クローマーの予言
澄み切った青空に、おぞましい穢れが一点。その黒い影は、音もなく目の前に降り立った。
薄暗く狭い路地。どちらかというと、こちらのほうが、この女には相応しい背景だ。
「今回もいろいろやってくれたな」
剣を引き抜きながら、俺は油断なく周囲を警戒する。
何しろクローマーだ。神通力で手下を用意していてもおかしくない。
「だとしたら、なんだ? お前はどうしたい?」
「手足を二、三本もらう。それと、洗いざらい喋ってもらう」
「はっははは」
乾いた笑い。
そんな都合のいい話があるか、と馬鹿にして笑い飛ばす、あの感じだ。
「口を割るわけないだろう? なあ」
「さあ、そこはなんとでもするさ」
捕まえてしまえば。あとはジョイスが回復すれば。
能力が高くて心を読む妨げになるというのなら、一日一回、俺が少しずつこいつの努力を吸い出してやる。そのうち、何もかもがガラス張りになる。
「それより、随分、フレンドリーになったな」
初めて会った時には、とにかく無機質な女だという印象だった。だが、今、こうして向かい合ってみると、また違った印象がある。
何か、うまく説明できないが……それこそ、おいしいものを食べているような、とでも言おうか……
とにかく。何かの感情が見て取れる。それがどんなものかは、よくわからないが。
「わかるか?」
軽口でも叩きそうな様子で、彼女は応じた。
「楽しいことがあると、自然と他人にも優しくなれるものだ」
およそこいつらしくない言葉。もちろん、そこにはたっぷりと悪意が滲んでいる。
「楽しいっていうのは、あれか」
こいつ以外、誰がいるっていうんだ。
「ジョイスをぶちのめしたことか」
「ジョイス?」
俺の質問に、彼女は眉を寄せた。
「金髪の、サルみたいな子供を、後ろから襲ったな?」
「なんのことだ?」
とぼけている?
いや……
「ふふふふ」
俺の反応を見て、こいつはまた、笑い出した。
「私は知らないが、お前の知り合いがまた一人、傷ついた、というところか。サービス精神旺盛だな、ファルス」
この野郎。
思わず剣を握る指に力が入る。
俺と俺の知人の不幸を心から喜んでやがる。
「それで? わざわざここに出てきたってことは……殺しにきたのか」
「いいや? それはなしになった」
なし? なしになった?
変な言い方だ。さっきまで殺す気だったように聞こえる。だがそれなら、やめる理由があるか?
「お前のことが気に入ったんだ、ファルス」
妙だ。態度も、言動も。
前回には見せなかった、情欲の炎のようなものが、彼女の目の中で燃え上がっている。
「仲間にならないか?」
「は?」
「仲間になれと言っている」
「人を殺しすぎて、気がおかしくなったか?」
どういうつもりだ?
これはもう、斬りかかったほうがいいのか? もしかしたら、これは神通力の……いや。
なんとなくだが、そんな感じはしない。
「ふふっ……仕事の一部とはいえ、たまにはお楽しみもあるものでな」
そう言いながら、彼女は自分の体に指を這わせた。体にぴったり張り付くタイプの黒衣だ。よく引き締まって無駄のない肢体が、艶かしく揺らめく。
「つい昨夜、愛し合ったばかりだったのに……くくっ」
「それは誰の」
言いかけて、すぐに気付いた。
「タロンか」
「なかなかいい体をしていたよ、あの男は」
別に純愛でもなければ、遊びでもないだろう。
暗殺でも何でもやらかす秘密結社のメンバーだ。となれば、タロンを篭絡するために?
