鉱夫達のこだわり

 眼下に広がる緑の峰々。大地の窪みと地面の傾きが、そこに陰翳をつける。遠くにはうっすらと白い雲。頭上の青空が目に眩しい。

 今まで、何度も鳥になって空を舞ったものだが、今回ほど長距離を移動したことはなかった。朝一番にボロ布のようなシャツとズボンを固く縛った。あとは、誰にも見られないように、湾岸倉庫の最上階まで、全裸で移動。ここが一番、危なかった。で、開けた窓から飛び立つ。忘れないように、しっかりと衣類を足に引っかけていく。あとはなんとなく北東方向に向かって飛ぶだけ。

 正確な位置がわからないから、不安がないでもなかったが、よく考えれば、足元に人間の作った道路がある。それに太陽も出ているから、おおよその方向ならわかる。時計もないし、距離だって曖昧だから、間違った街に降り立つ可能性もあるが、そこは仕方ない。

 既に三つの集落を通過してきている。だが、俺はそれらを目的地とは判断しなかった。城壁もなかったし、豪壮な屋敷も見当たらなかった。こんなところにグルービーが暮らしているわけもなかったからだ。

 道は相変わらずまっすぐ伸びているが、そろそろ心配になってきた。これ、完全にもう、山の中じゃないか。目的地が近いのか、それとも何か間違ったか……


 一つ峰を飛び越えたところで、遠くに、明らかに人工物とみられる四角い石の塊が見えた。いや、ぬか喜びかもしれない。この山の中には、他にも建築物の残骸があったのだ。どうやら古代の遺跡が散在しているらしい。

 だが、だんだんと近付くにつれ、それがいまだに手入れされている建築物のものとわかる。装飾のない、無骨な灰色の壁。ピュリスの真っ白な建築物が女性的な印象を与えるのと対照的に、こちらはまるで、日焼けした男達のように見える。


 遺跡などではなかった。真上に達した時点で、無数の人々の影が視界に入る。ここがコラプトか。

 道行く人々の雰囲気も、街の外観そっくりだった。夏の暑い盛りではあるが、ここは平地より若干、標高が高い。気温もその分低いのだが、むしろそれもあってか、上半身裸で歩く男達が目に付いた。これがもっと暑くなり、日差しも厳しくなると、逆に上着なしでは耐えられなくなる。

 街の中は、ピュリスとはまるで違った。なんというか、潤いがないのだ。街路樹もないし、ベランダに花を置いているような家もあまりない。ただ、実用性を意識してか、灰色の石畳はしっかりと作られている。おかげで、死角になるような空間が少ないのだが、これは自分としては都合が悪い。できれば物陰に降り立って、さっさと服を着てしまいたいのだ。

 やがて、広場が目に付いた。一際立派な建物があるが、恐らくあれが市庁舎か何かだろう。その周辺には、一段背の低い建物が並んでおり、その辺に椅子やテーブルが並べられている。ちょっとしたオープンバーといったところか。


「キーッ……キイィーッ……」


 不意に、耳元に鋭い叫び声が聞こえる。少し離れた場所。目を向けると、そこに、自分と同じくらいの大きさの黒い鳥がいた。明らかに敵意を感じる。

 よくはわからないが、恐らく、ナワバリを主張しているのだろう。ふと、周囲に目を向ければ、ずっと遠くにも、やっぱり同じ種類の鳥がいた。どうやら、この辺には、今の自分のような巨鳥が、いくらでもいるらしい。

 さて、そうなると、いつまでも場所を選んではいられない。地元の鳥とデスマッチなんて、冗談ではないのだ。ましてや、自分の武器となる足の爪は、人間に戻った時のための衣類を運搬するのに使っている。

 多少不安はあったが、それら広場に面した飲食店の裏手に急降下する。頭上を羽音が通り過ぎる。深追いは避けたようだ。恐らく、街の上空をナワバリにしているくらいだから、人間の残飯も彼らの餌となっているはずだ。だが、だからこそ、彼らは人間から駆除の対象ともされかねない。彼らにとって、地上は餌と危険のある場所なのだ。

 そこで俺は、素早く左右を見回す。決定的な目撃者さえいなければいい。変身の瞬間さえ目撃されなければ。あとは全裸の変態少年とみなされても、この際、やむを得ない。よし、大丈夫だ。

