息の詰まる一時間

「ようこそおいでくださいました」


 出迎えの執事が、恭しく頭を下げる。サフィスはそれに返事もしない。

 辺りは静まり返っていた。夕日が差し始める前の、薄暗さを感じ始める時間帯。なんとも微妙な時刻指定だ。


 昼食と、昼下がりのお茶の時間、夕食を、それぞれ会合の時刻とするのが一般的な貴族達。もちろん、面会する相手が多い王子など、特に身分が高い人物であれば、その昼下がりの時間を二つに分割して対応することもある。その意味では、今日の相手もそれくらい多忙であっても不思議ではないのだが、しかし、それにしてもあまりに遅すぎる。これでは、顔を出しても一時間と経たずに帰ることになる。


 出迎えの執事は、顔もあげず、しずしずと音も立てずに歩く。サフィスを先頭に、俺達もそれに従って歩く。

 これまた異例だ。本来、フォレス人貴族の訪問というものは、道草を食いながら雑談をするものだからだ。できればまず庭、そうでなくても建物や調度品についての褒め言葉から始まり、情報交換をしながら会合に備える。

 だが、今回はお互い、一言もない。


 それもそうだ。

 今回、顔を出す相手とは、非常に険悪な関係にある。それでも付き合いを切れないのが、貴族のつらいところなのだ。


 それにしても、建物は素晴らしい。貴族の壁の内側はほぼすべて王家の賃貸物件だが、この広さはどうしたことか。何しろ、地上一階に中庭がある。こんな贅沢な土地の使い方ができるなんて、相当な財力がなければ不可能だ。

 引っ掛かりを覚えるのは、その中庭のデザインだ。北側に奇石を組み合わせて並べているが、これは恐らく、自分の領地を示しているのだろう。そこからなだらかな斜面が広がり、東側についてはやがて小ぶりな低木の茂みに置き換わる。だが、西側は。

 西側には、水溜りがある。つまり、山の上の湖だ。

 この山上の湖、西岸は王家の所有地となっている。そこは保養地でもあり、別荘がたくさんある。東岸は貴族側の領土だ。

 中庭のミニ領地俯瞰図。支配地以外はザックリと省略され、何も描写されていない。なのに、この湖だけは、東岸も西岸も、しっかり作られている。まぁ、湖を半分だけ作るなんて不可能だから、どうしてもこうなってしまうのかもしれないが、どうにも俺には、これが何かの主張のように感じられてならない。


「こちらでございます」


 抑揚のない声で、執事がそう言う。


 古代ギリシャの神殿か何かを思わせるような、巨大な石柱が立ち並ぶ東屋だ。上から見下ろすと、鍵穴とか、前方後円墳みたいな形になっている。入口は四角いほうで、円に向かって歩いていく。左右には美しく装飾されたプランターがあり、そこに色とりどりの花々が咲き乱れている。この時間帯だからだが、差し込む西日が石柱から長い影を伸ばしていて、なかなか雰囲気がある。

 そして、その突き当たり。扇形の壁に、仰々しい、青い旗が下げられている。描かれているのは、一族の紋章だ。

 それを背に腰掛けている人物。それが、フォルンノルド……つまり、現フォンケーノ侯爵その人だ。


 サフィスは苦々しげな表情を隠しもせず、口先だけは恭しく、挨拶した。


「お久しぶりでございます」


 それまでこちらに視線も向けず、傲岸な態度を示し続けていた侯爵は、それで少し、動きを見せた。


「大儀であった」


 低い声で、それだけ。

 物言いが完全に上から目線だ。しかも、声色には労わりも好意も何もない。


 サフィスよりたった十歳ほど上という若さなのに、フォンケーノ侯は、やけに老け込んでいるように見えた。鷲を思わせる風貌。色の薄くなった髪は、オールバックにまとめられている。眼窩は暗く落ち窪んでいるが、その奥から鋭い光が垣間見える。

