中立でいられない狭小な世界

「いやはや、申し訳ない……」


 目の前で立派な大人が頭を下げている。黒い僧衣を身に纏った男性だ。四角い輪郭の顔立ちに、四角い眼鏡。七三分けの金髪。年齢はだいたい三十代半ばほど。真面目な中にも、どことなく親しみやすさが漂う。


「お顔をあげてください」


 市街地の西寄りの区域。限られた土地に三階建てのビルが立ち並ぶ。その中の一室だ。

 石造りの建物ではあるが、中庭からの光が大きな窓から差し込んでくるので、明るく解放感がある。石の床の上に木の板が、そして布が敷かれていて、更にその上にフカフカのソファが置かれている。俺はそこに座らされ、お茶を出されていた。


「ただの誤解ですし……かえって恐縮してしまいます」

「私が目を離した隙に、ご迷惑をおかけしたのですから」


 平謝りの彼に代わって、俺の横に座る少年が、悪びれずに言い放つ。


「だからさ、あんまペコペコすると、余計に困るっつってんだろ? こいつはさ」

「これ、ギル君! 元はといえば、あなたが授業をすっぽかして出かけるからいけないのですよ」


 だが、そんな説教などどこ吹く風。ソファに背を預け、足を組んだままの格好で、この少年……ギル・ブッターはせせら笑っていた。

 一見して、ツッパリ中のお子様だとすぐわかる。金色の髪の毛はツンツン、胸元のボタンを中途半端に外して着崩して。今は床に転がされているが、いつもは彼の身長に届きそうなくらいの大剣を背負っている。ちなみに、連れていた子供二人は、この家の召使の息子達だ。それで悪ガキ三人で、街の自警団を自称していた。

 顔立ちは悪くない。むしろ美少年と言っていい部類だ。但し、表情には既に過剰な活発さといおうか、ある種の好戦性を感じさせるものが滲んでいた。果たしてこれは、自信に基づくがゆえなのか、それとも……


「ファルス様も、お時間をとらせてしまって申し訳ありません」

「いえ」


 俺が、いきなり飛びかかってきたギルを取り押さえてからまもなく。『麦の穂』に、この司祭、サドカット師が駆けつけてきた。事情を聞き知った彼は、大慌てで頭を下げに下げて、俺をこの邸宅に招いた。

 彼の立場は、ここブッター家の家庭教師だ。そして、担当する教会を持たない司祭でもある。午前中は教会で祈りと修行に励み、午後から世俗の仕事をする。言ってみれば部屋住みの身分なので、そうやって頑張るしかないのだろう。

 そうして今日も、いつも通り教会からこの家にやってくると、生徒たるギルがいない。また何かしでかすつもりかと、彼は大慌てで探しに出たのだ。


「はぁ……まったく、パダール様にどう報告すればいいのか」

「げっ、親父に言うのかよ」

「当たり前です!」


 腕組みをすると、サドカットは彼を見下ろした。


「いいですか、ギル君。あなたもこれから王国を支える官僚になるのですから、もう、そんな子供じみた真似はおやめなさい。だいたい、なんですか。いきなり斬りかかったそうじゃないですか」

「斬ってねぇよ。ちゃんと刃を潰してあるだろ?」

「そういう問題ではありません」


 説教タイム、大いに結構だが、俺には関係ない。


「あの、済みませんが、僕は……」

「あ、ああっ、申し訳ありません、ファルス様。つい」

「こいつには様付けかよ」

「当たり前です!」


 話している相手が相手だからというのもあるが、彼の口癖は「当たり前」なのだろうか。


「ファルス様は外国からのお客様で、かつ騎士の腕輪までお持ちです。何より、被害者ではありませんか」

「痛い思いしたのは俺だぞ」

「それこそ当たり前、自業自得です……っと、それより、ファルス様ですね」


 予定が大幅に狂ってしまった。お礼とかお詫びとか、どうでもいいから、早く教会に行きたいのだが。もっとも行ったところで、すぐ司教に会える保証もないか。


「我が国の恥ずかしいところをお見せしてしまい、情けないやら申し訳ないやら」

「まったく気にしていません。丁寧にどうもありがとうございます」

「毎年、この時期になると、ああいった輩が目立ち始めるのです」


 溜息とともに、サドカットは首を振った。


「神の壁に挑む修行のため、という名目で王都に来るもので……だいたい、どこかの教会が後ろ盾になって、通行証が発行されるために、締め出すこともできません。ですが、やることはといえば、地縁を頼ってあちこちの有力者のおこぼれをもらうか、形ばかり修行者のフリをするか、さもなければあのように……昼間から酒を飲むか」


