逆襲のはじまり

 久しぶりに感じる、強い倦怠感。首が据わらない。

 しかし、この場に男手はない。仕方なく、イーナ女史に抱えてもらう。


「だ、大丈夫? 急にぐったりして」

「いいんです……意識ははっきりして、いますから」


 とはいえ、喋るだけで息も絶え絶えになる。


「それよ……り、これから」

「無理しないで、ちょっと」

「話すのも、きついんです、聞いて、ください」


 俺が今、何もしないで休んでいたら。

 エレイアラが殺されて、放心状態になるのもわかる。だが、やはり身を隠すべきだ。もっとも、わかっていても、手段が思いつかなかったのだろう。


「今、から、皆さんを……もう一度、この中、に」

「駄目よ。私達を追ってきた連中のせいで、床が抜けて……巻き込まれたくないって、追い出されちゃったんだから」

「だから、もう一度中に、入ります」


 手足は動かない。ピアシング・ハンドも使えない。それでも、精神操作魔術だけは使える。不本意でも、今はこれに頼るしかない。


「僕を、ここの、管理人に、会わせて……」

「会ってどうするのよ」

「時間……稼いで、ください……急がないと……」

「わ、わかった」


 血液を抜いて触媒にするのも、今は難しい。だから、詠唱するしかない。至近距離で、全力で『強制使役』にかける。


 俺がイーナ女史に抱えられて、建物の入口をくぐると、もうそこに初老のサハリア人がいた。

 迷惑そうに手を振る。


「あの……」


 もう俺は脇目も振らず、詠唱を開始している。

 イーナ女史が会話をつなげようとするが……


「失せろ。出て行け」

「私達、行くところが」

「冗談じゃない。よしてくれ」

「もし協力してくれれば、後日、子爵家より謝礼が」

「いらん。命あっての物種だ」

「そんなことを言ってもですね、逆に今、この争乱が収まった後、ただで済むと思っているんですか? 貴族に逆らったら」

「貴族様も怖いがな……」


 彼は目をギョロギョロさせながら、表情を強張らせる。


「それどころじゃない! お前ら、あのアネロス・ククバンに追われてたんじゃないか! あんなのと関わったら、家族皆殺しにされちまう!」


 なるほど、納得だ。

 本土のサハリア人は、やる時は徹底的にやる。フォレスティア在住のサハリア系の人々も、それを知っているから、絶対に事を構えようとはしない。ましてや、その名も轟く殺人狂となれば。


「で、でも、見逃してもらいましたよ」

「戻ってくるかもしれんじゃないか!」

「い、や、そんな無駄なことはしないんじゃないかと」

「聞く耳もたん。早く出て行け!」

「……そこまで、です」


 ビクン、と初老の男が震えた。


「ヤーシュル、彼女とその連れを、一番広い部屋に匿え」

「うおあ? は、はい」


 不気味に肩を揺らすと、彼は直立した。


「……かかりました、イーナさん」

「な、何が?」

「早くみんなを。他にも追っ手がいるかもわかりません」


 まずは安全を確保だ。

 だが、こんな安全は、紙切れ同然に脆い。


 だから……


「……ヤーシュル、全員に、今手に入る一番上質な食べ物と飲み物を。それと、体を清めるためのお湯とタオルを用意しろ」

「はい」


 何度も何度も、俺は詠唱を繰り返す。前に立たせて、魔術を重ね掛けする。

 もう、この老人は俺の奴隷も同然だ。


 今、俺達は二階の広い部屋を占拠している。ここの管理人たるヤーシュル自身の部屋だ。

 ベッドの上には、満身創痍のセーンが寝かされている。他の人達も、全員ソファに腰掛けるなどしている。少なくとも、さっきよりはずっとマシな状況になった。


 こんなにお手軽に支配できるなら、なぜ最初からやらなかったのか?


 確実性が低いからだ。強力な魔法を呪文だけで行使している。となれば、割と短時間で術が解けてしまう。最悪、夜中に寝ている最中に効果が切れたりなんてこともあり得る。そうなったら逆効果だ。

 支配されて喜ぶ人なんかいないから、今度は確実に敵に回ってしまうし、最初から精神操作魔術を意識するようになるから、もう一度、術にかけるのも難しくなる。


 もっと持続時間が長く、難易度が若干低い魔法もある。『魅了』などがそうだ。しかしあれは本人の正常な判断力を奪うものではないため、生命の危険を感じているこの状況では、若干頼りにはしづらい。