「我々の組織は、必要に応じて協力者を募っていてな。友好的な人物には、それなりの接待もする」
「意外と柔軟なんだな」
「そうとも。でなければ、我々とて生き延びてはいけないからな」
「じゃ、お願いしますって言ったら、脱いでくれるのか?」
「むしろ、こっちから頼みたいくらいだ」
「はっ、冗談だろう? オバさんなんか、願い下げだ。本当にろくでもないな、『パッシャ』ってのは」
俺の憎まれ口に、一瞬、沈黙したクローマーだったが、すぐにまた、余裕の笑みを取り戻した。
「さっきの戦いは、なかなか見物だったよ」
「まさか恋人の敵討ちをしたいんじゃないだろうな」
「とんでもない。なぁ、ファルス」
声色がやたらと蠱惑的になった。
まるで欲情した女みたいに。
「私にはわかる。タロンは、たくさん殺したいい男だった。いい男は、死ぬ瞬間もたまらない。逆にどんなにたくましい体をしていても、それがない男はつまらない」
……こいつ。
わかってはいたけど、やっぱりイカレてる。
「唯一、残念だったのは、トドメを刺したのがお前じゃなかったことだ。あんなデクの棒なんかに……だが、わかる、わかるぞ、ファルス」
「な、なにが」
「お前は、あんなものじゃない。あの時、気付いた。タロン程度の、つまらない男じゃない、もう、匂いが違う」
一瞬、ゾッとさせられる何かが背筋を通った。
「お前は、お前はな……殺すぞ、もっともっと、数え切れないくらい、人を殺す。私には、それがわかる」
「馬鹿な。勝手なことを言うな! 身を守るために戦いはする、でも、それだけだ」
「いいや、いいや? お前は、お前は! きっとそうなる、そんな気がする!」
声が上擦っている。
目を見開いて。
片方の手は秘所をまさぐり、もう片方の手は自らの乳房を揉みしだき。
殺戮そのものに興奮するようになった女、か。というより、それ以外に感情のトリガーとなるものがない。
ごく幼い頃にパッシャに引き取られ、まさしく任務に相応しい人物に育てられた、その結果だ。
「そうはならない」
俺は努めて静かな声で応えた。
「パッシャの協力者にもならない」
どうする? 戦うか?
いや、まだだ。
考えようによっては、今はチャンスだ。前回は、それこそ任務遂行のためのロボットみたいだった奴が、今回は感情を曝け出している。
ついさっきも、重要な情報を漏らした。パッシャのメンバーがタロンと繋がっていた。これだけでも、持ち帰る値打ちのある事実だ。
「そう言うと思ってな」
彼女は、顔の下半分を覆っていたスカーフをずらした。
頬には、俺がつけた傷跡が微かに残っている。
「タロンには、『個人的なお願い』をした」
「じゃあ、殺せというのは」
「そうだ。依頼主……というより、計画をたてた人物は、お前の殺害など、望んではいなかった。組織としても、そんな命令は下していない。だが、せっかくの機会だからな。タロンはあれでなかなか優秀な人物でもあり、組織としても引き入れる値打ちのある男だと考えていたから……もののついでで、少しだけ、勝手なことをした」
読めてきた。同時に、わからないことも増えたが。
タロンは、誰かの命令で動いていた。そして何れにせよ、俺を殺せとは言われていなかった。しかし、そこにクローマーが割り込み、職権を濫用した。パッシャの一員としての『接待』のついでに、『魅了』の力を使ったのだ。
組織としてはそんな命令をしていない。つまり、俺を殺せとは言われていないし、計画を主導した人物も俺の殺害を希望していなかった。だが、彼女は俺を殺したかった。といって、自分で手を下せば、勝手な行動をとった責任を追及される。そこでタロンだ。誰かの配下が力余って俺を殺しても、彼女のせいにはならない。
わからないのは、依頼主とか、計画立案者とか、その辺だ。
パッシャが誰かから依頼を請け負ったのはわかる。だが、彼らは計画を主導してはいない。だがそうなると……依頼主と、今回のピュリス襲撃計画の黒幕とが、まるで違う人であるかのような口ぶりだ。
「気が狂ってるな」
どう対処したものだろう?
こいつを倒して監禁できれば、あとはジョイスを使えば、情報は抜き取れる。だが、勝てるだろうか?
ピアシング・ハンドが使えない今。俺の最大の切り札は身体強化薬だ。しかし、その手はもう、こいつも知っている。この状況で、リスクを冒すべきか?