 どうして地方の人間があっさり王都に流れ込んでくるのか。

 この国は封建制国家だ。ゆえに、領主が土地の通行権を握っている。故郷を離れるには領主の許可が、王都に入るには国王の許可が必要だ。前者はなんとでもなるとして、後者については、本来、それなりの手間と費用、それにまっとうな理由が要求される。つまり、利益をせびり取るための旅行なんて、計画すらできないはずなのだ。

 しかし、そこで教会が動く。神の壁を拝み、これに挑むためとなれば、通行を許さないわけにはいかない。もちろん、各派閥の聖職者が許可を出すのは、それなりの利益誘導があるからだ。

 例外は、既得権益に守られた商人達や貴族、それに俺みたいな騎士くらいのものだ。


「地方は貧しいと聞いています。支援を求めるためとあれば、やむを得ないかと」

「そういうことなら、まだいいのですけどね。ですが、実際にはいやらしい気持ちもあるのですよ。だってそうでしょう。どうして祭りの二ヶ月近くも前に王都に入る必要があるのですか。その間の生活費は? ちゃんと働くより、あれこれねだって楽をしたいから、都に来るのです」


 サドカットは嫌悪感を隠さず、強い口調で言い切った。


「残念ながら、王都には誘惑がたくさんありますからね。お酒ですとか……」


 言葉を濁したが、彼もセリパス教の司祭だ。性的な娯楽については、単語さえ口にできないのだろう。


「でも、アテが外れたら、大変ですね。だって二ヶ月も王都にいるんでしょう?」

「ああ、最悪の場合は、なんとでもなってしまうのです。ほら、神の壁はご覧になられたでしょう?」

「はい、それは」

「修行者には、教会組織から、最低限の生活費が支給されるので、陳情がうまくいかなくても、飢えることはないのですよ」


 なんとまぁ。保護されれば、そこから腐るというのは、世の理か。


「それよりファルス様、ここまでわざわざお招きしたのには、それなりの理由があるのですよ」

「はい?」

「もちろん、ブッター家が無礼を働いた件について、教育係として深くお詫びしたい気持ちはございます。が、それだけではないのです」


 首を傾げる俺に、彼は言った。


「失礼ながら。ファルス様には、どこかにつてはおありですか?」

「つて、と言いますと」

「つまり、王都の有力者との繋がりです」

「いいえ、知り合いなどおりませんが」

「だとすると……その、立ち入ったお話で申し訳ないのですが、ファルス様は、いったいどれほどここに滞在なされるおつもりですか?」


 これは難しい。

 俺は一瞬、口を噤んだ。


 目的は、聖女の祠を見学させてもらうことだ。しかし、それが叶うまでにどれだけかかるかわからない。

 しかし、その計画を彼、サドカットに告げて問題ないのか? 彼も聖職者だ。しかも、どの派閥に属しているか、まだわからない。ことと次第によっては、俺が持っているユミレノスト師への手紙が使えなくなる。


「しばらくは。学びたいことがありますもので」


 理由は告げず、なんとかそれだけ言った。


「そうですか。となると、すぐには出発しない、ということでよろしいですか」

「はい」

「だとすると……ふむむ……悩ましいですね」

「何か問題でもあるのでしょうか」

「ファルス様、この王都は、広いようで、意外と狭いのです」


 この一言で、ピンときた。

 ここまでの話の流れから、答えは出ている。


「あの乱暴者は、デルミア出身の冒険者だそうです。察するに、陳情の結果が思わしくなかったのでしょうが……それで昼間から、酒を飲んで、勢いで暴れたのでしょう」

「チッ」


 俺の隣でギルが舌打ちする。


「まーたアイデルミのクソッタレがやらかしたのかよ」

「ギル君」

「自分とこの領民くれぇ、ちゃんとしつけろよ、ったく」

「ギル君! 不潔な言葉は自分自身をも貶めるものである……聖典の言葉を忘れたのですか」


 説教を手短に済ませると、彼はまた、俺に向き直った。


「つまりはそういうことです。貴族には地元の領民への体面があります。当たり前ながら、泥酔して暴れた冒険者の側に非があるのですが、だからといって、黙っていたのでは示しがつきません。ただ、ファルス様が早々に王都を離れるのであれば、うやむやにできるのですが」


