呉越同舟の作戦会議

 六畳一間の空間に、八人。しかも天井が普通の部屋の三分の二くらいしかない。俺や子供はまだいいが、大人達にとっては息苦しいことこの上ないだろう。

 特に、手足の長いエルゲンナームにとっては、悪夢のような環境に違いない。


「……ふむ」


 報告を一通り確認したイフロースは難しい顔をしている。

 本当は俺の選択に不満だったのかもしれない。知り得た事情から判断すると、エルゲンナームを助けたことにメリットがないでもないのだが、リスクも大きいためだ。ただ、本人の前でそうとは言えない。


 まず、彼があんな場所を彷徨っていた理由だ。


 サフィスが王冠の喪失に衝撃を受けて寝込んでいた頃、エルゲンナームは自分の邸宅に留まっていた。この様子では戴冠式などあり得ない。であれば一度、フォンケニアに引き返して、王室の決定を待つほうがいいのではないかと考えた。

 しかし、これに弟二人は異を唱えた。確かにエンバイオ家は自立した貴族で、その行動を王家に縛られるものではない。しかしながら、この情勢で、百人もの兵を連れた侯爵家がゾロゾロと街中を抜けていくのはどうか。悪い意味で目立つのは間違いないし、太子派、長子派とも、これを軍事行動と受け取って刺激されてしまうのではないか。王都に何が起きようと侯爵家の責任ではないが、そのきっかけになるのは避けるべきだ。


 それより、もっと大事な、そして成し遂げることができれば、より自分達の利益になる役割がある、とシシュタルヴィンが力説した。それがバランサーになる、という選択だった。

 要するに、対立が先鋭化しかねない両派閥の長と話し合って、平和裏に決着がつけば、フォンケーノ侯の存在感はより大きくなる。内輪の問題を自己解決できない王家に代わって、裁定者の役割を引き受ける。これは悪くない。上から命じられて働くのではなく、むしろ王家の保護者面ができるのだ。独立貴族の権益を削りたくない父の意向にも沿うことができる。


 そんなに簡単にやれるものか、と悩むエルゲンナームの下に、使者が駆けつけてきた。フミール王子が話し合いの場を持ちたいという。目立たないよう、貴族の壁の内側ではなく、兵士の門を抜けた外、一般市民の暮らす区域でとの申し出だった。

 彼は躊躇した。下手な動きをすることで、太子派から敵視されるのではないかと恐れたのだ。しかし、優秀な弟からの進言もある。

 結局、彼は数人の供を連れて、邸宅を出た。


 だが、指定された待ち合わせ場所に到着する前に、数人の傭兵が迫ってきた。彼らはあからさまにエルゲンナームを狙っていた。それで彼は、供の者達を盾に、逃げ出したのだ。それから彼は、一人で彷徨うことになった。丸二日間、飲食もできず、市内のあちこちに潜伏して、兵士達の目から逃れ続けた。

 しかし、これまで貴族として生きてきた彼に、それ以上の生存能力はなかった。主要な城門の辺りには常に兵士がいたので、どうしたって邸宅には戻れない。飢餓と疲労、睡眠不足とストレスから、注意力も散漫になった。それでついに、傭兵達の目にとまってしまったのだ。あとは死の恐怖に突き動かされ、限界まで走るだけだった。


「本当に、あの男がいなければ、私の命はないところでした」


 運がよかった。王都のスラムに身を隠していたギムは、なぜかエルゲンナームを救った。


「しかし、すぐにいなくなってしまって……あれはどうしたことか」


 必死だったエルゲンナームは、俺がギムの名を呼んだのに気付いていないようだった。距離も離れていたし、聞こえなかったのかもしれない。


「こちら、ファルス君に声をかけられて、すぐ走り出してしまって」

「た、たぶん、あまり貴族と関わりを持ちたくなかったのだと思いますよ。この状況ですから」

「なるほど」


 あれだけ距離があったのと、見た目が薄汚れていたのもあって、さすがにリリアーナも、彼がかつて自分を誘拐した一人とは気付けなかったようだ。となれば、俺の秘密に肉薄する事実は、黙っておくに越したことはない。


「それにしても許せません。堂々と剣を向けるならいざ知らず、あのような闇討ちとは」

「長子派の手回しでしょう」

「いや、サフィス様、そうとも言い切れません。聞けばこの情勢、今はウェルモルドが有利というではありませんか。ならばフミール殿下の即位を見据えて、私を取り込んでおきたかったのかも……そうか! 逆に劣勢にあるタンディラール王子が、私と長子派を対立させようとして」

「閣下、それにエルゲンナーム様も、今の時点で決め付けるわけには参りますまい」


 侯爵の嫡子を救った報酬は、救援の兵力ではなく、結論のない議論だった。


 俺達は今、災難が通り過ぎるのをただ待っている。だが、そこに異物が入り込んだ。彼は二つの面で、厄介だった。

 一つは、明らかに貴族とわかる格好をしていたことだ。それを俺は自室に連れ帰ってしまった。やむを得ない状況だったとはいえ、これで無意味に目立ってしまった。ごく僅かにだが、俺達の安全に対してリスクある行動を選んでしまったことになる。