「傷つけられた仕返しに殺したいのか? それとも、子供に欲情してるのか?」
「両方だ」
悪びれもせず。当たり前のように彼女は答えた。
「自分の正気を一度、疑ったらどうだ。何なら、女神教でもセリパス教でもいい。聖職者を紹介してやる」
「ふふふ」
また笑う。
俺の言葉がそんなにおかしいか。
「私こそ正気だ。お前もそのうち、正気になる」
「じゃ、今は狂ってるとでも」
「そこまでは言わないが、ひどく寝惚けているようだな」
こいつの論理はいったい、どうなっているんだ。
もう、まともな人間の感情が残ってないのか?
「理解できない。知ってるぞ。子供の頃、奴隷として売り飛ばされたんだってな」
俺の一言に、彼女の表情が消えた。
「子供の頃は、普通の人間だったんだろう? なのに、どうしてこうなった」
一瞬、怒りにも似た表情をみせたが、すぐにまた、落ち着いた。
「だからこそ、だとは思わないか」
「なに」
「お前のことも知っている。生まれてすぐに奴隷になったんだろう? どうだった」
「どうって」
「理不尽だろう? 自分が何をしたわけでもないのに、ただ痛めつけられる。服従させられる。どうだ? どんな気分だった?」
俺は。
確かに、リンガ村では、ひどい生活をしていた。だが、俺には僅かながらの幸運があった。ミルークが拾ってくれたから、今がある。
それでも。目が覚めたら奴隷だったなんて、当初は受け入れられなかった。
「組織に迎え入れられて……最初は愕然としたものだ。厳しい訓練で、他の子供達は次々死んでいく。だが、そこで気付いた」
「何に」
「おかしいと思わないか? この世界が私を拒んだから、奴隷になり、組織にいる。そして組織は、この世界に復讐するために存在している」
「復讐?」
「なら、私はそこでこそ、全力を尽くすべきではないか。組織は、その手段を与えようとしてくれているのだ。それがわからない馬鹿な子供達は死に、理解した私は、こうして生きている。生きて……」
穏やかな狂気の笑みを浮かべ、彼女は言った。
「今日も、愛と憎しみを同時にこの世界に振りまいている。これが正気というものだろう?」
「そんな馬鹿な!」
「礼を言うぞ、ファルス。お前のつけたこの傷跡。鏡を見るたび、お前がいとおしくなる」
ああ、わかった。
虎が噛み殺した獲物の横に寝そべって喉を鳴らすように。
こいつも、愛と憎悪とが不可分なところにあるのだ。
「お前が私達のところにくるのを、楽しみにしているぞ」
そう言うと、クローマーは背を向けようとした。
「待て!」
「まだ用があるのか?」
「お前を逃がせば」
「心配するな」
スカーフを引っ張り上げて口元を覆うと、彼女は言った。
「今日のところは、私の仕事はもう、終わりだ。あとは見届けて、報告するだけだ」
「だからって、そんなことで逃がすと思っているのか」
「ふっ」
だが、クローマーには、なお余裕があった。
「相手をしてやってもいいが……これ以上、時間を無駄にしないほうがいいぞ」
「なに?」
「もう死んでるかもな?」
「なっ……! 誰が」
「さあな? だが、私にとって、復讐以上にそそるものはない……たとえそれが、的外れな代物であったとしてもな」
彼女は、わざとらしく官邸のほうをちらと見やると、それとは反対方向に向かって走り出していった。
「あっ! ……ま、待……」
いや、どうする?
クローマーを……だめだ。
戦うならともかく、追跡となると、今の俺では分が悪い。鳥にもなれないし、ピアシング・ハンドも使えない。一方、クローマーには水泳や軽業の技術がある。その上、大人と子供の身体能力の差もあるのでは、到底、追いつけまい。
それなら。
もしかしたら逃げる方便かもしれない。だが、そんな気がしない。
本当に何か、好ましくない事態が今、起きようとしているのなら……
俺は意を決して、官邸へと走り出した。
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