 四大貴族の筆頭に相応しい迫力だ。有無を言わせぬ威圧感が、この場の沈黙を作り出しているのだ。


 その侯爵の左右に二人ずつ、寄り添う影のように若い男が座っている。彼ら四人が一斉に立ち上がった。


「ようこそおいでくださいました」


 礼儀にかなった言葉を発したのは、左側に立つ男だった。一番年嵩の、嫡男だ。

 ここに座っているのは全員、侯爵の子供達。長男から四男まで。男子に恵まれた一方、娘は一人もいない。


「おかけください」


 サフィスとエレイアラのために椅子が運び込まれ、二人はその場に腰掛ける。それ以外の人間は、全員立ったままだ。俺やナギアはもちろんのこと、リリアーナまで。


 この待遇。馬鹿でもわかる。俺達は歓迎されていない。

 一方のサフィスにしても、顔など出したくなかったのだ。だが、仕方がない。


 フォンケーノ侯爵家とは、本家と分家の関係だ。分家であるトヴィーティ子爵家は、長らく侯爵家の干渉を受けながら存続していた。侯爵家は、国内でも最大級の領地を抱える大貴族として、王家の支配を半ば受け付けず、自主独立の道を歩もうとしている。子爵家は、そんな主家の衛星のような存在だったのだ。

 だが、先代のフィルは、その繋がりに見切りをつけた。中央集権化を進めようとする王家とは相容れない関係性であるし、何より、このままでは子爵家に発展の可能性など残らない。本当に困窮した時、ごく僅かな援助が与えられるかもしれない、といった程度の期待しかできない本家など、アテにすべきではなかった。

 だから、現在、太子派にべったり擦り寄って、ピュリス総督の地位を得たトヴィーティ子爵家は、フォンケーノ侯からすれば、半ば裏切り者のような存在だ。一方、子爵の側からしても、侯爵は目障りな存在だ。いつも尊大な態度をとり、何かと子爵家の自由を制限しようとする。

 それでも血族だから、表向きは仲良くする。他の貴族達に弱みを見せたくないし、互いに外聞ばかりを気にしているから、こういう中身のない会合を持つわけだ。


「……今更、あれこれ言いたくもないのだが」


 低い声で、侯爵は、呟くように話し出す。だが、場の沈黙のせいで、はっきり聞き取れてしまう。


「お前が身の程を弁えねば、我らが恥をかく。わからぬか?」

「何のことでしょうか?」

「あの港町で繰り返し起きている不祥事を、余が知らぬとでも?」


 俺が知っているだけでも、令嬢誘拐事件、クローマーの暗躍、それに黒い矢。致命的なトラブルが何度も発生している。たった二年で、何度も安全を脅かされているのだ。


「もともと街に巣食っていた問題を炙り出した結果ですね」

「たわけが」


 侯爵は、吐き捨てた。


「フィルが総督であった頃に、そんな事件が起きたか。一度としてないわ。では、なぜ今、これだけ問題が起きるのだ。説明できるか」

「微妙な時期だからでしょう」


 不快感を押し殺しながら、サフィスは平静を装って答えた。


「陛下もご高齢になられて、今は何かと騒がしい時期です。それゆえに、道に外れた行いをする者も出てくるのでしょう」

「そんな理由でつけこまれるようでは、所詮、その程度ということよ」


 侯爵は、サフィスを睨みつけながら、まるで相手を呪うかのような声で続けた。


「要するに、侮られておるのだ。これ以上、恥をさらす前に、引き返すがいい」

「何をおっしゃいますか。王家への忠誠をまっとうせず、どこへ行けと?」

「勘違いするな」


 冷え冷えする声に、溶岩のような熱が隠されている。フォンケーノ侯の不快感も、相当なものらしい。


「エンバイオ家は独立した貴族だ。それが王家に協力しているだけではないか。忠誠だと? 契約を果たすだけのことよ! いつから貴様らは家訓を忘れ、ただの偶像などに尻尾を振るようになった?」

