指名手配

 灰色の雲の下、色褪せた緑の稜線がいくつも迫りきて、また去っていく。苔むした石柱や、崩れ落ちた石の壁が、ただ沈黙をもって迎えに立つ。先に行くごとに、なにかどこか、人の世界から遠ざかっていくような錯覚にとらわれてしまう。


 この分なら、昼下がりにはコラプトに到着できるだろう。ただ、グルービーが窓際に立ってくれなければ、時間がかかってしまう。別にベランダでなくても、庭を車椅子で移動するのでも構わない。

 一応、野宿できるように、薄めの毛布と多少の保存食は持ち込んである。ただ、手元には金貨もある。時間を要するなら、市内の宿屋でのんびりすればいい。数日間、上空から監視して、チャンスが一回もないなんてことは、さすがにないだろう。


 遠くに緑がかった暗い色の石の塊が見える。あれがコラプトだ。

 藍玉の市の時期はとうに過ぎたというのに、今日も門の前に行列ができている。


 一度、どこかに降りてから向かったほうがいいかもしれない。今の俺は、足の爪に背負い袋を引っかけている。そんな不自然な鳥が普通にいるわけないから、目立ってしまう。これをどこか、物陰においてから、街の上空を散歩といこう。

 コラプトの出入口は、南西と北にあるが、俺はあえて東側に回りこんだ。遺跡の散在する山の中。そこにそっと背負い袋を置く。ここからなら、グルービーの屋敷も割合近い。


 前回、初めてコラプトの空を飛んだ時には、ひどい目に遭った。近くにこの、王国西部とエキセー地方を隔てる山脈があって、そこに野鳥が多数、棲息していたからだ。余所者の鳥だった俺は、地元の鳥達の集中攻撃の対象になった。

 だが、今回はそんな心配は不要だ。今の俺はただの鳥ではない。なにしろこれはデスホーク、立派な魔獣の一種だ。そこらのカラスなんか、逃げていくだろう。


 ところが、翼を広げてグルービーの居館に近付くにつれて、俺は奇妙なことに気付いた。


 鳥が……いない?


 それだけではない。どういうわけか、地上の人々が、俺を指差している。通行人が俺に気付くと、パッと嬉しそうな顔をする。中には、急にいそいそと走り出すのまでいる。

 どういうことだ? 俺、今、ちゃんと鳥、だよな?


 なぜ他の鳥がいないのだろう? 何かの理由で絶滅したとか? まさか、こんな短期間に。

 だいたい、それでは街の人々の表情の理由が説明できない。街の上空を覆っていた野鳥達は、残飯を漁りにきたり、やかましく鳴いたりで、およそ人の役に立つようなものではなかった。なのにどうして、見つけただけで大騒ぎするんだろう? いなくなったらなったで嬉しいくらいだし、一羽くらい飛んでいたって、いいことも悪いこともないのに。


 とにかく。

 目立つのはよくない。

 いったん引き返して、人間の姿で中に……


 ……うわっ!?


 突然の飛来物に、俺は空中で姿勢を崩した。

 なんだ、あれ?

 弓、矢……じゃ、俺を射殺しようと!?


 ハッと気付いて見回す。一人ではなかった。

 あちらこちらから、わらわらと人が寄り集まってくる。みんな輝かんばかりの笑顔を浮かべて、次から次へと矢を浴びせてくる。

 幸い、かなりの高度を飛んでいたのもあって、ここまで届くのは少ない。しかし、こんなもの、かすりでもしたら大惨事だ。翼を傷めたからって降り立ったら、撲殺されそうだ。


 冗談じゃない。

 俺はグルービーの居館に行くのを取りやめて、遺跡のほうへと取って返した。


 なんだったんだ、あれは。

 いや、あれが上空の鳥がいない理由だ。どういうわけか、コラプトの連中は、射撃の快楽に目覚めてしまった。きっと野鳥は全部撃ち落されてしまったか、危険を察して街の上空を避けるようになったのだ。

 だが、そうなると。俺の街への侵入は、少し難しくなる。仕方がない。なるべく見つかりたくはないが、人間の姿で入り込むとしよう。なんといってもあれだけ行列ができているのだ。子供一人くらい、そう目立ちはしない。


