令嬢誘拐事件の決着

「どうだ、いけそうか」

「ざっと見て四人ほど。これならやれます」

「そうか。終わるまで頼む」


 北門付近の壁のすぐ下で、俺達は侵入の準備を進めていた。

 まず、なるべく見張りが少ない一角を選ぶ。その上で、周辺の兵士を、俺が精神操作魔術で『眩惑』する。これで、横で何が起きても声をあげることはない。


 しかし、なんといっても十メートルを超える高さの城壁だ。ティンティナブラム城の壁より低いが、覆っている範囲の広さを考えると、かなりの代物といえる。しかも、この兵士の壁はできばえも見事なもので、石積みの間に凹みや出っ張り、その他足がかりになるようなものなどない。つるんとしているのだ。


「では、ウィー」

「やります」


 彼女は、やりづらそうに矢を番えた。その矢の後ろには長い紐が、紐の先っぽにはロープがくっついている。普通に考えて、重量ですぐ失速してしまいそうなものだ。それに、矢羽に余計なものがくっついているというのも、気持ち悪いらしい。

 だが、とにもかくにも、彼女は斜め上に向かって矢を向けた。そのすぐ横でイフロースは、風の懐剣を取り出し、詠唱を始める。


 矢が放たれた。それがあるところで失速、せずに不自然に持ち上げられる。

 紐の重さで加速度的に運動エネルギーを失った矢を、イフロースの風魔術で強制的に押し上げたのだ。その矢が、城壁の狭間に飛び込んでいく。問題はここからだ。


 イフロースが額に汗の雫を浮かべながら、なおも詠唱を重ねる。

 矢の向きが、真横に曲がった。もう一度。矢はこちらを向いた。そして今度は、下方向に向かって飛んでいく。


 城壁には、のこぎり型の狭間がある。守備兵にとっては防壁として機能する、あの石の壁だ。

 イフロースが思いついた突破方法は単純そのもの。俺の魔法で人を遠ざけ、ウィーの射撃で縄を城壁に引っかけ、そこをよじ登る。それを彼自身の風魔術でサポートした。


「あとは登るだけだな」

「おいおい、へばってんじゃねぇか、ハハッ、やっぱジジィだな」


 とはいえ、手がかりのない壁だ。少しでも縄を軽くしようと、結び目も作っておかなかった。これを登るには、それなりの体力がいる。


「俺が先にいってやる」

「頼めるか」


 返事もせず、キースはロープに手をかけた。


「よーし、あとはあのクソ野郎を見つけてブッ殺すだけだな」

「その前に、約束を果たしてもらうぞ」

「けっ」


 兵士の壁の内側。整然と区画整理された中を、俺達は走る。

 ウィーとしては、今すぐにでもクレーヴェの家に駆けつけたいのだろう。だが、まだイフロースとの約束を果たしていない。それに、ここからでは、目的地は王宮を挟んで反対側だ。


 貴族の壁は、ガラ空きだった。誰も門を守備していない。目と鼻の先に、王宮の壁があるから、多分、ルースレスの防衛線はそこに敷かれているのだろう。というのも、貴族の壁には四箇所も門があるが、王宮の門は基本的に一つだけだからだ。しかも、ずっと堅固にできている。

 目を見合わせると、無言で俺達は城壁の脇の階段に足をかけた。そのまま城壁に登り、更に鐘楼の上に立った。


 これだけの高さがあると、さすがに王宮の中も見渡せる。

 そこは戦場だった。


 ルースレスとて、自分がどれほど追い詰められているか、わからないわけではない。後宮に篭るタンディラールの兵。バルドの海竜兵団、ジャルクの近衛兵団、ゼルコバの聖林兵団。それに、裏切った長子派の兵も敵になる。それでもまだ、頭数だけなら上回っているが、その外側にはフォンケーノ侯の軍勢が待ち構えている。

 今日中にタンディラールを攻め切れなければ、この戦は負けなのだ。それだけに、ティンティナブリア兵の攻撃は熾烈を極めた。


「これでは……」


 ウィーが、眉を寄せて呟く。

 イフロースはサフィスのすぐ傍に駆けつけたいのだろうが、さすがにこの状況では、無理だ。途切れることなく戦闘が繰り広げられている。敵兵のとりついていない城壁など、どこにもない。さすがのアルタールも、この密度で押し寄せられては、打って出る余裕もない。

 カーンの言った通りだった。これで無理やり突っ込んだら、それこそ犬死だ。第一、この乱戦の中、イフロース一人に何ができるというのだろう?