 少年の姿に戻った俺は、手早く荷物を解こうとする。固く縛りすぎたらしい。なかなかうまくいかずに、じれったい思いをする。やっと紐を引き剥がして、とりあえずズボンを引っ張り出す。周囲を見ながらも、とにかく無理やり穿く。すぐにシャツも着て、最後に一枚、用意しておいた大きめのタオルで、頭を覆う。黒髪はここでも目立つはずだ。できればあまり、印象に残らないようにしたい。それを紐でぐるぐる巻きにする。

 今回の調査費として持ち込んだ銀貨一枚を拾い上げる。カーンから預かった十枚の金貨と異なり、これは俺の私有財産だ。


 やや薄汚れた、細い路地を通って、俺は広場に出た。一面、くすんだ色の石畳に覆われている。定期的に掃除や補修は行われているのだろうが、その頻度や密度には、差があるらしい。市庁舎らしき建物の前の石畳には、それなりに大きな石の板が整然と並べられているのに、こちら、飲食店の前となると、ただのレンガの塊みたいな感じになってしまっている。石と石の隙間が磨り減って削れて、おかげで足元がデコボコだ。靴まで運ぶ余裕がなかったのもあって、ちょっと足の裏が痛い。

 空を見上げる。太陽が南中するのに、あと少し。昼前、といったところか。

 塩の値段、といっても、どこから調べればいいのか? 目の前の飲食店が、情報を提供してくれれば、一番手っ取り早い。彼らは、ここで塩の仲買人から仕入れているはずなのだ。そう思って、目の前のオープンバーに目を向ける。

 こんな時間なのに、数人の男達が、木のコップを片手に、大騒ぎしていた。あれはどうも、酒まで入っているらしい。

 正直、酔っ払いは苦手だ。前世では飲食の仕事をしていたから、この手の人間に出会う機会もよくあったが、どうも好きになれない。どうしてこうも衝動的になれるのか。だいたい、酔っ払ってしまったら、料理の味だってわからなくなるだろうに。

 いや。案外、彼らこそ、俺の突破口になってくれるのかもしれない。だってそうだ。飲食店の主人が、どうして見ず知らずの、薄汚い子供に情報提供してくれるだろう? 話しかけようにも、乞食と間違われて追い払われるだけだ。だが、上機嫌の男達であれば?

 ダメでもともとだ。俺は、意を決して彼らに向かって歩き出していった。


「……いや、だからさ、手応えが違うんだって」

「そういうところが、初心者向きだって言ってるんだろ?」

「反動なんか、きっちり体ができていれば、感じなくなるぞ」


 なにやら議論が白熱している。なんだろう?


「切っ先が鋭くて頑丈だから、サクサクいけるんだろうが」

「いーや、そればっかりに頼ってるのがダメなんだってことだ。本物はな、絶対に割れない相手にこそ、シビレるもんなんだ」


 男達の半分は、上半身裸だ。それも、筋肉のつき方が尋常ではない。彼らの、元は白かったであろう作業着は、汗と汚れが染み付いているのか、やや灰色がかっていた。見るからに肉体労働者だ。


「砕けなきゃ、作業にならんだろが!」

「作業だなんだと言ってる時点で、ツルハシストとしては、まだまだだ!」


 うん?

 ツルハシスト? なんだ、それ?


 俺が首をかしげた時点で、集団の中の一人と目が合った。


「おっ、そこの小僧、ちょうどいいや、ちょっとこっちこいや」


 うっ……これ、あんまりよくないパターンじゃないのか? でも、逆らったら何をされるかわからない。おとなしく彼らのテーブルに近寄った。途端に強い酒の臭いが鼻をつく。


「これ。握ってみろよ。どうだ、いい道具だろ」


 議論に負けそうになっていた側の若い男が、俺にツルハシを握らせてきた。上質な木の柄、それに黒光りする金属部分。子供の俺にとっては、なかなかの重さだ。


「よし、振ってみろ」

「え? これを?」


 ツルハシだぞ? こんな街中で、どこを掘れと?


「足元でも何でもいい。やってみろ」


 いいんだろうか。いいか。どうせ俺は子供だ。責任はこいつらが取ればいい。俺はその場でツルハシを振り上げ、そして足元に突き刺した。サクッ、とまるでチーズケーキをスプーンでくりぬくような感触がした。だが、足元の石畳は、きれいに削れている。


「すごっ」


 このツルハシ、どうなっているんだ。かなりの業物じゃないか。下手をしたら、金属の鎧でさえ、簡単に削りきれるんじゃないのか?