 そう思って、荷物を持ってまた街の南側に回りこみ、人間になってから街道に出た。

 ところが、だ。行列は遅々として先に進まない。目の前の商人らしき中年男も、苛立って足踏みしている。


 思い余って、俺は尋ねた。


「あの」

「あん? なんだ?」


 頬のこけた、あまり裕福そうでないその男は、うざったそうにしながらも、こちらに振り向いた。


「あっ、済みません、僕、この近くの村の子供なんですが」

「なんだっつうの」

「どうしてこんなに時間がかかるんですか?」

「ハァ?」


 何言ってるんだこいつ、という顔をしてから、いくぶん落ち着きを取り戻し、声色をやや優しくして、彼は答えてくれた。


「なんか知らねぇけど、今月から市内に入るのに、細けぇ確認があるんだとよ」

「確認?」

「おう。なんでも、名前とか出身地とか、いろいろ書かされるらしいぜ? 列の前の連中が言ってたんだけどよ。あと、入市票なんつうものも持たされるってよ。ないと出られねぇとかなんとか」


 な、なんで?

 なんでこのタイミングで、いきなり?


 これでは、俺が入ったことがバレてしまう。ファルス・リンガ、八歳。黒髪の少年。ピュリスから来た……いや、身分と出身地は詐称してもいいが、外見はごまかせない。

 見た目をごまかす方法がないでもない。例えばこの……目の前の男の肉体をこっそり奪う。殺人だから、やる気はないが、そうすれば誰にも気付かれずに市内に入れる。

 しかし……


「その代わり、入市税は免除なんだとよ」

「税金を払えば、さっと入れるなんてことはないんでしょうか」

「あればとっとと払ってるぜ? これじゃあ、今夜は野宿だ」

「そ、そうですね……」


 とにかく、ここからこのまま入るのは下策だ。


「あ!」

「なんだ、ボウズ」

「ぼ、僕、お使いなのに、お金、忘れてきちゃった! 村に戻りますね!」

「は? うっかりもんだなぁ、お前」


 そう言って、列から走り出た。


 遺跡の影で、一人考える。

 さっきの鳥撃ち、それに入市チェック。これは偶然だろうか?

 いや、そんなはずがない。


 やはり、グルービーは何かを知っている。俺がここに来ることも計画のうち。だから防衛線を張った。

 どういう仕掛けでそうなっているのかわからないが、街の人は鳥を見ると、撃ち殺したくなるらしい。そうなると、空を飛んで中に入るのが難しくなる。この原因がグルービーにあるのなら……


 奴は、俺の秘密を知りかけている。


 能力の全貌は把握できていないにせよ。少なくとも、俺が鳥になれる事実は把握している。

 驚くほどのことでもない。グルービーは精神操作魔術の使い手だ。そして、手元にはノーラがいる。彼女の心を読み取った、或いは意識を混乱させて情報を喋らせたのだとすれば。もともとノーラは、俺の変身能力を知っていたふしがある。仮に彼女の認識が不完全であったにせよ、グルービーほどの知性があれば、そこから事実を再構築するのも難しくはなかっただろう。


 最も対処の難しい、上空からの侵入と攻撃を、まず防いだ。

 ならば、次は街の門だ。人間として入り込むのは防げない。なぜなら、ファルス・リンガはもう奴隷ではない。一般人の身分を持っているのだ。

 しかしそれならば、また違った手がある。街を出入りする人間の記録をすべてとればいい。


 グルービーは、俺が他の人間にもなれることを知っているだろうか?

 或いは、知らないまでも、可能性なら意識しているのかもしれない。


 やりたくはないが、仮に街に入る前から誰かの肉体を奪っておけばどうなるか。その場合、俺は名前だけは言えるが、出身地その他、検問で記入する内容は、デタラメになる。その上、本人が知り合いだった商人や、行き付けの宿とか酒場の人間なんかに見つけられたら、面倒なことになるだろう。

 かといって、中に入ってから、脱出時だけ仕方なく誰かに入れ替わるとしたら? たぶん、入市票の威力が発揮されるのは、この場面だ。入市票の内容はわからないが、番号しか書かれていない可能性がある。さて、ではその紙切れを差し出した時、門番が俺の名前や出身地を尋ねたら?

 名前は殺す前に確認できるが、その他の個人情報については、得られる保証がない。つまり、そこで成り代わったことが見抜かれる……


 どうしよう。

 グルービーは、防衛態勢を整えている。

 この状況で、なおも戦いを挑むべきか?