「こいつぁ、無理だぜ。悪いこたぁ言わねぇ」

「……うむ」


 イフロースは無言で階段を降りた。


「これからどうすんだ?」

「まだ考えはまとまらんが、寄り道に付き合ってもらえるか」

「寄り道? ですか?」


 俺の問いに頷くと、イフロースは言った。


「手ぶらでは申し開きができん。仇討ちの一つもせねばなるまい」

「というと」

「元はといえば、あのドメイドの奴めが、くだらん真似をしてくれたのが原因だ」


 そういえば、そうか。

 あの時、フォンケーノ侯の私兵を借りていれば、今頃はサフィスもエレイアラも、安全な場所に逃れていたのだ。


「けど、何十人もの傭兵ですよ? さすがに厳しいのでは」

「安心せい。難しければ、諦める」


 障害らしいものもなく、俺達はすぐにフォンケーノ侯の館に到着した。

 贖罪に囚われているウィーはともかく、キースまであっさりついてきたのは、少し意外だった。ただ、これには理由があるのだろう。一つには、ウィーがここにいるから。そしてもう一つには、敵中で行動しているのに、くだらない諍いで単独行動に出る危険を考えたからだろう。ここまで来てしまったらもう、協力し合うしかないのだ。


「……開けっ放しですね」

「予想はしていた」


 出入口の大きな門は、開け放たれていた。


「どうして?」


 ウィーが疑問を口にする。


「ドメイドは長子派に協力していた。だが、ルースレスは、王家そのものに敵対することを選んだ。当然ドメイドも敵になる。となれば、襲撃を受けた可能性は十分にあった」


 にしても、だ。普通であれば、フォンケーノ侯みたいな大貴族に敵対するなんて、誰も考えない。ルースレスはどれだけ無軌道なんだろう? これでは、王家を倒すのに成功しても、先がないではないか。


「入るか?」

「そうだな。一応、様子を確認したい」


 門をくぐると、短い前庭があった。そこに三人分の死体が無造作に転がっていた。

 建物に傷はなかった。そのまま、真っ白な本館に立ち入る。階段の間にあるカーテンをくぐれば、あの中庭だ。白い列柱に花壇が立ち並ぶ、美しい空間。だが、そのあちこちに、まるで新しいオブジェでも据えつけたかのような有様になっていた。もちろん、全部死体だ。


「傭兵は全滅、か」


 列柱の向こう、円形の東屋にも、動かない人影が見えた。ドメイドの寵愛を受けていた、歳のいった女達だ。


「いないな」


 しかし、フォンケーノ侯の邸宅は広い。この中庭の左手は、ちょっとした森になっている。その向こうは敷地を隔てる壁だが、反対に右手はというと、幅広の階段があり、その上に別館が聳え立っている。隠れる場所には困らない。


「或いはもう屋敷を捨てて逃げたか」

「いえ」


 彼にとって不運なことに、俺がいる以上、身を隠すという行為に意味はない。


「別館にも誰かいるみたいですが、違うと思います」

「ふむ」

「ウィー」


 俺はそのまま、中庭の奥を指差した。東屋の更に奥、何の変哲もない、木造の物置小屋。

 彼女も理解して、矢を番え、放った。


 ドン! と矢が木の戸を打つ。効果覿面だった。

 ドタドタと物音がするや、中から小太りの男が飛び出してきた。すぐ足元に蹴躓いて、地面に転がる。

 そんな彼に、イフロースは静かに歩み寄っていった。


「わっ! ひっ! ひいぃぃ!」


 事情は推測するしかないが、恐らく、ルースレスの兵が一度、この屋敷を蹂躙したのだろう。その時は、難を逃れることができた。だが、こうして見つけられてしまった以上、もう……


 手足をバタつかせながら、彼は立ち上がったり転んだりを繰り返した。

 その後ろから、もう一人。


 ボサボサの髪に、薄汚れた服。手には小さな斧が一つきり。


「何者だ」

「ギム・イグェリーです。お嬢様を誘拐した犯人のうちの、一人ですよ」


 これでまた一つ、ピースがはまった。

 多くの騎士が仕えるフォンケーノ侯爵家の末席に、ギムはいた。彼はドメイドの保護と養育を任された。だが、主人は無能極まりなかった。官僚になるどころか、家中の仕事さえ、ろくにこなせなかった。それでいて、貴族の地位にはしがみつきたがる。結局、どうにも見込みのない主君のために、とんでもない仕事を引き受けざるを得なくなってしまった。

 だが、彼が独断でこうした行動に出たにせよ、誰かが掣肘を加えていれば、誘拐計画は成り立たなかったろう。思えば、トヴィーティ子爵家は、フォンケーノ侯にとって目障りな存在だった。フォルンノルドは、もしかしたらだが、事情を知りながら黙認したのかもしれない。


 とにかく、リリアーナの拉致に失敗したギムは、一人で泥をかぶった。自分が罪に問われようものなら、ドメイドの責任が追及される。だから、逃げ続けた。浮浪者に身を落とし、王都のスラムに身を潜めた。三年余りもだ。

