ブスタンの湖の畔にて

 地平線の向こうにまず見えたのは、丈の低い塔の頂だった。一定間隔に建ち並ぶ六角形の塔は小さく、まるで大地に突き刺さった爪楊枝の頭の部分に見える。なんとも頼りない。

 少し進むと、次第に建ち並ぶ家々のシルエットが浮かび上がってくる。不揃いな長方形が、少しずつ違った黄土色に染まって重なり合っているようだ。ただの旅人の立場でこれを見たのであれば、きっと喜びしかなかっただろう。だが、今の状況を思うと、嘆息せずにはいられない。この街にはろくに城壁すらないのだ。

 周辺の大地は固く、馬でも走りやすい。それに平坦だ。この地形もよくない。これは大軍を押しとどめるのに適した拠点がないということだ。開けた場所での会戦となれば、純粋に戦力で勝るほうが有利だ。


 それでも、街が間近に迫ってくると、ちょっとした変化に気付く。本当に形ばかりだが、多少の防御策は講じているらしい。深さのない堀、頼りない逆茂木、木の板を重ねた簡易的な壁。これが断続的に、街の南側に連ねられている。だがこの程度では、力押しで突き破られそうだ。せいぜいちょっとした時間稼ぎにしかならない。

 ラークが目指していたのは、街の入口になる門だった。そこには馬車が通れるほどの高さのアーチがあった。だが、これを塞ぐための扉などはない。意味がないからだ。平時であれば、この平坦な砂漠の見通しのよさが、犯罪者には不利に働く。どこに逃げてもすぐ見つかってしまうからだ。

 とはいえ、何も伝わっていないわけもなく、俺達が門に近付くと、数人の男達が槍を手に、駆け寄ってきた。


「止まれ!」


 ラークは逆らわず、馬の歩調を緩めた。後ろに百人からの騎兵を連れているのだ。門番達の表情には緊張が見て取れる。


「お前達はここで」


 配下の兵士達を後ろに待たせたまま、ラークは俺だけを伴って前へと進んだ。その態度をみて、門番達も肩の力を抜く。


「ラーク・ネッキャメルだ。火急の用により、ブスタンに参った。古老達を至急、呼び集めて欲しい」

「おお」


 門番達の顔に喜色が浮かぶ。ネッキャメルの貴種が街の危機に駆けつけてくれたのだ。


「では、援軍ですか」

「そうだ」

「早速!」


 一人が身を翻し、街の奥へとすっ飛んでいく。ラークも振り向き、手を挙げた。後ろから配下の騎兵がゆっくりと追いついてきた。

 俺はラークと轡を並べて、先導する門番について、街の中へと馬を進ませた。


 ブスタンは東西に長いオアシス都市だ。輪郭のぼやけた剣のような形をした湖があり、それを取り囲むようにして家々が建ち並んでいる。街の北西部には広大なデーツ畑が広がっており、これがこの街の名産品となっている。

 歴史は長いらしく、世界統一前から続く由緒ある街だという。ただ、何度も破壊と再建が繰り返されてきているので、何もかもが昔のままとはいかないが。それでも、アーズン城があったおかげで、諸国戦争後の暗黒時代においても、人形の迷宮から溢れ出た魔物に蹂躙されずに済んでいる。


 幅広の街路は、丸みを帯びた不揃いな石で舗装されていた。これはちょっとした見物だ。大きさも形もまちまちなのに、どの石も隙間なくぴったりと組み合わされている。一瞬、セリパシア風の寄木細工のような床を連想したが、こちらは石だ。どうやればこんなにきれいに継ぎ目が合うのかと考えて、その途方もない手間に絶句した。恐らくは、石を擦り続けて他の石と断面が合うまで表面を削ったのだ。つまり、やすりがけだけで作ったようなものだ。

 さすがに家々にはそこまで労力はかけられておらず、こちらはよく見かける日干し煉瓦のものがほとんどだった。その形はさまざまで、二階建てのもの、三階建てのものもある。中庭のある広々とした邸宅もあり、そこから椰子の木が鮮やかな緑色を覗かせているのには、思わず目が向いた。

 思うに、街路を整備したのは大昔なのだろう。だが、この辺には材料となる石材がない。だから強固な城壁を築くこともできない。日干し煉瓦ですら、有り余っているのでもない。砂漠の砂は目が細かすぎて、建材としては適さないだろうからだ。

 サハリア東部は紛争が絶えない地域だ。だから防備の必要性は高いはずなのだが、ブスタンについてはとにかく表面積も大きく、全体を覆えるだけの城壁を再建できなかったのだろう。これをティズの指導力不足とみるか、ネッキャメルの結束力のなさとみるべきか。