 そのリスクを考えて、最初はあえて何もしなかったのだ。だが、今はそれどころではない。


「ファルス、大丈夫?」


 カーペットの上に転がる俺に、リリアーナは弱々しく微笑んだ。


「問題ありません」


 俺は静かに答えた。


「前に一度、見たでしょう? 魔法の薬を使ったんです……時間が経つと、痺れて……覚えていますか」

「うん」


 あと三十分ほどは、身動きできない。これを軽減する手段はない。だから、今もし敵がやってきたら……万事休すだ。雑魚が一人くらいなら『誘眠』で片付けられるが、頭数がいたり、強敵だったりしたら。替えの肉体はバクシアの種の中だし、ピアシング・ハンドもさっき使った後だから、逃げようがない。よって、こうして手近な場所に隠れるのが最善手といえる。今となってはもう、女神に祈るだけだ。

 貴重な魔法薬も、あと二粒だけ。しかし、命より大事なものなどない。使い切ってでも、早めにこの争乱を終結させる必要がある。もちろん、俺にとって有利な形で、だ。


 どうすれば安全を確保できるか。安全。安全を……


 なのに。

 俺の頭の中をぐるぐると歩き回り、勝手にゴミを散らかす奴がいる。


 殺したい。

 地下から溶岩が溢れ出るように。イメージが次から次へと湧いてくる。


 世界とは、そこにいる人のことだ。

 だから俺の生きてきた世界も、他の人のそれと同じように、少しずつ移り変わっていく。出会い、別れ、また出会い……だが。


 奴は、勝手にそれを壊していった。

 一度ならず、二度までも。


 確かに、リンガ村の連中に、恩義も情愛も感じてなんかいない。俺を散々虐待した奴らだ。そこに義理の父と、実の母がいたにせよ。

 エレイアラだって、俺が仮住まいしている家の女主人というだけだ。いつかは別れるし、何事もなかったとしても、数十年後には先に彼女が死ぬ。それを俺は風の便りに知るだけだったろう。


 それでも。

 だからといって、勝手に俺の世界に土足で踏み込んで、あれこれ壊してまわるのを、許しておけるのか。


 殺したい。

 あの男……アネロスを。


 正直、ここまで心を乱されるとは思わなかった。

 俺のせいじゃないのか。俺がもっと適切な行動を選んでいれば……


 エルゲンナームを助けなければよかった? 結果論で言えばそうなのかもしれないが、あの時点でこんな未来を想像するなど、不可能だった。

 なら、やはりイフロースが言ったように、一人をここに残して、もう一人がサフィス達を送り届ければ……しかし、それでも犠牲が出た可能性ならある。残ったのが俺なら、最悪、アネロスの魂を消し飛ばして解決していたかもしれないが、イフロースでは、奴には勝てないだろう。まして、背後に主人の一家を庇いながらでは。


 いや。

 運が悪かったのだ。


 スラムに逃げ込んで三日間、何事もなかった。そんな中の、たった半日だ。そこでドメイドの傭兵とアネロスの両方に見つかってしまった。

 もちろん、考え出せばきりがない。あの部屋はエルゲンナームをギムが救った場所から近かった。そして、その日の夕方に、彼はサフィスと一緒にドメイドのところに出向いている。必然、サフィスの一家もその付近にいるのでは、と思いつく可能性だってあった。そうなるとまた、最初の議論に戻る。俺がエルゲンナームを助けたのがいけなかった、という理屈だ。だが、なんにせよ、今更の話だ。


「ファルスー」


 俺の頬を、リリアーナがぺちぺち叩く。


「どうなさいましたか」

「怖い顔してるよ」


 指摘されて気付いた。

 なるべく表情を和らげてみせた。


 今、思考能力を割り振るべき問題は、責任追及ではない。

 状況の解決だ。


 どうすれば、俺と俺の周囲の人が、これ以上、傷つかずに済むか。

 単純だ。紛争が終わればいい。それも理想的には、太子派の勝利で。


 そのためには何が必要か。

 長子派のリーダーを排除する。


 一番シンプルなのは、フミール王子を抹殺することかもしれない。そうなれば、長子派は大義名分を失う。しかし、フミールには帝都に留学中の嫡男がいる。第一、長子派はもう挙兵してしまった。今になって戦闘を中止しても、処罰は免れない。だから、王子の息子に一縷の望みをかけて、抵抗を続けるだろう。

 となると、実戦能力を奪うしかない。このクーデターを主導する人物……


 ウェルモルドの殺害。

 これが答えだ。


 ティンティナブラム伯が長子派に協力しているにせよ、彼自身にそこまでの指揮能力はない。その意味では、ルースレスだってそうだ。数こそ多いものの、率いているのは士気の低い雑兵ばかり。戦力を効率的に運用できる指揮官がいなければ、思ったほどの成果は挙げられない。

 こう考えると、優先順位が見えてくる。近衛兵団のウェルモルド、伯爵軍のルースレス、岳峰兵団のベラード、傭兵団のドゥーイ。この順番だ。思うにドゥーイまで倒す必要はない。彼らは傭兵で、そもそも何も背負っているものがないからだ。自分の上に立つ人物がいなくなれば、自然と撤退を選ぶだろう。

