ。そっちで我慢するネ」


 ということなら、ここで無茶する理由もない。


「見たいです」

「じゃあ、こっちネ」


 小道の先に、小さな一軒家があった。そこにも槍を手にした兵士が立っていて、こちらを胡散臭そうに睨みつけてくる。それもそうだ。ディエドラの耳はごまかしているが、すぐ後ろにリザードマンがいるのだから。けれども、一切妨げられることはなく、ワングは棚の上に置かれたバインダーを遠慮なく引っ張り出した。


「これが石碑の一番上の方にある文字の写しネ」


 書き写されたそれを、俺は見なければならなかった。というのも、以前から疑問に感じていたからだ。


「この文字」


 俺は、最上部の写しとされる文字の一部を指差して、ワングに尋ねた。


「これは読める?」

「わからないネ、でも多分、すぐ上の文字と同じ内容だとは思うネ」


 そうだろう。この石碑、思った通り、上にはシュライ語、下にはルー語の文字で記載がなされている。


「シャルトゥノーマ」

「そうだな、同じことが刻まれている」

「読めるのかネ」


 数ページめくってみて、二冊目のバインダーにも手を出して、内容を確認する。国家功労賞とでもいおうか、二十年に一度くらいのサイクルで、ここに名前が刻まれる人達が出現している。名前と実績だけなので、それが人間なのか、ルーの種族だったのかはわからない。職業もいろいろで、明らかに戦士としての活躍を称賛されたのもいれば、長年に渡っての慈善活動が評価されたのもいるようだ。

 だが、最後のバインダーを取り上げて開いてみると、そこにはもう、シュライ語の記述しかなかった。功績が記述されるのも、百年に一度くらいの頻度に下がっている。刻めるスペースが減ってきたので、ハードルを上げでもしたのだろうか? だったら二枚目の石碑を置けばいいのに、と思うのだが。

 やはりというか、これは不思議だ。俺は顎に手を当てて、唸り声を漏らした。


「ど、どうかしたネ?」

「ねぇ、ワングさん」

「なにネ」

「どうしてギシアン・チーレムは、イーヴォ・ルーを滅ぼして、ポロルカ帝国を征服したときに、この石碑を壊さなかったんでしょうね?」


 イーヴォ・ルーが臨在していた帝国時代の記録に続いて、世界統一時代以後の功労者も名前が刻まれている。そこに連続性をもたせる理由があったのか?


「そんなこと、知るわけないネ」

「何か言い伝えでも残っていればいいかなと思っただけですよ」

「私にわかるのは金儲けのことだけネ。そんな大昔のことなんて、覚えておいてもお金にならないネ」


 ごもっとも。愚問だった。

 しかし、これで大森林で伝え聞いた事実について、ますます補強される材料が増えたことになる。イーヴォ・ルーの時代を全否定するのなら、こんな石碑は残さないはずだ。どういうわけか、あの恥ずかしい名前の英雄は、ルーの種族にある程度融和的であったらしい。


「一番大きいのはあの石碑だけど、他の石碑もあるネ。見るネ?」

「見ます」


 資料館を出て、隣の丘の上に向かう。そこには、ずっとサイズの小さな石碑がポツポツと散在していた。

 何の気なしに、一番手近なものに立ち寄って目を向ける。価値がないと判断されたのか、これには屋根がない。そのせいか、この地の激しい風雨にさらされて、既に石碑の表面は削れかけていた。


「これは?」

「知らないネ」

「知らないって」

「ほとんど崩れかけてるし、読めないネ」


 だが、こちらにはシャルトゥノーマとディエドラがいる。二人は目を凝らしていた。


「どう? 読める?」

「いや」


 シャルトゥノーマは首を振った。


「どうしても文字が読み取れない箇所がある。ただ、これは……慰霊碑だな」

「慰霊碑?」

「こうある。わかるところだけ、強引に読むぞ?」


 そうして、彼女はゆっくりと石碑の内容を翻訳した。


『クロル・アルジン……慰霊碑』

『彼らは悪意の者どもにあらず、ただ善意をもって……禁忌……』

『……を守らんとして身を捧げた』

『……は怒り、かつ悲しんだが、ゆえに聖域を開放した。すべてが終わった今、裁きも無用であろう』

『剣を折れ……を取り戻そうとするな、忘却こそ……』


 指でなぞりながら読んでいたが、ここで彼女は手を止めた。


「あとは、犠牲者らしき名前があるだけだ」


 だが、これではサッパリだ。


「クロル・アルジンって、なんだか知ってる?」

「シらない」


 ディエドラは首を振った。


「キいたコトもナい」

「私も知らない」

「ギィ」


 三人とも、心当たりがないらしい。ワングも首を振った。


「ねぇ、あれは?」


 これまで黙ってついてきていたノーラが、離れたところに聳え立つ石像を指差した。


「あれは英雄の像ネ」


 とすると、イーヴォ・ルーの時代の何かを教えてくれるものではなさそうだが、一応、見るだけ見ておこう。そう考えて、俺達はそちらに向かった。

 南国の日差しの下には、真っ白な石で刻まれた等身大の若い英雄の姿があった。不自然なほど顔はイケメンで、クセがない。見たところ、防具はあてにできそうにもない革の鎧だけ。盾もなく、見てくれだけの肉厚の剣を敵にまっすぐ向けている。まるでホームラン予告だ。

