三人組の解散式
緑玉の月になった。季節が移り変わるごとに、空の色も変わるような気がする。見上げると、どこか淡い青空が、のんびりした風を吹かせている。空の高いところに、かすれた白い雲が散り散りになっている。
最近のピュリスは、工事ラッシュのせいで交通状況が著しく悪化している。例の三叉路の本格改修が始まったらしい。どうも見た限りでは、俺が提案した市内再開発案が、ほぼそのまま採用されたらしく、今まで手の入っていなかった神殿近くの空き地でも、なにやら地面を掘り返す連中が見られた。
市内の再開発にあたり、総督府から寄付金の募集があったので、俺はいの一番に、大金を寄付しておいた。実に金貨三万枚。自分の口添えのせいで街の作りが大きく変わってしまうのだ。知らない顔はできない。
なお、さすがに俺個人の名前だけでこれだけの金額を突っ込むと、大騒ぎになる。なので表向きには、「代表者ファルス」で済ませてある。有志の市民を募った結果、ということにしているのだ。
ところで、驚くべきことに、俺と同額の寄付金を拠出した連中がいる。王都の近衛兵団第二軍団だ。その長はウェルモルド・ブルンディリ。長子派の主要人物だ。
彼のことはよく知らない。ただ、グルービーは、長子派にもピュリス襲撃にかかわっていた人物がいた、と言っていた。となると、どうしても彼と事件との関係を疑ってしまう。
しかし、ではなぜ、こんな金を用立てたのか。黙って知らん顔を決め込んでいたほうが、得するはずなのだが……
ちなみに、三番目に多く出したのも、近衛兵団からだ。第三軍団の長、レットヴィッサ伯。若年ながら、国一番の剣豪としても知られる。以前から慈善事業で有名な人物だから、意外性はない。
王家からは一銭も出ていないが、それは直接的にはというだけだ。かなりの減税を予定しているらしい。
ともあれ、そんな雑然とした雰囲気の中で、俺は店を開けた。この前の襲撃事件のために、傷薬などはすぐに持ち出されたのだが、肌荒れ対策のクリームとか、虫刺され予防、日焼け防止といった、生死に直結しない薬は、当然ながら放置された。これらの在庫は、今日中に売り切る。値段も半額以下だ。
サディスが、すっかり慣れた様子で客を整列させている。俺は店のカウンターに立って、客を待ち受けている。見慣れた光景だ。まるで数ヶ月前に戻ったような。
ふと、背後に人の気配を感じた。
急いで振り返る。
「ファルス、私も外に出たほうがいい?」
ノーラだった。当たり前だ。他に誰がいるというのだろう?
「いや」
否応なく、時間は流れていく。
実感はなくても、これが最後。薬屋の子供店長は、今日この日をもって、いなくなる。
「下の倉庫から、日焼け止めの在庫、出してきて。なんか、こればっかり売れるみたいだから」
「うん、わかった」
売れ残ったら廃棄するか、子爵家の関係者で、欲しい人にあげるかしないといけない。神殿に寄付してもいいが、あそこが受け取るのは、せいぜい防虫剤くらいだろう。肌荒れも日焼けもあって当たり前で、それを防ぐのにいちいち薬を使うなんて、贅沢なのだ。
「こうしてまた一つ、この街がきれいになりますね」
次の客は……こいつか。
「買い物に来たんですか? それともサディスを見にきたんですか?」
「それと、ここにいるかわいそうな美少女を鑑賞するために」
「だったらそっちで面倒を見てくださいよ」
リンだ。
なんだかんだいって、こいつも店の常連だった。
ちなみに、今日はガッシュ達は来ない。彼らが使うような薬の在庫は、もうないからだ。
「何か勘違いしていませんか? かわいそう、と言ったのは、あなたのような穢れた男と暮らしていることが不幸という意味であって」
「はいはい、臭いんでしょう」
「わかっているじゃないですか。ということで、消臭剤をください。ああ、あと消毒液と防虫剤も」
さっさと薬を渡して、帰らせる。
しばらくして、また見知った顔がやってきた。
「やっほー!」
「いらっしゃい」
エディマとディーが連れ立ってやってきた。
「日焼け止めと肌荒れのお薬、あるー?」