「だろ? いいだろ?」


 俺にツルハシを握らせた若い男は、得意げな表情でそう言った。

 だが、対面に座る、やや年老いた男は、それが気に入らなかったようだ。


「本来、長年使った相棒を、他人に触らせるもんではないんじゃがな……」


 彼は、顎で自分のツルハシを指し示した。今度は、そちらを振ってみろ、ということらしい。いいのかな、こんなに広場を削って。

 俺はそれを受け取り……声をあげそうになった。

 なんという手触りだろう。幾度となく使い込まれたツルハシの柄が、まるで俺の掌に吸い付いてくるかのようだった。決してきれいでもなんでもないのに、この感触はどう説明すればいいのか。

 そして、俺はそれを振り上げる。この時に、また軽い驚きがあった。背筋がピンと伸びる。そして、なぜかツルハシの重さを感じない。これは。

 振り下ろす。ガツンと足元で止まる。決してさっきのように、食い込んでいったりはしない。だが、全身に響き渡る衝撃は、決して不快ではなかった。そして、足元の石畳は、きれいに円を描いて割れていた。さして力を込めたつもりもなかったのに、だ。


「ほう」


 俺にツルハシを渡した初老の男は、軽い感嘆の声をあげた。


「いい筋してるじゃないか」

「は、はぁ」


 何がどう、いい筋をしているのか。サッパリわからない。


「それで」


 さっきの若い男が、必死の表情で食いついてくる。


「どっちがよかった?」

「えっ?」

「ツルハシだよ! どっちがよかったかって」


 えっ……どうしよう。

 わかったのは、どちらも何か、すごい道具らしいということだけ。先に使ったほうは、やや重すぎたけど、それは俺が子供だからだろう。その切れ味は凄まじかった。それに対して、後で振るったほうは、そこまでの鋭さはなかったものの、使うと自然と背筋が伸びた。バランスがいい道具なのだろう。

 問題は、そんなことじゃない。ここでどう答えても、俺は揉め事に巻き込まれる。

 そう思って目を泳がせ始めた時点で、パンパンと手を叩く音がした。


「はいはい、終了、終了。ガキ困らせんじゃねぇよ」


 横に大きな、貫禄のある中年男が、割って入ってくれた。よかった。

 それにしても、こいつらはいったい、何者だろう?


「あ、あの」

「おう」

「皆さんは、どなた様でしょうか?」

「どなた? どなた様ってか! ハハッ!」


 場の空気が、少し和んだ。さっきまでの議論が棚上げされた感じだ。


「俺達ゃ、ツルハシストよ」

「ツ、ツルハシ……?」

「お前さん、そんな言い方じゃ、この子にはわからんじゃろ」


 初老の男が向き直り、実にわかりやすく説明してくれた。


「わしらはな、この街で働く鉱夫じゃ」


 なるほど。それなら納得だ。

 でも、どうしてこんな昼間から酒を飲んでいるんだろう?

 疑問が顔に出たらしい。


「おっと、ただの鉱夫ではないぞ? 言ってみれば、わしらは一流の鉱夫なんじゃ」

「一流、ですか」

「一番深いところで、どこを掘ればいいか、崩落を避けるにはどうすべきか、それをよぉく知っておるからな」


 そういうことか。彼らは下っ端の奴隷労働者ではない。もちろん、肉体労働者で、社会的地位は高くないのだろうが、それでも特殊技術を有する職能集団なのだ。

 そこへ、さっきの若い男も口を挟んだ。


「何より、このツルハシがあるからな」


 そうだ。やけに切れ味がよかった。だが、それがどうしたというのだろう?