 その切っ先の向こうには、目測で四メートルほどもある、濁った黒色の、名状しがたい何者かが聳え立っていた。


「なんですか、あれ」

「変異の魔王、イーヴォ・ルー、ネ」

「あれが?」


 シャルトゥノーマは、眉根を寄せた。不快感を察して、ワングは慌てて言い添えた。


「私が作ったわけじゃないネ! ああいう姿をしていたと思われてるだけネ! だいたい大雨が降るこの国で、ここの石像が何回作り直されたと思ってるネ!」


 言われてみれば、納得だ。

 このイケメンがギシアン・チーレムなのかと思ったが、後世の人が想像で拵えただけのものかもしれない。イーヴォ・ルーの姿にしても、空想上のものではないか。


「にしても、随分と禍々しいわ」


 ノーラも、気味悪く感じているようだ。

 ワングがイーヴォ・ルーと呼んだそれは……一言で言い表すなら、触手の塊だ。それも節くれだった太いのが、いくつも枝葉のようにあちこちにうねりながら伸びている。

 こんな気色悪いものが自分達の神だ、なんて言われたら、確かにシャルトゥノーマも気分がよくないだろう。


「他にも石碑がいくつもあるネ。けど、そろそろ暑くなってきたネ」


 確かに、既に午前も遅い時間になってきた。


「もう少し涼しくて、もっと見栄えのするものを見に行くネ」

「まだ何かあるんですか」


 するとワングが、ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべた。


 新たに馬車を呼んで、そのまま街の北東を目指した。第四軍団の城塞を左手に見ながら、俺達はほとんど街の外に出てきた。周囲にはまばらにしか家がない。ワングは御者に小銭を握らせて、ここで待つよう言いつけた。

 先導する彼について歩く。お目当てが何かはすぐわかった。彼の行く手には、大きな白い建物があった。


「ラージュドゥハーニーに残された、大昔の美術品ネ!」


 それはわかる。わかるが、ワングの表情には、なにかこう、引っかかるものがある。歯磨きしたのに奥歯に異物感があるような、そんな不潔な印象が。


「これは?」

「よく見てみるネ。この建物、窓や柱の代わりに彫刻を挟んでいるネ。なのに少なくとも千年以上、まったく崩れたりもしてないネ」


 確かにそうだ。一階も、二階も、窓らしきものはあるのだが、よく見るとそれは人の姿をした彫刻で、それらはまったく生きているように動的なポーズをとっている。にもかかわらず、絶妙なバランスというべきか、白い壁と彫刻の狭間には、暗い建物の影が見えるばかりだ。

 なるほど、見事だ。素晴らしい出来栄えだ。それは認めてもいい。ただ……


「ね、ねぇ、ファルス、ちょっとこれ」

「こっ、これは」


 ノーラもシャルトゥノーマも、棒を飲んだようになってしまった。


「デュフフフ」

「ワング」


 俺は、あえて呼び捨てにした。


「ど、どうネ?」

「この建物が美術品なのは認める」


 俺はゆっくりと建造物を指差した。


「でも、いやらしすぎないか?」


 そう、その彫刻群はいずれも……男女の性行為を象ったものだったのだ。あまりに露骨ではないか。


「ポロルカ王国の男女は、みんなこれをお手本にするネ」

「ふうん」

「こっちの女の子、知識は完璧ネ」

「ふうん」

「なんなら」

「黙れ」

「冗談ネー」


 俺がワングとやり取りしている間に、ディエドラが何かを見つけたらしく、フラフラと前に出た。


「ファルス! アレ!」

「どうした」

「アタマのウエ! ミミ!」


 彼女が指差す先にあったのは、身をくねらせて後ろに立つ男を受け入れるうら若い女の姿だった。だが、大事なのはそこではない。


「頭の上に、耳?」

「獣人族か」


 帝国時代からの遺物なら、ルーの種族が描かれていても不思議はない。しかし、もう一つ異常に気付いた。


「男の方は、人間じゃないか」

「頭の上の耳が折れただけとか」

「それはない。ほら、ちゃんと普通の耳が」


 俺は尋ねようとして振り返ったが、シャルトゥノーマは既に察していて、首を振った。


「獣人族と人間の間に、子は生まれない。霊樹との繋がりがある限りは、まず考えられない」

「じゃあ、霊樹がなければ、あり得るのか」

「だが、それは虎とか狼との子供が生まれるのかと尋ねているのと変わらないぞ」


 しかし、俺の知る限り、少なくともゴブリンとトロールの混血は存在した。アルディニアの北部開拓地にいた、あの変わったゴブリンだ。確か、チャプランダラーとかいう名前だった。ノーゼンが始末してしまったが。それに、ゴブリンが人間の女性を攫って子を産ませることもできるという話も聞いたことがある。