「なんということを」


 さすがにサフィスも、この暴言には顔を青ざめさせる。忠誠など不要だ、というのは、さすがに言い過ぎだ。

 だが、侯爵は止まらなかった。


「そんなに官僚になりたいのなら、爵位は返上せよ」

「なにを」

「総督の地位に縋りつきたければ、所領は本家に返せ。その上で、年金貴族にでもしてもらえばよかろう」

「そんな、ご無体な」


 順序が滅茶苦茶なのは、俺でもわかる。

 所領を差し出すから年金貴族になれるのだ。もちろん、それなしで貴族の称号を与えられる場合もあるが、その際の爵位は大抵男爵で、しかも一代貴族であることが多い。そんなもの、サフィスが我慢できる条件ではない。


「お前は、自由に行き先を選べると思っているのかもしれんがな……お前の失態は、エンバイオ家の恥辱よ。それだけは忘れるな」


 それだけ言うと、侯爵は椅子から立ち上がった。

 そして、さっさと裏側に引っ込んでしまう。


 あまりといえば、あんまりだ。

 サフィスは口をあんぐり開けて、それを見送るしかできなかった。


「サフィス様」


 声をかけてきたのは、長男のエルゲンナームだ。

 侯爵をそのまま若くしたような顔立ちをしている。


「客室を用意してございます。そちらでお寛ぎを」


 そう言われ、サフィスとエレイアラは立ち上がる。だが、先導するのはエルゲンナーム自身ではない。彼もまた、積極的に子爵一家をもてなすつもりはないのだ。


 使用人に送られて、ただ時間を潰すためだけの部屋に入る。小さな窓と、割合質素な内装。それに、僅かばかりの茶菓子。

 勢いよく椅子に腰掛けたサフィスは、一度溜息をつくと、落ち着きなく指先をテーブルの上に叩きつけ始めた。

 その彼の苛立ちを、エレイアラもイフロースも、醒めた目で見ている。初めからこういう扱いをされるとわかっていたではないか。だが、今回に限っては、その不快感も理解できなくはない。


 しばらく経ってから、ドアをノックする音。

 最初の訪問者がやってきた。


「先程は失礼しました」


 次男のグディオだ。

 どことなく小物臭の漂う、丸顔の男だ。ここへはこっそり顔を出しにきたのか、どことなく落ち着きがない。


「所領を取り上げるなど、父にもできるわけがありません。今となってはトヴィーティ子爵家は、れっきとした貴族なのですから」

「お気遣い、ありがとうございます。もっとも、それとて多くの支えがあってのことですから」


 なんとか作り笑いを浮かべて、サフィスは対応する。

 後ろでイフロースが静かに目を光らせている。彼の言動にどんな意味があるか。それを見極めようとしているのだ。


 グディオは次男だ。従って、侯爵家を継ぐことはない。長子のエルゲンナームに何かあれば別だが。

 しかし、長い目で見れば、まだ完全にチャンスが失われたわけでもない。なぜなら、現在二十四歳のエルゲンナームには娘が二人、いるばかり。一方、二つ年下のグディオには、大事な大事な男児が一人。

 この状況は、好機でもあり、重石でもある。今、長男が死ねば、自動的に彼が後継者となる。そうでなくても、長男に男児が生まれないままであれば、やがてその椅子は彼にまわってくる。だが、だからこそ、侯爵家としてはグディオを手放せない。

 そのせいで、年齢を重ねた今でも、グディオには、これといった実務経験がない。官職を得る道に進めず、飼い殺しにされているのだ。何かあれば兄のスペアとして、一家を継がねばならない人物が、中途半端な職務を授かったりして、王家から首輪をつけられては都合が悪いためだ。

 兄が男子を残さず死ねば、世界でも屈指の大貴族に。さもなくば一生部屋住み、爵位なしの一代貴族。まさに運次第で、天と地の差だ。


 しかし、それはグディオ自身にとってはどうか。

 これといった地位も得られず、仕事らしい仕事もさせてもらえず。これでもし、兄が男児を授かりでもしたら、それでもう、人生が終わってしまう。そんなのは我慢なるまい。


「今と昔とでは、時代が違います。私は、王家への忠誠こそ、貴族の第一の義務と考えています」

「まさしく、グディオ殿はよくおわかりですね」

「いや、恥ずかしくも歯痒いことに、その義務を果たせずにいることが、日々の心の痛みなのです」

「左様ですか。いや、まったく不憫というしかありません」


 そこでイフロースが目配せをした。

 それに対し、一瞬、サフィスは不快そうな表情を浮かべたが、すぐにそれを抑えた。

 はて?