 要するに、地縁血縁でガチガチの狭い社会。それがここ、アルディニアなのだ。

 表向きの法律とは別に、人間関係からなるルールが、裏から社会を支配している。


「んなもん、簡単だろ? ウチがバックにつきゃ」

「ギル君」

「どうせ俺がブッ飛ばせば同じことだったんだしよ。いや、どっちかってぇと、俺がやったほうがずっとマシだったな」

「あの」


 そろそろ気になっていたので、尋ねてみた。


「こちらのおうちは、やっぱり、それなりの家柄なんでしょうか?」

「あったり前だろ!?」


 先生の口調がうつったのか、ギルまで当たり前と言い出した。


「ブッター家っていやぁ、あの豪傑、ターク・ブッターの子孫だろが。んなことも知らねぇのかよ」

「ギル君」

「ああん? なんだよ、さっきから」

「言葉遣いを」

「はー、面倒臭ぇ」


 大人目線でいえば、なんと失礼なと思うところだが、ギルはやっと十歳の少年だ。生意気盛り、いちいち突っ張りたいお年頃なのだろう。

 溜息をつきつつも、サドカットが補足した。


「正しくは、ブッター家の分家筋です。貴族ではなく、騎士身分の家ではありますが、その格式は高く、名誉ある家柄であるといえます」

「そうだったんですね」

「俺がやっときゃってのは、そういう意味だ」


 バックのないただの流れ者と、都に根付いた騎士の家と。トラブルに強いのはどちらか、比べるまでもない。

 ちなみに、ターク・ブッターとは、あの例のターク将軍のことだ。ギシアン・チーレムの侵攻を一時は食い止めたものの、後に帰順し、その後は部将の一人として、魔王軍と戦ったとされている。

 つまり、分家とはいえ、ギルは一千年も続く貴族の血筋ということになる。


「なんならよ、今からでも俺がやったことにすりゃあ、済むんじゃねぇか? どうせそのつもりだったんだし」

「ギル君、簡単に言わないでください。お父様の立場というものを考えてください」

「どうせアイデルミなんざぁ、敵同然だろが」

「ギル君!」


 また溜息。

 司祭とはいえ、根無し草だ。家庭教師で食い繋ぐサドカットでは、雇い主の家の子供を押さえつけることさえできないのだ。


 しかし、困った。

 そんな風に脅されたら、逃げなきゃいけない気もしてくる。だが、目的を一切果たしていないのに、この地を離れるなんて、考えられないことだ。


「できることは限られますが、ファルス様は、何を学びたいと思っていらっしゃるのですか?」

「……歴史です」

「おっ?」


 俺の横で、ギルが顔をあげた。


「へー! お前、歴史に興味あんのかよ!」

「えっ? ええ、はい、まぁ、特に聖女の再臨のくだりとか」


 俺がそう言うと、上がりかけたテンションが急に下がっていくのが見て取れた。


「けっ、聖女かよ……つまんねー」

「ギル君」


 名前だけ唱えても、何の意味もあるまいに。とはいえ、続きの言葉など、いちいち述べるまでもないのだろう。


「ここで歴史っつったら、まずは郷土の英雄、ウル・タルクだろ!」

「ウル? タルク?」

「ターク将軍のことですよ」


 またもやサドカットが補足してくれた。


「セリパシアの言語と歴史は、西方大陸では、もっとも複雑で、また広い範囲を含むものとなっています。機会があれば、解説させていただきましょう。ですが……聖女ですか」

「あ、はい」

「もしかして、祠を見たいとか」

「えっと……そうです」


 肯定すると、彼は顔を顰めた。


「あそこは許可を得た人か、専任の聖職者でなければ立ち入ることができないはずですが」

「はい」

「ふむむ、難しいですね。直属の司教に声がけしてみてもいいですが、今はなかなか難しい時期でもありますし」


 どうしよう?

 彼に強く言って、直接手引きしてもらったほうがいいか、それとも、やはり最初の目論見通り、紹介状に頼るか。


「ですが、一応働きかけてみましょう。せめて面談の機会だけでも……司教であれば、許可を出す権限自体はありますので」

「あの」

「なんでしょう」

「その、司教というのはどなたですか?」


 恐る恐る尋ねると、サドカットはにっこり笑って答えた。


「我が師はユミレノスト・メトリア、神壁派の司教としては、最年長の方です」

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