 ここに描かれている情景には、どんな意味があったのだろうか? 単に妊娠の可能性のない異種族同士、欲望を貪りあっただけなのか? でも、そんなくだらないことのために、こんなしっかりした建造物を用意するだろうか?


「ワングさん」

「なにネ」

「これはなんていう建物ですか」

「これネ、有名ネ。これがあの『百族百家閨門交媾図』ネ!」


 どこかで聞いたことがある。そうだ、ドーミル教皇が欲しがっていた『聖典』だ。二次元愛好者の彼は、これを最高の作品だとか言っていた。けれども、現物がどんなものか、知っていたのだろうか?


「この建物の彫刻を元に、いろんな作品が描かれたというネ。それらにも同じ名前がつけられてるけど、元はこれネ」


 多分、わかっていなかったのではないか。ワングが言うように、この建物の彫刻を描いた絵をそれと思い込んでいたのに違いない。

 しかし、言われてみれば、名前はしっくりくる。ルーの種族は八つしかないので百族というのは少し誇張にすぎるが、あらゆる種族が見境なく交わっているところをみると、そんな命名でいい気もする。


 そこでワングは表情を引き締めた。


「でも、ここは怖いところネ」

「怖い?」

「ついてくるネ」


 中に立ち入ると、途端にひんやりとした空気に包まれる気がした。かつては内装もしっかり施されていたのだろうが、今は何もない。中はガランとしている。


「ここは処刑場ネ」

「は? 処刑?」


 声が反響する。


「ポロルカ王国の歴史ネ」


 彼は床を指差した。


「諸国戦争の最初期、ポロルカ王国はアルティ・マイトにボロ負けしたネ。それで攻め滅ぼされることを恐れた、とある宮廷貴族が反逆を起こしたネ……」


 それは王家の側近ともいえる貴族達だった。

 野戦では負けなしの英雄に鎧袖一触、ポロルカ王国軍は粉砕された。もしこのままアルティの矛先がこちらに向けられたら、滅亡は必至だ。それで保身を考えた彼らは、王に対して反逆を企てた。

 だが、その企みは事前に露見し、一族郎党、囚われの身になった。そのまま全員死刑でもよかったのだが、当時の王は変わった趣向を考えたらしい。


「成人した男達は全員死刑。これは普通ネ」

「他は?」

「計画を知らなかった女達は、王族の身の回りの世話をする婢になったネ」


 現在、宮殿で働く女達の一族は、こうして生まれた。彼女らは、今でも事実上、王族の奴隷だ。出自は貴族だが、宮殿の外に出る自由はない。そしてあらゆる要求に応じなくてはならない。それは王族やその来客の夜伽まで含まれる。結果、子を生すこともあるが、その子が王族のうちに数えられることはない。


「女児が生まれれば、王の侍女の一族になるネ。でも、男児が生まれたら……」


 彼は、自分の股間に手をやり、手刀で切り落とす仕草をした。


「えっ」

「宦官ネ。当時も、成人してない男の子は、切り落とされて宦官になって生き延びたネ」

「そんなことを、ここで?」

「ここは統一時代の三百年、使われてなかったネ。だけどその前、帝国時代には、やっぱり同じことをしていたらしいネ」

「そんなバカな!」


 シャルトゥノーマが絶叫する。


「私に言われても困るネ。当時の王様が、昔ここで切り落としてたらしいから、それを真似てやろうと言ってやったことネ。私のせいじゃないネ」


 そんな儀式を、古代のイーヴォ・ルーが求めていたのか?

 しかし、そうした儀式や文化は、今のルーの種族には残されていない。かつてここで何が行われていたのかは、今となってはわからない。


「出よう」


 俺がそう言って出口に向かうと、みんなついてきた。


「ギィ」


 そこでペルジャラナンが声をあげた。

 出口のすぐ上に刻まれた文字に気付いたのだ。


「シャルトゥノーマ」

「これは……『生まれ変わりし者に祝福あれ』……と書いてあるな」


 俺達は顔を見合わせた。だが、謎解きができるのは、誰もいなかった。

 スッキリしないまま、俺達は外に出て、待たせていた馬車に乗り込んだ。

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