けれども目指すは彼方
「んー、これが最後ですー」
「おー」
チャルの店が、客で埋まっていた。といっても、みんな顔見知りばかりではあったが。
この街での目的を果たした以上、俺は旅立たなくてはならない。俺は昼前には出発するつもりだったのだが、それならと、ちょっとした送別会になってしまったのだ。
「最初の頃に比べると、かなり腕を上げたわね」
「そんなー、アイクさんー、もっと褒めてくれてもー」
「チャル、調子に乗っちゃダメです」
「はいーっ」
蕎麦の麺も、割とサマになってきた。味や食感のバラつきもない。しばらくは商売になるだろう。
「まさか金冠ならぬ銀冠とは」
「チックショウ、見に行けばよかったぜ」
あの日のことを反芻してサドカットが溜息をつくと、横でガイが頭を掻き毟る。
「今、食えるんだからいいだろ? それより、ほら、みんな食えよ、この虫」
「虫って言うな!」
ギルの言葉に、ガイが噛み付く。
カミキリムシの幼虫も、やはり皿に盛られている。無論、調理済みだ。
「もういただいておるが、悪くはないぞ」
「あぁ? ならもっと食えよ、ノーゼン」
「トシのせいか、そう多くは食べられんのじゃ。ガイ、虫の大食い競争でなら、お主に勝ちを譲ってもよいぞ」
「やめてくれ」
山盛りの虫料理を目にしたサブドは、がっくり項垂れた。
「ん? どうしたんだ、おっさん」
「いやね、さすがにうちも、虫の在庫はないですよ、たははは」
「確かに。集めるのには手間もかかりますよね」
隅のほうに座っていたパダールが、うんうんと頷いている。
「どうやら、息子は幸運に恵まれたようですな。皆様のおかげで、成長できたのだと思います」
「やめてくれよ、親父」
「本当のことだろうに」
だが、アイクは少し厳しい意見を口にした。
「でも、戦い方がなってなかったわね。イリシットくらい、ワタシでも倒せたわよ」
「あー、確かに。ボッコボコにされちまったもんなぁ」
「あんた、本気で冒険者になるのなら、そんな腕じゃ、あっという間にあの世行きよ? みっちりしごいてあげるわ」
「おう、そうだ、そういや」
ガイが割って入った。
「おい、ドランカード。お前、ファルスに頭下げろよ。おかげでお前、首の皮が繋がったんだからな」
「は、はい、ファルス様」
「何のことです?」
「ああ」
ガイは椅子の上にふんぞり返って、ドランカードの肩を叩きながら言った。
「こいつ、デルミアに持って帰る予定の金貨二百枚、全部なくしちまったろ? 違法賭博でなくしたんだから、自業自得。さすがに王様も保証なんかしてくれねぇ」
「ですね」
「だからよ……俺がこいつらに言ってやったんだ」
口角をあげ、ニヤッと悪そうな顔で。
「闘技大会で、全財産をファルスに賭ければ、取り戻せるぜってな!」
「えええ!」
「おかげさまで」
旅の騎士ファルスなんて、大会では泡沫候補だ。俺の情報を持っている人間など、ほとんどいないからだ。しかも、年齢も貼りだされるので、まず優勝候補とは誰も思わない。
大穴だったのだ。しかし、ガイは俺がアイクと決闘したことも、勝ったらしいことも知っている。辺境で活躍したことまでも。
だから、所持金のほとんどをなくしたドランカードや、他の違法賭博の被害者達に声をかけ、全財産を賭けさせた。
「これで故郷に帰れます。全部ファルス様のおかげです。もう、お酒も賭け事も控えます」
「は、はぁ……」
「ってことはよ?」
アイクも、どことなく悪い顔をしている。
「ガイ、あんたも相当儲けたのね」
「あん?」
「ごまかしても無駄よ。他人に賭けろって言っておいて、あんたが賭けないはずがないじゃない。それじゃ、万が一、うまくいかなかった場合、面子が立たないものね」
「チッ」
舌打ちはしたが、その表情に本当の不快感はない。
「ちったぁカッコつけようと思ったのによ」
そう言うと、彼はズボンのポケットから、ずっしり重い革袋を取り出した。
「おら、金貨百枚」
「ん? これは?」
「お前、チャルの店を守るのに、高利貸しどもにそんだけ払ったってんだろ」
そういえば、そうだった。