 その意味では、戦争そのものをレジャーと捉えるアネロスについては、更に優先順位が下だ。一番殺してやりたいのに、一番最後なのだ。


「それより、外は」

「うん、今、ナギアが見張ってくれてる」

「何かあったら、早めに。相手が少なければ、すぐ排除できます」

「そんな、寝てないとだめだよ」

「だからですよ。一人ならまだいいですが、仲間を呼ばれたら、もうどうしようもなくなります」


 震える手で、リリアーナの頭を撫でる。


「あと少しです、あと少しで、みんな、無事に家に帰れますから」


 ともあれ、目標が決まった。

 次は、手段だ。


 成功率が高い作戦は……

 やはりピアシング・ハンドだろう。遠くからウェルモルドを視認する。或いは近くでもいいが、接近すれば危険が増す。

 彼の部下か、鳥などの野生動物に偽装して接近し、肉体を奪う。そうすれば、ほぼ確実に始末できる。但し。


 時間がかかりすぎる。

 ここから丸一日待って、やっと変装用の肉体を入手できる。更に一日待って、ようやく解決だ。しかも、それが最速なのだ。


 そんなには待てない。

 あと二日間も、この状況を座視するのか?


 その二日間で、情勢がどう変わるか、こうなってはもう、想像もつかない。

 もし疾風兵団が援軍を呼ぶのに成功していれば、その頃にはピュリスや西部国境、スーディアなどから軍勢がやってくることだろう。しかし、今朝の時点でティンティナブラム伯の軍勢がここまで来てしまった。順序が逆であればともかく。もう伯爵軍は城壁を越えて中にいるのだ。


 スーディアやフォンケニアから、どれだけの兵がくるかにもよるが、場合によっては、少数の国軍では太刀打ちできないことも考えられる。そもそもタンディラールがあと二日も持ちこたえられるかどうか。

 伯爵は、全軍を投入したはずだ。フミールが勝たなければ反逆になる。荒れ果てた領地の安定より、この場の勝利を優先するべきだからだ。となれば、どう考えても兵数は万を数える。

 五倍から十倍の兵力が殺到するのだ。後宮の仮拵えの防壁で、どこまで耐えられるか。さすがにこれだけの戦力差があると、思考停止の力押しでも決着がつきかねない。


 二日間でウェルモルドを排除しても、それでは終わらない。更にそこから、伯爵とルースレスを片付けなければ。

 やはり駄目だ。もっと手早く始末しなければ、乗り切れない。


 ……俺は、床に転がる剣に視線を向けた。

 やはり、これしかない。


 精神操作魔術を全力で使って、ウェルモルドの周囲を混乱させる。『眩惑』で足止めし、そこを身体強化で能力を底上げした上で、一気に切り込んで討ち取る。奇襲だ。

 直接にフミールをいただく指揮官が倒れるのだ。こうなると、伯爵は半ば、居場所を失う。賊軍としての立場がごまかせなくなったら、もう太子派の有利は確実だ。今まで日和見を決め込んでいたカリャやジャルクも動かざるを得なくなる。ウェルモルドに加担している岳峰兵団のベラードも、身の振り方に困るはずだ。


 つまり、またここを離れなければいけない。守っているだけではジリ貧だ。仕方がないのだが……

 今まで、一日に二度も身体強化薬を使用したことはない。副作用が今から怖いが……

 これなら、うまくすれば今日中に……


「……いいんだよ、ファルス」


 他の人に聞こえないよう、リリアーナはそっと言った。


「いい、とは?」

「もう、十分頑張ってくれた。だから」


 ここからは、一人逃げても構わない、と。

 だが、俺がいなくなったら、他の全員を誰が守るのか。


「ナギアは、どうするんですか」

「うん、できたら、連れて行って欲しい」

「ウィム様は」

「んー……」


 彼女にとっては、子爵家の身分が、今は重荷なのだ。

 もし自身を敵に差し出せば、みんなが助かるというのなら。見捨てられるのはまったく構わない。だが、そのせいで弟が死ぬとすれば? そこだけは迷いの残る部分なのだろう。

 だが、そんなの無理だ。俺がナギアを連れていこうとしたら、彼女は絶対に抵抗するだろう。逆なら、リリアーナを守るために彼女を見殺しにするというのなら、許してくれるかもしれないが。


「心配なさらずに」

「えっ」

「なるべく早く……うまくいけば、今日中にも、片付けますから」


 誘拐事件の時もそうだった。

 自分を捨てて逃げてくれ、と。でも、そんなことを言われて、見捨てるなんて、できない。したくない。


 だから、やる。

 俺が終わらせなくては。

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