「ですが、そのうちに道が拓ける事もあるでしょう」

「そうでしょうか。であればいいのですが」


 グディオの発言を遮るように、サフィスは言葉を継いだ。


「今は難しい時期かと存じます。当面のところは、のびのびなさっては」

「しかし」

「私としても、グディオ殿を頼りにしているのです。さりながら、今は」


 グディオの目に、うっすらと失望が浮かぶ。


「……わかりました。ですが、私の志はお忘れなきよう」

「もちろんですとも」

「今日のところは、これで」


 なんとか落ち着きを保ったまま、彼は部屋を後にした。


 これでわかった。

 グディオは、サフィスを通して、太子派に加わりたかったのだ。だが、それをイフロースが止めた。

 なぜか?


 グディオには、今、これといった能力も使い道もないためだ。彼には突出した能力もないし、人脈も、財産も、官位もない。一方、彼を引き込むことで起きる面倒ごとならば、はっきりしている。侯爵はサフィスを目の敵にするだろう。

 侯爵家と明確に敵対するわけにはいかない。現在、立場を保留している侯爵だが、もし自身の独立性が脅かされるとなれば、いっそ長子派に身を投じる可能性だって、ないとは言えないのだ。

 そもそもの話、エルゲンナームはまだ二十四歳。男児を授かる可能性は、充分にある。ここでグディオに賭けるのは、あまりにリスクが大きすぎるのだ。


 最初の訪問者が部屋を去ってしばらく。

 またドアをノックする音がした。


「サフィス様、こうしてお話できる日を待ちかねておりました」


 明るい声でそう話すのは、四男のシシュタルヴィンだ。まだ十六歳、明るい色の髪、整った目鼻立ちには、少年らしさがまだ滲んでいた。とはいえ、そこは大貴族の息子らしく、どことなく狡賢そうな雰囲気も漂っているのだが。

 その横には、三男のドメイドも座っている。こちらは対照的に、肥満した男だ。グディオの背を低くして、肉の量を倍くらいにした感じといえば、わかりやすいか。活発に話す弟と違い、彼はほとんど黙ったまま。いったい何しにきたんだ。


「せっかくしばらくぶりにお越しいただいたのに、あの対応、父に代わってお詫び申し上げたく」

「いえいえ、そのお気持ちだけで、充分ありがたいですよ」


 シシュタルヴィンはメイドの手を借りることなく、自ら茶を淹れ、茶菓子を差し出した。そして、休みなく話し続ける。


「ピュリスでは最近、不幸が続いていますね」

「私が至らないばかりに、あの通りです」

「とんでもない! 誰がやっても難しいお仕事ですよ!」

「それでも、役目はしっかり果たさねばなりませんから」


 ふむ?

 シシュタルヴィンの言動が少し引っかかった。

 さっきから、やたらとサフィスを褒めちぎっている。成功は賞賛し、失態も状況のせいにする。そのせいか、なんとなくサフィスの機嫌もよくなってきているような気もする。


 だが、彼にとってのメリットはなんだ? グディオと違い、彼ら二人は、今のところ、スペアとしての重要性は低い。従って、王都で官職を得る道も閉ざされてはいない。

 ということは、グディオと同じか? 何か仕事を斡旋して欲しいのだろうか?