 やがて街路はちょっとした広場に繋がった。そこはブスタンの中心、湖の畔だった。俺達がいる石の床とは段差があり、その下には湖の浜が広がっている。ここで下馬した。

 轡を人に預けて、俺達は床の下、浜の脇に備え付けられた東屋を目指した。椰子の木陰の下に、六角形の尖った屋根が見える。珍しく木造だ。

 東屋の内側には壁に沿って備え付けのベンチがあり、真ん中に丸いテーブルが置かれているだけだった。そこには既に、この街の長老達が座を占めていた。


「ラークです。アーズン城より参りました」


 すると、古老達は立ち上がり、胸の前に手を当てて頭を下げた。ラークも相手の年齢と立場に敬意を示しているが、やはり血統もまた大きな尊敬を集めるもののようだ。


「お時間がありません。早速、状況を」

「では、遠慮なく話をさせていただこう」


 代表格の長老の顔には、長く白い顎髭が伸びていた。色褪せたターバンに隠されて髪は見えない。


「先日、ジャニブの若者がこの街まで、馬で逃げ延びてきた。ヌクタットが落とされたらしいが」

「その通りです」


 その返答に、数人の街の古老達は顔を見合わせた。


「どういうことなのだ。また黒の鉄鎖が攻め込んできたのか」

「フィアンは何をしている? それとも、あちらがあえて後ろを捨ててきたか」

「いやいや、待て。ただの水場争いということはないのか」


 ラークは彼らの興奮と混乱が収まるのを待って、ようやく口を開いた。


「落ち着いて聞いてください。フィアナコンは失われました」


 この一言に、彼らは目を丸くし、言葉を失った。


「何をしていた! ティズ様は援軍を送らなかったのか!」

「いいえ。裏切りです。つい先日フィアンから、アーズン城に降伏を呼びかける軍使が来ました」


 この報告に、彼らは静まり返った。その直後、激しい怒りが口をついて出る。


「見下げ果てた! 恥知らずな!」

「臆病者どもが!」

「落ち着いてください。時間が」


 ラークの静止に、彼らは怒気を含ませつつも、口を閉じた。苛立った長老が、顎をしゃくりながら続きを促す。


「それで」

「こちら、私に同行する少年ですが」


 俺の名前を伏せて、ラークは説明を続けた。


「彼によると、どうもヌクタットの襲撃はフィアンによるものとのこと」

「なんという」


 あまりのことに、古老達は目を覆った。


「では、フィアナコンが敵の手に落ちたならば、ここまで攻めのぼってくるであろうな」

「はい」

「確かなことはわからぬながら、これまで守りの手筈は整えてきた。だが、そうなると兵を集め、女子供を逃がさねば」

「逃がすのはやめてください。最初はそうするつもりでしたが」


 ラークは重苦しい表情で首を振った。


「既に近くの水場で宿営していた同胞が襲われていました」

「なんだと」

「北側にまで回り込んでいる敵もいるかもしれません。迂闊に街から出せば、却って危険です」

「では、街の中心に」

「それがいいかと思います」


 で、そこまでは問題なかった。

 奇妙な間が一瞬、できた。


「で、ラーク様」


 一応、血筋に敬意を払いながらも、長老はやや苦々しげな表情で尋ねた。急に丁寧な口調で。


「あなた様は援軍としていらしたということでよろしいですかな」

「はい」

「聞いた限りでは百騎ほどをお連れだとか」

「その通りです」

「先を急がれただろうから、数がないのは承知しておりますが、追加の増援はどうなっているか、ご存じですか」


 一番訊かれたくない話だ。支援はこれきりですよ、と言わねばならない。


「ジャリマコンに使者を走らせました」


 この回答に、古老達の視線は険しくなった。彼らは口々に不満を叩きつけた。


「ティズ様は、ブスタンよりアーズン城を優先したか」

「ハリジョンさえ落ちねばよいという腹積もりなのだろう」

「よもや命を惜しんでということはなかろうな」


 実際には逆の判断をしていたのだが、やはりというか、かなりの風当たりだ。ラークは、それをじっと我慢して聞いている。


「敵の主力がアーズン城に向かう見通しがあるので、ここで援軍を待って、前後から押し潰すお考えのようです」

「ふん、そうであればよいが」


 もちろん、いいはずがない。不満がありありと見える。


「私は、何としてもブスタンの人々を救えと命じられてきました。至らぬ身ではありますが、全力を尽くします」


 古老達の視線は相変わらず厳しかったが、そこには諦めのようなものが混じっていた。

 ラークはまだ若い。二十代半ばだ。三十年前の戦争も知らない。そんな若者が、この街を守るために死ぬまで戦うと宣言しなければならないとは。ネッキャメルの頭領達は他にもいるはずで、もっと年嵩の経験豊富な人物が出張ってきてもよさそうなものなのに。ということは、恐らくこの青年は貧乏くじを引かされたのだ。怒りをぶつけても黙って耐えるだけ。何の意味もない。

 しかし、これでティズの懸念は当たってしまった。ますます信望を失うことになる。目先だけ考えれば、ブスタンよりアーズン城の方が戦いやすいのだが、長期的にみると、ティズの下に駆けつける一族の戦士の数は増えないのではないか。族長は、一族を守るからこそ族長なのだ。