 もう一つは、彼が俺達の力をあてにしている、という点だ。なんとかして邸宅に戻れば部下達がいる。そこまで送り届けてもらえないか。彼はそう考えている。


 確かに、それができればサフィス達の安全は、半ば保証されたようなものだ。

 あの広い庭園を誇るフォンケーノ侯の邸宅に立て篭もり、百人からの私兵に守られる。百人というと少ない気はするが、狭い通路を選んで防戦に徹する限りにおいては、十分な数といえる。

 それに兵士の数は、そこまで問題ではない。わざわざエルゲンナームを闇討ちした事実からもわかる通り、正面切って彼を殺すわけにはいかない。いくらなんでも嫡男を殺されたなら、フォルンノルドは敵対勢力に可能な限りの戦力を差し向けるに決まっている。それには王家の内紛の行方を決定するだけの力がある。

 もしタンディラールが負けたら? その場合でも、経緯が経緯だけに、エルゲンナームはサフィスを切り捨てられない。情ではなく、面子と体裁が問題になるからだ。

 サフィスは手ぶらで助けを求めているのではない。エルゲンナームと協力して屋敷に向かうのだ。侯爵家からすれば、被保護者たる分家の人間に手助けしてもらってやっと安全を確保したのに、土壇場で裏切るなんて……いくら子爵家を毛嫌いしているフォルンノルドとはいえ、息子がそんな厚顔無恥な真似をしでかしたら、激怒するに違いない。

 だからその場合でも、フォンケーノ侯は、サフィス一家の命だけは守り通すはずだ。結果として領地や爵位の没収、国外追放などの処置はついてくるかもしれないが、それさえ呑めば、殺されることはない。


 つまり、エルゲンナームをここに匿った以上、貴族の壁の内側のフォンケーノ侯の邸宅に転がり込めば、この命懸けのスゴロクはアガリとなる。


 しかし……


「それより、これからどうするかのほうが問題です」

「無論、私どもの邸宅になんとか戻るのです」

「できますかな」

「名高いサウアーブ・イフロースともあろう者が、似合わぬ弱気ですか」


 気が急いているエルゲンナームはそう言うが、そんな安い挑発に乗れるほど、イフロースに余裕はない。


 各兵団の定数はおよそ一万。現在、王都には近衛兵団の全軍と、岳峰兵団が存在している。聖林兵団は西部国境にいるし、疾風兵団は壊滅したはずだ。

 そして岳峰兵団は現在、各城門の封鎖に取り掛かっている。よって市内の戦闘は、一万の近衛兵とおよそ一千人の傭兵達によって繰り広げられている。


 ここからは推測でしか数字を挙げられないが、まず太子派側の戦力は、第一軍と第三軍だ。但し、第一軍は半壊状態だから、有効な戦力はおよそ三千人ほど。ここに太子派の貴族の私兵や傭兵が若干混じっている程度か。

 一方、長子派の戦力は、ウェルモルド率いる第二軍と、第四軍から引き抜いた半数の兵、これに傭兵の大多数とみられる。

 カリャが掌握できた第四軍の残り半分、ジャルクの第五軍は完全に観戦にまわっているので数えないが、およそ三千対四千の兵が入り乱れて戦っているのだ。


 戦況は長子派が有利で、よって拠点の多くも今は彼らが掌握している。

 そんな中、要所となる各城壁の門を突破するとなると、簡単ではない。太子派が把握している門を探すというのも、現実的ではないだろう。なぜなら俺達には派閥の区別なんてつかないし、兵士達もサフィスの顔なんか知らないからだ。殺気だっているのに、悠長に身分確認なんかしないだろう。よくて捕縛、悪ければ即殺害だ。

 第一、小部隊の単位では、いつ裏切りが発生するかもわからない。何しろこれは内乱なのだ。第一軍の兵士でも、黙って殺されるくらいなら、長子派に進んで投降する、なんてシナリオも考えられる。


「率直に申し上げますが、私では……城壁を二つも越えて、ここにいる全員を送り届けるなど、できかねます」


 当たり前だ。

 俺を除外しても、子供が三人、女が一人。いくらイフロースが有能でも、さすがにそれは無茶だ。


「では……私だけならどうか」

「エルゲンナーム様だけ、ですか?」


 これに彼は、少し沈黙する。可能かもしれない。

 ただそうなると、サフィスの側にメリットがない。無事、送り届けたはいいが、それでどうやってこちらの安全を確保するというのか。

 忘れがちだが、本当はサフィスと侯爵家は、険悪な関係なのだから。


「心配ない。私とて貴族だ。約定を違えはしない。兵を率いて必ずここに戻ってくる」

「いえ、それはよしたほうがよろしいかと」

「なぜだ」

「たった百人だそうではないですか。立て篭もるには十分でも、打って出るにはまったく足りません」


 イフロースの言う通りだ。

 しかも、シシュタルヴィン達が懸念したことが現実になってしまう。フォンケーノ侯はどちら側にまわったのか? 疑心暗鬼を招くだろう。


 だが、そこでサフィスが口を挟んだ。


「数を増せばいいのだな」

「どうするおつもりですか」

「難しいことはない。殿下のお力を借りるのだ」


 馬鹿な。今、タンディラールは守勢に立たされている。戦力が足りないのに、そんな……いや、そうか。

 実現可能かどうかは別として、実は悪くない案といえる。


「本来なら中立を保ちたいのだろうが、エルゲンナーム殿、今はそれどころではない。とっくにタンディラール王子は立太子されている。なら、これに歯向かうものは反逆者だ。最低限、フォンケーノ侯が立つ根拠にはなり得る」