 やるとしても、やはりピュリスに引き返して……


 ……したいのだが。

 それもできない。


 何もかもが奴の掌の上だ。

 こうなることを見越して、手を打ってきたのだ。


 確かに、俺にはピュリスに引き上げる選択肢がある。イフロースやマオ・フーに説明をして、グルービーが怪しい旨を伝え、助力を乞うのも可能だ。

 だがそれには、セットとなるリスクとコストがある。俺の秘密だ。


 今のところ、今回の事件とグルービーを紐付けるものは、ほとんどない。あるとすれば、ジョイスの証言だけだ。精神操作魔術の影響下にある、混乱した言動を繰り返す少年の。

 ジョイスの神通力を知り、自分の能力を知っている俺であれば、背景の向こう側に立つグルービーのシルエットを捉えることができる。だが、そこから助力を得ようと思ったら、一切を説明しなければならない。


 ならばいっそ、グルービーへの追及はやめる? 知らないフリをして通す? それもできない。

 なぜなら、彼は俺の秘密を知っている。知っているということを、俺に気付かせている。これは意図して情報を漏らしているのだ。

 どう対処するにせよ、せめて口封じはしなければなるまい。だから俺は後に退けないのだ。


 奴は、一人で来いと言っている。

 この防衛線を突破して、自分のところに辿り着いてみせよと。


 俺は、崩れかけた石の壁の向こうに、沈みゆく夕日を見た。

 夜になれば、多少は警戒が薄れるはず。少なくとも狙って矢を当てるなんて、できなくなる。

 それはもちろん、俺のほうも、上空からグルービーを狙い撃ちできなくなることを意味するが、それはもう、諦める。やるとしても、最後の最後だ。


 考えをまとめた。

 とりあえず、街の中に入る。


 奴は、ファルスがいつか来ると予想している。だから、どう足掻いても、遅かれ早かれ、俺の侵入には気付く。もし発見報告がなくても、時間が経てば経つほど、既に俺が潜伏しているであろう可能性を意識する。だから、戦いに時間をかけてはいけない。

 作戦を再構成する必要がある。この際、グルービーをピアシング・ハンドで捕獲するのは、後回しだ。そんなことをしなくても、奴自身には、戦闘力などない。それどころか、自力では走って逃げることさえできまい。唯一恐ろしいのが、高レベルの精神操作魔術ではあるが、どうも俺には効きにくいらしいし、そもそも高度な魔術は、行使に手間がかかる。クレーヴェが火の玉を生み出すのに二十秒もかかるように、俺に効くような精神操作魔術を使おうと思ったら、やっぱり長い時間を要するはずだ。はっきり言って、剣で腕でも叩き斬るほうが、何倍も速い。


 だから、俺はなるべく早く、グルービーの屋敷に忍び込む。そこからは賭けになるが、うまいこと奴の部下を奪い取れれば。

 この肉体の強奪は、殺人についての罪悪感を抜きにしても、言うほど簡単ではない。まず、グルービーの俺の能力に対する認識が「動物になれる」程度のものであるという想定に基づいている。もし、自由自在に肉体を奪って、何者にもなり得ると知れたら。奴は、自分の部下の精神状態を定期的に調査するだろう。チェックできるのが自分だけでは困るなら、部下達には合言葉を使わせる。

 またもし、この条件を満たしているとしても。肉体を奪う瞬間を見られてはいけない。いきなり消えた誰かが歩いている、となったら。当然、騒ぎの原因になる。グルービーがそこから何かを察したり、推測したりすると、厄介だ。

 まだある。肉体を奪う相手は、最終的にグルービーと面会できる立場にないといけない。これが簡単そうで、意外とそうでもない。平時であれば、ただのメイド達も彼の傍にいるだろう。だが、今は非常時なのだ。ゾロゾロと世話係を連れ歩くより、少数精鋭の護衛に囲まれるほうを選ぶと考えたほうが自然だ。

 そうなると、いつグルービーを捕獲するかも、かなり難しくなる。いきなり彼が蛇になったら? 俺の変身能力について、部下達が説明を受けていた場合には、まず襲撃を疑うだろう。この場合、ピアシング・ハンドを発動した俺自身には気付かれなくても、肉体を失って蛇になったグルービーのほうが、俺と間違われて殺されかねない。説明がなかったら? 混乱はするだろうが、蛇についてはどう対処するか、想像がつかなくなる。やはりいきなり殺してしまうかもしれない。その場合、奴は抹殺できても、情報源を失う。