「あるけど、早めにきてよかった。日焼け止めがもうすぐなくなりそうで」
「えー、あっぶな……あれないとこれからきついんだよね、仕事が」
そこへ、下の階からノーラが戻ってきた。
「はい、これ……あ、こんにちは」
「こんにちは、ノーラちゃん」
ノーラと彼女らも、すっかり顔馴染みになった。何しろ、彼女らが通うあの酒場でも、ノーラはアルバイトしている。
「いいなぁ、ノーラちゃんは」
「何が?」
俺の疑問に、エディマが答える。
「だってー、もう見るからに肌白いし? お人形さんみたいにきれいだし」
そうかもしれないが、仮にノーラが望んでも、彼女らの仕事は務まるまい。客に笑顔を振りまいたり、会話を繋げたり……女性の魅力は、見た目だけではないのだ。
「エディマも愛嬌があっていいと思うよ?」
「ほんとー? お世辞でしょー?」
「ほんとほんと」
のんびり世間話をしたくはあるのだろうが、行列はまだ続いている。
振り返って、後がつかえていると見てとり、二人は俺達に手を振って、去っていった。
昼過ぎに、すべての商品が売り切れた。
自分で地下一階に降りて、本当に薬が残っていないのを確認した。木箱一つない。
こうしてみると、初めてこの家に来た日のことを思い出す。
他の二軒の家と見比べて、結局、ここにしたんだっけ。
ただ、あの時とは違う。地下二階、この下はもう、開かずの間だ。
壁の石をいくつか外して、出てきたハンドルを回せば、床が動く。その地下室は既に宝物庫だ。だが、今はノーラもいる。必要もないのに、開けたりはしないし、できない。
一応、必要な金は、自室のベッドの下に置いてある。それだって大金なのだが、その程度、盗まれても痛手にもならない。
バックヤードの水道を止める。毎日、ここで長時間、薬を作った。
でももう、そんな生活には戻れない。
階段を登り、屋上へ。
天気のいい日は、ここで木のテーブルに料理を並べて食べた。最初は二人で、しまいには四人で。
今、こうしてみると、木製のテーブルは、色褪せてボロボロになっていた。度重なる風雨に、だんだんと劣化してきているのだ。濡れたり乾いたり、そうやって木材も金属も脆くなる。
日の光を浴びて、二株のキノラータが、風にそよぐ。
目を背けたいのに、つい見てしまう。
あの時、どうすればよかっただろうか。
何もしないでいれば、或いは……いいや、あり得ない。
その場合、彼女は俺を殺した後、自らを……
あれ以上、正しい判断は、きっとなかった。
あんなものが、最善だった。
あっという間に、何もかもが過去になっていく。
まるで、何もなかったかのように。
「ファルス?」
下から俺を追ってきたらしい。
「何してるの?」
ノーラは俺を気にかけてくれている。だが……正直、それが煩わしい。
俺は、何かを恐れている。それは、こうやって彼女が俺に近付けば近付くほど、はっきり自覚されるものだ。
「なんでもないよ。少し遅くなっちゃったけど、軽く食べて一休みしたら、酒場に行こうか」
「うん」
夕方、仕込みを終えた。
終えてしまった、というべきか。
「おう」
「店長、こっち、終わりました」
離れたところで、ノーラが木箱に入ったグラスを運んでいる。あとはあれを並べれば、準備完了だ。
「ファルスも、今日で終わりか」
「長い間、お世話になりました」
「いやぁ、俺も助かったよ。おかげでここは、今じゃピュリスの名所なんだぜ? 変なメシが食えるってぇよ」
そんなことを話しているうちに、早くも入口の扉が開いた。
「おう、らっしゃい」
やってきたのはガッシュ達。だが、挨拶がない。
三人とも、俯いている。
「ん? おい、どうした」
「ああ、ちょっとな」
全員、いつもの席に腰掛けた。
「おやじ、酒くれ」
「はいよ」
人数分のグラスが並べられ、真ん中に酒の入った壷が置かれる。それをガッシュは、神妙な表情で、そっと取り上げ、ドロルとハリのグラスに注ぎ、最後に自分のグラスを満たした。
「おやじ」
「あん?」
「グラスをあと、二つ……いや、四つくれ」
何だ?