「では、どのようになさるお考えか」

「少なく見積もっても、二千は寄せてくるでしょう。正面から戦ったのではまず勝ち目はありません。配下を連れて、敵の背後を衝きます」


 ラークが選べるのは、ゲリラ戦術だけだ。敵は点在する水場では賄えないほどの物資を補給部隊に積ませ、サハリアの戦争としてはゆっくりと進軍する。それを妨害する動きをとる。

 しかし、既に敵の先遣隊が俺達より先に水場に迫っていた。とすれば、進軍は想定以上に速いとみるべきか。陽動作戦がうまくいっても、さほどの時間稼ぎはできそうにない。

 どちらにせよ、敵の本隊が街までやってきたら。アーズン城に迫ってきている敵の別動隊が城を攻め落としていたら。ニザーンの援軍が間に合わなければ……もう、万事休すだ。


 俺がいなければ、の話だが。


「足止めですか」

「時間を稼げば、その分、援軍が間に合う可能性も高くなるでしょう」

「それも結構ですが」


 長老は、何か毒のある視線を向けてきた。


「わしらとしては心細いので、できればここで戦っていただきたいと思うのですがの」


 言葉の意味としてはなんてこともないのに、この一言で場は凍りついた。

 信用がない。敵を撹乱するという名目で、結局は逃亡するのではないか。しかし、こちらも信用できない。いざとなったら、代表の首、つまりラークを差し出して助命を願うつもりではないのか。

 少なく見積もっても二千人の兵が攻め寄せてくるのに、百人ちょっとで何ができるというのか。こちらには恃みにできる天険、要害もないのに。


「ここで兵を集めつつ、敵に向かわれては」

「考えさせてください」


 沈んだ声で、ラークは答えた。


 ほどなくブスタンは、開戦準備に追われ始めた。まず、市外への外出は制限される。また、食料などの物資も、長老達の管理下に置かれることになる。

 成人した男達は、基本的には全員戦力として配置される。女子供は、後方で支援に努める。荷物の運搬やバリケードの設置など、やるべきことはいくらでもある。


 街の人達が慌ただしく立ち回る中、ラークは遠い目で南の砂漠を見つめていた。だが、我に返ると俺に声をかけた。


「ファルス君」

「はい」

「そういえば、言っておかなければいけないことがあった」

「なんでしょうか」


 気力も尽きたのか、彼はぼんやりと地平線を眺めたまま、呟くようにして言った。


「名前を勝手に名乗ってもらっては困る」

「ファルス・リンガと名乗るなと」

「そうだ。適当な偽名でいい。できればその黄金の腕輪も、本当は処分して欲しいくらいだ。考えたくはないが、もしここで討ち死にでもしたら、名前が知られることになる。そのせいでまた厄介ごとになっては困るからね」


 本当に元気のない声だった。


「だが、さっきの話を聞いてもわかると思うが、街の人達もこちらをあてにしていない。逃げるなら今のうちだ」

「冗談でしょう」


 むしろ逃げたければラークも古老達も勝手にすればいい。俺は一人でも戦う。


「やる気満々か」


 彼は皮肉げに笑った。


「でも、ここで少し待っていてくれ。今の話し合いの結果を、配下の兵士達に伝えないといけない」

「僕は何の仕事をしていればいいですか」

「今のところは特には……広場でもし、長老に何か求められたら、手を貸してやって欲しい」

「わかりました」


 それだけでラークは手を振ると、もと来た道を徒歩で戻っていった。今頃は、兵士達も当座の宿舎に案内され、馬も飼い葉と水を与えられ、休息をとっていることだろう。


 俺は、一人昼下がりの広場に立ち尽くし、周囲の様子を眺めていた。

 長老の命令で呼び集められた女達が列をなしている。顔は半ば覆われている。スカーフとフードが一緒になったような被り物からは、目元しか見えない。灼熱の砂漠に暮らすだけあって、誰もがゆったりとした袖の長い衣服を身に着けている。

 戦争となれば、女達とて力仕事を避けられない。敵に捕まれば或いは殺され、或いは犯される。奴隷として売り飛ばされる。そしてこちらの奴隷はフォレスティアのような甘い扱いは受けない。死ぬ気で戦うしかないのだ。


 横に太い中年女性が列をなす中、一人だけすらりとした若い女の姿が見えた。服装は周囲と同じだが、やけに浮いた雰囲気のがいる……


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 ジル・ウォー・トック (24)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、24歳)

・スキル サハリア語 5レベル

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル 商取引   4レベル

・スキル 剣術    4レベル

・スキル 格闘術   4レベル

・スキル 弓術    5レベル

・スキル 隠密    4レベル

・スキル 騎乗    3レベル

・スキル 料理    3レベル

・スキル 裁縫    3レベル

・スキル 房中術   2レベル


 空き(13)

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 なぜこんなところに?

 考えるより先に、俺は足を踏み出していた。

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