 しかし……


 まず、三男のドメイド。こちらについては、どうもそんな風には見えない。

 というのも、ピアシング・ハンドを通して見える能力が、あまりに低すぎる。ということは、スキルを伸ばす努力をしてこなかったのだ。それに今、この場の会話にもろくに参加できていないし、実際、コミュニケーション能力も低いのだろう。そんな人間が、積極的に働こうなどと思うだろうか? 貴族であれば、食い扶持だけなら困らないのだ。


 彼より四つ年下の四男のシシュタルヴィンはというと、これは外見に比例してか、かなり有能に見える。剣術、弓術、それに風魔術や土魔術まで習得し始めている。しかし、彼はまだ十六歳だ。今回、たまたま即位二十周年記念の式典のために王都にいるものの、恐らく今も、帝都パドマの学園に通っているはずだ。職務を授かるとすれば、あと二年後、卒業してからになるだろう。なのに今から就職活動か? それも、父と半ば対立しているサフィスの手を借りて?


「学園を出たら、私も岳峰兵団で活躍したいものです」

「いやいや、あなたならもっと別の場所でも頑張れるでしょう。海竜兵団とか、近衛兵団とか」


 サフィスへのヨイショのためだろう、あえて同じ軍団を名指しして、そこに入りたいなどと。やはり取り入ろうとしている。


「ただ、気がかりなのは、実家のことですね」

「といいますと」

「見ての通りですよ。父には時流が見えていません。残念ながら、サフィス様ほど、先見の明があるわけではなく」


 おっと、始まった。


「私としては、両家の和解といいますか、もっと関係を深く結び合うべきと思っているのです」

「それはそうですね」

「実は、父があれほど冷たい態度を取るには、理由がありまして」

「ほう」

「あまり口出しをしたくはないのですが……なんでもご息女を、他家の大貴族に嫁がせようとしているとか」


 リリアーナの件だ。確かに、このままいけば、ティンティナブラム伯の息子と結婚することになるかもしれない。あの冒険者モドキと、だ。


「噂ですね。でも、まだリリアーナは七歳ですから」

「ならいいのですが……父は、その辺に苛立ちを覚えているようで」

「それはまた、困りましたね」


 シシュタルヴィンは居住まいを正すと、真面目そうな表情で続けた。


「そもそも、四代前のトヴィーティ子爵の夫人も、我が家から出ています。七代前もそうですね。ずっと昔から、両家は婚姻を通して、繋がりを保ってきました。なのにどういうわけか、今はそれが薄れつつあります」

「機会に恵まれなかっただけでしょう。現に今も、侯爵には姫君がおられない」

「まったくその通りです。でも、幸い、サフィス様にはおいでです」


 おっと?

 まさか、狙いはリリアーナか?


「何をおっしゃりたいのでしょう?」

「両家のためにもここは、ぜひご息女の将来をお考えいただいては、と」


 言いやがった!

 シシュタルヴィン、そんなにイケメンでまだ若いのに、もうロリコンなのか?


「それは……誰と、でしょう? エルゲンナーム殿にはまだ男児がありませんし、グディオ殿のご嫡男はまだ一歳ですが」


 怪訝そうな目で見つめるサフィスに、彼はすっと言葉を返した。


「はい、それはこの際、誰でも構いません。兄の息子でも構いませんし、こちらの兄、ドメイドとでも」


 なんという。だが、納得。

 肥満した丸顔の男。これならロリコンっぽく見える。いや、それは偏見か。見た目が醜悪で無能だからって、ロリコンとは限るまい。しかし、雰囲気がどうにもオタクっぽい。


 とはいえ、さすがにリリアーナも、これには絶句している。なんというか、つくづく男運がない。最初は高慢なグラーブ王子の側妾候補で、続いて暴虐領主のダメ息子の婚約者候補、しまいにはデブオタ一代貴族の妻……次から次へと、ひどすぎる。