「お前に賭けて儲けた金だ。お前に返すのがスジってもんだ」
「い、いえ、そんな」
「安心しろよ。もっとたんまり稼いだんだからよ」
俺が遠慮していると、周囲も声をあげた。
「もらっときなさい。旅はまだ続くんでしょ?」
「その通りですよ、ファルス君、お金はいくらあっても足りないものです」
「お師匠ー、もしなんだったら、私がガイさんに返済するのでー」
「ちょっ、それはやめてくれ。男がすたる」
これは断れない、か。
「では、ありがたく」
「おう。お前の当然の取り分だ。取っとけ」
「勝ち馬に乗っただけで、偉そうね?」
「ほっとけ」
気がつけば、このタリフ・オリムの街にも、俺は馴染みつつある。
ここはここで、悪くなかった。人が人と生きる、そんな場所。
だが、俺の目指すところは、そのもっとずっと向こうにある。
もし俺が不死を手にしたら。今日のこの景色も、遠い日々の記憶になってしまうのだろうか。
「あの、そろそろ」
これ以上は、駄目だ。
俺の心のどこかが、身勝手な痛みを訴えている。旅立たないと。早くいなくならないと。
……人のままでいたい、と小声で囁く。
「おう、そうか」
「じゃ、見送るわ」
タリフ・オリムの西側は、最低でも二重の城壁によって守られている。敵が外側の城壁を破った場合、まず左折し、時計回りに侵入するしかない。そういう構造であるため、リント平原側の出口は、街の北西部にある。
高級住宅地の裏側は、何もない広場だった。赤茶けた砂と埃っぽい空気。そこに無数の荷馬車が連なる。もうすぐ冬でもあり、ここを旅立つ商人は多い。冬期には、リント平原の広い範囲が雪に覆われるため、馬車での移動が困難になる。いわゆる「龍神様の季節」だ。そのせいもあって、早いうちにこの街を離れ、春先まで外国で交易に従事するというライフサイクルで動くことになる。
降臨祭の後はいつもそうらしいが、今日も旅人と、その見送りとで、北西の門の周囲はごった返しているのだ。
「ここまでですね」
サドカットが足を止める。
門をくぐれば国外。一応、左右に分厚い城壁が聳えてはいるが、一般市民は勝手にここから出てはいけない。俺には騎士の腕輪があるからいいが、普通は通行許可証を所持していなければならない。
「では」
俺は振り返り、改めてみんなの顔を見る。
「皆様、大変お世話になりました」
一礼して、俺は立ち去ろうとした。
「おう、ちょい待てや」
その俺を、ガイが引き止めた。
「さっきのさっきでなんだけどよ、こいつを持ってけ」
「はい?」
「あー、遠慮すんなよ? こっちはみんなで材料費を出して、うちで作ったモンだからな」
ガイが背負っていた荷物から出てきたのは、小さなツルハシだった。但し、金属の部分が黒に近い灰色だ。
「お前もこの街で修行したんなら、ツルハシストだ。それに、俺達の家で寝起きしたんだし、ヤスモーン一家の一員だ。忘れんじゃねぇぞ」
「えっ」
「取っとけ。純度は低いが、一応アダマンタイトのピッケルだぜ」
「そんな貴重なもの」
「いーからよ」
断るのは無礼だし、気持ちを無駄にすることになる。
俺はおずおずとそれを手に取った。
「わしからも、手渡すものがあるが」
「なんだジジィ」
「これは、あまり他人には見せられん」
そう言いながら、彼が差し出したのは、名刺くらいのサイズの、銀色の何かだった。
蓋がついているので開けてみると、中にはガラスで保護された署名があった。
『アルディニア王ミールは、本署名の所持者、ファルス・リンガへの庇護を女神に誓った』
「使いどころがどれだけあるかは、微妙だがな」
「いえ」
小国の王の支援とはいえ。口利きだけなら頼めるということだ。
もちろん、それには代償も必要となる。なにしろミール王は、小さな自国を守りきるので手いっぱいなのだから。
彼としては、有用な人材が欲しくてならないのだろう。なんでもかんでも縁故、縁故ばっかりで、これといった能力がなくても席を占めてしまう。中にはそれでモラルを踏み外すのも出てくる始末。イリシットみたいなのがいい例だ。だから、こうやって俺にも唾をつけておこうとする。