 要するに。

 奴と一対一になれる場面を作る。これが勝利条件だ。


 ……だが。

 なぜなんだろう。


 一年前の彼は、やたらと友好的に見えた。もちろん、俺の秘密を欲していたし、そのために誘惑もすれば、プレッシャーもかけてきた。だが、俺が要求をはっきり拒絶しても、それを責めるような素振りは一切なかった。

 なのに今になってどうして、わざわざ俺を敵にまわそうと思ったのだろうか。


 考えてもわからない。

 だから、そのためにも戦う。


 夜の帳が下りた。


 俺はまた鳥の肉体に乗り換えた。荷物一式を持って、そっと浮かび上がる。

 街を囲う城壁の上では、一定間隔で篝火が灯され、兵士達が寝ずの番をしている。それでも、彼らの視界の遥か上を滑空すれば、気付かれることはない。

 そして、市内に降り立つ。人気の少ない、北側の広場だ。市が立つ時には、ここの近くの仮設倉庫に商品が詰め込まれる。


 降りたら、すぐに人間になる。この暗さだし、ちゃんと視認できる人間がいるわけもない。いたとしても、それはもう、一般人ではあるまい。最悪、グルービーの部下に見つかる可能性も覚悟しての潜入だ。

 全裸で放り出され、俺は寒さに震えながら、背負い袋から衣服を取り出して身に纏った。


 その時、少し離れた場所で、悲鳴のようなものが聞こえた。続いて、木の棒で石畳を打つような音も。

 なんだ?


 何があったのか知ろうとして、俺は広場のほうに走り出た。するとそこには、袋叩きにされる犬と、木の棒を持った四人の少年がいた。

 いきなりの動物虐待。思わず声をかけてしまった。


「おい! 何をしているんだ!」


 俺の声に、少年達はゆっくりと振り向いた。


「は? お前、なに?」

「横取りしようっての?」


 噛み合ってない?

 前からこの街には野犬がいた。だが、住人達は、いちいち殺そうとなんてしなかったはずだ。


「そうじゃなくて、何を」

「あ、逃げる! 待て、この!」


 ゴッ、と音がした。犬の頭が横に吹き飛ぶ。足をもつれさせながら、犬は逃げ道を探してウロウロするが、その背中に容赦なく、他の棒が降ってくる。


「お、おい!」


 俺も、動物を随分殺した。だから、残酷だなんて言う資格はない。ないが、必要もないのに暴力を振るったことは、一度もない。


「面白半分なら、やめろ!」

「なにボケてんだ、お前」

「あー、分け前欲しいんだろ、いーよいーよ、混ぜてやろうぜ」

「ほら、トドメさせよ」


 何を言ってる? 分け前?

 犬を殺せば、金がもらえるのか?

 じゃあ、もしかして、さっきの、鳥を狙ったのも……


「あ? あれ、こいつ」

「なんだ、コーザ」

「髪の毛、黒くね?」


 えっ?


「おい……マジかよ」

「お前、名前、なんてんだ?」


 何か、雲行きが怪しい。


「ぼ、僕の、名前? ウィ、ウィスト……」

「ウソだ!」

「こいつ、ファルスだ! そうだろ!」


 まずい!


「捕まえ……ぎっ!?」


 済まない。

 子供に使っていい威力じゃないのはわかっているが。咄嗟に『行動阻害』の呪文で、俺の肩を掴んだ腕を痺れさせた。


「なんだ、こいつ、逃げるぞ!」

「待て! ……犬なんかほっとけ! 金貨千枚だぞ!」


 金貨千枚!?

 なんだ、なんなんだそれは!


 しょうがない!


「ぐえ!?」

「がっ!」

「ぎっひいぃ!」


 あああ、くそ、くそっ!

 原因不明の激痛で歩けなくなりました、黒髪の少年を追いかけていました……

 そんな情報がグルービーに伝わったら。


 落ち着け。捕まるよりはマシだ。

 八歳児のこの体では、彼らから逃げ切るのは無理だ。やるしかなかった。


 走って、走って、距離をとって。

 街の中央の広場まで来た。市庁舎に面した、あの例の鉱夫達と塩について話をした場所だ。


 さすがにこの時間だ。一部の酒場は営業していて、客もポツポツ入ってはいるが、人気は少ない。

 やっと一息ついて、今夜はどこで休もうかと、周囲を見回す。


 そこで目に付いた。

 以前、この街を訪れた際にはなかったもの。

 掲示板だ。


 荷物からランタンを取り出し、火を点す。

 何が書いてあるのか、どうにも気になったのだ。

 すると……


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

『市内の衛生環境を向上させましょう!』

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 コラプト市民の皆様、お元気ですか?