 だが、それでも忠誠心をなくさなかった。だからこそ、エルゲンナームが襲われた時、思わず飛び出して、傭兵達を打ち倒したのだ。まさかそれが、ドメイドの手の者とは知りもせずに。

 動乱の規模が大きくなるにつれ、彼の中で不安が増していった。主君を守らなくては……なんとか壁を乗り越えて、ここまで辿り着いた頃には、ドメイドを守る兵はいなくなっていた。


「ギ、ギ、ギム、ギムッ! た、助けろ! ひっ、し、死ぬ!」

「ドメイド様」


 落ち着きある、男らしい低い声色で、ギムは言った。


「ご覚悟なさいませ」

「お、おわぁああ!」


 多勢に無勢。貧相な武器しか持たない自分が、目の前の敵に勝てるとは思えない。自分が死ねば、ドメイドも殺される。ならばせめて、主人には、貴族の子弟として、恥ずかしくない最期を遂げて欲しい。もちろん、一人では逝かせない。

 報われない忠誠心だ。これだけの男が、こんな無駄遣いで死んでいくのか。


「よぉ、オッサン」

「……ケッツか」

「あー、本当の名前はキースってんだ。悪ぃな」


 これで挨拶は終わりだ。

 ギムは身構えた。


 その時、右斜め上の別館から、人影が現れた。


「ようこそ我が家へ」


 一瞬、声の主に振り返る。

 ドメイドが喚き散らした。


「シシュタルヴィン!」


 階段の上にいたのは、フォンケーノ侯の四男だった。ドメイドとは対照的な美少年だ。装飾の多い外套を優美に着こなし、すらりとした立ち姿を見せていた。

 対するにドメイドは、それこそ芋虫が這いずるように、のたうちながら、息を切らしつつ、階段にへばりつきながらよじ登った。


「い、いたのか! た、たたた助けてくれ! ろ、狼藉者」

「ええ」


 狼狽する兄に、彼は優しく微笑んだ。

 ドメイドは振り返ると、勝ち誇るかのように怒鳴った。


「ど、どうだ! お前ら、フォンケーノ侯に逆らうのか! た、ただでは済まんぞ!」


 彼は現実を把握できていない。確かにシシュタルヴィンは優秀な青年ではあるが、一人だ。ギムとシシュタルヴィンが力を合わせて俺達に立ち向かっても、勝てる道理はない。この絶望的な状況に、味方がやってきたというだけでも、心強いのはわかるのだが。

 喜色満面、しかし怯えは隠せない。もはや混乱してしまっているのだろう。さっきまでずっと小屋の中に隠れていたのも、場所がないからではなく、とにかく見つけられるのが怖かったからだ。つまり、俺達が来るずっと前から、彼は恐怖の虜だった。


「シシュタルヴィン! あ、悪人だ! 悪人には罰を!」

「承知しました、兄さん」


 シシュタルヴィンは、余裕の表情で剣を抜き放った。それを見て、ドメイドは得意げな表情で向き直る。


「く」


 その次の瞬間、ドメイドの胸に不自然な出っ張りができた。


「く、くぷぷぷっ、し、しゅ?」


 突き出た剣先の近くから、じわじわと赤黒い血が滲む。爪先立ちになったドメイドが、かろうじて振り向いた。

 シシュタルヴィンは、変わりなく微笑んでいた。


 シャン、と刃の滑る音がしたかと思うと、ドメイドの体は支えを失った。

 そのまま、肉団子よろしく階段を転がり落ちていく。


「……お騒がせ致しました」


 動揺など微塵もない口調で、シシュタルヴィンは静かに言った。


「当家の者の不始末で、各所にご迷惑をおかけしていたようです。侯爵家を代表して、深くお詫び申し上げます」


 泉のように胸から血を流し、その鼓動のたびにビクンと震えるドメイド。そんな兄に目もくれず、微笑さえ浮かべながら彼はそう言った。


「あ、あぁ、あぁぁ」


 カラン、と石畳を打つ音。いきなりの凶行によって主人を失ったギムが、斧を取り落としたのだ。そのまま、空を抱いて歩み寄る。

 だが、致命傷だ。後ろから胸を刺し貫かれている。もう、手の施しようはない。


「ギム」


 その彼の頭上から、冷え冷えする声が降り注いだ。


「当家に罪人はおらぬ。今後、そなたの立ち入りを禁ずる。騎士の腕輪も没収とする。疾く立ち去れ」


 切り捨てられた。

 何年にも及ぶ忠誠心が、あっさりと踏みにじられた。

 だが、彼は何も言わなかった。言えなかった。膝をつき、放心するばかりだった。


「それでは失礼させていただきます。今後ともよしなに」


 軽い調子で会釈すると、そのままシシュタルヴィンは身を翻し、別館の中へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る