「そういえば、さっき、ツルハ……シス、ト、とか言ってましたよね?」

「ああ。俺達は、どんな固い岩盤にも怯まない。どんな場所でも、この相棒さえあれば、絶対に掘り抜いてみせる。それがツルハシストなんだよ」

「そ、そうなのですか」


 そこへ、中年男も、腕組みしながら頷く。


「ツルハシは、いわば俺達の誇りだからな。ついついアツくなっちまう」


 そういうものなのか。普通に鉱夫といえばいいものを、わざわざツルハシストとか、わけわからない称号を名乗るあたり、こだわりはあるのだろうが。

 初老の男が、俺の肩を叩きながら言った。


「お前さん、わしの見立てでは、ツルハシストの素質があるぞい」

「へ? は?」

「もし、セリパシア方面に行くことがあったら、わしらの聖地に寄ってみるといいかもしれんのう」

「は、はい」


 冗談じゃない。俺の目的は不老不死だ。人生のほとんどを穴掘りに使うなんて、とんでもない。

 ……と、あまりの展開に、思わず目的を忘れるところだった。


「あ、あの」

「うん? なんだ?」

「皆さん、じゃあ、このコラプトで、採掘をしてるんですよね?」

「そうだ」

「どんなものを掘ってるんですか?」


 岩塩を掘っているとか? だとしたら、アウトだ。


「ここはぬるいな。普通の鉄の鉱脈だからなぁ」

「前はミスリルの鉱脈もあったらしいんだがな。もう涸れちまったらしい」

「他には、ないんですか? 岩塩とか」

「岩塩だぁ?」


 俺が岩塩、というと、男達の機嫌が途端に悪くなった。


「あんな生ぬるいモン、俺達が掘れるかっ!」

「ひっ!?」


 なんで怒るんだろう? わけがわからない。


「まぁまぁ、相手は子供じゃ。落ち着かんか」


 爺さん、助かる。


「お前さん、どこの子供じゃ? この辺の人間ではないんじゃろう」

「あ、はい」


 さすがにバレるか。岩塩のない土地で、岩塩を掘っているのか、なんて尋ねたのだから。


「商人の見習いで、主人と一緒にコラプトに来たんです」

「なるほどの。ここは初めてかな?」

「はい」


 よし、納得してもらえた。まあ、初めて来たというのも本当のことだし、主人とコラプトに来る、というのも、一応もうすぐ事実になる。問題ない。


「ほ、ほら、その。ええと……前に、大人の人が言ってたんですよ。疲れる仕事をする人は、塩が大好きだって。だから、その」

「ほっほっ……そうじゃなぁ」


 見れば、彼らのテーブルにも、小皿に盛られた塩がある。彼らも肉体労働者だから、頻繁に汗を流す。当然、水だけでなく、塩分の補給が必要となる。


「確かにわしらはみんな、塩辛いものが好きかもしれん。だが、この辺は塩が安くはなくてなぁ」

「そうなんですか」

「そうじゃとも。ここの飲み屋なんかはな、ケチなもので、塩を小皿で出すのに、銅貨二枚も取りよるわい……それも、質のよくない岩塩でな」


 ええと。あれでどれくらいの重さになるんだろう。値段は……


「はっは! 変な子供だな!」


 恰幅のいい中年男が、声をあげる。


「あ」


 そうだ。俺の見た目は、まだ六歳の少年だ。あんまり大人っぽいことを言うと、変に思われる。

 でも、情報だけは聞き出さないと。


「えっと、その。実は、勉強だから、値段を調べてきなさいって、言われて見にきたんです」

「その小ささで、もういっぱしの商人か! 厳しいな!」

「なるほどのう、それで塩のある、飲み屋に来たわけか。賢い子じゃな」


 鉱夫達は、まだ幼い俺を、温かみのある目で見つめた。

 若い男が、遠慮がちに言った。


「値段となると……卸売のほうを見たほうがいいんじゃないか?」


 そんな情報もくれるのか。俺は勢いよく振り返った。


「街の北のほうに、仲買人の連中の窓口があったはずだ。俺達の鉱石もそっちに持ち込むんだが、食料品の業者もいる」

「そうなんですね!」


 よかった。

 あとは、そこの仲介業者から、ちゃんと相場を聞き出せればいいのだが。

 そこへ、中年男が口を挟んだ。


「広場からまっすぐ北に行けば、あるはずだ。ただ、道を一本外れると、変なところに出るからな。できたら、大人の人に連れて行ってもらえよ」

「はい」


 よくわからない人達だったが、結果的に知りたいことは教えてもらえた。俺は頭を下げると、まっすぐ北に向かって歩いた。


 それにしても、重くなるからって靴を用意しなかったのは失敗だった。足元の石畳が日光を浴びて、だんだん温度を上げていく。この陽気だと、そのうち耐えられなくなるのではないか。

 少し歩いたところで、やっぱり無理だと思い返し、脇道に入り込んで、何かサンダルでも買えるような店を探すことにした。だが、これがよくなかったのかもしれない。

 銅貨五枚のお釣りを貰って周囲を見回す頃には、今の自分の正確な位置がわからなくなってしまっていた。

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