 グルービー商会は、この街に拠点をおく薬品商としての社会的責任を果たすため、皆様にご提案させていただきたいことがございます。


 まず、皆様はご存知でしょうか?

 人命に関わる病気の多くについて、実は同じ生活空間に暮らす動物からの感染が少なくないのです。


 たとえば、よく知られる黒死病は、ネズミ由来の病気ですね!

 街の中の野犬も安全とは言えません。

 人を噛むことがありますし、そこから狂犬病になる危険性もあります。

 鳥についても、油断はできません。

 鳩のフンからも、様々な病気が生じ得ます。


 グルービー商会としては、これらの有害動物の駆除をご提案したいと思います。

 ただ、そのためには手間も労力もかかります。

 当商会の人手だけでは、とても足りません。


 そこで、市民の皆様にご協力をお願いしたいと考えております。

 無償ではございません。

 犬一匹につき金貨五十枚。

 鳥も同様です。

 ネズミについては、一匹金貨十枚で、死骸を引き取ります。

 受け取った動物の死骸は、すべて責任もって焼却処分させていただきます。


 病気は治療より予防の方が重要です。

 皆様のご理解、ご協力を切にお願い致します。


 詳細はグルービー商会の窓口までお問い合わせください。

 住所は……


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『旅行者への注意喚起:滞在ルールの変更』

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 コラプト市へようこそ!

 商業目的の旅行者、冒険者、冬季の一時労働者の皆様へ。


 女神暦九百九十三年縞瑪瑙の月より、市内の滞在ルールが変更されました。


 既に入市時点でご説明させていただいておりますが、旅行者の市内滞在におきましては、入市票の携帯が必須となります。

 残念ながら、近年、治安の悪化が叫ばれている状況で、入市者の身元確認が必須との意見が多くなったため、試験的に本制度を導入したものです。


 入市票は常時携帯してください。

 本市の自警団が提示を要求した場合には、必ず見せるようにしてください。

 また、宿屋に泊まる際には、必ず提出してください。

 本市の宿泊業者は、入市票の記録を提出する義務があります。


 入市票は本市を出る際に回収させていただきます。

 またその際、簡単なご本人確認をさせていただく場合がございます。


 煩雑な手続きでご迷惑をおかけしますが、何卒ご協力のほど、宜しくお願い致します。


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『家出少年を探しています』

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 ピュリス在住の親戚の子供が家出をしたため、ただいま身元を捜しています。

 以下、特徴を述べますので、発見の際には、なるべく早くご報告ください。


 名前:ファルス・リンガ

 性別:男性

 年齢:八歳

 外見:黒髪の少年、フォレス人とハンファン人のハーフ


 家出中ということもあり、正直に名前を告げない可能性もあります。

 また、武術を習っていて、大人でも油断できない腕前だと聞いています。

 強引に逃げ出そうとする可能性もありますので、ご注意ください。


 もし見つけたら、可能であれば、連絡先まで連れてきてください。

 その場合の報酬は、金貨千枚です。

 発見報告だけでも、お礼はさせていただきます。


 連絡先:スィ・ヴィート

 住所……


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 掲示板を照らす橙色の光が、小刻みに揺れていた。


 完全にマークされている。

 グルービーはどこまで察している?

 俺が動物になれることを知っているのはもう、確実だ。しかし、この駆除命令は。動物に紛れて潜伏するのを恐れているのか、それとも、俺が奪う可能性のある肉体を排除しているのか、どちらだ?

 入市票も厄介だ。無理やり忍び込んだ以上、俺はそんなもの、持ち合わせていない。となると、金があっても、宿屋に入れない。野宿は目立つだろう。表玄関から市外に出るのも不可能だ。いったん外に出て、入市票をもらうのは可能だろうが、そうなるとほぼ確実に、グルービーに見つかる。

 しかも、だ。スィの名前を使って、俺を指名手配しやがった。金貨千枚! 三年は遊んで暮らせる。目の色を変えて追いかけてくるわけだ。

 当面は髪の毛を隠して行動する? それもいいが、長続きする対策ではない。


 進むも退くもならない状況。

 それはかすかに鳴り響く遠雷のように、俺の心を強張らせた。

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