とにかく、言われた通り、俺はグラスを手に、テーブルに駆けつけた。
ガッシュは、残りのグラスにも、丁寧に酒を注いだ。
「おやじ、それとファルス……ああ、ちょっとだけでいい、飲み干して欲しいわけじゃない」
一緒に乾杯しろ、と?
だが、それにしても。表情が固い。どうした?
「今日、話し合って決めたんだ」
何も言わないドロルとハリに代わって、ガッシュが一人で説明する。
「俺達は、今日をもって……解散する」
そういうことか。
この、誰も飲み手のいない二つのグラスは、ウィーとユミの分。
そこに、俺と店長にもグラスを出したのは。俺達もガッシュ達にとっては、仲間だったという意味なのか。
「これからは、みんなそれぞれ、自分の行きたいところに行く。ちなみに俺は、サハリアに」
続いてハリも言った。
「私は、帝都を目指します」
一番暗い表情をしているドロルは、低い声で。
「俺ぁ、シモール=フォレスティアに」
締めくくるように、またガッシュが言った。
「みんな、もっと上を目指す。いつかどこかで、また会おう」
酒場の空気が、動きを止めたような気がした。
「そうか」
低い声で、店長が応じる。
「今日は俺のオゴリだ。好きなだけ飲んで、食え」
「悪ぃな」
「そうだな。じゃ、やっぱオゴリはナシだ。代わりにツケな。出世して戻ってこい」
彼らもまた、この街を去るのか。
いつかは来るはずの日だった。彼らが冒険者を続けるのなら、上を目指すなら。それがたまたま今日だった。
いつもなら、だらしなく泥酔するまで飲むガッシュも、今日は節度があった。ほどほどのところで切り上げると、彼らは席を立った。みんな、翌朝一番の船で出発するらしい。
今日は客も少なかった。どことなく、寂しい空気が漂う。
「そろそろあがるか」
「はい」
「お疲れさん」
「店長、本当にお世話になりました」
俺は改めて頭を下げる。
「世話になんのは、これからだろ? お前んとこの、この子、預かるんだからよ」
「そうですね」
確かに、縁が切れるわけじゃない。
今後もノーラはここで働くのだから。
「で? 屋敷に戻ったら、お前、何やんだ?」
「多分、接遇担当に戻されます。お客様の接待、ですね」
「あ? じゃあなんだよ、料理は作らねぇのか?」
「恐らくは……」
彼は少し難しい顔をしていたが、すぐ背を向けた。
「ちっと待ってろ」
そのまま奥に引っ込み、しばらくして、細長い木箱を手に戻ってきた。
「おら、これやる」
「あ、ありがとうございます」
「中身、見てみろ」
言われて、そっと箱を開ける。
中には、銀色に輝く包丁があった。
「俺は、まぁ、なんだ……こんな酒場なんざぁ、食うためにやってるだけなんだけどよ」
店長は、目の焦点を合わせず、少し乱暴な口調でそう言った。
「お前は、違うよな」
「はい?」
「俺は、お前が料理人に見えるぜ」
「えっ?」
いきなり何を?