「それは……」

「今、第一軍の兵士達は、戦意を失ってあちこちを彷徨っているが、ここでフォンケーノ侯がこちらについたとなればどうか。大義名分はもともとこちらにある。散り散りになっていた兵士達が、エルゲンナーム殿の旗の下に集まれば……」


 百人では、三千対四千の戦いの中で動き回るには、不安が残る。だがこれが五百人であれば?

 いや、しかし、それでは時間がかかりすぎるし、不確実性も高い。

 もっと楽に増やせる手段がある。


「あの」

「なんだ、ファルス」

「もしそれが可能なら、手っ取り早く、第四軍の駐屯地に立ち寄れば……」

「なるほどな! それは悪くない」


 散り散りになった第一軍の兵士を回収するより、詰所に残留している第四軍の残りを連れて行くほうが、手っ取り早い。彼らもまた、ジャルクとは違った意味で、風見鶏だ。しかし、戦後の責任問題に悩んでいるのは間違いない。ここで有力者が一人、兵を率いて動き出したとなれば。

 それに……最悪の場合は、カリャの首を落として乗っ取ってもいい、か。或いは、肉体を奪うという手もある。そこから更に一日あれば、今度はジャルクも始末できる。毒を食らわば皿まで。そこまでやるなら、こちらの勝利は確実になるだろう。


「しかし……」


 エルゲンナームの態度は煮え切らない。

 どちらにも加担しないとする父の方針から外れることになるためだ。


「しっかりするべきでしょう。死んでしまっては元も子もない。そうではないですか」

「それはそうですが」

「ならば、イフロース」


 サフィスは強い口調で言った。


「私も行く」

「なんと」

「エルゲンナーム殿、選択肢としては、これしかない。どちら側が貴殿を殺そうとしたかは、誰にもわからないことだ。しかし、今、王都で力を持たないものは、いつ殺されてもおかしくない。だからそちらは侯爵家の立場を、こちらは私の首を、それぞれ賭けよう」


 サフィスとエルゲンナームが、壁を二つ越えて、フォンケーノ侯の邸宅まで行き、兵力を取り戻す。こちらは全力で彼を送り返す。その見返りに、エルゲンナームは侯爵家の名代として、正式に太子を支持する。その名目でもって、第四軍の詰所に行き、カリャを動かして軍を掌握する。千とちょっとの戦力が重石となれば、兵士の数でも拮抗するし、自分達の安全度も飛躍的に高まる。

 よってもし、フミール側がエルゲンナームを殺そうとしていたのだとすれば、これで身を守れるし、仕返しにもなる。またもし仮に彼を狙ったのがタンディラールだとしても、現に戦力を得て自分を支持したとなれば、もう手は出さないだろう。


 ……今までサフィスのダメなところばかり見てきたからか、意外な気もしたが、確かにこれは悪くない取引だ。但し、問題が一つ。


「やるしか、ないか」

「お待ちください」


 すっかりやる気のサフィスを、イフロースが止めた。


「それはそれとしましても、こちら、奥方とお子様方の身の安全を」

「いいえ、イフロース」


 それまで黙っていたエレイアラが、ここで声をあげた。


「私どもは構いません。あなた、思う通りになさってください」


 この言葉に、イフロースは苦い顔をした。彼女がそういう態度を選ぶとわかっていたからだ。

 現状、王都に安全地帯などない。誰かが動かなければいけない。それをサフィスがやると言っている。

 しかし、居残るエレイアラが、彼より安全ということはないのだ。


「しかし、奥様」

「妻たるもの、夫が立つ時には、残って子供達を守るのが道です。あなた、後のことは私が」


 イフロースが本気で焦っている。

 頭の中で必死に計算しているのだ。或いは自分かファルスが残れば……


「イフロース、主人を頼みます」

「では、ファルスを残していきますので」

「いいえ」


 彼女は俺にも向き直った。


「今の夫には、あなたの力が必要です」

「……はい」

「主人を頼みますよ」


 彼女もまた、自分を賭けた。

 夫が勝負に出るのだ。手札を減らしては、勝てるものも勝てなくなる。だから、戦力すべてを預ける。


 ゆっくりと彼女はサフィスに振り返った。


「いってらっしゃい、あなた」


 それは花咲くような笑顔だった。

 曇り一つない、明るく力強い笑顔だったのだ。

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