 サフィスは、二人の顔を見比べながら、一瞬、うろたえた。だが、こんなの、いちいちイフロースのサインを確認するまでもない。


「まず、グディオ殿のご嫡男とはともかく……こちらは、す、少し、年齢が離れすぎているのでは」

「それは承知しております」


 すると、シシュタルヴィンは、ドメイドに話すよう促した。それで彼は、たどたどしく口を開いた。


「ど、どちらにせよ、あ、あくまで、形だけのもので……あと十年もすれば、破棄して構わないと思って……ます」

「と言いますと?」

「あっ……そ、その。今、父と、サフィス、様が仲違いしているのが、よくないので、その」


 見ていられないといった様子で、結局、シシュタルヴィンが首を突っ込んだ。


「つまりですね、本当に結婚したいわけではないのです。ご息女に、フォンケニアまでいらしていただく必要もありません。ただ形ばかりの婚約だけして、十年後には破棄しても、というお話なので。その頃には、兄が家督を継いでいるでしょうし、両家の関係が改善されれば、婚約の有無など問題にはならないでしょう。実際の婚約者は、その後に探されても、充分に間に合うものと思われます」


 なるほど、ロリコン目的ではない、と。

 いや、信用できるか?


「しかし、それでは、ドメイド殿のご結婚はどうなりますか」

「私達はどうせ一代限りの貴族で、爵位もありません。相手は騎士階級からか、裕福な商人の娘達から選ばれるでしょう。だから、先にそちらと結婚してしまっておいても、さしたる問題にはなりません。貴族同士の結婚と、庶民の結婚は、まったく別物ですからね」

「なるほど」


 察するに、ドメイドの容姿と能力では、ろくな相手に巡りあえないのだろう。だから、いるのは側妾ばかりに違いない。よって、正式な結婚など、いちいち考える必要もない。


「ただ、できれば兄の嫡子とのお話でまとめたいのですけど……」

「それはそれで難しいでしょうね」

「はい」


 サフィスはグディオの頼みを蹴ったばかりだ。それに、グディオの長男にはまだ、フォンケーノ侯になるチャンスが残されている。なのにわざわざ、トヴィーティ子爵の娘などを予約しておく必要があるだろうか。

 いや、グディオは現在、一代貴族だ。ならば息子はそのままでは、庶民に落ちる。ということは、リリアーナが結婚すると、彼女まで庶民になってしまう。何しろ、トヴィーティアの継承権は、弟のウィムに残るのだから。

 やはり、無理がある話だ。グディオがフォンケーノ侯になったら、地位が高すぎて釣り合いが取れず、逆になれなければ、今度は地位が低すぎる。

 その意味では、ドメイドを推薦する意味もないでもない。彼は爵位なしとはいえ、一代貴族であり、子爵の娘とならば、なんとか釣り合いが取れないとはいえない。しかし今度は、年齢が離れすぎている。


「いや……しかし、どちらにしても、どうにもしっくりこないと言いますか」

「そうですか、いや、わかってはおりました。ただ、前々から両家の不仲について、兄ともども思い悩んでおりまして」


 いったいこいつら、何しに来たんだろう?

 わけがわからない。


「でも、今、初めてご息女を拝見しましたが、いや、まだ幼いのにお美しい。これでは確かに、惜しくて手放せないのもわかります」

「いや……」

「当面のところは、どこかとうっかり婚約などを結ばれなければ、父も余計なことを言い出したりはしないと思うのですが」

「わかりました。そのご忠告は、胸に留めておきます」


 その辺が狙いか?

 最初に無茶な話をしておいて、無難な結論にもっていく。ありがちな話術ではある。


 しばらくすると、二人は去っていった。

 もしかして、彼らを寄越したのは、侯爵自身なのだろうか? 自分から頭ごなしにいっても、サフィスが反発するだろう。そこで知恵者の末っ子を使ってサフィスを牽制しようとしたとか。何しろ、万が一にもサフィスがティンティナブリアを手にしたら、本当に侯爵の制御が効かなくなる。

 それとも、本当に彼らが両家の関係を考えて、こんな話をしにきたのだろうか? 或いはドメイドが実はロリコンで、リリアーナを手に入れたかったとか? ああ、わからない。ここにジョイスがいてくれれば、どんなに便利だったか。

 とりあえず、こいつらがロリコンじゃないかどうかだけでも、調べておこう。まさかとは思うが……


 部屋に送り込まれてからきっちり一時間後、俺達は外に出た。

 既に周囲は暗くなり始めていた。

 これで形ばかりの会合は終わり。まったく息の詰まる時間だった。

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