だが、戸惑う俺に、彼はポンと肩を叩き、背を向けた。
「大事に使えよ」
少し早い時間に、家に帰った。
居間に腰を下ろし、暗い窓の外を見る。
櫛の歯が欠けるように。
当たり前にあったものが、失われていく。
日が沈んだ後の浜辺のように。
温もりが、いつしかぬるま湯のように、やがて肌寒さにとって代わられる。
変わらないものなどない。
わかっていた。
誰もが知っているのに、どうにもならないこと。
だから、俺は求めた。永遠の安らぎを。
扉が開く。
「ファルス? ここにいたのね」
そう言って、ノーラは当たり前のように隣に座る。
だが、話すことなんかない。俺は黙って、物思いに耽っていた。
「……長いお付き合いだったんだよね」
ぽつりとノーラが言う。
「二、三年だよ」
長いようで、短かった。
思えば、前世だってそうだった。中学校も高校も、たった三年だ。その後はもう、ほとんど会わない。社会に出て働いても、一つの現場はたいてい、長くても一年、二年。短いプロジェクトなら、数ヶ月ということもあった。その都度その都度、人間関係ができては消え去る。
「私の知らないところで、ファルスはいろんな人と出会っていたのね」
それは、逆の方向からも考えることができる。
「ノーラもそのうち、いろんな人と出会うんだよ」
彼女は、人と人の間で生きればいい。
でも、俺は。
「その時は、ファルスも一緒に、ね?」
「ノーラ、いいかい」
どうして彼女は、そこまで俺に愛着を持つのだろう?
不思議でならない。
「僕は、ノーラが思ってるような、立派な人間じゃない」
「そう?」
「確かに……いろんなことができるし、知ってることも多い。でも、それだけだ」
俺の今の多彩な能力は、そのほとんどが、ただの借り物なのだから。
「本当に素晴らしい人というのは、たまにだけど、確かにいる。でも、それは僕じゃない」
「……うん」
「ノーラは、器用な人じゃないけど、真面目だし、頑張り屋だから、そのうち、どこかで幸せを見つけられる。僕は、その邪魔をしたくないんだ」
「ファルスは邪魔になんかならない」
「ノーラ」
俺の抗議の声にも、彼女は動じていなかった。
「ノーラには、僕がどう見えてるのか知らないけど、僕はそんなに」
「わかってる」
……わかって、いる?
「ファルスは、きっと、そんなに強い人じゃない」
なんだって?
俺の聞き違い、か?
「覚えてるもの。初めて会った日。泣いてたの」
「あ、ああ」
「あれ、嘘でしょ」
「えっ?」
「昔のこと、思い出して泣いてたって」
まだ覚えていたのか。
「嘘、ではないよ」
昔、ではなく、前世のことだが。
「収容所に入る前ね」
ノーラは、俺の見つめる闇に視線を向けながら、話し始めた。
「夢をみたの」
「夢?」
「女神様が出てきた」
「えっ?」
そんな? それはただの夢か? それとも。
初めて聞く話だ。
「だから、この前で、二度目」
「ちょっと待って、なんで、どういうこと?」
「女神様、最初の時に言ってた」
俺と会う前だぞ?
なぜ? ノーラがリンガ村の関係者とは思えない。それとも、彼女の夢枕に立ったのは、別の女神とか?
「これから行くところに、あなたの縁者がいます、あなたは私の娘ではないけれど、どうか私のたった一人の子を、ひとりぼっちにしないでくださいって」
あの真っ白な女神が言いそうなことだ。
だが。
急に苛立ちを感じた。
「じゃあ、なに? ノーラは、女神様に言われたから、僕の傍にいるの?」
「ううん」
彼女は、やっと俺に向き直った。
「自分で決めたの」
「自分で?」
それはいつ? あんな子供のうちに、どうして?
逆なら、まだわかる。物心ついた頃に母親をなくして、実家ではいじめられ。それが、売り飛ばされた先で頼りになりそうな人を見つけたら、縋りたくもなる。
現にノーラは、その境遇を反映した人物に育っている。まともに愛されたことがないから、どうやって笑えばいいのかさえ、ろくに知らない。顔立ちだけはきれいなのに、いつも人形みたいに無表情だ。
それなのに。
俺に関してだけ、彼女は妙に矛盾した振る舞いをする。不気味といってもいいくらいだ。情緒未発達の少女というより、どことなく老人のような……
「私が五歳の時だったかな。ほら、ファルスがお花をくれたでしょ」
「あ、ああ、うん」
「今だから言うけど……私、あれをどうしたと思う?」
どうした、って。
花に使い道なんかない。まさか食べたはずもなし。コップに水を貯めて、窓辺に飾るくらいしかできない。少なくとも、押し花にはしなかった。それは次の年のことだ。
「あのね」
「うん」
「めちゃめちゃに引きちぎって、踏みにじった」
「ええっ!?」
なんで!?