ただ、これの使い道となると、本当に微妙なのだ。神聖教国では見せないほうがよさそうだし、他の国々で見せても、「それで?」と言われかねない。「すごいね」くらいは言ってもらえるか。
《それと『三つ目の部屋』については、後日調べてみる。情報提供、感謝する》
目と耳で把握できるのとは別に、『念話』を使って、もっと秘密にしなければならないことをノーゼンは俺に伝えた。
結局、聖女の祠の奥にあった謎の空間について、ギルの記憶が戻ることはなかった。そして、俺もこの件については蒸し返さないことにした。秘密を知るということが、彼の身の安全を脅かすかもしれなかったからだ。
しかし、たとえ危険でも真実を知るべき者もいる。それが贖罪の民であり、ノーゼンだ。
既に知っている可能性もあると思いつつも、この件を報告した。だが、意外にも彼は、何も知らなかった。近いうち、王を経由して立ち入り許可を得て、調査するのだろう。なお、内部で見つかった文字については、彼も解読できなかった。
《王宮で起きた『事件』についてもな……どうやら、何かが起きようとしているようじゃ》
サモザッシュが変死した件については、緘口令が敷かれた。表向きには、彼は牢獄の中で急病に倒れたことになっている。
だが、これから贖罪の民は、より一層、使徒をはじめとする「邪悪」との戦いに力強く取り組まねばならない。まぁ、それは彼らの課題か。俺には俺の目的がある。
それにしても、ノーゼンにも世話になった。
暇を見つけては、彼の技を学ばせてもらった。この体では心もとないものの、今後は無手での戦いでも、そうそう後れを取ることはないだろう。
「じゃ、最後はワタシかしら」
「アイクさん?」
「ちょっとした記念品よ。これ」
彼が手にしていたのは、小さなエメラルドの指輪だった。
「エメラルドはね……知ってると思うけど、風と自由、それに龍神ヘミュービの象徴でもあるわ」
そういって、俺の手に指輪を握らせる。
「あなたの旅が、天翔ける龍神に守護されますように。そういうおまじないよ」
「ちょうど龍神様の季節だしな」
「そうよ」
それだけではないだろう。
俺の魂が自由になるように。彼なりの気持ちを込めたのだ。
思えば、ギルも。チャルも。それぞれに呪縛の中で生きていた。
たまたま俺とすれ違う中で、二人は自分自身を取り戻すことができた。これからは、本当の人生を生きていくのだ。
俺は……
「あなたの道は、遠いのね」
はっと顔をあげる。
アイクは微笑んでいた。
「大丈夫。きっと辿り着けるわ」
「……はい、ありがとうございます」
「お師匠!」
割り込んだチャルが、俺の手を取った。
「私、頑張ります! 次に会った時には、びっくりさせてやりますよー!」
「おう、俺もだ!」
ギルも不敵な笑顔を浮かべて、俺に言った。
「とんでもなく強くなってやっからな! 次、会った時には、今度こそ一本とってやるぜ!」
……彼らの、なんと眩しいことか。
けれども、俺は一人、闇の中へと踏み込んでいかねばならない。
俺は改めて一礼して、今度こそ、別れを告げた。
背を向けて、一歩を踏み出す。
軋みながら扉を引き上げる鉄の鎖。行き交う荷馬車、その蹄。あらゆる光、あらゆる音が、どれも鮮烈に感じた。
最初の門をくぐり、徒歩で通るには幅の広い城壁の合間を進む。やがて右側に、開かれた城門を見た。
門の守衛は、俺の腕輪を見ただけで、通るよう促した。
ついに俺は、タリフ・オリムを背にしたのだ。
目の前には、何もない平原がただ広がるばかりだった。草木も生えず。石ころさえ見当たらない。踏み固められたコンクリートのような。
薄曇の空に、乾いた風が吹き抜ける。身を切るほどの冷たさではなかったが、それも今のうちだけだろう。
どこを見渡しても、生命の気配などなかった。ただ遠くに、南西方向に向かって走る、頼りない馬車の群れがあるだけだった。
この虚無の大地が、俺の旅路なのだ。
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