どうして?
俺の顔に浮かぶ表情を見て、彼女は穏やかに微笑んだ。
「だってそうでしょ? 私が三歳の時、お花をくれたのは、母さんだもの。でも、あそこは収容所で、母さんももう死んだ。だから、あれは母さんがくれたんじゃない」
「そ、それはそうだけど」
「私が欲しかったのは、母さんのお花だったの。だから、その真似をして……余計に悲しいことを思い出せるなんて……最初はそう思った」
そう、か。
確かに、言われてみればそうだ。タマリアに、なんとか慰めてやって欲しいと相談されて、俺は短絡的に花を摘んで運んだ。大人なら、悲しみも噛み締めつつ、向けられた好意に微笑むこともできただろう。
だが、当時のノーラはまだ五歳だ。独りよがりな論理に見えるが、それが自然だ。死んだ母親と自分だけが、世界のすべてだったのだ。感じた悲しみがそのまま怒りに繋がっても、なんら不思議ではない。
「母さんがもういないなら、私も生きてても仕方ない。こんな命いらない。こんな世界いらない。そのことを、あれほど強く思ったことはなかった」
「そうだったんだ……」
じゃあ、あの時、俺はノーラを傷つけただけだったのか?
「でも、ね? ふっと、何かおかしいなって、自分で思ったの」
「おかしい?」
「だって、母さんは母さんだもの。どうしたって私より先に死んじゃうはずだった。母さんの母さんも、母さんより早く死んだ。じゃあ、どうして母さんは生きてたの? 自分から死のうとしなかったの?」
それは……
大人の思考でなら、いくらでも答えが出せる。それが自然の摂理だから、寿命だから、まだ欲があるから、義務や責任があるから、他にも人間関係があるから。
だけど、ノーラが感じた何かは、きっともっと別のものだ。
「私は、あんまり頭も良くないし、なかなかいろんなことに気付けないけど、これだけはわかった」
黒い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
「私にもやることがある。母さんがしてくれたように、ファルスを守ろうって、そう思った」
「どうして」
「わかったから。私はもう、恵まれていたんだって。私が見つけたファルスは、優しい人だから」
「そんなことない!」
怒鳴ってどうする。ノーラはまだ子供だ。
自らそう言い聞かせても、なかなか冷静になれない。
「ノーラは知らないんだ。僕がどれだけ殺したか」
人間だけでも十人、いや、もっとだ。
傷つけたというだけなら、更に数多く。
そればかりか、心から俺のことを思ってくれていた人まで、この手に。
「僕は……いい? ノーラ、あの奴隷収容所にいたのはね、自分で自分の親を、二人とも殺したからなんだ」
こうなったら、全部ぶちまけてやる。
「それだけじゃない。こっちに来てからも殺してる。海賊を何人も斬った。ティンティナブリアでは兵士も殺した。ノーラだって見ただろ? グルービーも殺した。それだけじゃない。この街の知り合いならみんな知ってる、僕の……ここでの母親みたいに接してくれた人も、殺した。僕が、殺した」
喉の奥から、ドス黒い痰を垂れ流すかのように。
衝動のままに、俺は吐き出した。
「わかったかい、ノーラ。僕は、殺す。これからも、何人も、何人も殺すんだ。自分のために。これからずっと、傷つけながら生きていくんだ」
だから、俺に近寄ってはいけない。
「これ以上、関わるな」
声を絞り出した。胸いっぱいに息苦しさが満ちる。
ややあって、ノーラは静かに言った。
「うん」
これでいい。幻滅されても、怖がられても、嫌われても。
俺は、一人で旅に出る。すべてを終わらせる場所に行く。だから、俺もまた、ノーラの人生をただ通り過ぎていく。
「やっぱり、思った通りだった」
的外れな言葉に、俺は振り返る。
「ファルス」
彼女は、静かに立ち上がる。
「優しくない人は……そんなにも、苦しみ続けられない」
それだけ言うと、彼女は部屋から出て行ってしまった。
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